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Let's face it.(3)

 間一髪で追跡を逃れたジーンは、ほっと息を吐く。

 走る速度を少しずつ落とし、青い子馬亭から五つ目の家の屋根の端までくると足を止めた。

 五つ目の家と六つ目の家の間は、1.5メートルほど離れていた。小さな路地が通っているためだ。

 飛ぶのに難しくない距離だが、飛び移るのに失敗して怪我をすることにでもなっては目も当てられない。

 せっかく精霊術で姿を消して追跡を逃れたのだ。確実に、安全に逃げるのがいいに決まっている。

 雨樋をつたって下に降りようとしたジーンは、背中に視線を感じ反射的に振り返った。

(誰っ!?)

 隠形した自分を、見失うことなく追ってくる視線がある――そのことに肌が粟立った。

 一軒分離れた向こうにアレッド達がジーンを見失って憤っている姿と、彼らのすぐ後ろに青い子馬亭から続く黒い人だかりが見えた。

(警察? なんで?)

 シャリースの丁寧なお願いをされた人々が通報したのだとしても、警察が来るのは早すぎるし、なによりも人数が多すぎる。

 屋根の上にいる者、青い子馬亭を囲んでいる者をあわせただけで、一個中隊ほどの人数がいるのだ。

 警察がそんな大人数でアレッド達を取り囲んでいる理由がわからないが、彼らが危険窮まりない人物達であるということだけは確かなようだった。

(逃げ出して正解)

 ジーンは自分の判断に自信を持ち、小さくガッツポーズをとった。

 一個中隊並の警官が青い子馬亭に押し寄せたのは、別の危険人物――IPO(国際警察機構)にとって危険窮まりない疫病神のせいだったのだが、そんなことをジーンが知るよしもない。

 つと、隠形しているジーンを追ってくる視線を見つけた。

 視線の主は、無礼な赤毛の男――の腰に抱きついている子供。

 ふさふさの睫毛に縁取られた黒目がちの大きな瞳。幼い子供のあどけなさと野獣の獰猛さを併せ持つ瞳。

(!?)

 ジーンはぶるりと身体を震わせる。

 稀にいるのだ。どんなに高度な精霊術で姿を隠しても、それを見つけだすことができる力を持つ特異能力者が。

 あの子供に本当にジーンが見えているのかどうか確認する余裕はなかった。――いや、必要はなかった。子供はジーンにニコと微笑みかけたからだ。ジーンが微笑み返してくれることを期待している顔で。

 つられて笑み返そうとした自分を叱咤しながら、ジーンは子供の視線を振りきるように背を向け、六つ目の屋根めがけてジャンプした――瞬間、下から足首を掴まれて落下していった。

(――!!)

 足首を掴まれた衝撃、予期せぬ落下感にジーンの喉は引きつった悲鳴を小さく洩らす。だが、手で口を塞がれ、その悲鳴は音として洩れることはなく、鈍い衝撃音が耳に残った。

 何かがパラパラと落ちる音がしばらく続いた。屋根か外壁がこそげ落ちているのだろう。

 しばらくして物が落ちる音は静まり、耳に大通りの喧噪が戻ってきた。

 ジーンは無意識にぎゅっと閉じていた目をそっと開けた。何かに塞がれていてよく周囲がわからないが、とにかく路地に落ちたということだけは確かなようだった。

 土埃のむこうに、衝撃音に驚いた人々が何事かと覗いている姿が見えたが、路地に置かれていた空き木箱が崩れただけだとわかると、すぐに興味を無くして祭りの喧噪に戻っていった。

 大通りからは、空き箱の影に隠れてしまい、落下したジーンの姿は通り行く人々には見えないようだった。

 何がなんだかわけがわからなかった。

 自分がどうなっているのか―――。

「イテテテテテ、イッテェ……。なぁ、どっか痛くしてねぇ?」

 耳の後ろから聞こえた声に、ジーンはビクリと身を震わせた。

 そして瞬間的に悟る。自分が見知らぬ男の膝の上に座り、後ろから抱きかかえられていることに。

 あまりの驚きに、今度は悲鳴すら出なかった。

 硬直しているジーンの口からそっと手を離すと、男は後ろから心配げにジーンの顔を覗き込み、詫びた。

「ゴメンな。手荒なことしちゃって。引っ張った途中で気付いたからさ。どっこもぶつけないように庇ったつもりだけど、ケガしてねぇ? 痛いとこないか?」

 そう語りかける男の顔は擦り傷だらけで埃だらけだ。

 ジーンは自分の身体のどこにも痛みを感じないことに気が付いた。たぶん、すり傷ひとつないだろう。埃すらかぶっていない。男が革ジャンパーでジーンを頭から包み込んでいてくれたのだと理解した。

 衝撃音がしたにもかかわらず、その衝撃をジーンの身体が受けなかったのは、この男が落下するジーンを抱え込み、クッションとなってくれたかららしい。

 首を後ろに回せるだけ回して、ジーンは男の顔をマジマジと見つめた。

 飄々とした無邪気さを持つ黒い瞳。黒檀のような前髪が額で揺れ、年齢不詳な顔立ちをしていた。太い眉に陽に焼けた肌、丸味のある輪郭……東の大陸の人間の特徴だ。

 東の大陸の人間は西の人間に比べると、小柄な体つきをしていると聞く。ジーンを心配げに見つめる男も、小柄だった。ジーンを抱え込めるぐらいだから、ジーンよりは背が高そうだが、それでも西の成人男性と比べれば低いほうだろう。

 小柄のうえ細身で、ちょっと見では筋肉などないように思えるが、触っているとそうではないことがわかる。鍛えられた腱が束になっているような、バネのあるしなやかな身体を男はしていた。

 と、ここでジーンはボッと赤く顔を染めた。

(触ってると――だってっ!?)

 男に抱き締められたままでいるということに、改めて気が付いたのだ。

「ひゃっ」と声をあげると、ジーンは慌てて男から離れた。周囲に崩れた木箱があるため、男から1メートルと離れることはできなかったが、それでも出来る限り離れようと、身体をひらべったくすることに努める。

 男はジーンが突然腕の中から逃げたことに目を丸くして驚いていたが、すぐにニカッと笑いかけた。

「ケガ、ないみたいだな。良かった」

 すっくと立ち上がると、男は周囲の木箱をひょいひょいと避けはじめた。爪先で軽く蹴り上げ、宙に浮いた木箱を片手で掴み、端に積み上げていく。玉の上でバランスを取りながらお手玉をする軽業師のような軽快さ。ジーンは唖然としていた。

 男の背には、腰まで届く黒い髪が一本の三編みにされ、右に左にと揺れている。

「あ、あああああああああああんた、な、なにもんだっ」

 男に抱き締められていたことに動揺しているジーンは、上手く話すことができなかった。顔はまだ赤い。

 ジーンの泡くった問いかけに、木箱を片づけながら、男は首だけをくるりと回して振り返る。またニカッと笑った。ガキ大将のまま大きくなってしまったような無邪気な笑顔だ。毒気が抜かれるような気がして、ジーンは少しだけ落ち着きを取り戻した。

「悪りぃ、悪りぃ。まだ、名乗ってなかったな。オレは流小太郎ながれこたろう。小太郎って呼んでくれ」

「こ、コタロ?」

 小太郎はチッチと舌を鳴らしながら、人指し指を左右に振った。

「ちっがう。小太郎」

「コ、タロ、ウ?」

「うーん、少しは近くなったかなー。西の人間は、オレの名前をなかなか発音できないんだよねー」

 ジーンは口の中で、何度か小太郎の名の発音を練習して、はっと我に返った。

「ちっがぁああーう!」

 座り込んだまま、ジーンはバンバンと地面を叩いた。頭にカァーっと血が昇る。

「アンタの名前なんかどうでもいいんだよっ。ボクが聞いてんのは、アンタが何者かってことと、なんで引っ張り落としたかってことだよっ!」

「用事があったんだけどね、なくなっちまった」

「用事があるヤツが引っ張り落とすなんて乱暴なマネするっての? 屋根から落とされたらケガしたっておかしかないだろっ」

「だから、途中で気付いたんだって。悪かったよ。ゴメン」

「なんだよ、『途中』って。つか何者だよ、アンタ!」

「一応、IPOなんだけど」

 小太郎はポリポリと頭を掻きつつ「たぶん」と小さく付け加え肩をすくめた。

「あいぴーおぉ~?」

 ジーンは胡散臭いモノを見るような目付きで、小太郎を上から下まで睨め付けた。

 膝が擦り切れたジーンズに、Tシャツ、革ジャンパー。素足に靴。

 背で揺れる長い黒髪。

 とてもじゃないが、警察の人間に見えやしなかった。チンピラ……、いいとこ金のない貧乏旅行者くらいにしか見えない。

「……『一応』と『たぶん』ってどういう意味?」

「クビになってなければってコト」

「なにそれ、わけわかんない」

 ふいに、屋根の上に重なるようにして乗っていた警察の姿が思い浮かんだ。アレッド達を捕らえにきたのだと考えていたが。いま目の前にいる男が本当に連邦警察をクビになるような男であるとするならば、この男を捕まえに来たのではないだろうか?

「……あの警察ってば、もしかして……」

「カンいいね! 正解! アノ団体様は、オレに用事なんだわー」

 小太郎はお気楽に笑いながら、イヤになるほどに明快に答えた。

 胡乱な目でジーンは小太郎を見上げ、低い声で問う。

「……アンタ、IPOなんじゃないの?」

「あ、信じてくれたんだ」

「信じるわけないじゃん」

 小太郎はカクっと肩を落とした。

「信じてもらえないのは慣れてっけどねー」

 拗ねた顔をして、革ジャンパーの埃をはたいて羽織る。そして、すっかり片づいた路地から大通りを腕組みしながら眺めた。

「さーて、どうしたもんかなー。オレがここに現れるって読まれちまってるってことは、この先の狙いも読まれちまってるだろうし。厳しいなぁー。ゴッド・ジーンは噂通りのヴァリアントじゃないし。手土産にヴァリアントが欲しかったんだけどなー、まいったなー」

 大きな独り言をつぶやきながら、疲れ果てた溜息を吐く。ジーンに聞かせるつもりでボヤいているようではなかったが、小太郎の言葉に腹を立て、ジーンはまた地面をバンバンと叩いた。土埃が舞い上がる。

「ボクは人間だっての!」

 いきなり怒鳴られたことに、小太郎はびくりと肩を竦ませつつ、さらにジーンを怒らせてしまう言い訳を口にする。

「名高い占師、ゴッド・ジーン様はヴァリアントだっつー噂なんだもんよ」

「噂なんか信じんじるなよ! 最近、そんな奴ばっか来るんだから嫌になるっ!」

 癇癪を起こした子供のようにジーンはバンバン地面を叩く。

「うっもぉおおお!」

 少し前の話だ。

 ジーンの元に、失せ物占いを依頼した旅行者がいた。とてもあいまいな表現で失せ物のことを伝える旅行者に不信を感じつつもジーンは占った。そして、その旅行者はヴァリアントを狩るハンターの変装でヴァリアントの居場所をジーンに当てさせようとしているのだということがわかった。その時点で、ジーンは占いを止め、旅行者を装うハンターどもを追い出した――のだが。

 逆にその頑なな態度が、ジーンがその気になりさえすれば、ヴァリアントの居場所を探し出せることができるという証明になり、そのうえ「ヴァリアントを見つけられるのはヴァリアントだけ」だという尾ひれまで噂に追加されてしまったのだ。

 これは、ゴッド・ジーン争奪戦を加熱させるには十分すぎる理由だった。

「迷惑なんだよ、迷惑なんだよ、迷惑なんだってばああーーー」

 バンバンと地面を叩き続け、ジーンは喚いた。

 ヴァリアントを畏怖し排除・駆逐しようとする人間は多い。だが、ヴァリアントも世界を構成する要素のひとつ。人間の都合で、ヴァリアントが駆逐されてしまえば、世界を満たす要素のバランスを崩してしまう。

 自然と一体になり、自然の意思を読み言葉を交感する精霊術師や占師が、世界要素のひとつであるヴァリアントを狩る行為に力を貸すわけがない。そういう行為に走る者もいるが、邪師と呼ばれ忌み嫌われている。

 高潔な占師であり、精霊術師でもあるジーンにとって、自分がヴァリアント探知機であると噂されることは、邪師扱いされるも同然であり、不愉快窮まりないことであった。

 その不満が、そうとう溜まっていたのだろう。自分が逃げている途中であったことも忘れ、爆発させていた。喚く声に気付いた通行人がチラチラと路地を覗きはじめたことに気付かずに。

「国内外に轟いてる噂だからなー」

 同情したように小太郎は言いながら、ジーンの手首を掴み叩くのを止めさせた。土で汚れたジーンの手を、己の手の甲で優しく払う。

「手を痛めちまうだろ」

 小太郎の思わぬ優しい扱いに、ジーンはまたもや顔を赤く染めた。

 ひょいと片手でジーンの腰を掴み立たせると、手の甲で髪や服についた土や埃を払う。

 ジーンは壊れ物を扱うような小太郎の態度に戸惑った。こんな扱いにジーンは慣れていない。

「占師とか精霊術師ってのは、手で印を組んだり、ルーンを合わせたりするから、手は大事にしなくっちゃいけないんだろ。ほら、力一杯叩くから真っ赤になっちゃってるぜ。そうでなくたって、お――」

「も、もういいよっ」

 ジーンは口を尖らせるようにして言葉を吐き出すと、急いで手を背中に引っ込めた。触られた部分が熱いような気がして、ぎゅっと握り締める。

 と、ここでジーンは、やっと、とんでもない状態になっているに気が付いた。

 ジーンは精霊術を用いて隠形しているというのに、小太郎にはジーンの姿が見えているのだ。見えてるだけではない。話しているし、触ってもいる。術を解除していないのに、強制解除されてしまっているのだ。

 術を強制解除できるのは、術をかけた精霊術師本人か、より強力な力を持つ精霊術師にしかできないことだというのに。

 どう見ても、小太郎が精霊術師には見えなかった。精霊術師ならば、ジーンにはわかる。精霊術師は、精霊と盟約し術を行使する者が持つ独特な気を纏う。隠しても、それはわずかだが洩れるのだ。それをジーンは敏感に察知することができる。

 いつから術が強制解除されてしまっているのか。

 落下する直前までは隠形されていた。落下した衝撃くらいで ―― しかも衝撃のほとんどから、小太郎に守られている ―― 強制解除されるには至らない。

 いや、そもそも隠形していたジーンの足を、小太郎がどうやって掴むことができたのか?

「どう、やって……?」

 掠れ気味の声で問う意味を、小太郎は正確に理解しシンプルに答えた。

「カンさ」

「か、カン?」

 理解し難い答えに意識を失いそうになるジーンに、小太郎は手短に説明を加えた。

 店の2階に忍び込もうとしたときには店内で騒ぎが起こっており、アレッド達と鉢合わせしたくないので、ジーンが逃げてくるだろう方向を先読みして待ち伏せしていたのだと言う。

「気配を読むのは得意でね」

「だ、だからって」

 仮に、カンでジャンプするジーンの足を小太郎が捕らえることができたとしても、隠形を強制解除をするには至らないはずだ。

 言葉にならないジーンの問いを、小太郎はこれまた正確に理解し、言いにくそうに口をモゴモゴとさせた。

「……オレ、特異体質、なんだよね」

 へへとゴマかすように笑い、左手をジーンの顔の前でひらひらとさせた。それを訝しげに見ていたジーンは、小太郎の言葉の意味を唐突に理解し叫んだ。

「あんた、エフェクター!?」

 ジーンは小太郎の近くから飛びのくと、自分の身につけている水晶や指輪、腕輪、アンクレットを慌てて確認しはじめた。

(なんて日なんだ、今日はっ!)

 身につけている水晶やラピスラズリは、ただのアクセサリーではない。全てアミュレットやタリスマンとしての機能を持っている。長い時間をかけて詠唱呪文を仕込んだり、独自に組み併せたルーン文字を彫り込んだ、精霊術の起爆石なのだ。オババ様から特別に譲ってもらった石もある。

 それが全てエフェクト(無効化)されてしまったのかと思うと、全身の血が音をたてて引いていく。

 ジーンは涙目で身につけた全ての石を触りまくり、そして大きく安堵の息を吐いた。

 被害は隠行術が解除され、小太郎に掴まれた足首につけていたアンクレットが壊れているだけで済み、他はすべて無事だった。

 エフェクターと身体を密着させる近距離で接して、この程度の被害ですんだのは不幸中の幸いと言える。

 だが、ジーンは恨みがましく、下から小太郎を見上げた。

 いくらエフェクター相手だからといって、術を強制解除されたのはジーンのプライドを酷く傷つけたし、壊れたアンクレットもルーン文字と精霊呪文を幾重にも重ねて作り上げたアミュレット(お守り)だったのだ。

 壊れたのがひとつで済んだとはいえ、その労力・時間を考えれば、恨みがましくなるもの仕方がない話だ。

 ジーンは潤む目を乱暴に手の甲でぬぐった。

 数百万人にひとりと言われる特異能者に、短時間で連続して出会ってしまうなど、信じ難いことである。

 特に、エフェクターは始末が悪い。精霊術師にとって天敵なのだ。

「そんな目で見んなよう。発動中の術を左の掌で触るっていう特定条件でしかエフェクトされないんだからさー」

 たいしたことないだろ?――そう言いたげな表情を浮かべる小太郎にジーンは眼を剥いた。

 冗談ではない。

 確かに小太郎の言う通り、エフェクターの能力は特定条件下でしか発動されない。だが、特定条件を満たしたエフェクターは、強力な精霊詠唱術も丹念にルーンで彫りあげた陣も、びっちりと書き込んだ方陣も、ほんの一瞬触れるだけでホワイトエフェクト(whiteeffect―無効化)してしまうのだ。

 条件下にあるエフェクターは精霊術師に対して、ほぼ無敵な存在なのである。とはいえ、実際に精霊術師がエフェクターに出会う確率は凄まじく低い。エフェクター能力者自身、自分の能力に気付くこともなく生涯を終えることのほうが多いだろう。なぜなら、エフェクターの能力発動特定条件のほとんどが「真夏の3日間だけ」「新月の夜だけ」「滝の近くで」「泉の側で」といった時間や場所に縛られたものであり、自在に使うことができない能力なのだ。また場所や時間に縛られるゆえに、発見されにくい能力でもある。

 だと言うのに、小太郎は「左の掌で触る」という実に簡単な条件で、ホワイトエフェクトを可能としてしまう、のだ。

 時間や場所の制限を受けない最強最悪の能力――精霊術師にとって、とんでもなく恐ろしい天敵と言えた。

 ジーンの表情を見て、少し傷ついたような顔をして小太郎は口を尖らせた。

「エフェクトって聞くだけで、精霊術師は、蛇蝎のごとくオレのこと嫌うんだからなー。お嬢もさー、すんげぇオレを嫌うわけぇ」

 ジーンには、小太郎の言う「お嬢」というのが誰だかわかりはしなかったが、その人物に同情の念を強く寄せた。

「もうアンタ近づかないでよ!」

「まーそう言わんと。とりあえず、ここから完全に離脱するまでは、オレと一緒のほうがいいと思うよ。安全なとこまで送るからさ」

「アンタと一緒のほうが危ないってのっ」

 ジーンはブルっと身体を震わせ、自分の身体を抱き締めるように腕を回した。

(これが、オババ様の言ってた分岐点だったらどうしよう)

 どうしようどころか、これが分岐点のひとつだということがジーンには、もうわかっていた。

 小太郎と行動を共にするか、しないか、それが新たな分岐点。

 この分岐点も考えるまでもなく、選択肢は決まっていた。小太郎と行動を共にするなんて、恐ろしくてたまらない。いつ術が解除されてしまうかと、常時冷や冷やしていたくはない。

 左の掌で触られなければ大丈夫だろうが、小太郎の『特定条件』が本当かどうかわかりはしないのだ。信用できるのかどうかもわからない。信用するには、小太郎は怪しすぎる。

「オレと一緒のほうが安全だって」

 ふいに小太郎が屋根を見上げた。

「アーちゃんってさ、ネチっこくてしつっこい性格してるんだぜ?」

「アーちゃんって……」

 先刻耳にした名前が脳裏に浮かぶ。

「アレッドって奴のこと?」

 ジーンはさも嫌そうに口元をゆがめる。

「そ。星座・血液型に恥じることなく執念深いぜ」

「アイツの星座・血液型ってなに?」

「蠍座・A型」

「……うっわ、執念深そ」

 鼻にシワをよせてジーンは呟いた。

「そりゃもう真剣に逃げないとシツケーよ、あの毛玉」

「毛玉?」

「そう、アイツの頭って毛玉とかマリモみたいじゃん」

 アレッドのくしゃくしゃなクセ毛が脳裏に浮かぶ。

 細いクセ毛が揺れ炎のようだと思ったが、毛玉と言われれば毛玉に見える。ジーンはくすりと笑った。

「な?」

 同意を得たと解り、小太郎は満足げに笑う。

「どうでもいいけど、あの赤い毛玉と知り合いなの、アンタ。仲間?」

「とーんでもない。知り合いではあるけど、仲間じゃない。むしろ今は敵だろね。だっからさー……」

 言いかけて、ニイと小太郎は口角をつり上げた。くるりと背を向けると、右手でジーンを自分の背中の後ろに回し、壁に押しつけた。

 壁と小太郎の背中に挟まれ、ジーンは喚く。

「バカ、触るな! 狭い! 苦しい!」

「しばらく隠れててな、子猫ちゃん」

 ボボッと炎が燃え上がるように、ジーンは顔を赤く染め上げた。

「だ、誰が、子猫ちゃんだってぇええ」

 羞恥に震える声で抗議するも、ジーンはすぐに口を噤んだ。小太郎の視線の先に、大通りへと通じる路地の出口を塞いでいる剣呑な気を吐く男達がいることに気がついたからだ。ジーンはビクリと身体を震わせて、小太郎の服の背中を両手できゅっと掴んだ。

 ひとりの男が、銃を構えて一歩前にでる。小太郎は楽しげな口もとを崩さず、すうっと目を細めた。それだけで、威圧感を帯びる。が、口調はあくまでも軽い。

「なあ、お前らさ。オレが誰だか知っててケンカを売ろうとしてんの? 知らずに売ろうとしてんの?」

「その質問になんの意味がある」

 男の低い声には感情がない。

「返答次第で、手加減の仕方が変わるからさ」

「……」

 銃を構えたまま、男は静かに小太郎を見た。珍しいイキモノでも見るかのように。

 十分な間を置いて、おもむろに言った。

「……東のシャビーモンキーに知り合いはいない。お前と違って、オレは人間なんでな」

 周囲の男達に同意を求めるように、おどけて肩をすくめる仕草までしてみせる。その言葉と仕草に、剣呑な気配を帯びていた男達が嘲いさざめく。

 小太郎のこめかみにピクリと血管が浮き上がった。シャビーモンキー(shabbymonkey-みすぼらしい猿)とは、西の人間が東の人間を蔑むときに使う言葉だ。

「我々が用があるのは、ゴッド・ジーンだけだ。モンキーはとっとと失せろ」

 さらに大きく嘲いが起きる。小太郎が発する気がヒュンと冷えたが、男達は気にせず嘲笑った。小太郎も楽しげな口もとを崩さなかった。

 剣呑な男達の狙いが自分だとわかったジーンは戦慄していた。誘拐されそうになったのは、一度や二度ではない。だが、ここまでの人数と、銃まで備えた凶悪さは初めてだった。通行人があまり気に留めない狭い路地とはいえ、堂々と銃を向けているということは、大騒ぎになろうともかまわず、どんな手段を使ってもジーンを連れ去ろうとしているのだろう。ジーンは服を掴む両手に力を込める。そのことにジーンは気付いていないようで、小太郎はほんの少しだけ、その仕草に意識を向けたが、すぐに男達に宣言をした。

「失せるのはお前達だ、アホンダラ。3つ数える間にとっととケツをまくって消え失せろ。でないと、痛い目を見ることになるぜぇ? 子猫ちゃんに用事だって言うなら、手加減の必要はねぇからなぁ」

「アンタに関係ないだろ! てか、子猫ちゃん言うなっ」

 思わぬ言葉に驚いて、ジーンは小太郎の背を拳でドンと強く叩いた。いくら小太郎が不審者であっても、精霊術師の天敵であるエフェクターであっても、巻き込むわけにはいかない。

 だが、小太郎は近距離で銃が向けられていることを気にかけるふうもなく、ジーンを守る鋼鉄の楯のごとく身動ぎひとつしない。

 そして、男達に対する声とは違う、軽く――でも、どこか照れているような声で言った。

「関係ないとゆーか、なんとゆーか」

「関係ないんだよ! アンタがいると精霊術が使えないだろっ!」

 男達に小太郎とは無関係であるとわかるように祈りながら、ジーンは喚く。小太郎が何者だろうと、自分のトラブルに巻き込みたくはなかった。自分ひとりであるならば、先刻、アレッド達を相手にしていたときのように、隙を突いて隠形して逃げることだってできる。しかし、小太郎が側にいては、精霊術が発動と同時に強制解除されてしまう可能性があるのだ。それどころか、術が展開しない恐れさえある。小太郎のエフェクト能力の『特定条件』が本当ならば問題はないのだが。

 仮に『特定条件』が本当だとしても、こんな状況で自分だけ逃げるなんてことはできやしない。リアドルのように小太郎にも隠形の術をかけることが可能であれば、遠慮なくひとりで逃げ出すのだが。エフェクターである小太郎に術をかける自信は、さすがのジーンにもいまいちなかった。

 八方塞がりの状況に、ジーンは声を甲高く荒げる。

「関係ないんだから、どけってばっ!」

「まぁ、客観的に見て、まったく関係ないだろーけどさ」

「ないの! まったく! ぜんぜん! これっぽちも!!!」

 力強く関係性がないことを言い放つ。が、それに小太郎はまるで頓着しない。

「だけどね、オレの主観的には関係あるワケよ」

「はぁ?」

「絡まれてる女の子を放っておくなんてこたぁ、小太郎様にはできないんだ、これが」

 そう言って小太郎はニカッと笑った。

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