①
放課後の校舎裏には魔物が潜んでいる。
「桐谷、突然悪いな」
「別にいいけど。話って何?」
そう尋ねれば、俺の前に立つ長身の男は綺麗な顔を顰めながら口籠った。
「あー、その……」
いつも落ち着いている彼らしくなく、目線が宙をうろうろ彷徨っている。物陰から注がれる視線に気づかないふりをして、次の言葉を待つ。
「俺、桐谷のこと……好き、なんだ」
目を逸らされたまま、きまりが悪そうにそう告げられる。予想通りの展開に驚きも動揺もしなかった。
ふう、と小さく息を吐き、煮えくり返りそうな腸を鎮める。そして表情筋を駆使して最高に明るい声でこう返した。
「嬉しい! 俺も檜山のことが好きだったんだ!」
「はい、檜山の負け。雑魚すぎ」
「お前ら、なんか仕組んだだろ」
「そんな証拠ねーだろ、負けは負けだって」
放課後、机の中に忘れたワークを取りに戻ったら教室内からスクールカースト上位の陽キャたちの声が聞こえた。
「じゃあ罰ゲームな」
「……マジでやるのかよ」
「そうだよ、ちゃんとルールは守れよ」
「さっさと告白してこい!」
どうやら何かに負けた罰ゲームとして告白させられるらしい。
中学生の頃、クラスの中で罰ゲームの一環として嘘告がちょっとだけ流行した。文字通り、好きでもない相手に嘘の告白をするというものだ。俺はそんな罰ゲームで盛り上がる奴らとは関わらなかったので、巻き込まれたことはない。馬鹿なことやってんな、とは思っていたけど。
高校生になると、中学の頃にガキ臭いことをやっていたことなんて忘れたかのように、下らない罰ゲームはとんと見かけなくなった――正確に言えば、今この瞬間までは見かけていなかった。高校三年にもなってそんなことをするとは、陽キャとは俺の想像以上に「高尚」な趣味をお持ちのようだ。
きっと今この教室には彼らしかいないだろう。地味で目立たない俺にはそこに飛び込んでいく勇気がない。
「……はあ」
ため息をつき、踵を返す。スクールバッグからワイヤレスイヤホンを取り出し、スマホを操作してサブスクの音楽アプリを起動させる。
もういいや。明日早く来て、急いでやればなんとかなるだろう。
それにしても、檜山まであんな罰ゲームに加わっているとは少し意外だった。
檜山は騒がしい陽キャたちの中では珍しく口数が少ない方で、一目置かれているような存在だった。モデルみたいに綺麗な顔、すらりとした長身、無造作なハーフアップバングの髪型とクールな性格がかっこいいと女子にモテまくっている。
ただ無愛想なだけだと思うけれど、顔が良ければそれすらもプラスになるらしい。人は見た目が九割とはよく言ったものである。
馬鹿な陽キャの一員とはいえ、檜山は嘘告なんてしなさそうに見えた。でも結局のところ同じ穴の狢だったのか。
好きな曲が流れ始めると周囲の雑音はどうでも良くなり、校門を出る頃には檜山のことなど頭から消えていた。
なのに、だ。翌日の帰り際に檜山に呼び出され、告白された。つまり俺は罰ゲームのターゲットに選ばれたのだ。
檜山のことなんて好き嫌い以前にそもそもよく知らないし、さして興味もない。俺は男が好きなわけでもないので、恋愛感情など持ちようがない。
女子に告白したらシャレにならないから当たり障りのなさそうな俺を選んだんだろうが、俺にだって傷つく心やプライドはある。俺と付き合いたい人なんてこの世界にはいないかもしれないけれど、だからといって罰ゲーム扱いされるのは癪だ。他人を弄んでいる奴らに仕返しをしたいと思ったって仕方ない。
そんなわけで、全然好きじゃない相手からの嘘告を受け入れ、虚構のラブラブスクールライフを送ることで檜山の青春の一頁を真っ黒に染め上げることにしたのだ。俺にとっても黒歴史になりそうではあるが、それはそれとして。
自室のベッドに寝転がり、スマホのメッセージアプリを開く。友だちリストの一番上に檜山の名前が登録されていた。
引き攣りそうな笑顔で俺も好きだと返したら、檜山は動揺のあまりしばらく絶句していた。きっとその場でネタばらしをするつもりだったことすら忘れてしまうほどの衝撃だったに違いない。そのまま流れで連絡先を交換し、解散となった。俺が校舎裏から離れたところで陰に隠れていた陽キャたちが出てきて騒いでいたけれど、どうせ俺を笑いものにしているんだと思うと聞く気にもなれなかった。
まっさらなトーク画面を開き、何か送ってやろうかと思案する。彼女いない歴イコール年齢の俺には、恋人同士がどんなやりとりをしているのか分からない。とりあえず適当にスタンプでも、と迷っていると、檜山から『よろしく』と送られてきた。既読がついてしまう。
「どうしよ……」
偶然とはいえまるで連絡を待っていたようで、さすがに気まずい。しかし既読スルーはもっと気まずい。ていうか、よろしくって何だよ。俺とよろしくするつもりなんてないくせに……。まあ、あいつも引くに引けなくなっているのかもしれないな。
『こっちこそよろしく。檜山と付き合えて嬉しい』
心にもない言葉とともに最近流行りの猫みたいなキャラクターのスタンプを送ると、こちらにも即既読がついた。
『それ好きなのか』
『まあまあ。妹の影響で』
『妹いるんだな』
『いるよ。五歳下』
檜山の返信はやたらと速かった。暇なのか?
……いや、違うな。早くやり取りを終わらせたいんだ。それもそうだ、ぐだぐだ雑談してもしょうがない。
『そろそろ寝るから。おやすみ。明日会えるの楽しみにしてる』
まだ九時過ぎだがそう送ってメッセージを終わらせた。自分自身がキモくて鳥肌が立ちそうだ。檜山が音を上げる前に俺のメンタルがやられそうである。