都満蘭くんふぉーえばー
※この作品はフィクションであり、実在の私・俺・僕などとは七割ほどしか関係ありません。
都満蘭拓也くんは、周りからいつも名字で呼ばれる。
滅多に見かけない名字だから、下の名前をもじるよりずっと覚えやすい。小学生の時分から都満蘭くん、都満蘭くん、と下手をすると幼稚園の頃から呼ばれてきたのだ。拓也という「たっくん」やら「タク」等とあだ名のすこぶる付けやすい名前にも関わらず、家族以外から名前やあだ名で呼ばれた事は、都満蘭くんの記憶には一度もない。いや、実を言えばあだ名よりも親しみやすい名前であったがために、名字で呼ばれ続けてきたのかもしれない。なぜならば、(恐らく読者もお気づきの通り)都満蘭くんは文字通り「つまらん」くんなのである。
都満蘭くんは話がつまらない。
例えばあなたが今、都満蘭くんと面と向き合っているとする。あなたが「好きなテレビ番組は?」と訊くと、
「ああ……俺あんまテレビ見ないから」
と即座に返ってくる。あなたはムッとしながらも、
「えっと、じゃあ家ではいつも何してる?」もう一度尋ねる。
都満蘭くん、
「ゴロゴロしてるかな。それかぼーっとしてる」
とそっけない。そっちはどう? と訊き返してもこない。
あなたが普通の人間ならばそこで鼻白んで馴染みの友達のところへ行ってしまうか、失礼な奴だと機嫌を損ねてしまうだろう。もしあなたが酔狂な人間であれば、めげずに二つ三つと話しかけ、都満蘭くんのあまりの無気力さに唖然としてしまうのがオチだ。都満蘭くん、話が下手なだけでなく、驚異的な無趣味人間なのである。
人とコミュニケーションを取る時物を言うのは、実は頭の回転や切り返しではなく知識量なのである。
あなたが友達や近しい者と談笑する時、口に出すのはどのような話題が多いだろうか。恐らくは大体が近頃あった出来事や趣味について、人づてに聞いた話などをするのではないだろうか。
もちろんそれは、聞き手側に話を理解する程度の知識があることを前提にしている。活字を殆ど読まない人に小説の感想を聞かせても仕方ないし、笑い話のいわゆるネタやオチの部分というのは、それが常識と照らし合わせてズレている事が分かって初めて笑える。
世の大々多数はその必要知識を、日々の経験と行動により無意識の内に獲得している。そうして一般人は会話など容易いと思っているわけだが、要するに都満蘭くんは規格外の世間知らずなのである。
都満蘭くんは今、たまたま趣味が無いのではない。人生において趣味がないのだ。しかも一人が好きで、人ごみが嫌いときている。そのため幼児の頃から話しかけるきっかけが無く、人と仲良くなる事が無く、話題を仕入れることが無く、会話になれる事が無い。結果ますます話しかけるきっかけを失っていく。その悪循環を良しとする性格もそれに拍車をかけた。都満蘭くんの年季の入り方は、そんじょそこらの口下手達の比ではない。
都満蘭くんは大阪の生まれである。生まれる少し前まで逆子で相当両親の手を焼いたらしいが、出来事の面白さ如何で言えば、いわば都満蘭くんの命運は生まれる前からそこで早くも尽きてしまったのだ。
物心付く前の都満蘭くんは、それは手のかからない赤子だったそうな。勿論それがある観点から見れば「つまらない」のは明らかである。自分はそういう星の元に生まれてきた、ツマラン星の生まれではなかろうか。そういえばカタカナにすると実在の星のようで面白いな、等と昔を思い返した都満蘭くんは考えるのだが、やっぱりつまらない。
前述の通り、天性の才能を持ったうえで無個性人間の英才教育を受けてきた都満蘭くんであるが、大阪という特殊な環境も彼を大いに苦しめた。
都満蘭くん中学生の時。三学期の初めに関東から数学の教師が赴任してきた。中年で出っ歯の、いかにも気の弱そうな男だった。
先生は生徒と親睦を深めようとしたのか、移動教室で寒い中、毎時間授業初めに雑談を繰り広げた。天気の話、出張で行った先々の話、趣味の話……。
相も変わらず都満蘭くんはぼけーっと先生に耳を傾けていたのだが、クラスメイトは散々な評価を下した。聞き耳を立てると、曰く「あいつの話にはオチがない」ということ。大阪では、オチのない話は最早話に非ず、なのである。
大阪の男子達にとって、話というのはまさに「笑わせてなんぼ」。ただの雑談にすら起伏とオチを用意する必要がある。それが出来ぬ者は、あいつおもんないわ、と爪弾きにされる厳しい世界なのであった。都満蘭くんは言わずもがな。
ちなみに、「おい都満蘭!」と呼びかけられて笑いが起きていたのは、小学と高校入学から僅か一ヶ月の間の出来事である。都満蘭くんに自分の名前を美味しく料理するスキルも気概もありはしない。ここで「笑いが取れるならそれでもええやん、良かったわこの名字で」などとあっけらかんに言えるならまだ面白味もあろうが、きちんと心の中で嫌がっていたのは流石の職人技であった。
さて、ここで早くも昔話を終えて、彼の今を語らねばならない。なんと、これ以上都満蘭くんについて特筆すべきイベントが何一つ無くなってしまったのだ。冗談ではなく、他は毎日学校に通い、勉強し、家に帰ってゴロゴロして寝る。これを毎日毎日、さしたる支障も刺激もなく繰り返しただけ。本当に書くことがないのだ。都満蘭くん、恐るべし。
では現在、都満蘭くんは何をしているのか? 大学生の彼は今、自室の椅子の上にいる。机に両肘をついて、うむむと唸りながら下を見下ろしている。その両腕の間には原稿用紙とシャープペンシル。
彼は今、小説を書こうとしている。
実を言うと、つまらない人生を送ってきた都満蘭くんにも、人より好きなものがあった。それが読書である。
趣味というほど数を読んでいるわけでも、深い知識があるわけでもないが、ともかく活字を読まない人よりは、小説が好きなのだ。無関心以上趣味未満の中途半端な好みを引きずって、生きる上での支えとしてきたのだ。
何という目標や確固たる意志があるわけではなかった。ただ一つだけ、突如自分の人生に芽生えた「やりたいこと」が、彼の心には物珍しく、輝いて見えた。
そうして都満蘭くんは今、記念すべき処女作のアイデアを生み出そうと四苦八苦しているわけだが、彼はこの後に積み重なっている障害に気づいていない。
つまらない人生を送ってきたつまらない人間が、面白いモノを創りだすことが出来るのか?
山登りをしたことのない人が、どうやって登山の面白さを知る人の文章を上回れるだろうか。世の仕組みを知らない人が、どうやって説得力のある設定を作り出せるだろうか。外へ殆ど出ない人が、どうやって風景の外観や造形を、表情豊かに書き出せるのだろうか。
都満蘭くんが今、シャープペンシルを手に取った。お世辞にも綺麗とは言えない字で、ゆっくりと一行目を書き込んでいく。
『僕は、周りからいつも名字で呼ばれる。』
つまらない自分のつまらない人生を、つまらない自分が面白く書けるとでもいうのか。その発想自体が、つまらん、つまらん。