009_灰色の時間
あの日以来、クレアは部屋に閉じこもってしまった。
起きては泣き、寝てはうなされる、という日々を送っているのだと、クレアの代わりの侍女から聞いた。
私はというと、前にも増して多忙になった。
噂の珍妙な令嬢を一目見ようと、大小さまざまなパーティや催しに招待された。
男爵令嬢の私にはそれらを断ることが出来ず、全てに出席し続けている。
そして、そのパーティで向けられるのは、嘲笑と侮蔑。
嘲笑われるだけならまだしも、面と向かって侮辱の言葉を投げつけられる。
他にもカラダを触ろうとしてくる者がいたり、飲み物をかけられることもあった。
とにかく、この下賤な女にはなにをしても良い、なにをしても許される、というような空気が出来上がっていた。
セレーナの一派は事あるごとに噂の女が私だと触れ回っているようだ。
私は、セレーナの懇親会以降、明言を避けてはぐらかしている。もちろんだれも私の言葉など真面目に取り合わず、言葉遊びのような余興と化している。
ただ、王太子との逢瀬については、ハッキリ否定している。
セレーナ達も私と王太子との間にはなにもない、あり得るはずがない、と論調をそろえていた。
幸い、かどうか分からないが、私の婚約者、フェルナン・ブランチュール子爵はしばらく領地に戻っている。この騒動が伝わっているのかどうかも、分からない。
とりあえず分かっているのは、婚約の取り消しと賠償金の請求がまだ来ていないという事実だ。
私の父、シルベーヌ男爵は日々を戦々恐々と過ごしている。
その日も、私はとある夜会に呼ばれていた。
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「お招きありがとうございます、アリシア・シルベーヌ男爵令嬢でございます」
私のあいさつに、夜会の会場はどっと沸いた。
嘲笑が向けられ、侮蔑の言葉がつぶやかれた。
宴もたけなわ、もう夜会も終わるであろう時間。
わざわざこんな時間を指定して招かれたのだ。おそらく余興として呼び出されたのだろう。
よく飽きないものだ。
私は作り笑いを浮かべた。
今日もまた、灰色の時間が始まる。
どん、と横から身体をぶつけられ、私は膝をついた。
酔っ払いだ。
すでに出来上がっているどこぞの貴族令息が、下卑た笑みを浮かべた。
「これはこれは、アリシア嬢!
失礼。少々飲み過ぎましてな……
それにしても、素晴らしいクッション性能ですな!」
はっ倒すぞ。
私は顔を引きつらせながら、立ち上がろうとした。
しかし、酔っ払い令息が私の肩を押さえてそれを阻んだ。
「本日は楽器の演奏や詩の朗読など、一部の方々に得意なものを披露していただいたのですよ。
せっかくなので、アリシア嬢にも披露していただきたく!」
うぜー。なんだコイツ。
「……申し訳ございません。なにも準備をしてきておりませんので」
私はなんとか笑みを浮かべて、ことわりの言葉を発した。
「なにをおっしゃいます! あなたの得意と言えば、そのカラダではございませんか!
羞恥心なく衆目にさらせるほどだと聞き及んでおります!」
周囲からクスクス笑い声が聞こえる。
酔っ払いの大声がパーティ会場の参加者の目を集めて、ちょっとしたステージのようになってしまった。
「さあ……さあ、さあ!」
集まった視線に高揚した酔っ払いは、私のドレスの肩口を引っ張った。
「お手伝いいたしますぞ!」
「おやめください……おやめください……!」
私は必死でドレスを押さえた。
笑い声が巻き起こる。
酔っ払いの力は強く、抵抗も時間の問題だと感じた。
……ふと、全てが馬鹿らしくなった。
酔っ払いも、他のパーティ客たちも、自分のドレスさえ、色あせて見えた。
なにも感じない。
自分は今。
何を守っているのだろう?
ガシャァン!
けたたましい音がして、全員の視線を私から引き剥がした。
そして、会場の空気が凍りつく。
色を失った世界で、ただ、その眼の青だけが鮮やかに。
「一体、これはなんのマネだ……?」
テーブルをひっくり返しただけでは、まったく抑えられぬ怒気を身にまとって。
王太子レオンが立っていた。
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「こ、これはですね……!
余興……余興といいますか、その……」
一気に酔いが覚めたような顔で、酔っ払いは後退った。
レオンは無言で、ズンズンと近付いてくる。
「今、社交界で流行っている遊びで、その……
下品な女を成敗するというか、ええと……私だけが行っているわけではなく……」
酔っ払いの言葉をまったく聞き入れず、レオンは酔っ払いの襟元を掴んだ。
「この女は! 不敬にもあなた様、王太子殿下と一夜をともにしたと!
そんな噂が流れており! 私はあなた様のために、その、この不届き者を……!」
悲鳴のような酔っぱらいの声に、レオンは低い声で返事をした。
「……そうか」
酔っ払いは、我が意を得たりとばかりに、激しくうなづいた。
「ええ、ええ! そうですとも! ですから、私は……!」
「つまり貴様は、余の寵愛を受けたかも知れぬ令嬢を、いたぶってくれたと言うわけだな……!」
「ひ、ひ、ヒイイイィィィ!」
酔っ払いはもはや自分の力で立っていられない。
レオンが手を放すと、その場にへたり込んで、ガタガタと震えだした。
レオンは他のパーティ客をぐるりと睨みつけた。
誰もが無言で、ある者はうつむき、また、ある者は顔を隠した。
レオンは私の横でひざまづいた。
「大丈夫か、ありんこ……」
その、優しい声を耳にして、私の中の何かが切れた。
「うぅ……くっ……」
涙が、こぼれた。
つい先ほどまで、なにも感じていなかったはずなのに。突然、涙があふれ出した。
「……アリシア……」
レオンの差し出した手を、私は払いのけた。
そして、そのまま立ち上がり、夜会会場から逃げ出した。
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広い廊下を走りながら、涙がとどめなく溢れ出した。
息が詰まる。
恥ずかしくて、悔しくて、胸の中がぐちゃぐちゃだった。
そうか、私は……私は。
レオンにだけは、あんな自分を見られたくなかったんだ。
これは、アリシアの恋の物語です。
ひどい目に合っておりますが、恋の物語です。
だれがなんと言おうと、恋の物語です。
次回は、アリシアが権力に魅入られます。
多分、恋の物語です。




