私をママと呼ぶな
「私を、お母さんって呼ばないで」
ああ、言ってしまった。あの人の軌跡をなぞってしまった。また一人、不幸な子供を世界に生み出してしまった。私は母親になるべきではなかった。
息子がママ、と私を呼ぶのが愛おしい。舌足らずならではの絶妙な発音が心地いい。このままずっと私のことをママと呼んでほしい。息子が育っていくのが楽しみでしょうがない。それと同時に、息子が変わってゆくのが怖い。私はいつか「お母さん」になってしまうのだろうか。
私の母は、母親になるべき人ではなかった。私が生まれて間もない頃、海外へ飛んだ。もっとも、ただの旅行であり、捨てていったわけではなかったものの、きっとこれが始まりだったのだと思う。
ものごころついた頃には虐待が日常と化していた。急に始まった記憶はない。きっとずっと前からそうだったのだろう。殴る蹴るは当たり前、言葉で私をなじり、見せしめのように大事なものをゴミ袋に詰め、私が母親の求める答えをいうまで解放されない。おかあさん、と呼びかける幼い自分の声が頭にこびりついている。
状況はよくなることはなかった。虐待はひどくなったり、種類が増えるだけで、私には救いがなかった。周りに助けを求めることもできない。進学を機に、なんとか家を出た。卒業を機に、完全に縁を切った。植え付けられたトラウマや、心に深く刻まれた傷は、時も環境の変化でさえも治してはくれなかった。
私は子供を産まないはずだった。水商売でもなんでも、大金が稼げれば仕事はなんでもよかった。貯めた資金を元に顔を変えて、綺麗になって、一番満足のいく自分になって華々しい最期を飾り、若いままに時を刻むのをやめるつもりだった。精一杯の不自由な生への抵抗だった。
だが、いつの間にか「普通の人間」に擬態して生きることになっていた。
好きな仕事を選び、結婚して、子供を産む。できた。私にも、まともな人間の暮らしが。できたんだ。母親のように、子供を飢えさせたり、自分の血管が切れるほど殴り倒すこともない。夫にキツく当たることもない家には子供達の笑い声が響いていて、時折夫婦で子供の成長に涙する。
そんな人生を送るはずだった。さっきまでは。たった今、私は一番なりたくなかったものになってしまった。
「私を、お母さんって呼ばないで」
やってしまった。
「私をママって呼ぶな」
やっぱり、私は母親になってはいけなかったんだ。所詮蛙の子は蛙。いくらああなるまいと思っていても、私の中に植えられた母親の種はすくすくと育っていたんだ、恨めしい、恨めしい。久しぶりに思い出した、母親の声。考えるより先に、涙が目にたまる。私は息子に今、母親と同じことをした。
「だいじょぶ?」
きょとんとした息子の顔が見えた。今更。
ああ、この子は私とは違う。この子はきっと私をなぞっていない。
「大丈夫だよ
ママね、ママって呼ばれるのが好きだから
ママって呼んでくれたら嬉しいなと思ったの
ごめんね
ごめん」
「お母さん、って呼びたかったらお母さんでもいい、よ」
笑った。息子が笑った。正直、ほっとした。息子は私の顔色を伺っていない。ただ納得した顔をして、組み合わせたブロックの山を指さす。
「私をママって呼ぶな
気持ち悪い」
大丈夫、かもしれない。私は母親になれた。
ママにだって、お母さんにだってなれる。
私は。