第04話 ☃
アスタリアは振り返った。
そこにはアクセル王子が一人立っていた。いつも通り銀縁の白と紫の学園制服を着ており、顔には少し傲慢な表情を浮かべていた。
彼と話すのは、これが初めてだった。
(よかった、まださっきのミエルとの騒動を知らないみたい。早く話を切り上げて逃げないと。)
「王子様。ごきげんよう。」
アスタリアは心の中で「ほんとに面倒くさいな」と呟きつつ、王子に渋々礼を尽くした。「失望した」って、どういう意味……?
「大丈夫です。より広い世界へ向かうだけですから。」
つい癖で相手を安心させるような言い方をしてしまった。でも、王子は心配して来たわけじゃなさそうだ。
「平民になって働きながら、一生苦労するつもりか?」
(学園を卒業すればいい仕事に就ける…って、そういう意味?)
「私は他国へ旅に出るつもりです。」
「ふむ、隣国は繁栄しているし、きっといい男もいるだろうな。」
(え?何の話になってんだ、これ?)
アスタリアは、相手の話に、微かに「何? その馬鹿な話?」とでも言いたげな顔をした。
「考えすぎです。私は一人で十分やっていけます。」
「お前、以前は私と親しくなろうとしてたんだろう?」
彼は私が転移者であることを知っているのか……?このゲームのストーリーでは、彼が最終的に戦争を引き起こすことも知っているのか……?厄介な人だな。
(こんなことを言ってくる意図はなんなのか。私が退学して、学院の人脈を活かさずに、人生は無駄になるって思ってる?)
「王子様、私があの場所に通っていたのは、別の理由がありました。そして、今学園を去ることは決して悲しい結末ではありません。各地を旅するのは、以前からの願いです。今こそが、素晴らしい始まりなのです。ご心配なく。」
微笑むアスタリアの髪と顔には、午後の日差しが降り注ぎ、まるで輝いているかのようだった。
本来、階級上位者が会話を終えるのが礼儀。しかし、この時のアスタリアは、もう我慢するつもりはなかった。
アスタリアは自ら会話を終わらせた。
「それでは、失礼いたします。さようなら。」
そう告げて、アスタリアは振り返らずに歩き去った。もう二度と、王子の顔を見るつもりはなかった。
日本にいた頃、妹からこのゲームの攻略キャラの話を聞かされた時も、今この世界でアクセル王子やその親友たちと直面している今も、アクセル王子が原作のヒロインの相手としてふさわしいなんて、一度も思ったことがない。
元主人公アスタリアは、ピンク色の髪、背中まで届くゆるやかなウェーブ、軽く横に分けられた前髪、そして深い茶色の瞳を持つ芯の強い少女だ。
今、自分が持っているヒロインの髪も顔も、子供の頃からずっと可愛らしいと感じる。鏡を見るたび、その可愛さに少し驚くことがある。
いつの間にか自分自身がヒロインの推しになっていた。
彼女が幸せになることを、心から願うようになっていた。
私は日本で26年生きてきた経験があって、今は治癒魔法と光魔法、秘密の特技、それに魔法と剣術を何年も磨いてきた自信がある。
以前、修道院長の指示で人々の病を癒していたが、その報酬で相当な額の金を貯めていた。
この世界に一人で立ち向かうなんて、なんの問題もない。
その時、遠くの校舎のそばの木陰で、さっき声をかけてきた、背が高くてピンクがかったブラウンの長い髪の少女がこの一部始終を見守っていた。
彼女は、まださっきの騒ぎの余韻から抜け出せずに、心の中でそっとつぶやいた。(リリス、さっき推しの前でうまくやっちゃった…うわ、なんか顔が熱い……
……でも、推しがその学園にいないなら……)
* * *
そのころ、小鳥ベリルの目が届かない片隅で、さっきミエルの側にいた、淡い赤茶色の髪の少女が、口元をほんのり歪めて密やかな笑みを浮かべている。
心の中では、(ねえ、ミエルちゃん、口では『王子が私を選んだだけ』なんてさ、無垢な顔してるよね。
しまいには全攻略キャラに婚約者までつけちゃって、ふふっ。
まぁ、おかげで私、この小さなグループに滑り込めたわけだけど、ヒロインが可哀想とか、全然思ってないよ。
前世ではさ、ヒロインの推しだったけど、今世ではっきり気づいたの。私が本当に欲しいのは──)
(ゲームじゃヒロインだけが守護精霊を持ってたけど、ミエルってゲームの知識を利用して、王子も攻略キャラも、ついでに婚約者までみーんな守護精霊を手に入れた。
ヒロインにはキツイね。だって、ヒロインがミエルたちを蹴落とさないと──)
その時、彼女の背後から優しい声が聞こえた。
「ヘラナさん、何を考えているの?次の授業が始まるよ。」
淡い赤茶色の髪の少女は、にっこりと笑みを浮かべて振り返り、心の中では(ああ、ローズ会のお付きのお嬢様か)とつぶやき、穏やかな声で返す。
「何も考えてないよ。行こう。」
* * *
これらのことを何も知らないヒロイン、アスタリアはその時、校外の大通りにある肉の干物屋の前に立っている。
目を輝かせ、じっと店先に吊るされた大きな肉の干物の束を見つめている。
肉はこんがり焼き色がつき、火加減が絶妙。燻製の芳しい香りが漂う中、脂の輝きを帯びている。切り口からはしっとりとした肉質が覗き、見ているだけでぷりっとした食感が伝わってくる。
アスタリアは楽しそうに言う──
「小山みたいにたくさんの干し肉をください。道中で食べるんだ。えへへ。」




