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nest of moth 1

 接客業の入り口とは思えないほど重厚なドア。体重をかけて押し開けると、店内から軽やかなジャズが聞こえて来た。

 柔らかな暖色系の光で満たされた店内は、向かって左側にオープンキッチン前のカウンター席が並び、右側にテーブル席が並んでいる。満席でも二十人弱程度しか入れそうにない子じんまりとした店内は、ほぼ全ての席が埋まっていた。


 店内に一歩足を踏み入れる。と、客たちの視線が、不意の侵入者である僕たちに降り注ぐのを感じた。


「えーと、開いていますか?」


 居心地の悪い視線を振り切るようにカウンターで急がしそうにしている二十代半ばに見える男性に向かって声をかける。席もそうだが、他の客に僕たちも客である事を主張するために。


「ん? 見ればわかるとおり最後のテーブルが開いてるよ。ファミレスじゃないから席に案内まではしないけれどね。空いているのは一つだけだから分かるよね。今注文をとりに行くから、そこに座って待っててな」


 男性はちらりとこちらを一瞥した。後ろで束ねた長髪をバンダナで包み、白いTシャツにジーンズとラフな格好をしたその男性は、それでも器用にシェーカーを振っている。


 疲れた顔をしたスーツ姿の男がタバコの煙を吐き出す。その煙は、冷たいエアコンの風に流されて僕たちに向かって拡散しながら漂ってくる。ニコチンを含んだ、むせ返る様な刺激臭が辺りに充満する。

 店の奥からずっとこちらを見ていた派手な服を着た若い女性達は、僕の視線を受けると何かに気づいたように僕たちから目を背けた。

 ずっとこちらに気味の悪い視線を向けていたタバコの男も、ゆっくりと正面に顔を向けると目を細めながら煙を吸い込んだ。

 それを合図としたかのように店内に流れていた静寂が止み、一斉に客達の話し声が響き始める。


「ね、思ったより普通ね。モヒカンの人とかいないし。もっと危ない客層だと思っていた」


 茜は店内を見回すと僕に囁く。


「常連さん御用達の店って感じかな。一見さんの私たちに対する他の客の視線が異物を見るかのようだ。こんな感じの店には、モデルの仕事が遅くなった時に夕食の為に連れて来られたことがあるのだが、その店と比べても居心地が良い店ではないな」


 里奈が小声で僕たちに伝える。


「里奈の言うとおり、雰囲気が良くないな。良くはわからないんだけれど、以前事件があった所なんでしょ? 一応気をつけておこう」


 僕の言葉に二人が頷いた。

 この手の店に入るのは初めてなので、僕は他の店と比較をする事が出来ない。けれども店員の気さくな話し方と比較して、周りの客に対する違和感を感じていた。

 その違和感とは、ひと言でいうと排他的な雰囲気、例えるなら何か秘密を共有している様な空気というものか。里奈が言うとおりそれが常連の連帯感であるなら、それほど気にかける程のものではないのかも知れないとは思うものの……。



「おまたせしました。忙しくって、なかなか注文を取りにこれなくって、すみませんね。注文、伺いますよ」


 店員が席にやってきたのは、それから数分後、僕たちがメニューをすっかり見尽したあとだった。


「いえいえ。忙しそうでなによりですね」


 意外な事に、そんな店員に言葉を返したのは里奈だった。しかも意外なのはそれだけではなく里奈の話し方……里奈の丁寧語をこんな所で初めて聞くとは、僕は想像すらしていなかった。


「なによりって、言うかね。つい最近まではバイトが二人居たんだけれど、一人が急に辞めて、もう一人が一週間くらい前からかな? 無断欠勤でね。三人分の仕事だから、忙しくって」

「一週間くらい前から?」

「うーん。一週間は経っていないかな? とにかく忙しくってね。君たちみたいなかわいい女の子だったんだけどね、二人とも」

「三人分の仕事じゃ大変ですね。バイトの子を呼び戻せばいいのに」

「辞めた方の子はね、常連を出入り禁止にしたら辞めちゃったから、もうね。無断欠勤娘は辞めた娘の後を追うように来なくなったんだけど、二人で申し合わせて辞めたわけじゃないみたいだから、そっちの子はまた来るって期待はしてるんだけどね。連絡がとれなくって」


「美咲……」


 茜がつぶやく。


「そう、美咲ちゃん。って、君、この店初めてじゃないのかな? なんで知ってるの」


 店員は不思議そうな顔をしながら茜に尋ねる。

「美咲の失踪には関係ないんですね。この店は」

 茜が確信をついた。

「知っているんだ? 美咲ちゃんの友達……なのかな? 美咲ちゃんと同じ年だとすると……注文は受け付けるけど、それならアルコール類は無しだな。未成年でしょ?」

「未成年って知ってて美咲を使っていたんですか?」


 茜が店員の目をにらみつける。


「未成年を使っちゃいけないなんて法律ないしね。お酒を出す店だけれど、飲ませる訳じゃないから。それにウエイトレスだからね。それ以上の接客はさせていないし、勤務時間さえ気をつければ問題はないはずだ」

「でも、毎日帰りが遅かったらしいし」

「家にね、帰りたくなかったらしいんだ。だから、アルバイトが終わったあとは客として店に居たんだよ。もちろん彼女にはアルコールは出さなかったし、法律に違反する事はしていないさ。それに、遅くなった日には心配だから僕が家まで車で送って行ったりしていたし、君にとやかく言われる筋合いはないと思うんだけれどね」


「あ……」


 僕は美咲さんのお母さんの言葉を思い出す。車で送迎をしていたのはこの人だったのか。


「それより失踪って? 美咲ちゃん家にはいないの?」

「ええ。数日前から」

「それは心配だな。で、ここにいると思って来たんだ?」

「いえ。何か情報があるかなって……」

「ははっ。同じ様なものだ。けれど、ここにはこれ以上の情報はないよ。こっちが知りたいくらいだ。メニューのソフトドリンクの中から一人一品だけ無料でサービスするから、今日はもう遅いし帰るんだ。ここは高校生が来る店じゃないからね」


 店員は僕たちの目を順番に覗き込むようにみつめた。顔をしかめる里奈。茜は僕をみつめながら、何かを合図するかのように首を横に振る。


「帰れって……客として来ているのに?」


 

 茜の表情から『もっとがんばれ』との意思を読み取った僕は、店員に反論した。


「ここはカフェバーで、お酒を出す店なんだよ。君たちの学校や両親に連絡してもいいんだけれど?」


 僕は茜と里奈の顔を、もう一度覗き込む。店員の言葉に二人とも諦めの表情を浮かべる。


「それで? 注文は?」


店員が催促をする。


「私、水」


茜が店員の顔をまっすぐ見つめて答える。


「私も水でいいから」


里奈は目を背けたまま注文する。


「あ、じゃぁ、僕も水で」


 メニューを真剣に見ていた僕は、けれども二人に会わせて仕方なく水を注文した。


「気の強い娘さん達だな。美咲ちゃんのことはちょうど僕も心配していたんだ、何も言わずに来なくなっちゃったしね。こっちはこっちのルートで行方を探ってみる事にする。君たちはこれ以上関わらずに、学生は学生らしく勉強に励みなさい。まぁ、せっかくの夏休みなんだから、海とかに行ってもいいんだけどね」


 店員は僕たちを順番に眺めながらウインクをする。


「友達を心配して探しているのに、そんな言い方って」

茜が店員をきりりと見上げる。


「出入り禁止にした常連に当たってみるって言っているんだ。もう一人のアルバイトが辞めた時期と美咲ちゃんがいなくなった時期が近いのがひっかかるしね。で、なんだけれど、なんでその常連を出入り禁止にしたか、そこの所、想像力を働かせてもらえるかな? その常連ってどんな人物なのか。出入り禁止になんてしなければ、僕はその客から利益を得られるんだよ? それなのになんで出入り禁止にしたかって事を。そういう人物なんだよ、そいつは。君たちは危険だからこれ以上関わるなってね、そう言っているんだ。こっちはこっちの方法で美咲ちゃんを探す事にする。分かってくれるかな? 気の強いお嬢さん」

 

 店員は茜を見下ろしながら、落ち着いた声でそう言った。

 ふと、背後に異様な気配を感じた僕は、振り返って店の中を見回した。

 いつの間にか、店中の緯線が僕たちに集まっていた。

店員は右手をあげると、カウンターの中へと入って行く。

 店の中に、雑談のざわめきが戻った。


 その後すこしして、店員はドリンクの入った三つのグラスを持って来た。三人とも水を注文したはずなのだけれど、グラスの中は柑橘系の香りのするオレンジ色の液体だった。


「水を頼んだ筈なのに、どうしてオレンジジュースなんだ? ……って、ここは好意を素直に受け取る場面なのかな、茜」

「いいんじゃない? お金を払ってもいないのに、『注文と違います』とも言えないし」

「そうだな、茜に翔太。ここは素直にいただくところだな」


言うが早いか、里奈はコップからストローを抜き取り、グラスに直接口をつける。


「翔太、これいけるぞ。おそらくオレンジ果汁百パーセントだ」

「お、おう」

 

 里奈、お前はどこまで男らしいんだ。ひと息でグラスを飲み干す里奈を、僕はできるかぎり暖かい目で眺めることにした。無料で飲み物を提供される事に対する躊躇とか、遠慮とか、心苦しさとか、そんな事は全く意にかけない里奈の態度を、注意するべきか、それとも気がつかない降りをして当然の様に振る舞うか、どっちが本当の優しさなのだろう? などと僕らしくもなく悩んだりしながら。


「で、どうする? 手がかりは出入り禁止の常連だけになっちゃったけど、店員は僕たちにはその人の事を教えそうにないし」


 里奈の一気飲みに関する悩みは、ひとまず頭の中から追い出す事にして、大人しくストローを吸う、やはり遠慮のようなものが殆ど感じられない様子の茜に話しかける。


「あの店員が言っている事が本当なら、ね。その常連が実在の人物か、それともそれ自体が嘘なのかまだわからないわけだし」


 出入り禁止の常連の存在を証明するものは、今のところ店員の証言だけだ。確かに、存在を含めてどこまで本当なのかわかったものじゃない。僕は茜の洞察力に舌を巻く。

 

「でも、店員がああ言っている以上、確かめる手段はないのだがな。例え本当だとしても私たちだけじゃその常連の存在を突き止める方法はないぞ。どうにも先に進めなくなってしまったな、茜」

里奈はグラスをくるりと回し、底に残った氷を弄ぶ。

「でも、だからといってそれで諦める訳にはいかないのだろうし、他のルートから美咲さんの行方を探すしか無いわけだよね」

 僕の言葉に、二人が頷く。

「それじゃぁ、飲み物だけいただいて、綾乃さんの今後の事はまた明日にでもに集まって相談しますか」

 僕は飲みかけのグラスに刺さるストローに口を付けた。と、その時、店の奥からザーの音が聞こえて来た。


 店の入り口から入ってカウンターと客席の間を通り過ぎた突き当たりの壁、店の最新部にあるその壁には、配管清掃用のパイプスペースの入り口とも思えるそのドアがあり、ブザーはその向こう側から聞こえてくる。いったい、何のブザーなのだろう? 不思議に思いながらそのドアに目を向ける。小さく金属質の音がしたかと思うとノブが小さく回り、ドアに隙間ができる。


「あんな所から人が出てくるなんて」


 茜の声。茜もあのドアがパイプスペースの様なものだと思っていたらしい。ドアの中からは、二十代位の男性とその男性に肩を担がれた女性が出て来た。

 女性の方は、ぐったりとしていて身動きもしていない。


「店長」


 男性はカウンターに向かって声をかける。

 カウンターで作業をしていた男は二人に駆け寄ると、女性のもう一方の肩を担ぐ。


「従業員用の休憩室で少し休ませよう」


 店長と男性、その二人に両側から肩を支えられた女性は、店の奥に入っていった。


「あの人、ただの店員じゃなくって店長だったんだな……そんな風には見えないな。チャラくて」

「いや、里奈。今、思わなくちゃいけないのはそこじゃなくって」

「この店、まだ……」


 茜が呟く。


「この店ね、入る前に警察に摘発されたって言ったでしょ? それってね、違法な薬物の販売をしていたかららしいのよ。さっきの女性も、もしかしたら……」

「茜、声が大きい」


 僕が注意するその前に、隣の席についているアロハシャツの二人組の男達がこちらに振り向いた。

 威圧ともとれるその眼光を前に、僕たちはその場から動く事が、いや、逃げる事ができなくなってしまった。




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