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退院そして

 見慣れた街の景色が、押し出される様に後方へ流れ去ってゆく。

 信号が青に変わると同時に、停止に備えて減速をしていた前の車が速度を上げる。

 フロントガラスの先の空間が広がった。

 次の瞬間、僕の身体はシートに沈み込む。僕の乗った車も加速してゆく。


 病院の、お世辞にも贅沢とは言えない朝食を食べ終わる頃、見計らった様に病室に入って来たのは『nest of moth』の店長だった。

 僕たちを襲った四人の男達から、入院の費用と慰謝料を預かってきたとの事。

 お金の問題ではないと思ったので辞退しようとしたのだけれど、しばらくの押し問答の末、結局僕が折れる事になった。但し、受け取るのは治療にかかった費用だけとして、病院への支払いを店長にお願いをすることとした。

 そして、僕はそのまま退院をする事にした。


 僕が今乗っているのは店長の車。車で来ていた店長の申し出により、僕は家まで送ってもらうこととなったのだ。


「加速して椅子に押し付けられると、まだ少し痛そうだね」


 運転をしながらもこちらに気を払っているのか、店長は前をむいたまま僕に話しかけてきた。


「昨日と比べたら相当楽ですけどね。でも身体が痛いなんていってられないです。今日からは美咲さんの行方を探さないといけないし。それより、『出入り禁止の常連』の所へはいつ案内してもらえるんですか?」


 そう。今となっては美咲さんの手がかりはこの男だけなのだ。


「ああ、そっちね。そっちの方は今人づてで頼んでいて、連絡待ちだよ。分かり次第君に連絡する。約束だからね」

「それはお願いします。連絡は必ずください。今となっては、数少ない手がかりなんです」

「わかった。約束は必ず守るから。それから、これも約束していた事なんだけど、一応確認しておくけれど、連れて行くのは君だけだっていうのは問題ないよね。女の子達は連れては行かない」

「それも了解しています。茜達にはこのこと自体話していませんから。こちらも約束は守ります」


 危険が及ぶ事を茜達にさせるわけにはいかない。『日記』しか手がかりがない今となっては美咲さんの捜索が滞ってしまうことが明白だとしても。

『日記』という言葉が浮かんだそのとき、僕は昨日の茜との会話を思い出した。



『美咲ね、あの店にアルバイトに行ってない時には、男の人と会っていたみたいなの』



 この男に日記の男の情報はないだろうか。確認してみる価値はありそうだ。


「ところで店長さん、美咲さんの事、プライベートな部分はどれくらいの所まで知っています?」


 店長は、ちらりとこちらを怪訝そうに見た。


「いや、店であった事柄とか、彼女がアルバイトが終わった後店で話していた事とか、車で送って行った時に聞いた話、くらいかな? 君たち友達の方が詳しいとおもうけれど?」

「美咲さんは学校の外で起きた事について、茜たち友達にもあまり話していないんですよ。店長さんの店でアルバイトをしていた事すらも話してなかったくらいに」

「そうなんだ、意外だね。その辺は普通の娘っていうイメージだったけどな。少なくとも友達にもプライベートを明かさないような、自分の殻に閉じこもったタイプには見えなかったけれどね」

「良くは分からないけれど、その辺は区別していたんじゃないかと思うんです。殻に閉じこもるとか、人見知りとか、そういうのじゃなくって昼間と夜とでは割り切って別の生き方をしていたような」


「そういえば、彼女は自分は『蛾』と良く似ていると言っていたな。なぜ『蛾』なんだ? って聞いたら、ただ笑っていただけだったけれど。それと、学校の友達は『蝶』だって。夜に活動する、言い換えると夜に本当の姿を現すのが『蛾』で昼間に本来の姿なのが『蝶』という意味なのかな。確かにそう考えると、昼間『蝶のふり』をしていた彼女は本当の彼女ではなかったっていう事なのかもしれないね」

「それって、茜たちが知らない美咲さんがいるって事?」

「いや、彼女の言葉から自分なりに解釈しただけで、それが真実かどうかはわからないけれどね。人の心の内なんて他人には簡単にわかるものじゃないし。それに、もし本当にそうだとすると、孤独すぎないか? 彼女。可哀想すぎる」


「夜の美咲さん……店長の店での美咲さんってどんな感じだったんですか? 性格とか、振る舞いとか」

「いや、明るくて、聡明で、よく気がついて、ウエイトレスとしては優秀だったね。だけど」

「だけど?」

「どこか割り切ったような、何かを諦めたような、妙に冷めたところがあるように感じた事はある」


「家庭の事情とか聞いています?」

「いいや、そう言えば一度も家の事は聞いた事がなかったね。複雑なのかな? ここでその話題が出るって言う事は」

「若干」

「そう。でも、あんまり知りたくないな。知らなくていい事は聞かない方がいいっていうのがヒーリングセミナーをしていた経験からの持論なんでね、聞かないことにする。知っても何もできない事もあるし、特に他人の家庭の事はね、何かしてあげたくても他人には何もできない事の代表みたいなものだからね。自分で解決するか、うちの客の一部みたいに居場所をみつけて逃げるか……。うーん、そうか、逃げていたのかな美咲ちゃんは」


「え? 逃げていたって? どういう事です?」

「彼女は居場所がなかったんじゃないのかな? 家庭に。それでうちで遅くまで働いていた……うちの店を居場所にすることで、家に居場所がない現実から逃げていたのかも知れない、とか?」

「勘がいいですね。家での問題はそんな所です。けれど、それで……仕事の後も帰らずに店にいた?」

「そうだね。まぁ、それも勝手な想像だけどね。本当の事は本人に聞かないと分からないし。まぁ、人は心の内を他人には話さないものだから、どのみち本人に聞いても分からないのかもしれないけどね」

「どっちみち分からない……か。それじゃ想像に頼るしかないですね。ところで、美咲さんの出勤日は毎日だったんですか? 毎日遅くまで家に帰らなかった?」

「いや、店は定休日があるし、客が少なくてアルバイトが必要じゃない曜日もある。毎日ではないね。それが何か?」

「いえ。店が休みの日はどう過ごしていたのかなって」

「君といっしょに店に来ていた彼女たちといっしょだったんじゃないの? あ、でも、夜まで『蝶』のふりはしたくないかな? そうじゃなければ、たぶん、だけど理系おたくの彼氏と一緒、とか?」


 理系おたくの彼氏、新しい情報だ。茜が見つけた日記の彼氏と同一人物なのだろうか?


「理系おたくの彼氏って?」

「うん。美咲ちゃんが店に連れて来た男の子なんだけれどね、話すと理系の事に異常に詳しくてね。美咲ちゃんが行っていたのが女子校だったから、同級生っていうわけじゃなさそうなんだけど、仲は良さそうだったね。理系の知識といえば、実は僕も彼に……」

「彼に?」

「いや、何でもない。彼にいろいろと教えてもらったって事だよ。僕も感心するほどにいろいろと詳しかったからね」

「理系っていっても幅広いけれど、彼がそういう学校に通っていたとか?」


 僕はその彼の学校を突き止めようとした。工業系の学校だったらかなり範囲がしぼられる。


「いや、あれは高校生のレベルを超えていた気がするな。少なくとも学校からの知識だけじゃないね。家族にそういった研究者がいるとか、そっち方面の英才教育を受けているとか、そういったレベルだと思う。一定の周波数を人体に送った場合、共振によってどういった影響があるかとか、脳の構造がどんなで、どの部分に電極をつけて、どんな周波数の電気を流すとどんな影響があるかとか。彼の話はかなり特化した知識だったし、いわゆるスピリチュアル的な所まで入り込んだ、応用の部分までの知識があった気がするね」

「マッドサイエンティスト……」

「そう。それ。まさにそんな感じだったな。それと、彼も孤独だったのかな? 一度話しだすと止まらない、人との会話に飢えているように感じというか。家庭や友人とあまりコミニュケーションを取れていない人間特有の特徴だね、あれは。まあ、何かを確認したわけじゃなく、これも僕の経験上そう思っただけなんだけれど」


 茜の勘がビンゴかもしれないと思った。もしそれが正解ならば美咲さんは今でも無事かもしれない。少なくとも、『nest of moth』の元常連の所よりは安全だろう。


「家に帰る前にその彼と会いたいんですけど。これから行けます?」

「いいや、今は無理だ。彼の家は知らないんだ。でも、待っててもらえればなんとか出来ると思う」


 道は大きく左にカーブしている。店長はハンドルを操作しながら怪訝そうにしている僕に答える。


「今連絡先を調べてもらっている例の元常連に聞けばわかるかも知れない。彼は、なにか自分で作った装置をそいつに売っていたから。彼らは連絡を取り合っていたはずだし、もしかしたら今でも連絡を取り合っているかもしれない。その装置のメンテナンスも必要だろうしね」

「犯罪者が欲しがる装置って。いったいどんな装置なんです? まさか人を傷つけたりするような」

「傷つきはしないな。頭に電極をつけて、直接脳を刺激してトリップさせる装置……かな?」

「頭に電極? トリップって、そんな物って……」

「彼ならおそらく作れるんだろうな」


 目の前が暗くなるのを感じた。店長の言うところの『理系オタクの彼』と一緒なら美咲さんの無事は確定だと思っていた。けれども、その彼が店長のいうところの『職業犯罪者の元常連』と繋がっているとしたら……僕の微かな希望が摘み取られた気がした。


「とにかく、情報が入ったら君に伝える。こちらからもお願いするよ。美咲ちゃんを助け出す手伝いをして欲しい」

「こちらからもお願いします。僕が思っていた以上に深刻な事態かもしれませんし」

「そうだね。こっちも一人きりじゃ避けられない危険もあるからね。君が来てくれれば助かるよ。やつの仲間を通報して警察送りにしちゃったしね、恨みは買っているとは思うんだ。二人ならなんとか……なんとかならなかった時の事も考えておかないといけないな。君のお友達、あの女の子たちに頼んでおいてくれないかな? あいつらと会ってから三十分後にメールが入らなかったら警察を呼んで欲しい、とか。なにかあった場合、僕も武道の達人っていう訳じゃないからね」


 僕は店長の言葉に黙ったままうなずく。


「ところで、君の家、さっき聞いた住所からするとここを右だっけな? 近づいてきたら教えてよ」


 陽気な表情のまま、店長はバックミラー越しに僕の顔を覗き込んだ。


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