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When it rains, it pours.(4)

「コタロ!」

 ジーンが叫ぶ。

 蛇男が小太郎の懐から出した灰色の玉を地面に投げつけた瞬間、ボンッ!という音とともに閃光が走り、異常な勢いで白い煙がバザールに充満し、人々の視界を覆ったのだ。

 白い煙に狼狽える人々のざわめきの合間を縫うように、小太郎のいる辺りから鈍い打撃音が聞こえてくる。ジーンは恐ろしい想像をせずにいられなかった。

(だから、ボクの術で逃げれば良かったのにっ!!)

 目尻がじんわりと滲む。白い煙で視界が不明瞭なのにもかまわず小太郎のそばに行こうとした瞬間、状況が把握できていないながらもゴッド・ジーンだけは逃すまいとする男たち腕を掴みあげられてしまう。

「離せってば!!」

 もがくジーンの耳にシュッと空気を切る音が聞こえ、その鋭さに思わず身を竦ませた。

 すると、ジーンの肩を掴んでいた男の力がゆるみ、声もなくドウと倒れた。

「え?」

 続いて、ひとりふたりと。シュッと空気を切る鋭い音が響き、銃を構えていた男たちが倒れていく。

「なんだなんだ、どうしたんだ、いったい!」

 視界が遮られているうえに、怪しい物音が響き、声もなく倒れていく男たち。

 白い煙で視界が遮られているだけに状況がわからない。わからないということが、バザールに集っていた人々をさらに動揺させていく。

「子猫ちゃん、まっすぐ走れ!」

 呆然とするジーンの耳に小太郎の声が届き、ジーンは弾かれたように走り出す。不安で心配でたまらず、小太郎の安全を確認したい――その思いだけで走る。しかし、煙で視界が遮られているため、数メートルも走らないうちにジーンは地面に倒れている男につまずいてしまう――が、ふいに煙の向こうから現れた腕に支えられ地面に身体を叩きつけずにすんだ。

「お待たせ、子猫ちゃん」

 軽い声が耳に落ちる。見えなくたって誰の声だかわかっている。

「コタロ!!!」

 煙を掻き分けるようにして見ることができた小太郎の顔は、血で汚れ酷く腫れていた。ジーンの顔がゆがみ、大きな瞳が潤む。泣かぬようにこらえる睫毛に滴が乗った。

「心配しちゃった?」

 腫れた顔で小太郎が明るく戯けてみせる。痛くないわけがないだろうに、そんな気配を欠片も見せない。

「アンタ、バカだ」

「えー。ここは再会を喜んで抱きついてくれるとか、ご褒美シーンじゃないの?」

「バカ! そんなに殴られて」

「うん、オレもこんなに殴られる予定じゃなかったんだけど。なっかなっか、煙玉が割れてくんなくってさ」

「煙玉?」

 聞き慣れない言葉にジーンは首を傾げ、蛇男が地面に投げつけた灰色の玉がふいに頭に浮かぶ。

 ジーンが知るわけもないが、あれは小太郎の逃走用の小道具のひとつである。仕事、プライベート問わず、逃走する時の目くらましに小太郎がよく使う。地面に投げつけるなど一定の刺激を与えると割れて、光を放ち煙が吹き出す仕様になっている。

 小太郎は打撃の衝撃で割れると想定し、現在の状況になることを目論んでいたのに煙玉は割れず、蛇男にさんざん殴られるはめとなってしまった。最後の最後で蛇男が地面に落としてくれた衝撃で、どうにか割れてくれたが。

「……改良せんといかんなー」

 どう煙玉を改良するか頭の片隅で考えながら、小太郎はジーンを促した。逃げるのに絶好な状況にやっとなったのだ。

「煙がある内に、とにかく逃げようや」

「う、うん」

「おっとっと、忘れ物」

 足もとに倒れている蛇男を爪先で転がし仰向けにすると、小太郎はしゃがみこんで、懐から麻の袋を取り出した。さっき取り上げられた金だ。

 ジーンは煙を両手でかき分けるようにして払い、小太郎の姿を見失わないように目を凝らし、ハッと息を飲む。さんざん小太郎を痛めつけていた蛇男が、無様に大きく口を開けたまま、泡を吹いて倒れていた。

 小太郎に顎の関節を外されたのだ。それだけではない。肘と膝、手の指を砕かれ、まともに話すどころか、立ち上がることもできないようにされていた。意識だけはあるのか、うめき声を漏らしながら小太郎を視線で追う。

「肘と膝をやっちまったから、もう人を殴るような仕事はできねぇよ? 新しい仕事でも探すんだな」

 小太郎は座り込んだまま、金の入った麻袋を懐にしまい込む。

「そうそう、手の指は特に念入りに砕いたから、ちゃんとした病院に行ったほうがいいぜぇ。しっかりと治療しねぇと一生マスかけねぇ手になっちまうぞ」

 戯けた声で囁き笑い、小太郎は折れた箇所を指でピンと弾く。

 ふいに与えられた激痛に呻きながらも、蛇男はしつこく小太郎を睨み上げようとしたが、「ヒッ」とくぐもった悲鳴を喉の奥で漏らした。苛立つほどに小賢しく、人を食った笑みを乗せていた顔は、能面のようになんの表情もない。無の表情で底冷えする静かな怒気を放ち、ただ蛇男を見下ろしている。それが、例えようもないほどに恐ろしい。見下すべき東の国の猿が放つ怒気が恐ろしくて仕方がない。

「……今回は、これっくらいで勘弁しといてやらぁ」 

 軽い口調は変わらぬのに、低い静かな声。白い煙が小柄な男の表情を、そして姿を隠していく。

「次は……わかるよな?」

 白い煙の中から、にゅうと出てきた人差し指が蛇男の首に触れる手前で、横一直線にすっと動いた。触れられたわけでも、刃物をあてられたわけでもないのに、首と胴体が切断されてしまったかと錯覚してしまうほど凝縮された殺気が首に残る。首と胴体が切断されていないことを確認したいのに、砕かれた腕は動かない。呼吸は浅く、苦しくなっていく。白い煙の向こうから、黒い眼に射られた瞬間、蛇男はガタガタと大きく身体を震わせ、白目を剥いて意識を手放した。

「はい、終了」

 まとっていた怒気を霧散させると明るい声で言い放ち、ポンと自分の膝を叩くとスクッと立ち上がった。

「おっまたせー。行こっか、子猫ちゃん」

 先刻までと変わらぬ、にぎやかな表情で小太郎がジーンに振り向く。

「……う、うん」

 座り込んだ小太郎が放った怒気に竦んでいたジーンは、それを悟られないようにと、なんとか頷き返す。

 小太郎の怒りは恐ろしかったが、当然のものだとジーンは思う。怒りの理由は、蛇男に無抵抗のまま殴られたからではない。蛇男の侮蔑の言葉の数々であることが、ジーンにはわかっていた。

 国が違う、言葉が違う、肌の色が違う――たったそれだけのことで、他人を蔑む人間がこの世には多いのだ。

 ユン・カーシュ族も、占者を多く生み出すという理由で敬意を払われているが、占いや精霊の力を信じていない者や科学の発達している国の人々からは、無学の未開人と蔑まれることもある。小太郎に向けられる『蔑み』と、ジーンたちに向けられる『蔑み』は同じものではないかもしれない。それでもジーンには小太郎の怒りの意味を感じることができた。

「あの、さ……」

 ジーンが小太郎の革ジャンパーの裾を引っ張った瞬間、小太郎に身体を抱きすくめられた。悲鳴をあげる間もなく、叩きつけるような強く激しい突風が吹き、視界を遮っていた煙を吹き消していく。

 呼吸をする余裕もないほどの、強い強い風。

 突風の強さに、煙だけではなく屋台の布屋根まで吹き飛ばされ、身体を支えきれずに転ぶ者が続出している。煙で視界を奪われた時のように、また人々は惑い騒いだ。そんな中で、突風から小太郎に守られているジーンの耳に、シュッと空気を切る鋭い音と、カンッと固いものを弾く音が聞こえてきた。同時に、突風がやんだ。

「……指弾、か」

 遠くから届く声に誘われ、ジーンは首だけを回して声の主を見た。大きな扇子を持った男。風に飛ばされた物を拾い集めるために騒ぎになっているバザールで、その男の周囲だけは不思議と静けさがある。明確な存在感があるのに、誰も男に注意を払っていない違和感に、ジーンは眉を潜めた。

 背はあまり高くない。小太郎と同じくらいだろうか。

 細い切れ長の目に、細い眉。整っているが、卵のように平坦で凹凸を感じさせない顔立ち。

 肩の上で綺麗に切りそろえられたなめらかな黒い髪は、毛先を揺らしている。

 男の持つ扇子は肘から指先ほどの大きさがあり、鈍い銀色をしていた。素材は鋼のように思われたが、男がそれで仰ぐたびに扇子はしなやかに反るほどに薄く、鋼の持つ硬さや重さを感じさせない。

 黒い紗に銀糸で竜の模様が刺繍された、衿の高い上着を着ている。

 小太郎の容姿の雰囲気とは違うが、東の国の人間だろうとジーンは思った。

 男は慌てふためく人々の間を優雅な歩みで抜け、ジーンと小太郎の前に立ち、薄い唇を動かした。

「お邪魔かな?」

「空気読め、空気。煙を消しちまいやがって」

 小太郎が不満げな声で応じる。

「ま、そんかわり、子猫ちゃんと熱い抱擁ができたけど」

(抱擁?)

 その言葉にボボッと顔を赤らめると、現状に気が付きアワアワと小太郎から離れた。無意識でしがみついていたが、とんでもない話だ。いや、すでに何度も小太郎に身体を支えられたり、抱きしめられていることに、やっと思い至り、サァアと青ざめた。

 小太郎はエフェクターだ。エフェクト能力が宿っているという左手に触れられれば、ジーンが身に付けているアミュレットやタリスマンの機能が失われてしまうというのに、なぜ小太郎の接近を許してしまうのか?

 先刻のように慌てて確認をする。出会い頭に壊されたアミュレット以外は、エフェクトされてはいない。小太郎の左手に黒い絶縁手袋がはめられているのを見て、ひと安心する。いつの間につけたのか、小太郎なりに気は遣っているらしい。

 が。

 小太郎が気遣いをみせようとなんだろうと、エフェクターはエフェクターだ。誘拐しようとする者たち以上に、警戒をしなくてはいけない相手である。どうも自分は小太郎に気を許しすぎている――ジーンは心の中でひとり猛省を始めた。

 抱きとめていた腕の行き場をなくした小太郎は、腫れてきた顔を撫でながら唇を尖らせ、扇子を持つ男を見やった。

「で、なに? こいつらの仲間?」

 足元に転がる蛇男の腹を爪先でつつく。

「不本意ながら、今現在は」

「ったく、次から次とゾロゾロでてきやがって。一匹見たら三十匹って、お前らゴキブリか!?」

 吐き捨てながら、小太郎は猛省中のジーンを自分の背に隠した。

 それを見て男はニコリと笑う。

「ああ、安心していいよ。私の目的はゴッド・ジーンではないからね」

 言葉の意味をはかりかね、小太郎は片眉を吊上げる。

「ところで、聞きたいのだけど」

 そう言って、ひと呼吸置くと、男はバザールをゆっくりと見回し、再び小太郎に視線を戻した。

「ここで大騒ぎを起こした理由はなんなのか、教えてくれるかい?」

「大騒ぎ?」

「そう、大騒ぎ」

「その理由だって?」

 小太郎はおどけた表情で、さも驚いたような口調で続けた。

「ケンカを売られたのはコッチなんだぜ? オレがわざと騒ぎを起こしたわけじゃないさ」

 やれやれと、肩を竦めてみせる。

(嘘だ! 絶対に嘘だ!)

 小太郎の背中を見上げながら、ジーンは心の中でツッコんだ。何度も。力の限り。その思いを汲んでくれたかのように、男が言葉にしてくれる。

「そうとは思えないな」

「大騒ぎをわざと起こすヤツなんざいねぇだろ?」

 ぬけぬけと言い放つ。

「ご謙遜。君ほどのコンゲーマー(詐欺師)が目的なしで動くなんてするわけないだろう?」

「子猫ちゃんを守るボディガードになにを言うかな。正義の味方って言って欲しいね」

 男の「コンゲーマー(詐欺師)」という言葉に、小太郎は不愉快そうに口を歪める。

「ブラフ、イカサマ。あげくに魔法のようなスリの手腕。狡猾で大胆不敵な『正義の味方』が相手では、悪役はなにをしていいか困ってしまうよ」

「なに簡単だ。血反吐を吐いて、地面に這いつくばってくれりゃそれでいい」

 小太郎の言葉に、男は実に嬉しそうに微笑んだ。どこかシニカルな雰囲気の漂うその笑みは、獲物をどう追い詰めるか想像している猫を思わせる。

「ああ、いけない。自己紹介をしてなかったね。私はフィアサム。フィアサム・クリッター」

 小太郎が瞳を少しだけ見開いた。そして、男の頭から爪先までジロジロと眺め回し、ウンザリとした声で言う。

「フィアサム・クリッター(見るも恐ろしい生物)とはね。たいしたお名前ですこと」

「君の持つ異名には敵わないよ。私のことは親しみを込めて、フィアサムと呼んでくれてかまわないよ」

「男に親しみなんか持たねぇよ」

「残念だな。私は親しみを持ってしまったのに」

 フィアサムが言い終わらぬうちに、空気を切る鋭い音とカンッと固いものを弾く音をまたジーンは聞いた。

 顔の前に大きく大きく開いた扇子を、フィアサムは音もなく閉じる。

「……会話の途中で酷いことしないでくれないかい」

「やっぱ鉄扇か。東でそういう獲物を使う武術があると聞いたことがあるが、実際に見るのは初めてだ」

「私も、西で指弾をあやつる人間に出会ったのは初めてだよ。嬉しいな。私もね、同じことができるんだ」

 フィアサムの指先から、空気を切る鋭い音が走る。

 小太郎は大きく目を見開いたかと思うと、すばやく懐から帽子を取り出し片手を大きく動かして、飛んできたモノを全て受け止めた。バスッバスッバスと帽子の革を叩く音が三回響いた。

「スゲェ……」

 フィアサムを凝視しつつ、嘆息する。

 なにが起きているのか、小太郎とフィアサムがなにをやっているのか、ジーンにはさっぱりわからない。

「……スゲェ。本当にスゲェよ。いや、恐ろしいね」

 小太郎はゴクリと唾を飲み込んだ。

「なに? アンタたち、なにをしてんの? なにがスゴイの? てか鉄扇はなんとなくわかるんだけど、指弾ってなに?」

 怪しげな男と対峙している警戒心や恐怖心よりも好奇心が上回り、ジーンは聞かずにいられなかった。

 その質問に、フィアサムから視線を逸らさぬまま、小太郎が答える。

「指弾ってのはな、指の力で小さな玉を弾く、いわばパチンコみたいな技なんだ。技を極めた人間が本気でやれば銃の威力をも軽く超える。指で弾く物は手のひらに収まるものなら、なんでもいい。オレはこういう小さい鉄球を使う」

 直径1cmほどの鉄球を親指と人指し指でつまんで、ジーンに見せた。

「鉄の玉ぁ? そんなもん当たったら死んじゃうじゃんか」

「本気で撃てばね。力加減すりゃ、気絶する程度ですむ。子供のオモチャのパチンコみたいなもんだよ」

「痛いよ、それ。怖いっての」

 そう言いながらも、先刻、音もなく煙の中で男たちが倒れていったのは、小太郎の指弾によってだということを、ジーンは悟った。

 煙玉が使われる前に、銃を構えた男たちの位置を正確に把握していたのだろう。だから、小太郎はジーンに「声をかけるまで動くな」と言ったのだ。そして、そういう事態を想定して、人質交換を申し出たのだと理解した。行き当たりばったりで、なにも考えてないわけではなかったんだなと、ジーンは少しばかり小太郎を尊敬する。

「奴の使う獲物は、もっと怖い。とんでもねぇよ」

 この小太郎が怖いというほどの物とはなんなのか?――ジーンは不安に揺れるアレキサンドライトの瞳でフィアサムを見る。

 フィアサムの目的は本当にジーンではないらしく、暢気な会話をしている2人に怒るでもなく、のんびりと聞いている。銃を持ちジーンを拘束しようとした男たちと違い、暴力の空気を感じさせない上品な立ち姿。この男のどこがそんなにすごいのか?

「恐ろしい。まったく恐ろしいぜ。オレにはできねぇ」

「おほめいただき嬉しいけれど、ひと呼吸で5弾も撃つ君より凄いとは思えないな」

 鉄扇の先を口もとに添えて、フィアサムが笑む。

「ばぁーか、手加減してんだ。本気なら6弾撃つし、頭なんか貫通させてる」

 聞いているかぎりでは、小太郎の指弾ほうが凄そうだというのに、フィアサムのなにが凄くて、なにが小太郎にはできないのか?

 ジーンは革ジャンパーの裾を引っ張って、小太郎に答えを促す。

 小太郎はこめかみに冷や汗を流しながら、ジーンを振り返った。

「こいつはな――指弾に銀貨を使ってやがるんだ!」

 帽子に受け止めた銀貨3枚を手のひらの上にこぼして見せた。

「…………」

 思わずジーンの表情が固まった。

 しかし、小太郎はまったく気に止めず、熱弁をふるう。

「恐ろしい、とんでもなく恐ろしいぜ。獲物が銀貨。俺にはできねぇ、そんな恐ろしいこと。奴は間違いなく――」

 ゴクリと唾を飲み込み、ジーンに囁いた。

「お金持ち様だぜ」

「……そう、なんだ……」

 ジーンは心底呆れた声で呟いた。

 ほんの少しでも尊敬をした自分がバカだった――そう思い、目の前のバカ(小太郎)に呆れと哀れみを込めた視線を投げる。が、フィアサムのほうは、子供のように無邪気に笑った。

「君は面白いね。今後、邪魔になりそうだし、腕の1本くらい貰って帰ろうかな?」

 鉄扇を開いて口もとを隠し、フィアサムは問うような口調で首を傾げてみせる。その言葉に、小太郎はニィイと笑み、眼に好戦的な輝きを灯した。

「オレ様の身体は、簡単に持ち帰れるほどお安くないぜぇ?」

 言い放つと同時に指弾を放つ。しかし、大きく鉄扇を開き、下から払い上げる動きひとつで、フィアサムは鉄玉を防ぐ。

「本気で撃たないで欲しいな。頭を貫通しちゃうんだろう?」

「本気でるから面白いんだろが」

 小太郎は容赦なく指弾を放つ。

 フィアサムは片手で鉄扇を操り、円を描くように動かしてみせた。それは誰の目にもわかるほどのゆっくりとした動きだった。天女の舞いのように優雅でしなやかな動きに、ジーンは思わず見惚れてしまったほどだ。

 カンカン! と鉄のぶつかる高い音が響き、小太郎の放った鉄球のすべてが地面に落ちる。

 小太郎とフィアサムの間に、緊迫した空気が流れる。

 緊迫していながら、小太郎もフィアサムも、好みのオモチャを見つけた子供のように眼を輝かせていた。自分の理解を超えるやりとりに気圧され、思わずジーンは一歩後ろに下がった。

 それを合図に、ふたりが同時に動く。

 小太郎が両手で指弾を撃つ。

 その鉄球を弾きあげ、フィアサムは鉄扇で横に鋭く一線を描く。小太郎はジーンの頭を腕で守りながら、身を沈めた。空気の切り裂かれる音が頭上で走る。

 背筋が痺れるほどの殺気に、ジーンの心臓が凍りつく。

 身を沈める瞬間が遅ければ、首を切り落とされていたことだろう。小太郎の三つ編みの毛先だけが逃げ遅れ、鉄扇に切られて宙に散った。

 左手の手袋に、一筋の切れ目が入る。

「やべ、グリモアが怒る」

 小太郎が手袋に気を取られた瞬間、フィアサムは鉄扇の面を小太郎に叩きつけた。

 ギラギラとした殺気を放っているのに、天女のような優雅さはまったく失われることがない。

 小太郎はとっさに地面に伏せ、倒立する要領で足を蹴り上げると、足裏全体で鉄扇を受け止め、押し上げる。鉄扇と靴の踵が火花を散らす。

 フィアサムは小太郎に加えられた勢いのまま後ろへと身体を流し、再び身を沈めて足払いを掛けてきた小太郎の足を避けた。身体が流れたままの状態でフィアサムは鉄扇を閉じ、小太郎の脳天をめがけて打ち降ろす。その打ち込みを腕で払い、勢いを横に逸らし、小太郎は左の裏拳でフィアサムのアゴを狙う――が、寸でのところで躱されてしまう。

 チリチリと肌を焼くような攻防。

 ふいに、フィアサムが大きく後退した。開きかけた鉄扇をバシンと音を立てて閉じると、実に残念そうな表情を浮かべ鉄扇を口元にあてた。フィアサムが視線を投げた方角から、大勢の人間が集まってくる気配がする。「こっちだー、早く来てくれ」という呼び声や「警察が来てくれた!」と安堵の声が周囲から沸き起こる。

「警官が来ちゃったようだからね、お暇させてもらうよ。遊んでる間に回収もできたし」

 その言葉に小太郎は「うっ」と声を詰まらせた。

 地面に転がっていた蛇男と銃を抱えていた男たちの姿がない。小太郎がフィアサムに気を取られている間に、回収したのだろう。フィアサムの目的はこれだったのだ。

「てっめぇ……」

 ジーンを攫いに来た男たちは、小太郎が追っている事柄の情報を持っている可能性がある――そう踏んでいた。

 そう考えるのに理由はない。純粋なるカンだ。だが、小太郎がカンをハズしたことは一度もない。

 だからこそジーンを守って逃げるのではなく、衆人環視の中でケンカという状況を発生させ、バザールの騒ぎを聞きつけて駆けつけるであろう警察が回収しやすいように男たち全て気絶させておいたのに。

 小太郎はしてやられた悔しさに舌打ちを洩らす。

「……おまえら、なにもんだ?」

「我々の名はアストー・ヴィダーツ」

 フィアサムが告げたと同時に、警官たちがやかましい音を立てて、バザールに駆け込んできた。

「本当は、もっと君と遊びたいんだけど。外野がうるさいし、またね」

「そう言わず、もうちょっと遊んでけって!」

 小太郎は指弾を撃ち込むと同時に跳躍して、フィアサムの眼前に立ち、両側から挟み込むように裏拳を打った。

 フィアサムは半歩下がり、それを躱すと、小太郎の目線を防ぐように扇を広げ、シニカルな笑みだけを小太郎の眼に残して、扇子の要の部分を中心に円を描いた次の瞬間、姿を消してしまっていた。

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