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第31話 ☆♡

 アスタリアとエリク二人は一角の天馬に乗っていた——

 広げた翼で空をかすめるたび、柔らかな羽毛の風が周りに巻き起こっていった。


「闇魔法で目的地まで転送できますか?」


「できるけど、魔界の境界までか、他の場所から戻るだけだ」


「今は魔界の境界への転送を使っていないんですね。」


「この天馬に乗れば、楽しくなると思ったさ」


「ははっ、嬉しいですよ、ありがとうございます。この子の名前は何ですか?」


「名前はないな」


「そうなんですね。」


 こうして天馬に乗って魔界の上空を飛んでいた。景色は美しいけれど、心の中はなんだか詰まったような感じがする。


 その時、目の前の小さなエリクが振り返り、まっすぐに見上げる。視線が重なった。


「えっ?」


 ちょっとはっとした。


「もうすぐ着くんだ」


「っ、うん、うん、そうですね。」


 天馬は魔界の境界の外の地面に降り立った。


 また、あの巨大な茨を目にした。そびえ立つ崖の上から、刺が一つ一つ、雲を貫くように突き出している。


 数日前に魔界の境界に来た時に見た景色。

 ……あの時は夜だったが、今は昼間。

 ほんの数日なのに隔世の感があった。多くのことを経験し、まるで長い時間が経ったような気がした。


 アスタリアが馬から降り、エリクに背を向けた瞬間、腕に柔らかくも力強い感触が走った。


 振り向くと、天馬上のエリクの肩幅がぐっと広く映り──17歳の鋭い眼差しで、腕を掴んでいた。


「でも、今あんまり嬉しそうじゃねえな」


 エリクは振り返ったアスタリアに向かって、声には優しい心配が混じっていた。


 ……確かに少し落ち込んでいる。日本に帰るという希望が薄らいでしまったから。


 闇魔法の持ち主である魔王も、千年以上生きる執事たちも、異世界のことや門の開き方を知らない。

 ——そう思ったとき、ぎゅっと締めつけられるようだった。

 たとえ開いたとしても、もし行き着く先が日本ではなく別の異世界だったら、それはもっと恐ろしいことだ……


 アスタリアは話題を逸らそうと決めた。心のざわめきを、押し隠して。


 しかし、目の前の十七歳の姿になったエリクを見つめてしまう。大きくなって顔の輪郭がより深くなり、頭のてっぺんの髪は相変わらず跳ね上がっていて、瞳もより深く、赤褐色で、まるで人を吸い込んでしまいそうな目……


 エリクの声が耳に絡みつき、柔らかな波紋のように響き渡っていった。


「これをやる。鎌は、アスタリアにこそ似合う」


 エリクの周囲に鎌の魔法道具が浮かび上がり、闇魔法の黒い影が纏わりついている。


「それと、魔導書が見たいって、言ったよな?」


 再び周囲に魔導書が浮かんだ。その表紙が、精緻に映えている。


 アスタリアは目を見開いた。


「地下室に取りに行ったの? 大変だった?」


 エリクは目を輝かせ、相変わらずの気ままな口調で言った。


「行く必要はねえ。あいつらはな、俺が魔界を掌のように知ってるってことすら、知らねえってわけよ」


 体に入っていた力が、少しほぐれていくのを感じた。


 子供が家のオモチャをこっそり持ち出して遊び相手に見せているような感じがした。

 でも目の前は子供じゃない――少年の姿で、子供の言葉。


「…………ぷっ」


 アスタリアはそのギャップに思わず笑みがこぼれ、そして吹き出してしまった。


 好奇心が湧き上がる。惹かれるままに自然と手を伸ばし、魔導書を手に取った。


 魔導書は驚くほど精巧だった。分厚い一冊は手にずしりと重みを感じさせ、表紙には、対称的な扉を模した透かし彫りが施されている。指先が触れたその瞬間、彫りの細かい隙間から、白い光が煌めきながら滲み出してきた。手のひらに、柔らかな温もりが伝わってくる。


 中の紙は古びていたが、文字もまた透かし彫りになっており、そこから発せられる白い光によって文字が浮かび上がっている。


 しかし中身は確かに理解できないものばかりだった。日本語でも英語でもない。


 どこか見覚えのある感覚があった。もし魔導書がたくさんあれば、暗号解読のようなこともできるかもしれない。でもそれは私の専門分野じゃない。


「魔法道具みたいに、魔力を注入したらどうなるんですか?」


「何も起きないから、試してみろ」


「じゃあ、試してみるよ……」


 表紙と文字の白い光が金色へと変わったが、他には何も起きなかった。魔法を解除すると、しばらくして元の白い光へと戻っていった。


 アスタリアは口元をわずかに引き締め、考え込んだ。


(どうやら秘密も見つけられないみたい……)


「あなたたちは魔法の使い方をどうやって学ぶんですか?」


「生まれつきできるぜ」


 エリクは淡々で、覇気のある答えを返した。


 アスタリアは本を閉じ、エリクに返した。そして微笑みながら言った。


「魔導書、見せてくれてありがとう、エリク様。その鎌は、他の場所では使えないんだ。鎌は預けておくね。」


 実のところ、もう十分すぎるほどのものを貰っている。これで十分だ。


「今度来た時、願いを教えろ。叶えてやると言っただろう」


「あ、へへ。よく考えておくよ。」


 心はやはり落ち込んでいたが、笑っていた。

 エリクがこんなに真剣だから、本当に可愛い。二つの感情が入り混じったような気分だ。


 なんとか気持ちを切り替えようとする。


 エリクが何かを考えるように自分を見つめていた。


(そういえば、どうしてエリクは大きくなったんだろう。大きくなった方が私の手を掴みやすいから?)


「じゃあ、行くね。バイバイ。また今度遊びに来るよ。生活が落ち着いたら手紙を書くから。」


「ああ」


 エリクは一瞬の沈黙を置いて、短く答えた。その声は、いつもより少しだけ低く。


 アスタリアは自分の魔法の乗り物に立ち乗り、風を切って飛び立った。


 こうして、二人は別れた。風が、別れの余韻を運ぶ。


 エリクは天馬に乗り、魔界の縁の上空に留まっていた。何気ない様子でアスタリアの遠ざかる姿を捉えていた。


 アスタリアの眼下には無数の樹冠が波のように広がり、胸中では複雑な思いが静かに渦巻いていた。


 まだ方法はあるかもしれない、これで終わりとは限らないと自分を励ます。

 これは必ずしも絶望ではない。

 今一番大事なのはヘスティアの護送任務だ。


 これらの感情や悩み、入り混じった思いを一旦隅に追いやり、先へと進むことに決めた。

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