日記
「おはよう、みんないるかな?」
僕は綾乃さんの家のドアノブに手をかけ、ドアを開きながら朝の挨拶をする。
ドアの鍵は今日もかけられていなかった。
「おはよう、翔太。朝ご飯はまだだよね?」
奥から茜の声が聞こえてくる。
「まだだけど。それより今日も鍵締めてないんだ? 不用心じゃない?」
僕は扉を閉めると内側から鍵をかけながら、奥にいる女子高生達に注意を促した。
「万が一の時には私がいるからな。鍵なんか掛けなくても全く心配ないぞ。翔太」
部屋の奥から特徴的な喋りが聞こえてくる。
「里奈、お前がいるのを忘れていたよ。侵入者が怪我をすると大変だから、鍵をかけておくべきだと思うぞ」
「それは、女子三人しか部屋にいない事が分かっていて、それでも侵入してくる男子高校生が危険に直面するっていう意味かな?」
「里奈、それはまさか僕のことじゃないだろうな? 僕は呼ばれて来たんだけれど?」
「…………」
返事がない。戦闘態勢に入った可能性のある里奈を警戒して、僕は脱ぎかけた靴にもう一度足を入れる。
「茜が敵じゃないと言っている。侵入を許す」
里奈の声だ。って、なんでおまえの許可が必要なんだよ? ここは綾乃さんの家なのに。
里奈の言葉をわざと無視するように部屋の奥に向かって声をかける。
「綾乃さん、入りますよ?」
「どうぞー。今朝食を用意したところですから」
いつもの心安らぐ天使の声が聞こえてきた。僕はようやく安心して靴を脱ぎ、茜たちが待つリビングへと足を進めた。
「翔太は私の隣でいいわよね」
『いいわよね』と言われて断る事もできないので、僕は昨日と同じ、茜の隣の席につく。
小学生の頃の同級生、茜の隣に。けれども茜は、昨日のことなどまるで無かったかのように普通を装っている。いや、その淡々とした表情は、装っていることすら感じさせなかった。
茜の、かつて同級生だった女子の気配を隣に感じながら、僕はリビングを見回す。
昨日と同じ、まるでデジャブのような光景。昨日とひとつだけ違うのは……食卓の、茶碗によそられたごはんの横には、三人の女子高生が精魂を込めて作ったちょっとした料理……ではなくてカップラーメンがぽつんと置かれている事だけだった。
「茜、今日はカップラーメンなんだな」
「なによ、カップラーメンを馬鹿にするの?」
「いや、馬鹿になんかしてはいない。してはいないんだ。けれどね」
「昨日はみんなここに泊まったから手の込んだ物を作る時間もあったけど、今日はみんな来たばっかりなんだし、しょうがないじゃない」
「いや、朝ご飯をおごってもらって文句は言わないよ。期待と、少し違っただけだ」
「おごってもらえる? なに言ってるのよ。おごるなんてひとことも言ってないじゃない」
「……え?」
「翔太、カップラーメン代は食後に徴収するからな。まぁ、買って来た手間賃はおごりでもいいけれどな」
会話に割り込んでくる里奈。こいつに真顔でそう言われれば払わない訳にはいかないだろう。戦闘能力が違いすぎる。
「わかったよ、里奈。買って来てくれてありがとうな」
「おう」
里奈が笑った。里奈の笑顔を見るのは、最初の挨拶以来だった。意外にもかわいらしい笑顔に、一応モデルだったことを思い出し、一瞬だけ僕は目を奪われそうになる。
「で、昨日の事なんだけど」
綾乃さんは箸を置くと、里奈に話しかけた。
「いろいろあったけど、美咲の日記、おとといの計画通りに美咲の家から持って来たから」
「じゃぁ、綾乃の計画が成功したのか。それはそれで良かったのだけれど、残念でもあるな。もし失敗したら、私の出番だと思っていたのに」
少しだけ残念そうな顔をしている里奈。こいつは、本当に美咲さんの家にこっそり侵入するつもりだったのだろうか。
「日記を持って帰れてよかったよ。失敗していたらこの中から犯罪者を一人出しかねない所だった」
僕はテーブルの真正面に座る里奈に視線を向ける。
「何をいっているんだ、翔太。犯罪者は一人じゃないぞ、二人だ」
「え?」
「私の計画では、美咲の家に一緒に侵入する、いわば相棒は翔太、おまえだ」
「犯罪者は僕と里奈で二人ってか! つか、勝手に相棒とか決めているんじゃないよ! それに『おまえ』呼ばわりって」
「興奮するな、翔太。あくまで私の計画では、なのだからな。まぁ、今となっては夜中の侵入は実行される事もないんだから、結局犯罪者は一人も出ないのだ。よかったな、翔太」
里奈は、今日二度目の笑顔を見せた。無駄に爽やかな笑顔を。里奈、僕は全然よかったなんて思っていないからな。いや、ちょっと待てよ、よかったのかな?
「で、綾乃、成功したのなら、日記はもうここにあるのだな?」
悩む僕を無視するかのように、里奈が綾乃に話しかける。
「うん。茜が持っている」
「茜、中身はもう確認したのか?」
「日記の中身は、みんな一緒の時に確認しようと思っていて、まだ見ていないけど」
「それはちょうどいい。今ならみんないるからな。茜、日記を貸してくれ」
茜はこくりと頷くと、用意していた日記を里奈に渡した。
「それ、その日にあった嫌な出来事が書かれているらしいから、精神的に参るかも。気をつけて見ないとね。里奈」
「そうだな、茜。この日記には私たちが知らなくても良い事まで書いてありそうだからな。こっちまで嫌な気分になっても困るしな」
茜の言葉に深く頷くと、里奈は綾乃に日記を手渡した。
「こういう役目は、綾乃が適任だ。なんだかんだいって一番精神的には強そうだしな」
「いえ……任せたって言われても私だって……一緒にみましょうよ」
綾乃さんは茜と里奈の袖を引っ張り、二人を自分に引き寄せる。
「まぁ、三人いれば楽しさは三倍、苦しさは三分の一というからな」
里奈がつぶやく。美咲さんの日記を読む事は、そんなに楽し、いや苦しい事なのだろうか。
「開けるわよ」
「おう」
里奈が真剣なまなざしで日記をみつめる。
「いや、普通そこまで決意しなくても日記くらいよめるから。そんなに心してかからないと、見れない日記なの?」
三人の大げさな様子を見て、僕は里奈に問いかける。
「だって、美咲の日記なんだし」
返事をしたのは茜。
「三人の友達の、美咲さんの日記なんだよね?」
「翔太は美咲の事を良く知らないからな」
里奈は『やれやれ』といった表情をする。
「いや、里奈、僕は美咲さんに会ったことすらないし」
「それは幸いね」
「いや、綾乃さんまで……みんなの友達でしょ? 美咲さんって、いったいどんな性格なんだよ?」
「女の子だな。女の子そのものだ。翔太、この意味分かるかな?」
「女の子……なんでしょ? みんなと同じ。それより、そんなにその日記が嫌なら僕が読もうか?」
僕は三人の後ろに回ろうと、席を立った。
「待って」
茜が僕を制した。
「翔太、『女の子』っていう言葉に、どんなイメージ持ってる?」
「どんなって、かわいらしい……とか、可憐とか」
「将来、女の子と付き合いたいと思ってる?」
「それは、当然でしょ。僕だって一応男なんだし」
「翔太、あなたのために、あなたにはこの日記は絶対に見せる訳にはいかないから」
「って、その日記、っていうより美咲さんって、いったいどんななんだよ!」
「知らない方が良いことも、世の中にはあるものだから」
茜の言葉に、綾乃さんと里奈が同時に頷いた。