エンゲージ・ヒューチャーガール8
「……つまり、なんかすごい携帯電話ってこと?」
「携帯ではありません、通信機です。トランシーバーの様なものを想像していただければ十分でしょう。……学業に専念するのは悪いことではありませんが、常識くらいは身につけたほうが為になりますよ。これのどこが携帯電話に見えるんですか」
ツァイトが居候してから一週間弱経った頃。帰宅した光の目に飛び込んできたのは、甲高い機械音と白熱電球の様な光を発しながら稼働するレプリケーターだった。ツァイトから色々説明を聞きながら五分程待ったところで印刷が完了し、先程の感想を述べるに至る。
「いいですか、ここにあるのが通信機の本体で、こっちにあるのがそのインターフェースです。正式名称はパーソナル時空通信機。1926年に八木秀次、宇田慎太郎が開発したアレイアンテナを原型とする傑作機です」
そういいながら、ツァイトは机上のど真ん中に置かれた、既視感のある巨大なアンテナのついた機械と折りたたみ式の携帯電話の様な形状をした端末を指で差した。アンテナのついた機械が本体、携帯電話の様なものがそのインターフェースだろう。
そこまで説明して、ツァイトが早速インターフェースを操作する。
「これで漸く時空警察本部と連絡を取ることができます。いくら私が実地部隊だからと言って、できることには限界がありますから。ひとまずオペレーターに連絡を……。」
ぶつぶつと呟くツァイトを尻目に家事を片付けてもいいのだが、その前に言っておきたいことがあった。
「ねえツァイト」
「静かにしててくだs『そろそろ貯金無くなるから、家から出ていくのかまだ居るのかだけはっきりさせてね』……ちなみに、今日の晩御飯は?」
ツァイトの疑問に肩を竦めて返事をすると、ツァイトの顔に悲痛な表情が貼り付けられた。東急ハンズで大量に物を買わされてから、光の主食はもやしになっていたからだ。当然ツァイトも巻き添えである。
「取り敢えず、今日のご飯はもやしで決まりだから。結果わかったら教えてね」
そう言ってからキッチンへ向かう。居室の扉を閉めるさにちらりとツァイトに視線を移すと、ツァイトは眉をへの字に曲げて、本当に悲しそうな表情で通信機を操作していた。
若干良心の呵責を覚える後継ではあったが、元はと言えばツァイトが光の金を使って大量の資材を買い漁ったからである。気を取り直して、光はもやしを炒めるべく今度こそキッチンへ向かった。
「通信の結果、時空警察は未来に微細な変化が発生していることが認められました」
もやしを頬張りながらツァイトが言った。こころなしか、声に元気がない気がする。晩御飯がもやしになってからツァイトの元気は減る一方だったが、通信が終わってなお元気がないと言うことはそう言うことなのだろう。
「要はまだ家にいるってことね」
「はい…………」
「……嫌なら食べなくていいんだけど」
「だめっ……!」
そう呟くと、ツァイトは顔に笑みを貼り付けて、取り憑かれた様に「美味しい」と呟きながらもやしを口にかき込み始めた。2035年における貧相な飯は、2300年でも貧相なのだろう。少なくてもツァイトが泣く程度には。
「バカやってないで詳細教えてくれない?」
「……こっちは必死なんです。これ以上私から生きる楽しみを奪わないでください」
未来では食事の社会的地位が上昇しているのだろうか。思考が若干ずれる中、ツァイトが話し始める。
「先程も言いましたが、2300年に微細な変化が発生していることが認められました。これにより、私は現地調査を続行し、原因の究明及び事態の収束を行う必要があります。これは時空警察の義務ですから、例外はありません」
「なるほどねぇ……。ちなみに、なんで未来が変わってることが分かったの?未来にいる人からすれば変わってることなんてわからなくない?」
「今の貴方に説明しても理解できませんよ、この時代の数学はかなり原始的ですから。貴方に理解できる範囲内で説明するとするなら、特殊なハッシュ関数を用いて歴史をハッシュ値に変換したのち、比較していると言えば伝わりやすいでしょうか」
ハッシュ値は確か、セキュリティの分野でよく使われている物だったはずだ。齧った知識しかないが、復元不可能で、結果が決して重複しない暗号化、みたいな物だった気がする。データの改竄検知によく利用されているはずだ。
「話を戻しますが、我々はこれから2300年未来に影響を及ぼした原因を特定し、可能であればその原因を排除する必要があります。つきましては、貴方に協力していただきたく……待って。ゆっくり、しずかに、落ち着いてください。悪いようにはなりませんから。いいお知らせもあります」
どうやら感情が表に出てしまっていたらしい。焦っているツァイトを尻目に、もやしを口に突っ込みながら続きを促す。
「まず今までの協力のお礼として、現地協力団体から報酬が支払われました。銀行口座を確認してください」
言われたままに口座を確認する。眼鏡のフレームに搭載されたセンサーを操作しARディスプレイから銀行口座を確認すると、口座残高はおよそ百倍に膨れ上がっていた。
「でえっ!!??!?!?!???!…………?…………………………?………………………………………………?????」
思わずツァイトの顔を見た後、改めて視線を口座残高に移す。十数秒見つめて少し冷静さを取り戻した後に入金履歴を確認すると、日下商事から200万円の振り込みが記録されていた。十秒ほど固まっていると、ツァイトが声をかけてくる。
「聞かれる前に答えておきますが、日下グループは我々時空警察の現地協力団体です。少なくとも、我々が今回の事象の原因を特定するまでは、日下大学附属高等学校及び全日下グループ関連施設内において、貴方のいかなる行動も黙認されます。実質的な治外法権の様な物を手に入れたと考えてもらって結構です」
「……はぁ。…………へえぇ……。」
話の内容が全く頭に入ってこない。何せ200万も口座に入ってきたのだ。今年度の学費を払ってもお釣りが来る額である。光はすでに平常心を失っていた。
「ひとまず1ヶ月間、貴方の家に居候させてください。私はあまり表立って動けませんが、数日時間さえいただければサポートは万全に実行可能です。協力団体を通して資源の補給が可能となりましたからね。それに、1ヶ月あればタイムマシンを印刷できます。……早いうちに詳細の説明に入りたいのですが。しばらく時間を取りましょうか……。」
どうやらツァイトが話し終えたらしい。が、光にとってはそんなことは些事であった。ご飯を食べる手も止まり、傍目から見ると虚空を見つめて呆然としている精神異常者であった。
そこから数分ほど。ツァイトがもやしを咀嚼する音のみが部屋中に響いていた。




