黎明
街路樹が立ち並ぶ住宅街。辺りを見回しても人影がない。いや、人だけではなく、動いている物がなにもない。
空に浮かぶ白い雲も、緑が鮮やかな木々の葉も、呼吸を止めた様に静止している。
僕は何度も後ろを振り返りながら先へと急いでいた。そして焦っていた。
身体が思う様に動かない。全力で前に向かって走っているはずなんだけれど、目に見えない何かが纏わり付いたように、思った通りに前に進まない。
あたりはいつもの見慣れた風景の様で、けれども記憶にはないどこか違う場所。景色に違和感がある。
暖かくも、寒くもない感覚が、妙に気持ち悪い。時が止まったかの様な静寂。
空気の様な何かが全身に絡み付き、重くまとわりついている。腕が、脚が、どろりとした液体の固まりに、ひきづられている様な感覚。
覚醒しているはずの意識に反して、まどろむようなスローモーションの動き。
けれども僕は、先を急いでいる。何かに追われ、何かから逃げているのだ。
……そんな夢を見た。
悪夢を見るのは久しぶりだった。なので、今日は寝不足だ。悪夢から来る寝汗が気持ち悪く、朝早く……というよりまだ未明に目が覚めてしまった。
そして、それからずっと眠れていない。
なすことなくベッドで時を過ごしている間に、空が白み始めてくる。
寝起きの頭でずっと悪夢の理由をぼんやりと考えていた。が、思いつく理由はなかった。悪夢は、ただの悪夢であり、理由なんてなにも無いのかもしれないなと結論をつけた頃、携帯が鳴った。
背面にある液晶の表示から、茜からの呼び出しメールだなとすぐにわかった。
茜の、昨日の帰り間際のはにかんだ様な表情が浮かんだ。
夢の中の、現実感のない景色を思い出しながら、僕はおずおずと窓の外を見る。朝の白い光に照らされた街並は、いつもの景色だった。
僕は少し安心して、小さく欠伸をしながら携帯を手にとる。
『八時三十分過ぎに綾乃の家。朝食は抜きでね』
相変わらず顔文字のひとつもない、飾り気のないメールだった。