Let's face it.(1)
ベーゼ中央都市イルヴァーナのバザールは、今日も賑わいを見せていた。
宝飾オークションが近いこともあり、イルヴァーナは人で溢れ返って活気に満ちていた。
この時期は、観光収益で生活をするベーゼの人々にとって一番の稼ぎ時となる。世界中からイルヴァーナの宝飾オークションを見ようと金持ちと観光客が押し寄せ、外貨を落としていってくれるからだ。
切り立った山脈と砂漠に囲まれた国ベーゼ。信仰と呪術が生活の主軸にあり、数々の謎の遺跡があることから『遺跡の森』とも呼ばれている。
クラリティが良い(不純物の少ない)Dカラーのダイヤモンドが多くとれ、またダイヤモンドを使った宝飾品の見事さで知られている。
宝飾だけでなく、神秘の力で数々の国の命運を占い、行く末を導く先見が多く生まれる土地としても有名なのである。
ベーゼの様々な場所で開かれるバザールで、占師に未来を占ってもらおうと観光客が押し寄せる。
砂漠に囲まれ乾き痩せた土地からは十分な作物を得ることができないベーゼにとって、唯一の貿易品のダイヤモンドと占い師の存在が国民の生活を支えているといって過言ではない。
大通りには屋台が並び賑わいを呼ぶ。
宝飾と占いが有名なため、あまりクローズアップされないが、ベーゼの屋台は美味しい食べ物が多く、通の旅人ならベーゼに訪れるたびに屋台に並ぶ。
特にトウモロコシを粉にして作ったパンは絶品である。そのパンはトゥパンと呼ばれ、焼き目のついたパンに黒糖の蜜をたらすだけという、いたってシンプルな食べ物なのだが、モッチリとした食感で腹持ちも良い。
ベーゼの子供たちには定番のオヤツだ。
小麦粉で作る柔らかなパンに慣れている人は、フライパンで作る平べったいトゥパンに戸惑うが、屋台から匂ってくる香ばしい誘惑に人々が行列を作り通りを混雑させた。 そして、通りに人を溢れさせ混雑させるのは屋台だけではない。
占師達がイルヴァーナの大通りに、そして各地のバザールの路地にテントを張っているせいでもあった。
―― 成功する未来を掴みたいならベーゼに行け ――
という言葉があるほどで、ベーゼに来て占いをせずに帰るのは、観光地で観光をせずに帰るようなものだ。
どの占師のテントにも、長短はあるものの行列ができている。
ベーゼの占師が持つという、先見の力で輝かしい未来を掴みたい者、旅行のみやげ話にと並ぶ者、占いなど信じていないと言いながらもイルヴァーナの祭りのような雰囲気に浮かれ並んでしまう者と様々だ。
そんな中でひときわ長い行列のある店があった。
昼は軽食を夜は酒場になる宿を兼ねた料理店である。
太陽も中空に回ろうとしているのに、その店はまだ開店していないようだった。
青い子馬亭と看板をかかげた店の扉には、眼のマークが書かれた紙が貼られていた。それはベーゼでは、占師を意味する。
どうやら、この店には占師がおり、その占師に占ってもらうために並んでいる行列のようであった。
行列には観光客だけではなく、地元の有力者、イルヴァーナオークションの関係者、警察、身分が高いと思われる人物などが並んでいる。
店の前で長く行列を作る人々を、大きな荷物をナナメ掛けにして外套を着た小柄な人物が眺めていた。
(稼げそうだ)
深くフードをかぶったまま満足げに頷く。
外套を着た人物は周囲をキョロキョロとし、自分に注意を向けている者がいないことを確認すると、スルリと脇の小道に入り込んだ。
路地脇に積み上げられた荷箱を倒さないよう気をつけながら、小走りに通り抜けていく。
小道を抜けると、大通りの賑わいが嘘のような静けさの通りに出た。
大小様々な住居が建ち並ぶ、地元の人間しか使わない通りである。
外套を着た人物はここでも用心深く周囲を見回し、店の裏口にまで走り寄った。先ほどの行列が出来ていた料理店の裏口である。
またもや用心深く周囲を見回し人通りがないことを確認すると、裏口の扉をノックした。
「誰だ!」
苛立った男の声とともに、扉の上部にある小窓が乱暴に開け放たれた。
「ボクだよ」
小柄な人物はそう小声で答えながら、深くかぶっていたフードを少しずらす。
浅黒い肌の額にハチミツのような黄金色の髪が揺れ、青みがかった濃い緑の瞳が笑う。
すぐさま扉が開かれ、そこに滑り込むように入った。
「遅いぞ、ジーン!」
腰に手を当てて、いかめしい顔を作って見下ろす料理店の店主リアドルに、ジーンは顔の前で両手を軽く合わせた。
「ゴメン!」
そして大きな荷物を床に降ろし、外套を脱ぎ捨て近くの椅子に放り投げる。浅黒い肌をした細い身体で大きく伸びをした。
胸元で小さな珠を繋ぎ合わせた水晶のネックレスが揺れる。
幾重にも重なったそれは、紫水晶、白水晶、ローズクォーツで出来ており、中央には大きなラピスラズリが揺れていた。
両手の親指には紋の刻まれた金の指輪をはめている。
宝飾品としての価値もそれなりにあるだろうが、それ以外の意味を持つものであるようだった。
「ごめん、悪かったってば。怒らないでよ」
そう言いながら、リアドルの機嫌を伺うように見上げた瞳は、先ほどの青みがかった濃い緑ではなく濃赤の紫がかった赤色である。
ジーンは光の加減によって、赤い色にも青い色にも見えるアレキサンドライトの瞳を持っていた。
「怒っているわけじゃない」
料理店の店主にしては筋肉質で大きな身体を持つリアドルは、拗ねたように顔を逸らした。
「わかってるって。そんな顔すんなよ、立派な髭が泣くよ?」
ジーンはリアドルの気持ちがわかるだけに申し訳なくて、明るく茶化してみせた。
リアドルはジーンを心配してくれているのだ。
ジーンは占師である。ゴッド・ジーンと聞けば、いまや知らぬ者のほうが少ないだろう。
ちょっとしたことから爆発的に名が売れてしまい、そのために誘拐されそうになったことが1度や2度ではないのだ。
実力ある占師は、国か金持ちと専属契約をしないかぎり、つねに誘拐の危険に晒される。
誘拐をしてでも能力値の高い占師の身柄を確保し、自分のためだけに先見をさせようという国や金持ちが多いのだ。
多くの占師は、国から購入したバザール営業権と専用のテントを持つ。
テントの占い処は天候に客足が左右されてしまう。
砂漠に囲まれたベーゼの夏の陽射しは肌が痛いほどに厳しい。砂漠の熱さを知らぬ者は、暑さゆえ薄着をしてしまい、肌に火傷を負ってしまうこともある。
こまめに水分を取るように気をつけていなければ、すぐに脱水症状になってしまう。土地の者ですらも脱水症状で倒れることがあるのだ。
占師の小さなテントでは、中で客が待つということもできない。仮に大きめのテントを持っていたとしても、守秘義務のある占師が占っている客以外の人間を同席させるわけにはいかない。客は結局外で長時間待つことになる。
ジーンは不定期に移動しながら、場所を提供してくれる飲食店を占い処としていた。
料理店は宿を兼ねているところが多く、占いのための個室を借りることができ、炎天下や雨降りでも客足が鈍ることはない。
店内で待つ客は順番が回ってくるまで、ドリンク一杯を頼むシステムになっていた。店外に長い行列ができるだけあって、待っている間に喉が渇いたり腹が減る。客は基本のドリンク一杯だけでなく、他の食事や飲み物を頼むことになる。
無論、占い料金以外の出費を嫌う客もいるが、ジーンはこのシステムでも多くの人が呼べる占師なのだ。ジーンに場所を提供したがる店は多い。
それが、テント営業でなんとか食い繋ぐ若い占師達のやっかみを産んでいた。
ベーゼに占師は星の数ほどいるが、その能力だけで生活をしていける者は多くない。
やっかみを生んでいるとわかっていても、身の安全のためにジーンは店内営業を基本にしていた。
ジーンが占い処として使う店は、ジーンの部族、ユン・カーシュ族の者が経営している店である。
ユン・カーシュ族はベーゼが誇る険しく切り立ったチャク山の奥深くに住み、外界との接触をあまり持たない。それゆえに排他的なところがあるが、部族内の結束が固く、お互いを常に助け合い、年長者は年少者を守ることを義務とし、それを誇りに思っている部族である。
ユン・カーシュ族はジーンのような占師を多く排出しているが、それだけでは食べていくことができず、町で働き部族の生活を支える者も多くいた。
リアドルもそのひとりだ。
仲間の店にいれば、誘拐やその他のトラブルから身を守ることができるだけでなく、夜はぐっすりと眠れ、利益を店に落とすことが出来たし、それは部族の生活を支えるということにも直結していた。
だが、ジーンはひと所に長居は決してしなかった。
それをリアドルはとても心配していた。
いかにジーンが世慣れているとはいえ、まだ16歳、成人前の子供なのだ。
気兼ねなく自分の店を常宿にするようにいつも言っているのだが、ジーンは頷かない。
「大丈夫だってば」
ジーンはリアドルの胸をバンと手のひらで叩いた。
「ボクのことなんかより、心配しなくちゃなんないことがあるだろ」
そう言われ、リアドルは苦々しく顔を歪めた。
「そうかもしれんが……」
「ま、とにかく店を開こうよ。待ちくたびれた客が怒り出す前に」
「客を待たせたのはお前だろう」
「だから、ゴメンって」
ジーンは荷物の中から濃い紫色のローブを取り出すと、シャツとジーンズの上からスッポリと着込む。そして、両耳に大振りのピアスをつけ、使い慣れたカードを手に持った。
「リアドル、部屋の準備を手伝ってよ」
屈託なく言うジーンに、リアドルは仕方ないという風に溜息を吐いた。
「もう出来てる。あとは香を焚いて、お前が化粧をするだけだ」
ジーンは16歳の子供ゆえに、占師として人前に出るときは少し大げさな演出をしている。室内のいたるところを黒い布でカバーし、カーテンを閉め薄暗くしつらえ、占いに必要であると客たちが想像しているような物を飾る。水晶や香木などをだ。
ジーンが身につけている紫のローブと大振りのピアスも、演出のうちのひとつである。
化粧も、女性がする化粧と違い、墨をつかった独特なもので、目の下に太く線を引き、額に目のマークを入れる。このマークは部族ごとに形が違い、能力によってまた形が違う。
ジーンは二重の目を額に描くことを許されていた。部族の長から、占師としてだけでなく、先見として名乗って良いという許しを得ている証であった。
占う時に、証としての意味しかない化粧をする必要はない。それなりの雰囲気を求めている客へのサービスでもあり、占師としての神秘性をアピールするための演出である。
「ありがとう!」
礼を言いながら、ジーンは化粧と香の準備をするために階段を駆け上がっていき、昇り切る前に立ち止まり途中まで階段を降りてくると、リアドルのいる厨房に顔をひょいと出した。
「オババがさ、良くも悪くも大きな分岐点があるから心して見極めろって」
料理の下拵えをしていたリアドルが勢い良く振り返る。
「オババ様が?」
「朝早くに村まで行ってきたんだよ。夢でオババに呼ばれたから」
「それで来るのが遅くなったのか」
イルヴァーナからチャク山に行くには、大人の足でも3時間はかかる。車でもあれば往復1時間でことたりるが、ベーゼでは、車は滅多にお目にかかれない。
そういった乗物を所有しているのは、金持ちか役人くらいなものだ。リアドルはもちろんジーンが車を所有しているわけもない。
車があったとしても、切り立った険しいチャク山に車で入ることは難しく、歩いていくしか方法はないのだが。
「で、オババ様は他には何と?」
「分岐点さえ間違えなければ、全ては一本に繋がるって」
「では、オババ様は探し当てたということなのか?」
「ってわけでもないみたい」
ジーンは肩をすくめて見せる。
「ただ、探し当てることに繋がるだろうって」
「そうか、オババ様でも見つけられんとは……。ご無事なんだろうか」
リアドルはガックリと肩を落とした。筋肉質の男がそうしていると、やたらとしょぼくれて見えた。
「ハンターのやつらめ」
リアドルが悔しげに唇を奮わせ、ハンターを罵った。
無理もない。一週間前、ユン・カーシュ族の命である宝がハンターに盗まれたのだ。
部族総出で捜索をしているが、いまだに行方が掴めない。
「カッカすんなって。まだベーゼの外に連れ出されていない。それはオババの占いでも確かなんだから、奪い返すチャンスは絶対にあるよ」
いたずらっぽい笑みを浮かべ、アレキサンドライトの瞳でウィンクをして見せる。
「ボクが見つけるから。そのために、オババはボクを呼んだんだからさ」
「そう、か」
リアドルの気分を明るくしようと、ジーンはことさら明るい声で言った。
「思い悩んだって仕方ないんだ。まずは商売、商売」
つられるように、リアドルが笑みをこぼす。
「まったくお前って奴は。10分後に店を開けるぞ」
「了解」
ジーンはふざけて軍人のような敬礼をしてみせると、長いローブを引き摺りながら、再び軽快な足取りで階段を駆け昇る。ジーンの両足が2階の廊下の床についた瞬間、店の外開きの扉が、内側に向けて強引に蹴り開けられた。
強引に蹴り開けられた扉は蝶番が吹っ飛び、大きな音を立てて床に倒れる。
衝撃で店内の椅子やテーブルがガタガタと震え、グラスがいくつか落ちて割れた。椅子が二つほど扉の下敷きになってしまっていた。
その扉の上に、二人の男が足を乗せた。
ひとりはプラチナブロンドの美しい髪を背中になびかせた男。絹糸のようにしなやかな体をしている。
もうひとりは、やせぎすで凶暴な獣のようなオーラを纏った赤毛の男。
くしゃくしゃでクセのある赤い毛は、炎のように揺れている。
オーバルタイプのサングラスで瞳は隠されているが、それでも眼光の鋭さが感じられる。無愛想な口元は他者を威圧する妙な迫力があった。
二人ともジーンズにシャツといった軽装で武器を持っているようには見えないが、荒事を生業としている者が持つ特有の雰囲気を纏っていた。
「なにをするっ!」
リアドルが吠えるような怒声をあげた。拳を握り締め厨房から飛び出すと、無礼な男達の前に立ちふさがる。
「外へ出ろ」
胸を逸らして男達を睨み付ける。
分厚い胸板を持つ大きな男に立ちふさがれても、二人は怯みもしなかった。
それどころか、赤毛の男はリアドルの態度に口もとを歪め、不愉快そうに片眉をクイっと上げた。
それを見たリアドルの鍛えられた背筋がピクリと動く。無礼な男達を外へ追い出すために、太い右腕を振り上げた瞬間、プラチナブロンドの男が身を沈めた。
「すみません」
そう前置きすると、低い位置から勢いに乗った拳をリアドルの鳩尾に叩き込む。
ゴフッ――とリアドルは濁った音を喉から洩らす。そして、太い右腕を振り上げたまま前のめりに倒れ込んでしまった。
倒れてくるリアドルの巨体に巻き込まれないよう、2人の男は素早く脇に避ける。
鈍い音が響き、壁が小刻みに揺れた。
「リアドルッ!!」
信じられない光景にジーンは声をあげた。
リアドルは、ユン・カーシュの戦士として認められた男である。
いままで何度もジーンのことを守ってくれた。どんな荒くれ者を相手にしても引けを取ったことなどない。ジーンが知る限り、リアドルが地に膝をついたことなど1度もないのだ。
なのに、リアドルの半分ほどもない細い男の拳で、床に倒れ伏している。信じ難いことだった。
「えーと、すみません」
プラチナブロンドの男は、キレイな顔立ちに友好的な笑みを浮かべて、驚愕で目を見開いているジーンを見上げた。
「手荒なマネをするつもりはなかったんですが、私の連れが暴れ出す前に静かになってもらいました。この人が暴れると、ケガどころじゃすまないんで」
簡単にリアドルを倒した男が言うことを信じるならば、不服そうにプラチナブロンドの男を睨み付けている赤毛の男は、プラチナブロンドの男よりも強いということになる。
「ケンカを売られたのはオレだ」
赤毛の男はくしゃくしゃなクセ毛を手でかきあげると、ふてくされたガキ大将のような口調で反論をした。
「ケンカを売りたくもなりますよ。店の扉を蹴破られれば」
「押しても開かない扉が悪い」
その言葉にジーンは思わず手摺りを鷲掴み、身を乗り出して怒鳴った。
「バカ! その扉は外開きなんだよっ。押さずに引けよっ!」
ジーンの言葉を受けて、プラチナブロンドの男は赤毛の男をさらに責めたてた。
「ほらぁ、アレッド。押して駄目なら引いてみましょって言ったじゃないですか。短気なんだから」
「……いつ言った、そんなこと」
「アレッドが扉を蹴っ飛ばした瞬間です」
「遅せぇよ」
「アナタが短気なんですって。扉の内側に人がいなかったから良かったですけど、下手したら死人が出てますよ」
「死人どころの話じゃないよっ! アンタが蹴りつけたのは、ユン・カーシュの魂だ、大バカ野郎っ!」
ジーンは、男達の横っ面を思い切り叩きたい気持ちでいっぱいだった。
ユン・カーシュの者は住居の扉を外開きにする。
外開きの扉には、禍や穢れを祓い、善き事を招き入れるという呪い(まじない)の意味があるからだ。
ベーゼの建物の扉は内開きで建てつけられているため、ユン・カーシュの習慣を知らずに扉の開閉を間違える者はよくいる。
だが、鍵がかかった扉を蹴破る者などいない。短気どころの話ではない。無礼にもほどがある。
「あ」
プラチナブロンドの男が小さく声をあげた。あからさまに「失敗した」という表情を浮かべて倒れた扉の側に膝をついた。
「この扉、オークですよ」
チャク山に住むユン・カーシュ族にとって、山の木々は天と地を繋ぎ、生命と豊穣と知恵を与えるものとして神聖なものだ。なかでも樫の木を聖なる樹と崇拝し、邪悪な物から家族を守る力があると信じていた。
だからこそ、町に住むユン・カーシュの者は、扉に樫の木を使う。その樫の木は、部族のため山を降り町で働く者へ、長老から「遠く離れていても、山の神の加護があるように」と祈りを込めて贈られる大切な物なのである。
ジーンとリアドルが怒るのも無理もない。男達は突然乱入してきただけでなく、ユン・カーシュの魂を踏みつけたのだ。
「ユン・カーシュはオークを大事にする部族だから、とにかく樹でできてるものには、むやみに触らないようにって言っておいたのに」
アレッドは、バツが悪そうに眉根を寄せた。
「お前だって踏んでただろうが」
そう文句を言いながらも悪いと思ったのか、自分で蹴り倒した扉を片手で無造作に起こし、壁に立て掛けた。重たい樫の扉を軽々と扱うことにジーンは驚き、目を瞠る。
「シャリース」
憮然とした声でプラチナブロンドの男の名を呼ぶ。
「はいはい、こっちは私のせいだって言うんでしょう」
肩をすくめ小さく息をはきながら、シャリースはリアドルの身体を持ち上げると近くの椅子に座らせた。そして、アゴに手をやり少し考えるような顔をしてから、財布を取り出した。厚みのある札束をリアドルの胸ポケットに入れる。
「壊した物の弁償代、これで足りますよね」
シャリースは悪びれることなく、シャアシャアと言った。
「謝罪よりも弁償が先か! これだから余所者は礼儀知らずと言われるんだっ!」
ジーンは無礼な侵入者達を怒鳴り付けた。ユン・カーシュの魂を足蹴にして、金で解決しようという根性が気にくわない。
「でも謝罪しようにも気絶してらっしゃるし」
「気絶させたのは誰だよっ」
「不可抗力ですってば」
シャリースは困ったなと言いたげに、小首を傾げてみせる。
プラチナブロンドの髪がサラリと肩を滑り落ちた。
筋の通った鼻梁、憂いを含んだ碧い瞳。つややかに銀に弾ける髪と、白い陶磁器のような肌。肩幅と筋張った筋肉を隠してしまえば、十分に女として通用するように思えた。
男のくせに女のようにも見える――そのことにジーンはムッとして唇を尖らせた。
ふいにアレッドが、ジーンを見上げた。そして、シャリースとの会話をまるで聞いていなかったような顔で横柄に言った。
「そこの小僧、店主が目を覚ましたら、詫びていたと言っておけ」
「アンタら、少しも詫びてないよっ!」
ジーンはアレッドを怒鳴り付け、さらにもうひとつ怒鳴り付けるべきことがあることに気が付いた。
「誰が、小僧だってっ!?」
さらに気色ばむジーンに、アレッドは面白そうに口端を吊上げ、煙草を銜えると火を点けた。
たっぷりと間を持たせて煙を吐き出す。
「お前だよ、小僧」
「小僧じゃないっ」
「はっ」
アレッドは鼻で笑った。
「俺には小僧にしか見えねぇがな」
高飛車で、からかいの意図がたっぷりと含まれた声だ。
(ほんとにブン殴ってやろうかな)
リアルドを一瞬で倒してしまった男達相手に可能だとは思えなかったが、ジーンは殴ってやりたくて仕方なかった。
「あーもう、アレッド。やめてくださいよ。まとまる話もまとまらなくなるじゃないですか。ゴッド・ジーンが話を聞いてくれなくなっちゃいますよ」
「――っ」
シャリースの口からゴッド・ジーンの名を聞き、ジーンは血の気が引いた。
ユン・カーシュの魂を足蹴にされたことで頭に血が昇り我を忘れていたが、そもそもこの男達は何のためにここにいるのか?
占いの順番を待ちくたびれて暴れ出したとでも言うのか? それとも強盗だとでも言うのだろうか。
そんなわけはない。
強引に押し入り、ゴッド・ジーンの名を口にしたのだ。どこかの国か金持ちか組織から請け負って、ジーンを拉致しにきたに決まっている。
背筋を冷たい汗がツーっと流れた。
(変だ)
店の前にできていた長蛇の列はどうなっているのか? こんな風に店に押し入ろうとするものがあれば、それだけで大騒ぎになるはずだ。
だが、この静けさは?
ジーンが外を気にしだしたのに気が付いたシャリースは、幼い子供に言い聞かす母親のように優しげな表情を浮かべた。
「私達が占いの順番を守っていないんじゃないかと心配してるんですね? 大丈夫ですよ」
この状況の何を持ってして大丈夫だと言うのか。
「皆さん、心の広い方ばかりで、丁寧にお願いしたら順番を譲ってくださいました。ああ、もちろん、そうでない方もいましたけど」
「……そうでない方はどうしたのさ?」
とても嫌な予感がして、声が掠れた。
「とっても丁寧にお願いしました」
「……」
シャリースが言うとっても丁寧なお願いというのは、とんでもない力業に違いない。
「ということで、私達が本日一番目の客です。お話を聞いていただけますか」
貴族のような優雅な物腰で軽く会釈をすると、シャリースは視線をジーンにピッタリ合わせ確信を持って名を呼んだ。
「ゴッド・ジーン」
ジーンはゴクリと唾を飲み込んだ。