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⑤(完結)

 放課後は檜山の誘いを断って一人で帰ることにした。一緒にいると落ち着かなくて気持ちの整理ができない。

 校門を出ようとしたところで、檜山のノートをスクールバッグに入れて来てしまったことに気づいた。俺がこのまま持って帰ったら困るだろう。檜山はまだ教室にいたから、急いで戻れば間に合うはずだ。

 小走りで廊下を進み、教室のドアに手をかけようとしたところで騒がしい声が聞こえた。

「檜山、桐谷とはどうなんだよ」

「そーそー、経過報告しろよな」

 自分の名前が呼ばれ、思わず手を止める。声の主はおそらく加藤と岡田だ。

「どうって……別に、普通だ」

「最初はどうなるかと思ったけど、意外とまともに付き合ってんだな」

「あのビビリな檜山くんがねえ」

「うるさい、からかうなよ」

 檜山はうんざりした声色で答えている。

「付き合って一週間は経ったよな。キスは? それとももうヤッた?」

「……そういうこと訊くな」

 下品な言葉に次いで、檜山の低い声が聞こえる。

「こわ、ガチじゃん」

「キレんなよ、冗談だろ」

「笑えない冗談はやめろ」

 ……そうだよな。俺みたいな男とキスやそれ以上をするなんて、冗談でも嫌なんだろう。そんなこと、最初から分かっていた。俺だってそこまでするつもりはなかった。

 でも……だったら、どうしてあの時キスしようとしたんだよ。俺の反応を見て面白がっていただけなのかよ。もしかしたら優しい奴なのかもって、思ったのに。

「……まあでも、あの罰ゲームがなかったら、桐谷とは付き合ってなかった。それだけは、俺はお前らに……」

「……っ」

 これ以上、何も聞きたくなかった。檜山の言葉を遮るようにがらりと勢いよくドアを開ける。三人の目が俺に向く。

「桐谷、帰ったんじゃ……」

 檜山の問いには答えず、大股で近づいてノートを机に叩きつけた。

「俺をからかって楽しかったか?」

「桐谷……?」

「お前のこと、一瞬でも信じた俺が馬鹿だった」

 それだけ言い捨てて、足早に教室を飛び出した。呼び止める声と追ってくる足音から逃げようと、人影の少なくなった廊下を必死に駆ける。行き先もよく分からぬまま走って走って、息切れしたところで腕を掴まれた。気づけばあの日と同じ校舎裏にたどり着いていた。

「待ってくれ、桐谷」

「うるさい、もういいよ!」

 手を振り払おうとするが、力が強くて解けない。

「お前が罰ゲームで嘘告してきたことくらい最初から知ってるんだよ! 俺なら簡単に騙せると思ったか? 馬鹿にしやがって!」

 檜山の方を向くことができず、俯いたまま続けて言う。

「全部分かってたんだよ。だから俺も好きなふりして仕返ししてやろうと思って……それなのに……檜山がやけに優しいから、分かんなくなって……」

 声の震えを飲み込むと喉の奥で血の味がした。拳を握りしめ、崩れそうになる膝を支える。

「もし俺が、お前のこと本当に好きになっちゃったら……責任取れんのかよ……」

 惨めで仕方なかった。弄んで、弄ばれて、いつしか本気になっていたのはきっと俺の方だったのだ。

「離せよ。帰るから」

 もう一度腕を振ると、今度はすぐに解放された。と同時に檜山は深く俺に頭を下げた。

「傷つけて本当にごめん。もっとちゃんと話すべきだった」

「今更何を……」

「罰ゲームだったのは本当だ。でも告白は嘘じゃない。俺は桐谷が好きだ」

 はっきりと告げられ、つい動揺した。

「そ……そんなのあるわけないだろ。話したこともないのに」

「鼻歌が忘れられなかったんだ」

「は?」

「三ヶ月くらい前、日誌を書きながら鼻歌を歌ってただろ」

 日誌といえば、日直の仕事のひとつであるクラス日誌のことだろう。確かに俺は放課後に日誌を書く時、教室内に誰もいなければこっそり鼻歌を歌っている……と思う。曖昧にしか思い出せないのはほぼ無意識のうちに歌っているせいだ。ましてや三ヶ月前のことなど覚えているはずがない。

 ……ちょっと待て。ということは、つまり……。

「き、聞いてたのかよ!?」

 顔がぼっと熱くなる。鼻歌なんて人に聞かせるためのものじゃない。その時の俺は何を歌ったんだ? 変な曲じゃないよな?

 檜山は頭を上げ、俺と目を合わせた。

「偶然だ。その時から、桐谷の絶妙な鼻歌がずっと耳から離れなかった」

「……俺やっぱり馬鹿にされてない?」

「違う。可愛かったって意味だ」

「か、かわ……」

 俺とは最も縁遠い単語を使われ、頭がくらくらしてくる。

「気づいたら桐谷を目で追うようになってた。笑顔が可愛かったり、真面目に見えて時々居眠りしてるのが可愛かったり……どんどん惹かれていった。そうしたら、見てばっかりいないで告白しろって加藤たちに言われたんだ」

 檜山に見られていたことなど全く気づいていなかった。俺はあの告白の日まで、檜山にきちんと目を向けたこともなかったのだ。

「それでも勇気を出せないでいたら、罰ゲームで好きな人に告白するのはどうだって話になった。たぶん、最初から俺が負けるように仕組まれてたんだと思う」

「そんなの無視しても良かったんじゃ……」

「いや、勝負から逃げるわけにはいかない」

「変なところで男らしいな」

「どんな言い訳をしても、桐谷に不誠実なことをしたのは事実だ。嫌われても仕方ないと思ってる」

 眉を下げて自らを不誠実と呼ぶ姿こそ、誠実だと思った。糾弾の感情は消えていき、代わりに胸の中にあたたかいものが灯る。

「俺も檜山に謝らなきゃいけないことがある。本当は俺、料理なんか全然できないんだ」

 檜山は怪訝そうに俺を見ている。その表情に、本気で俺を料理上手だと誤解していたのだと分かった。

「冷凍食品と惣菜詰めただけなんだよ。最初は嫌がらせのつもりだったけど、言い出せなくて……ごめん」

 すると檜山は「そうか」と呟き、俺の頭を撫でた。

「俺のために時間を割いてくれてありがとう」

「……がっかりしないの?」

「するわけないだろ。作ってもらえたのが嬉しくて、じっくり味わってたんだから」

 無愛想だと思っていた檜山の表情の変化が、今なら分かる。うっすらとした微笑みを向けられて一気に体温が上がった。

「桐谷を好きな気持ちに嘘偽りはない。でも許してもらえなくても構わない。だから……桐谷がどうしたいか、教えてくれ」

「……俺は……」

 俺がどうしたいか、檜山とどうなりたいか……答えはもう、決まっていた。檜山にも、自分の心にも、これ以上嘘をつきたくなかった。

 胸の前でそっと右手を握り込み、おずおずと差し伸べる。

「デートの時、また今度って言ったけど……それ、今でもいい?」

 ちらりと視線を上げてみると、檜山は目を丸くしていた。すぐにその目尻が下がり、嬉しそうな色が浮かぶ。

「もちろん」

 向かい合った檜山の右手が、俺の右手を握る。

「……これって握手じゃね?」

「ああ、『今後もよろしく』の握手だ」

 一度強く力が込められ、ぱっと離される。そして檜山は俺の隣に移動して左手を繋いできた。指が絡み、いわゆる恋人繋ぎの状態になる。

「これからは、こうだろ」

「……うん」

 俺より背の高い位置にある顔を見上げると、心臓がどくんどくんと大きな音を立てた。繋いだ手をぎゅっと握り返す。手のひらから伝わる体温がいっそう鼓動を速くさせた。



 手を繋いだまま歩いた帰り道、檜山は加藤たちのデリカシーのなさについて苦々しげに話していた。けれど彼らが檜山の背中を押さなければ俺たちの関係は進まなかった。やり方はちょっと……いや、大いに間違っていたかもしれないけど。でも何だかんだで檜山が彼らと仲良くしている理由が分かった気がした。

「ゲーセンもカラオケも、あいつらに行き先を相談して決めたんだ」

「全部筒抜けなんだな……」

「基本的には応援してくれてるんだけどな。桐谷が嫌なら、もう話さないことにする」

「話してもいいけど、恥ずかしくない範囲でな」

「そういえばあのぬいぐるみ、どうしたんだ? やっぱり妹にあげたのか……?」

「あー……」

 答えを濁した俺を、檜山は寂しそうな目で見つめている。あれは俺のために取ってくれたものだったのだ。しかしぬいぐるみを抱えて喜んでいた妹の顔を思い出すと、今更返してほしいとは言いづらい。

 檜山と妹との板挟みで胸が痛む。檜山の気持ちを知らなかったとはいえ、恋人からもらったものを横流しした罰が当たったのかもしれない。

 やっぱり嘘なんてつくもんじゃない。心の底からそう思った。

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