わたくしに恋愛相談してくる幼馴染のヘタレ王子の好きな人がどう考えてもわたくしなのですが?
「好きな女性に想いを伝えたいと思っている」
芳しい花の香りで満ち溢れた王宮の庭園にて、お茶を楽しんでいた最中のこと。
テーブルを挟んで向かい合う第一王子ロレンス・フィーノ・モゼの言葉に、筆頭公爵の姪っ子であるエレオノーラは「あらまあ」と息を呑んだ。
「王領で美味しい茶葉が採れたから」と誘われて城へ来てみたら、思い悩んだ顔をした彼が待ち構えていたので、話があるに違いないと予想はしていた。
ただ、あまりにも想定外だったのである。
異性を明らかに倦厭している幼馴染に『好きな女性』というものが存在するなんて。しかもそのことについて、わざわざ本人の口から話されるなんて。
けれども彼の翡翠色の瞳は真剣そのもので、本気なのだと解った。
「――なるほど」
驚きや困惑を呑み込むのに要した時間はほんの一瞬。
すぐにエレオノーラはふわりと美しく微笑んで、ロレンスを言祝いだ。
「おめでとうございます。ようやく殿下にも遅過ぎる春が訪れましたのね」
「遅過ぎるは余計だろう」
「事実を述べたに過ぎませんわ」
後継者を求められる王族、それも次代の王としてこの国――モゼ王国を治めるであろう彼にとって、結婚は最重要事項。
十七歳になっても婚約者はおろか、婚約者候補すらいないのは異例中の異例だ。
容姿のせいで誰も寄りつかないわけではない。むしろ、女性を虜にする甘いマスクの持ち主である。
ならなぜそのようなことになっているのかと言えば、原因は一つ。
ロレンスは呆れるくらいの軟弱男、もとい、ヘタレなのだ。
今まで「責任を取らされるのが怖い」と異性をなるべく遠ざけ、ダンスすらも徹底的に拒んできた。
どうしても異性と共に参加しなければならないパーティー等に駆り出されるのは常にエレオノーラだった。
互いが七歳の頃に知り合って以来、頻繁に顔を合わせてきた幼馴染。
気心が知れていて安心できるのだろうが、いつまでも幼馴染だからと頼られっぱなしなのはいかがなものか、と思っていた。
「お似合いの二人ですね」だとか「愛人になさるおつもりでは?」などと社交界で好き放題に皮肉や陰口を言われることがしばしばあったからだ。
とうとう身を固めてくれるなら、とてもありがたい。
ありがたいのだが――。
「そんなわけで。エレオノーラ、君の知恵を借りたい」
やはり彼の頼みの綱はエレオノーラらしい。
他に話せる相手はいなかったのか。
まったく、困った幼馴染だ。
「そうおっしゃられましても、わたくしは決して恋愛経験豊富ではありませんわよ?」
「知っている。だが、国一番の才女なら何かしら思いつくかと思って」
不本意ながらエレオノーラが才女などと呼ばれているのは確かだが、それとこれとは話が別過ぎる。
ロレンスが不得意な帝王学を噛み砕いて教えたりだとか、少し助言をしただけで栄えさせ過ぎたりだとか、エレオノーラにできるのはその程度。
期待されても応えられるかわからない。
とはいえ、相談された以上、放っておくわけにはいかなかった。
「二つほど確認したいのですが、お相手とは家格は釣り合いますの?」
「ああ。その点は大丈夫……だと思う」
「年齢は?」
「同い年だから問題ない」
身分差、年の差の恋ではないらしい。
モゼ王国で貴賤結婚は禁じられている。
王子であるロレンスは、君主の一族でなければ婚姻を結べない。つまりどこかの王女にでも惚れ込んだのだろう。
では何が問題なのかと問うてみると、「どうやって行動を起こせばいいか悩んでいる」とのこと。
そういうことなら簡単だ。
「何を悩むことがありますの。縁談を持ちかければいいのです」
しかし、ロレンスの表情は晴れなかった。
「それだと王家からの打診になってしまうから、なかなか断れないだろう」
「断ってほしいのですか?」
「そういうことではなくてだな……」
無理強いしたくはないものの、もしも断られた時に耐えられそうにないのだとか。
わがまま過ぎる。
エレオノーラは、漏れそうになるため息を堪えた。
このヘタレ王子の心を射止めたのは、どのような姫君なのやら。
「お相手についてお話しくださいませ」
そう言った途端、ロレンスがぴたりと固まった。どうやら答えたくないと見える。
だが、訊き出さないことには何も始まらない。
「殿下は、求愛を受け入れていただく術を知りたいのでしょう」
「……当然だ」
「なら、教えてくださいますわよね?」
しばらくの沈黙のあと、やっと頷きを返された。
「ただし、名前は黙秘させてもらうからな」
「構いませんわ」
ティーカップを傾けて紅茶を啜ってから、ロレンスがゆっくりと口を開く。
語られ始めたのは、説明という名の惚気。
それも、ただの惚気ではなかった。
「一目惚れだった」
深い海の色をした理知的な眼に惹かれ、神秘的な色合いの髪に触れたいと思ったのだそうだ。
「それまで目にした誰よりも美しくて」
ロレンスの声が震え、視線が熱を帯び始めた。
まるで目の前に恋しい相手がいるかのように。
エレオノーラは、ロレンスに負けず劣らずどころかそれ以上の美貌を有している自負がある。
群青色の瞳も、モゼ王国では珍しい銀髪も高く評されていた。
嫌な予感がしてしまう。
「今まで見た誰よりも才能に溢れているのに、それをひけらかすことはなくて」
まさか、と考える。
エレオノーラの勘違いかも知れない。けれど、ただの勘違いな気がしなかった。
――わたくしのことではありませんわよね?
「王子としての重責を忘れて気軽に話せて」
――わたくし以外にそんな方がいるのかしら?
いや、断定するのはまだ早いだろう。
たとえばこっそりお忍びで町に行き、そこで出会ったのなら……。
「帝王学が不得意で、多くいる弟たちの方が優秀で。次代の王に相応しくない私を支え、寄り添ってくれた」
心当たりがあり過ぎる。
希望は潰えた。お忍び先で出会っただけの姫君が傍で彼を支えられるわけがない。
「一見淑やかなくせに、本当はすごく容赦がない。綺麗な笑顔の中に平気で皮肉を混ぜてくる。でもそんなところも愛らしくて……この世で誰よりも大切な人なんだ」
それからも色々と言っていたが、聞いていられなかった。
『好きな女性』の情報はあまりにもエレオノーラに合致していた。酷似という言葉では済まされないほどに。
――ねぇ、殿下。それを『他人事』として聞かされるわたくしの身にもなって?
素直に言う勇気がなく、わざと『他人事』の体で遠回しに想いを告げられているのか。
それとも本気で、エレオノーラしか頼れないが故に、本人に恋愛相談を持ちかけてきたのか。
どちらにせよ確かなのは、ロレンスがヘタレを極めているということである。
ひとまず、「想いを伝える前に惚れさせてみる努力をしてみたらいかが?」と助言しておいた。その対応しか思いつかなかった。
◆
エレオノーラが『好きな女性』であることに間違いはないだろうが、さすがに簡単に納得できなかった。
一目惚れとロレンスは言っていた。それが本当だとしたら、ずっと想いに蓋をしてきたということになる。
出会ってから十年。十年だ。
今までの人生の半分以上をただの幼馴染として過ごしてきたのに、今更その先へ進もうとしている理由は何だろう。
「何か心境の変化でもあったのかしら? ……少し探らせてみましょうか」
己の従者を城に忍び込ませて、得られた答えは単純なものだった。
来年、ロレンスは十八歳で成人を迎える。長らく息子のヘタレっぷりを黙認してきた国王夫妻もいい加減に見かねて、成人祝いのパーティーの際に婚約者を発表しろと命じていたらしい。
――それで慌てたというわけですのね。
なんとも情けない。
エレオノーラの助言を受け、彼なりに惚れさせてみる努力を始めたようだが、あまりにもヘタレを極め過ぎていた。
「ついて来てほしいところがある」と何かと都合をつけては、デートに誘われた。
しかし、いかなる作戦を立てているのかと期待したのは最初だけだった。ロレンスとのデートでは何も起こらなかった。本当に何も。
一緒にお忍びで出かけ、小綺麗な店で食事を摂って、帰るのみ。
「なあ、エレオノーラ」
「何ですの?」
「……何でもない」
社交界でご婦人がたに人気の宝石店に連れて行きたがっていることを、エレオノーラは『他人事』として彼に聞いている。
けれども言いかけては口ごもるばかりで、一向に誘われないのだ。
あれほど愛を語ったくせに、何を日和っているのか。
どこか気まずそうにして、目線すら合わされない。デートの時以外は普通なのに、意識しているのが露骨に現れていた。
そんな風だから、進展するわけもなく。
デートからしばらく経つと、決まって泣きついてくる。
「ダメだった」
「それを聞くのは七度目になるのですけれど」
「助けてくれ……」
「助けて差し上げようにも、まともにデートもこなせないとなると難しいですわね」
だが、「そこをなんとか!!」と懇願されると、見捨てるのは悪い気がしてしまう。
それにエレオノーラにとって、ロレンスの話す『他人事』は、決して『他人事』ではないのだ。
「まず相手の目を見て、にっこりと笑顔で。それから……」
――いつか彼が勇気を出せる日が来るまで、これは続くのでしょう。
そう思いながら、エレオノーラは、想いを告げられる日を楽しみにしている自分に気づく。
我ながら可笑しい話だと思った。
ロレンスを伴侶となる相手として受け入れることなど、あり得ないのだから。
ロレンスはなかなか優良物件だと思う。
何より顔がいいし、性格は軟弱だが、そこに目を瞑れば付き合いやすい。
問題があるのはエレオノーラの方。
エレオノーラは今後、誰とも婚約関係になるつもりがなかった。ヘタレだからではなく、婚姻していずれ子を成すということが、国を揺るがしてしまいかねないからである。
そのことに不満はなかった。
筆頭公爵――伯父の補佐として生きていくのを覚悟したのは、十年も前。
お世話になりっぱなしではいられないからだ。
自分の結婚なんていらない。自分の幸せなんて必要ない。
公爵家の手伝いをしながら、平穏に暮らして、幼馴染としての距離でロレンスを見ていられれば、それでいい。
ただそれだけで、良かったのに。
滞在している公爵家に、一枚の手紙が届いた。
大陸の果て、モゼ王国から遥か彼方、シュヴァリエという名の皇国の紋章が大きく描かれた封筒。
その紋章を目の当たりにした瞬間、手に力が入らなくなって、思うように封を切れない。
内容が何であるかは開ける前からわかっている。わかっているからこそ。
「どうして、今更」
震える声で呟いた言葉は、誰にも聞かれることはなかった。
◆
それから三日後、エレオノーラは王宮を訪れていた。
いつもの恋愛相談ではない。
呼ばれていないどころか、先触れすら出さずに押しかけたのだ。
このようなことは初めてである。
「ごきげんよう、殿下」
「え、エレオノーラ!? なんで……」
明らかにどぎまぎし、目を白黒させているロレンスには非常に申し訳ないと思っている。
無礼なのも重々承知の上で、何でもないかのように笑いながら、躊躇いなく告げた。
「本日は、最後の挨拶に参りましたわ」
――と。
「え……は…………??」
「シュヴァリエ皇国へ戻ることになりましたのよ。お知らせが遅くなってしまい、申し訳ございません」
ぽかんとなるロレンスを見つめながら、エレオノーラは笑顔を崩さない。
微笑みという鎧で自分を覆っていなければ、容易く心が揺らいでしまうような、そんな気がしたから。
エレオノーラ――エレオノーラ・メリィ・シュヴァリエは、シュヴァリエ皇国の姫として生を受けた。
現在お世話になっている筆頭公爵の父、すなわち先代の娘だった母が皇帝の妃の一人だったのだ。
母譲りの群青色の瞳と美貌。銀髪は皇族の証であり、血筋を疑う者などいない。
おまけに幼少の頃から、文句のつけようがないほど聡明であった。
三歳で大人の言葉を解した。五歳にして淑女の振る舞いを全て身につけ、七歳になる頃には帝王学をほとんど学び終えていたほどだ。
周囲は彼女を『エレオノーラ様こそ皇位を継ぐに相応しい』と持ち上げた。
反対に、凡才の皇子を卑下しながら。
エレオノーラより二つ年下の皇子は、もう五歳になるのに、何か気に入らないことがある度に暴力を振るうというわがままっぷり。
勉強嫌いで社交嫌い。しかもそれを誰にも叱られないのをいいことに増長する一方で、多くの臣下に窘められ、あるいは眉を顰められている。
シュヴァリエ皇国では貴賤結婚と一夫多妻制が許されており、皇帝には妃が四人いる。序列はなく、政略的に利のある女から、単に好みだけで選ばれた女まで、表向きは皆平等とされていた。
けれども平等なわけがない。皇帝の寵愛が注がれるのは、常に好みの女なのである。
エレオノーラの母が前者、皇子の母が後者だった。
他の妃に子がいないこともあり、二人は特に対立していたという。
が、エレオノーラの母が早くに儚くなったため、そのあとは皇子の母の思うがままになった。
「わたしの、わたしたちの愛する息子を次なる皇帝にして頂戴。あの皇女は人間じゃない。人間に見せかけたバケモノなの!」
皇帝は有能な娘よりも、愛する妃とその子を優先することを選んだらしい。
城から放逐するとの宣言を受けた時、幼きエレオノーラは静かに頭を下げた。
出しゃばった自分が悪いのだから――と。
そのあと、色々あった。
母の故郷のモゼ王国に向かって、叔父である筆頭公爵に頭を下げ、養ってもらって。
エレオノーラが子を作ると皇族の血を引く関係で後々国際的な問題になる可能性がある。だから婚約しなかったし、できなかったけれど……それでも、皇国のことなど忘れたふりをして、今まで暮らしてきたのだ。
皇女に戻るつもりなどなかった。
ましてや、女帝になりたいと思ったこともない。
だが手紙には『シュヴァリエ皇国に戻り、国を率いよ』と記してあった。
愚かな皇子は成長してもわがままであり、最低限の勉学すら習得しなかったのだとか。妃を当てがって補強しようにも、「気に入らない」と横暴な態度を取るので、結果、皇位継承権を取り上げられた。
さらにほぼ同時に、流行り病で皇帝が崩御。
玉座に就く者が不在では国は回していけない。そこで穴埋め役として選ばれたのがエレオノーラである。
――このようなこと、ふざけているとしか考えられませんわ。
抑え切れない激情に唇を強く噛み締めると、つぅっと鮮血が伝っていく。
真紅のそれはまるで口紅のようにエレオノーラを彩った。
拒否はできない。エレオノーラが戻らなくては、シュヴァリエ皇国が滅ぶのは必至だからだ。
大国である故に何千万もの罪のない民の命が危機に晒される。自分の意思を優先し、彼らを見捨てる愚かさを、彼女は有していない。
叔父に事情を話し、帰国の許可を得るのは簡単だった。
参加する予定だった数多くのパーティーの辞退と共に、シュヴァリエ皇国に向かうとの旨を知らせる。そうすればもう、準備は済んでしまった。
この国で十年も暮らしていたのに、なんだかあまりにも呆気なく思えてしまう。
公爵家の者たちとは別れを終えている。豪華で優美な晩餐が開かれた翌朝、ひっそりと屋敷を出た。
そうして乗り込んだ馬車はシュヴァリエ皇国へと出発した……わけではない。
最後に、どうしても会っておきたい人がいた。
ロレンスだ。
先に訪問を知らせようと何度も考えた。けれど、なんと伝えていいのかわからなくて、押しかける形になってしまったのである。
幼馴染として長年を過ごしてきたおかげだろうか。
いざ話すとなると、するすると言葉が出てくるから不思議だった。
「シュヴァリエ皇国へ戻ることになりましたのよ。お知らせが遅くなってしまい、申し訳ございません」
微笑んだままで、淡々と説明を重ねる。
不条理を、理不尽を当たり前のこととして語って、そして。
「今までありがとうございました。残念ながら、今後は殿下のお悩みを聞けなくなってしまいますけれど……殿下が好きな人を見つけて幸せになることを、心よりお祈りしておりますわ」
言い切った。
あくまで『他人事』であるかのように、真実に気づいていないかのように装いながら、こっそり願いを込めて。
エレオノーラ以外に、彼の妃として相応しい人物がきっとどこかにいる。
エレオノーラはただの幼馴染。一目惚れしていたなんて、勘違いに過ぎないのだ。
いつか本当に好きな人を見つけてほしい。たとえ身分差や歳の差がある相手でもいい。貴賤結婚が許されないこの国では簡単に娶れないだろうけれど、結ばれる方法はどこかにあるはず。
――わたくしを妃に据えるより、ずっと現実的ですわ。
なのに。
「ま、待って。待ってくれ!」
踵を返し、立ち去ろうとしたエレオノーラは、ガシリと腕を掴まれた。
「どうなさいましたのかしら」
「そんなっ、そんなお祈りをされても……私は嬉しくない!!」
ロレンスの翡翠色の瞳が潤んでいる。というか、泣き出す寸前であった。
これから他国の女帝となる者に対し、なんという表情を見せているのか。
思わず眉を寄せ、叱りつけてしまった。
「しゃんとなさいませ。モゼ王国の第一王子であるご自覚が足りないのではなくて?」
「エレオノーラ、私は」
「わたくしも殿下も、互いに国を担うのです。――情けないお方だとは散々思っておりましたが、幻滅しましてよ」
ロレンスの腕を引き剥がし、シワが寄ってしまったドレスの袖を伸ばす。
もう一度縋りつかれることはなかった。
ただ、堪え切れずにとうとう涙を溢れさせてしまったようだけれど。
「さようなら、ロレンス・フィーノ・モゼ王子」
返事はなく、代わりに涙声が聞こえる。
「エレオノーラ」と何度も何度も繰り返すその声を無視するのには、ひどく心が痛んだ。
――ねぇ、殿下。わたくし、本当は殿下の情けないところも、嫌いではありませんでしたわ。
幼馴染として言葉を交わせることはきっと二度とない。次会う時は、国際的な場か何かになる。
その事実がたまらなく寂しく感じられるのは、どうしてなのか。
わかっていたが、あえて考えないようにした。
◆
瞬く間に月日が流れていく。
王宮から離れた半日後には出国し、ひと月の旅路でシュヴァリエ皇国に着いてからは、寝る間もない慌ただしさだった。
女帝の戴冠式や側近の選出だけではない。主導者を失って揺らぎかけている国を盛り立てなければならないし、さらには婿選びまで求められている。
皇族が軒並みいなくなってしまった故に世継ぎを作るのが最優先であり、数多くの皇婿候補を提案された。
「なんなら全員を婿に取ってもいいと言われたけれど……」
釣り書と絵姿を一通り見たが、惹かれる人物が一人としていないのだ。
それでも、何人かの候補に会ってみた。
言葉を交わし、微笑みながらお茶をして……その都度一枚ずつ釣り書を破いていく。
皇婿の地位を手に入れたあと、エレオノーラを利用して実質の皇帝になろうと目論む者。
エレオノーラの体にしか興味がない者。
女だからと見くびっている奴が多過ぎる。
「ロレンス……」
ふわふわとした柔らかな金髪と、優しい色合いの翡翠の瞳が思い浮かんだ。
会いたい。そう、無性に思ってしまう。
皇婿候補の中に、ロレンスよりも顔のいい男は存在しなかった。
ロレンスより身分が高い男も。ロレンスよりも心根が良さそうな男も。
そんな風に比較する自分の卑しさが嫌になるけれど、この世のほとんどの男がロレンスより見劣りするのは事実。
――妥協するしか、ないのかしら。
気づけば、女帝になってから一年が経っていた。
いい加減もう先延ばしにするのは不可能。適当なところで諦めをつけようと思っていた、その時だった。
エレオノーラの元に、『ロレンス・フィーノ・モゼ』と書かれた釣り書が届いたのは。
信じられなかった。
まず目を疑った。次は偽造を疑った。
しかし、釣り書の名前は、確かにロレンスの筆跡だ。共に過ごした時間の中で、彼が文字を認めるところを見たのは一度や二度ではないから間違いない。
絵姿も、本来はタレ目がちな目元がいささかキリッと描かれている程度の差異で、ロレンスそのものである。
何かの間違いだ。
そう思って、釣り書を送り返すように命じた。
そうしたら――本人が乗り込んで来た。
「どういうおつもりですの?」
玉座に優雅に腰掛けるエレオノーラは、対峙している青年へと問いを投げかける。
それと同時に改めてじっくりと眺めたが、やはりどう見てもロレンスでしかなかった。
全身がガチガチに硬直し、緊張し切っているのが見え見えだ。
「エレオノーラ。エレオノーラ・メリィ・シュヴァリエ帝。モゼ王国第一王子ロレンスから、お渡ししたいものがある」
「あら、ありがとうございます。拝見してもよろしくて?」
「ど、どうぞ……受け取ってくれ」
エレオノーラの目をまっすぐ見据え、ぎこちないながら、ロレンスはにこりと笑った。
かつてエレオノーラが恋愛相談された時に教えたのを実演するかのように。
「ずっと君に贈りたいと思って、でも、連れて行けなかった店で買ったんだ」
差し出されたのは、エレオノーラの瞳にそっくりなラピスラズリと、彼の瞳の色である翡翠が並んでいる指輪だった。
台座は金色。これも彼の髪色と同じだ。
皇国と違って伴侶を唯一と定めるモゼ王国では、愛の誓いとして相手の色のアクセサリーを身につける風習がある。
相手に自分の色を贈るのは、求愛に等しい行為とされていた。
羞恥からなのか何なのか、ロレンスの顔色が紅に染まっている。
彼は何も言わない。言えないのだろう。仕方なく、その手から指輪を抜き取った。
「素敵な指輪ですわね。ですが、きちんと言葉で表明してくださいませ。はっきり申し上げて悪ふざけとしか思えませんわ」
次期国王と、すでに女帝になったエレオノーラが結ばれるわけがないのに。
きっちり最後の挨拶を済ませてきたはずなのに。
「諦められなかった。諦められなかったんだよ」
「何を、ですの?」
「き……君を」
一生想いを胸に秘めておくつもりかと思うほど、どうしようもないヘタレだった幼馴染。
彼はか細い、あまりにもか細過ぎる声で、呟く。
「君が、す、しゅき、だから…………」
盛大に噛みまくり、格好良さや勇ましさからは程遠い。
しかしエレオノーラの胸は、どうしようもなく鼓動を早める。
「色々、色々と、伝え方を考えたんだ。わからなくて相談したけど、結局勇気が出せなくて。もっと早くに言っておけば良かったと何度悔んだかわからない」
知っている。
何せ、ずっと傍で見てきたのだ。
「未来の王座は優秀な弟の一人に譲り渡してきた。断ってくれてもいい。嫌ってくれてもいいからっ」
ロレンスは笑顔を保てなくなっていた。
甘いマスクを歪めて、ぐしゃぐしゃになった顔面で、それでも俯くことはなかった。
「次代の王じゃなくて、一人の男として、見てほしい」
――昔から変わっておりませんのね。
出会ったばかりの彼もそうだった、と思い出す。
身分が近く、同い年というだけでエレオノーラの遊び相手として紹介された彼。
皇国を追放され、自分の価値を見失って「無価値な小娘に過ぎないわたくしに構わなくてもよろしいですのに」と己を卑下したエレオノーラに、優しく言葉をかけてくれた。
『君は、ただのエレオノーラのまま生きていいんだ』
何故かと理由を問えば、『君が綺麗……だから?』などと、なぜか疑問形で答えたものだから、思わず噴き出してしまったのをよく覚えている。
心から笑えたのは初めてだった。その瞬間、エレオノーラは救われたのかも知れない。
気づけばロレンスが大切になっていた。
愛している、と言っても過言ではないほどに。
皇族の血を引いた子を産むのは不都合だからと、妃になどなるべきではないと、その愛情を『幼馴染としてのもの』に変換して目を向けないようにしていただけだった。
けれど、ヘタレのロレンスは得られたはずの地位まで捨てて、行動を起こした。
それなら――。
あなたの覚悟に応えましょう。
「皇婿選びでわかりましたの。あなた以上に優しくて、わたくしを想ってくれる方は他にいないと。――わたくしもどうやら諦め切れないようですわ」
控えていた側近や従者たちが一斉にどよめいた。
先ほど渡された指輪を嵌めるなり、エレオノーラがロレンスに抱きついためだ。
けれど、一番現実を受け入れられていなかったのは、ロレンスだった。
「は……え、今なんて?」
「ふふ、驚いたでしょう」
彼の想いを知らされた時、エレオノーラも困惑させられたのだ。これはその時のお返しである。
「ロレンス・フィーノ・モゼ。わたくしの伴侶となりなさい」
「わ、私なんかでいいのか……?」
「あなただから、いいんですのよ」
そっと顔を近寄せ、唇も奪って差し上げた。
初めての口付けは甘い蜜の味がした。
キスされたことを自覚したロレンスが、ぐるりと目を回して泡を吹くまで、あと五秒。
「急に夫婦になるのは心の準備が……」とヘタレる彼を言いくるめて婚姻を結ぶまで、あと一ヶ月。