2-2.悲しい片側通行
待ち合わせの恵比寿のビル。
乾果那は長いエスカレーターを前の人に声を掛けながらヒールの音を響かせどんどんと進んでいった。
待ち合わせに本当に1時間遅れてしまった。
確実にデザートくらいは奢らされるのを覚悟した。
滝沢康祐はサークルの追いコンとOB会準備で渋谷などで買い物をして、重い荷物を持ったまま恵比寿のファッションビルに来ていた。
OB会は三年生が主催で行うのだが、買い物の手伝いを買って出たのは二年生の高橋有希だった。
いつも高橋有希の仲良し二人も一緒に康祐につきまとっているが、今日は有希一人だった。
康祐と同期の仲間たちも何も言わず、頼んだよと笑っていた。
どうせみんな、俺と高橋がくっつけばいいと思って口裏合わせているんだろう。
荷物持ちなんていうけど、結局俺が全部持っているし。
地上から長いエスカレーターで上がったところで、館内案内を見ている有希。
「お腹すいちゃったから、軽く食べて帰りませんか。」
そういわれてわざわざ恵比寿までやってきたのだ。
高橋の家の方向だったので、送っていく意味でついてきたのだが。
「悪いけどさ、俺やっぱり飯食う気分じゃないから。」
「でもここまで来たのに?」
その時、エスカレーターを上がってくるヒールの音につられて二人はそちらに視線をやった。
「果那ちゃん。」
康祐は驚いて呟いた。
果那もすぐ先にいる二人に気が付いて目が合った瞬間、康祐の視界が塞がれた。
本当に塞がれたのは、唇だった。
「?!」
康祐は慌てて有希を引き離そうとしたが荷物で両手がふさがっていて動けない。
康祐は柱に背中を押しつけられるほど、強く有希に体を押し付けられ、顔を押さえられ、唇を重ねられていた。
エスカレーターで上がってくるたくさんの人たちの視線が痛い。
「やめろよっ。」
康祐はやっとの思いで有希の体を離した。
「何考えてんだよ、いきなりこんなところで。」
「ここじゃなきゃいいの?」
「そういう問題じゃないだろ。」
「だって、私はずっと滝沢先輩を見てるのに、好きなのに!先輩はあの人のことばっかり!」
有希は大きな瞳に涙をためて、康祐を見上げた。
果那に見せつけようとしたのは明らかだった。
康祐はハッと周りを見渡してその姿を探したが、見当たらない。
「そうやって、あの人のことしか見てなくて、あの人は滝沢先輩のことなんて何とも思ってないのに!」
「お前に何がわかるんだよ!」
康祐は声を上げた。
「わかるよ!私だって、全然わかってくれない先輩のことずっとずっと見てるんだもん。」
二人の騒ぎに写メを撮ろうとしている人を見つけて、康祐は慌てて有希を促して足早に歩きだした。
「ともかく、飯食ってる状態じゃないから、帰るぞ。送っていくから。」
二人は反対側に回って再び長いエスカレータ―を降りた。
康祐の数歩後ろを黙ってついていく有希。二人は黙ったまま駅まで歩いてきた。
康祐が自分も改札を通ろうとするのを、有希は止めた。
「でも、送ってくって言ったし。」
「そんなところだけ律儀なんだから。」
有希は無表情な声で答えた。
「滝沢先輩はどうするんですか。私はどうしたらいいんですか。私、先輩があの人に気持ちを伝えなきゃ、納得いかない。 ううん、あの人とうまくいかない限り、ずっと諦められない。」
有希は悲しげな表情で、康祐を真っ直ぐ見上げて言った。
「先輩は何年、逃げているんですか。」
康祐は胸に突き刺さる一言に、思わず苦笑した。
「何、笑ってるの。」
「いや、ストレートに痛い言葉だと思って。」
「俺も高橋みたいにもっと早くに言えてればよかったんだろうけどな・・・もっと早くじゃ今以上に相手にされないのがわかっていたから、言えなかった。大人になったら、もう少し俺が大人になったらって先延ばしにしていたら、もう振られることなんて絶対考えられなくて、今すごく緊張してる。」
有希は少し首を傾げた。
「・・・果那ちゃんに彼氏ができたから。一度ダメになったけど、まだわからない。だから俺が言えるのは今のタイミングなんじゃないかって頭で考えていても、怖くてやっぱり言えそうにないんだ。」
プールの飛び込み台でオロオロしている自分が目に浮かぶ。
踏み出してしまえば、水面に届く時間は一瞬で終わる。
上手く飛び込めばそれまでの恐怖感も不安も努力もスッキリ心地よく水が体を包み、だめなら強烈な痛みが襲ってくる。
そして、有希は飛び込んできたんだ、ということを思い出した。
「ごめん、こんなこと高橋に言うことじゃないよな。」
「私が先輩のこと好きだって本音を言ったから、言いやすくなったんでしょう。」
「そうなのかな。でもデリカシーないのは解ってる、ごめん。それから、好きっていうのも・・・」
「それは返事しなくていいです。返事してくれたところでさっき言った通り、諦められないから。今まで通りでいます。」
「高橋は、強いな。」
有希は口を尖らした。
「先輩がいつまでも動かないから仕方なく、です。先輩には悪いけど、果那さんに振られちゃえって思う。 でも同時に悲しい片思い同志として、うまくいったらいいなと、ちょっと思います。」
有希は康祐の荷物を一つ手に取った。
「ずっと荷物持たせてすみません、これは私が預かります。」
有希は気持ちを切り替えるように声を少し張って言うと、じゃあ、またサークルで。と言って改札をくぐり抜けて行った。
康祐はその背中が見えなくなるまで見送っていた。
自分も動くことを考えようと思いながら。