第15話 僕は推理を諦める
僕の名を呼んだ少女は、呆気にとられたままの表情で僕を見つめていた。
僕は彼女を知っていた。
遠い昔によく遊んだ友達で、学校できっと何度もすれ違ったことのある同級生。
「未来ちゃん……」
名前を呼んだと同時に、その面影から、子供の頃の原田未来を僕は鮮明に思い出していた。
そうだ。あの頃の君は三つ編みだった。
「覚えててくれたの? 私のこと」
「うん。でも今やっと君だって分かった」
僕はまた思い違いをしていた。
入院していたのは彼女ではなかったのだ。
「でも、どうしてここに幹也君が?」
「恥ずかしながら、大きな勘違いをしていたみたいでさ、やっと気付いたんだ」
そう、僕は最初から大きな勘違いをしていた。
意を決してインターフォンのボタンを押したときに対応したのは、原田未来の父親では無かったのだ。
そう、応対したのは原田未来の祖父だったのだ。
こちらからは当然インターフォン越しの相手の顔を確認しようがない。そして、雨が降り始めてレンズが濡れていたせいで、モニターに映る僕を相手は確認し辛かったのではなかろうか。
孫娘の幼馴染であることに気付かず、セールスか勧誘の類であると思った彼は、不躾な訪問者を適当に追い払った。そのせいでインターフォン越しに会話をした二人は、お互いに誤解したままとなった。
僕はもっと早く気付くべきだったのだ。
母は僕に原田未来が引っ越したあとも祖父母があの家に住んでいたといった。つまり、あの家は祖父母の家であり、戻ってきた原田未来の両親は祖父母にとって息子であり娘なのだ。
そう考えれば全ての辻褄が合う。インターフォン越しに聞いた声が祖父の声ならば、娘が入院していると聞かされたのはつまり、原田未来の母のことだったのだ。
彼はひと言も、未来の名を出さなかったし孫とも言わなかった。僕の先入観が生み出したシナリオだったわけだ。
そしてもう一つ、ここの病院の名前を教えてくれたお婆さんとのやりとりも、同じ勘違いによる齟齬があった。
お婆さんは二人が見舞いに行ったと言っただけなのに、僕は勝手に両親が原田未来の見舞いに行ったのだと錯覚していた。ただならぬ様子で娘さんの入院先を教えて欲しいと頼んだ少年に、おばあさんが不思議そうな顔を見せたのは自然な反応だったのだ。
原田未来の同級生が、どうしてそんなに母親の見舞いに行きたがるのか、彼女は理解できなかったに違いない。
僕の推理は本当に的外れで、出鱈目過ぎた。
こんな健康的なショートカットの少女が、病床に臥せっているに違いないと勘違いしていたのだ。
おまけに、あの告白を深読みし、ゾッとするような解釈をして、一人ブルブル震えていたのだ。
呆れた迷探偵だ。金輪際余計な想像をすることを控えた方がいい。
それから、通路で立ち話も何なので、僕たちは自販機のあるコーナーへ行ってジュース片手にベンチに並んで座った。
「元気そうで良かった。学校休んでたみたいだから心配したよ」
「ああ、お母さんがね、あれにかかっちゃって、それで私も」
「あれって?」
「あれよ。あの新型ウイルス」
「ああ、あれか」
ここ一年半程前から流行り出した肺炎ウイルスで、濃厚接触者は自宅から出てはいけない決まりになっている。
「まあ家族はみんな陰性だったんだけどね。私たちは今日でやっと外出していい許可が出たの。お母さんは凄い熱とか出ちゃって、まだここで入院してるのよ」
「大丈夫なの?」
「うん。もう熱も下がったし、大丈夫そう。もうしばらくしたら家に帰ってくるみたい。今日は着替えとか身の回りの物を持ってきたの」
これでゴールデンウイーク明けから学校に来ていなかった理由も分かった。
「明日から学校には行くつもり。ね、球技大会どうだった?」
「ああ、三組の優勝。うちは二位だった」
「じゃあ四組は最下位?」
「鋭いね。正解だよ」
「やっぱ、私がいないと駄目かー」
軽く冗談を交えながら懐かしい幼馴染と同じ時間を過ごしている。
僕をここまで連れてきたあの告白の真相を、僕は聞こうとしなかった。
今、その話題は無粋に違いない。
元気な彼女の顔を見れただけで今日は十分だった。




