第18話 そして僕は辿りつく
ホームルームを終えてクラスが解散したあと、僕は真っすぐに写真部の部室へと向かった。
旧校舎の一番奥に写真部の部室はあった。
トントントン。
緊張しつつノックをすると「どうぞ」と返事が返って来た。
あまり滑りの良くない引き戸を、ガラリと半分ほど開けて、僕は教室の中を見渡す。
夕日の僅かに射し込む狭い部屋の中央に机があり、新山日奈はそこの席で一人、無骨な一眼レフを触っていた。
僕は無言で、彼女の座る席につかつかと歩み寄った。
彼女はあまり表情を変えず僕を見ている。
「座っていい?」
「どうぞ」
椅子を引いて、僕は彼女と向かい合うように座った。
彼女は、少女の華奢な手には不釣り合いな一眼レフを机に置いて、僕を真っすぐに見つめる。
「三年生は?」
「今は私だけ。先輩も色々忙しいの」
「ふうん」
あらためて向かい合うと緊張してしまうものだ。
僕がここに来たのには理由がある。
昨日とうとう辿りついた解答を、僕は彼女に伝えに来たのだ。
「新山さん、僕がここへ来た理由を君なら分かるよね」
「えっと、言ってみて」
キョトンとした顔で、聞き返してきた。
会話のキャッチボールをする気はないらしい。
「あれだよ……その、先週のゴールデンウイーク明けの朝に君が言ったアレの答をさ……」
やっぱりアレを言葉にしにくい。余裕のない僕と違って、目の前の少女はあまりいつもと変わらない感じだ。
「富樫君が言ってるのって、アレのことかな?」
「そう、アレ。アレのことなんだ」
「アレってなに?」
「アレはアレだよ……」
完全にマウントを取られて弄ばれてる。僕が弱すぎるのか、新山日奈が強すぎるのか。
長引けば余計に弄られるだけだ。ここはもうストレートに言っておこう。
「ずっと前から好きだったって、言ったじゃないか……」
目の前の少女の肩がビクっとなった。
そのまま彼女は何も話そうとしない。
僕はそのまま、用意していたその名を告げた。
「望月千鶴。この写真部にいた子だ」
僕はここへ来る前に確認を取っていた。
昨年度後期に作られた写真部の部活名簿に載っていた少女が、もう転校してしまっていることを。
彼女はこの春から遠く離れた高校で新しい新学期を迎えていた。
「先生に聞いたんだね」
「うん」
それがここに彼女が一人でいる理由だった。
親友だった少女が去って行った部室で、新山日奈は孤独を持て余していたのだろう。
「僕は正解できたのかな」
それからしばらくの間、この部屋の空気を沈黙が満たした。
射し込んでくる夕日が、黙り込んでしまった少女の影をジワリと伸ばしていく。
やがて、息苦しい時間の後に、少女が口を開いた。
「正解だよ」
とても短いひと言だった。それでもやっと聞けたひと言だった。
「当てられちゃったね」
顔を上げた僕の目の前で、新山日奈は僅かに微笑を浮かべていた。
「良く分かったね」
「まあ、何とかね」
謙遜ではない。実際、途中経過は酷過ぎた。
「ここに来るまでの道のり、聞いてもいい?」
「勿論さ。大変だったんだから」
聞いてくれなくても聞かせるつもりだった。
僕はその経緯を説明し始めた。
「まず、君はとてもあやふやな告白をして僕を翻弄した。そうすることで僕が自主的に君の友人関係を調べるよう誘導したんだ。それは僕がいずれ原田未来と望月千鶴に行きつくための道標だった」
「ええ、そのとおりよ」
「からかわれているのかもと思いつつ、姿を見せない誰かの手掛かりを追うために、僕は君を追いかけた。この数日間、夢に出てくるくらい、僕は君のことを考え続けた」
「夢に見たんだ……」
新山日奈の細い眉がピクリと動いたのに僕は気付いた。
いけない。ちょっとキモイことを言ってしまった。
なんだか心の中で距離を取られてしまったような気がして、慌てて言い繕っておいた。
「いやいや、その、チラッとだけね。まあ、それで僕はまず先に原田未来の存在に気が付いた。幼馴染の登場に、僕はすぐに飛びついた。まあ、そこに至るまでに色々あったけど、とにかく僕はようやく幼馴染と対面して、滅茶苦茶恥ずかしいことを尋ねたわけだ」
「僕のことが好きなんだろとか?」
「そこまでナルシストな感じじゃなかったと思うけど、まあ、そんな感じだったかな……あっ、もしかしてその辺りも織り込み済みだったのか?」
「へへへへ」
いまのは肯定と見た。新山日奈はこっちでも確信犯だった。
「でも富樫君のこと見違えたって言ってたよ」
「それ聞いた。そんで新山さんに好きなのかって訊かれたって」
「まあ、ちょっと気になってね。その時未来はこう言ったんだ。If I had to say it, I like him.って」
流暢な英語文が彼女の口から流れ出た。僕は何を言っているのか勿論理解できなかった。
「ごめん。分からなかったね。未来はこう言ったの。強いて言うなら好きかなって」
「それって、どうでもいいってレベルじゃない?」
「そうね。でも、それも二人の久しぶりの再会にとって、いい演出だったんじゃないの?」
「やっぱり、狙ってたんだな」
そうだと思った。新山日奈はたったあれだけのメッセージの中に、爆弾をパンパンに詰め込んでいたのだ。
「どう再会するかのお膳立てまでしてたんだな」
「あの子、気付いてくれないって愚痴ってたから、それで……」
お陰でこっちは生まれて初めて、あんな恥ずかしい確認をさせられた。
それだけではない。原田未来となかなか会えなかったせいで、おかしな妄想に憑りつかれて、眠れぬ一夜を過ごす羽目になった。
まあそれはここでは伏せておくことにしよう。
「まあ、それから僕は原田未来と話せたことで、探していた相手が彼女ではなかったことを知った。そして、自分が見落としていたものにやっと気付いたんだ。本当はもっと早くに気付くべきだった」
「兼部していたことね」
「君は写真部の廃部を免れようと精力的に動いていた。原田未来のひと言がなければ、きっと僕はそのことに気が付かなかったと思う」
「未来は何て言ったの?」
「君は忙しい。そう言ったんだ」
「それだけ?」
僕は彼女が聞き返してくれたことを大いに歓迎した。
何もかも見透かしていたような彼女の方から訊いてくるというのは、ちょっとした快感だった。
「仮入部の期間が終わったのに、君はあちこちの部活に顔を出して話をしていた。あの時期にバタバタするとすれば、新入生の獲得が出来なかった部が、兼部できる生徒を探している可能性が高い。ESS部の原田未来は君が駆けまわっている時に僕と普通に帰っていたよ。つまり彼女は当事者じゃなかった」
「それで私の兼部を確信したのね」
「そういうこと。そして昨年度の写真部の名簿の中に君の名を見つけた。そしてもう一人の部員の名も」
ここまでの経緯を話し終え、僕は一度頭の中を整理する。
そして僕は、あの告白から始まった僕たちのエンディングを綴った。
「君はたった一人で部員勧誘に周っていた。名簿にもう一人の部員が載っていたのにも拘らずだ。別々に行動している可能性も考えたけれど、僕にはもう一つ、彼女がここに存在していないと思える理由があったんだ」
「それはなに?」
「『ずっと前から好きだった』それと『って、言ってたよ』と君が言っていたのは二つとも過去形だった。ESS部の君だから時制を曖昧にしなかったんじゃないかい?」
「意識はしてないけれど、富樫君の言うとおりだと思う」
「意図せずとも君は過去のことを語っていた。几帳面な君の口から出た言葉だったからこそ、もうこの学校に彼女はいないのだと僕は結論付けたんだ。だから僕は先生に望月千鶴のことを直接聞かず、新学期を迎える前に転校した生徒がいないか尋ねたんだ」
「……」
「先生はその名前を教えてくれたよ。いつもカメラを持ち歩いていた子だったって」
こうして、僕は答え合わせをほぼ終えることができた。
だがしかし、僕には依然、解けていない謎が一つ残っていた。
「『ずっと前から好きだった』君はそう言ったね」
「うん」
「君の言葉どおりならそれは何時のことなんだい? 僕には彼女の記憶がまるでないんだ」
「憶えてないの?」
新山日奈は、がっかりしたような顔でため息をひとつついた。
彼女の落胆ぶりを目にして、少しは上がった僕に対する評価が、またぐんと下がったことを僕は感じ取った。
「この部屋に来てくれたんで、てっきり分かっているんだと思ってた」
「この部屋に?」
「あれだよ」
新山日奈は僕の背後を指さした。
そこには何枚かの額があり、そのどれもにモノクロの写真が飾られていた。
僕は席を立って、新山日奈の指さした写真と向き合う。
そこにはバットを手に、背中を丸めてうずくまる高校球児が写っていた。
「見覚えがある。たしか……」
「ローカルだけど、去年のコンクールで銀賞を獲ったの」
額の下には、感動の一枚コンクール銀賞、望月千鶴と書かれていた。
「夏の高校野球の予選、最後の試合で三振した野球部のキャプテンを撮った写真なの。あの子が夢中でシャッターを切った一枚よ」
「うん。そうだ見覚えがある。掲示板に張り出されていた」
「夏に写真部の部員が撮った渾身の一枚を一人一人掲示して、生徒たちの意見を募ったの。でもみんなあまり関心を示してくれなかったわ」
確かにそうだったかもしれない。あの時、僕は気まぐれで足を止めて、この写真を見続けた記憶があった。
「憶えていないだろうけど、彼女は掲示板の前に佇むあなたに意見を聞いたの。どうですかって」
「その時僕は何と答えたのかな?」
「とても素敵だって、そう言ってくれたんだって」
いつの間にか並んで写真を見上げていた彼女が、僕に微笑みかけてくれていた。
「あの言葉に背中を押してもらって、千鶴はこの写真をコンクールに出した。そして賞を貰ったんだ」
「そうだったんだね。おめでとうを言いたかったな」
「うん」
そのまま僕は、かつて見た美しい写真を特別な気持ちで見つめていた。
新山日奈も僕の隣で、去って行った友人の撮った写真を眺めている。
しばらく写真を眺めていると、僕の中にもう一つだけ小さな疑問があることに気付いた。
「一つ聞いていいかい?」
「うん」
「どうして君は、もうここにいない望月千鶴の言葉をわざわざ今になって僕に伝えたんだい?」
「さあね。当ててみて」
「またかい?」
これではあの時の再現だ。僕は苦笑しか出なかった。
「あなたなら分かるんじゃない? 名探偵さん」
「そうだね……」
名探偵とは、迷探偵の方かな? ちょっとそこが引っ掛かったけれど、僕は目を閉じて、ゆっくりと最後の思考の海に沈んでいった。
そしてまたしばらくして、僕はゆっくりと浮上してきた。
「そうか、この写真だね」
彼女の眉がピクリと動いたのを僕は見逃さなかった。
「望月千鶴はこの写真が銀賞を獲ったことを、写真を褒めてくれた男子生徒に知って欲しかった。銀賞を獲った写真は、学校を入ってすぐの展示棚にしばらく展示されていたはずだけど、そのことに僕が気付いているか確かめることができないまま、彼女は転校していった」
「……」
「そしてこの春、君はESS部で原田未来から気の付かない幼馴染のことを聞かされた。それが富樫幹也だと知った君は、僕に二人の存在を探させることを思いついた。そしてあの幼馴染と並行して望月千鶴を探し当てさせ、彼女が残していったこの写真を意図的に見せた。つまり、全てはこの銀賞を獲った写真に辿りつかせるためだったんだね」
僕は新山日奈の様子を窺った。すると、彼女はにこりと口元に笑みを浮かべた。
どうやら僕は、今度こそ彼女の期待に応えられたようだ。
「そのとおりよ。今向かい合っているこの写真のことを、あなたに知ってもらいたかったの。あの子がそう望んだように」
そして、新山日奈は懐かしいものに触れるかのように、写真に指を伸ばした。
「あのとき写真の前で足を止めて、素敵だと言ってくれた男子生徒に、彼女はこう伝えたかったんだ」
そして僕は、ここにいない少女からの心のこもったメッセージを、新山日奈から受け取った。
「君は写真を見る目があったんだよって」
こうして、全ての答え合わせが終わった。
新山日奈のひと言から始まった小さな事件簿は、こうして幕を閉じた。
いつしか部室には、目を細めてしまうくらいの眩しい夕日が射し込んでいて、写真を前に佇む二人の影を長く伸ばしていた。
「部員、集まった?」
唐突に僕が聞くと、彼女は小さく首を横に振った。
「ううん。でも頑張る」
そして僕は隣にいる彼女に用意していた言葉を告げる。
「僕も手伝うよ」
「ホント? ありがとう」
「あと一人だよね」
新山日奈は驚いたような顔を僕に向ける。
きっと僕は正解を見つけた。
「君のそんな顔が見たかった」
僕がそう言うと、彼女は嬉しそうに目を細めて笑ってくれた。
――完――




