表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私をママと呼ぶな

作者: 有菜みな

「私を、お母さんって呼ばないで」


 ああ、言ってしまった。あの人の軌跡をなぞってしまった。また一人、不幸な子供を世界に生み出してしまった。私は母親になるべきではなかった。


 息子がママ、と私を呼ぶのが愛おしい。舌足らずならではの絶妙な発音が心地いい。このままずっと私のことをママと呼んでほしい。息子が育っていくのが楽しみでしょうがない。それと同時に、息子が変わってゆくのが怖い。私はいつか「お母さん」になってしまうのだろうか。

 

 私の母は、母親になるべき人ではなかった。私が生まれて間もない頃、海外へ飛んだ。もっとも、ただの旅行であり、捨てていったわけではなかったものの、きっとこれが始まりだったのだと思う。


 ものごころついた頃には虐待が日常と化していた。急に始まった記憶はない。きっとずっと前からそうだったのだろう。殴る蹴るは当たり前、言葉で私をなじり、見せしめのように大事なものをゴミ袋に詰め、私が母親の求める答えをいうまで解放されない。おかあさん、と呼びかける幼い自分の声が頭にこびりついている。

 状況はよくなることはなかった。虐待はひどくなったり、種類が増えるだけで、私には救いがなかった。周りに助けを求めることもできない。進学を機に、なんとか家を出た。卒業を機に、完全に縁を切った。植え付けられたトラウマや、心に深く刻まれた傷は、時も環境の変化でさえも治してはくれなかった。

 

 私は子供を産まないはずだった。水商売でもなんでも、大金が稼げれば仕事はなんでもよかった。貯めた資金を元に顔を変えて、綺麗になって、一番満足のいく自分になって華々しい最期を飾り、若いままに時を刻むのをやめるつもりだった。精一杯の不自由な生への抵抗だった。

だが、いつの間にか「普通の人間」に擬態して生きることになっていた。

好きな仕事を選び、結婚して、子供を産む。できた。私にも、まともな人間の暮らしが。できたんだ。母親のように、子供を飢えさせたり、自分の血管が切れるほど殴り倒すこともない。夫にキツく当たることもない家には子供達の笑い声が響いていて、時折夫婦で子供の成長に涙する。


 そんな人生を送るはずだった。さっきまでは。たった今、私は一番なりたくなかったものになってしまった。


「私を、お母さんって呼ばないで」

 

やってしまった。


「私をママって呼ぶな」


 やっぱり、私は母親になってはいけなかったんだ。所詮蛙の子は蛙。いくらああなるまいと思っていても、私の中に植えられた母親の種はすくすくと育っていたんだ、恨めしい、恨めしい。久しぶりに思い出した、母親の声。考えるより先に、涙が目にたまる。私は息子に今、母親と同じことをした。


「だいじょぶ?」


きょとんとした息子の顔が見えた。今更。

ああ、この子は私とは違う。この子はきっと私をなぞっていない。


「大丈夫だよ

 ママね、ママって呼ばれるのが好きだから

 ママって呼んでくれたら嬉しいなと思ったの

 ごめんね

 ごめん」


「お母さん、って呼びたかったらお母さんでもいい、よ」


 笑った。息子が笑った。正直、ほっとした。息子は私の顔色を伺っていない。ただ納得した顔をして、組み合わせたブロックの山を指さす。


「私をママって呼ぶな

 気持ち悪い」


大丈夫、かもしれない。私は母親になれた。

ママにだって、お母さんにだってなれる。

私は。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ