曙山脈の樫の森のサルヴァンに送る手記(上)
夕焼けが、空をあざやかな緋色に染めていた。〈中央山脈〉の峰々が金色に輝き、東へ長い影をのばすころ、一羽の若いワタリガラスが夕空を西へよこぎった。
二羽のカラスが警告の叫び声をあげながら、その後を追いかける。若カラスが子育て中のつがいのなわばりに、うっかり入りこんでしまったのだ。怒りに燃える夫婦が交互に侵入者の背を蹴り尾をついばむたびに、黒い羽毛がぱっと散った。
ギャアッ、ギャアッ!
若カラスがひときわ高い樅の梢をこえ、急降下して茂みに逃げこむと、夫婦は勝鬨をあげた。しばらく上空を旋回して邪魔者が戻ってこないことを確認すると、つがいはやかましく喚きながら子ども達の待つ巣へと戻っていった。
「ぺっぺっ!」
「だから言ったでしょう。碌なことにならないって」
羊歯の茂みをかき分けて現れたのは、オリーブ色の肌に砂色の髪と髭、とがった耳とつり上がった琥珀色の眸をもつコリガン(森の妖精)だ。とびこんだ拍子に木の枝にひっかけたのか、上衣の袖のほつれ具合を気にしている。彼は周囲をみまわし、サンザシの根元に落ちていた赤い帽子を拾ってかぶりなおすと、ぼやく連れをじろりとにらみつけた。
連れは人間族の若い男だ。褐色の毛織の外衣を銀の留め具でとめ、房飾りのついた革靴を履いている。浅黒い肌にさらさらの黒髪、女性と見まごう華奢な体と整った顔立ちは優美だが、コリガンに言わせれば「顔が白すぎるし、髭も生えていないとは何事じゃ」。ちなみに、コリガンの顎には立派な髭が生えている。
青年は頭にかぶった蜘蛛の巣をはらい、脚衣についた小枝と木の葉をおとすと、樅の枝ごしに空をあおいだ。カラスの夫婦が本当に去ったか確かめているのだ。
コリガンは、おもむろに懐から羊皮紙をとりだすと、腰に吊るした墨壺にセキレイの羽根ペンを浸けて記し始めた。
「何を書いているんです?」
「今日あった出来事を記録しているのじゃ。サルヴァン様に報告しなければならぬからな」
「そうですか……。暗くなる前に食事にしましょうよ」
コリガンはサンザシの木の根に腰をおろし、知らぬ顔で文章を考えている。青年は肩をすくめると、薪にする木の枝を探しに行った。
◇◆◇
新暦千五百三十二年、柳の月の八日
〈曙山脈〉樫の森のサルヴァンさまより、〈夕星山脈〉が〈隠し野〉の調査を仰せつかった。かの地には、いにしえの王国の遺跡があり、われらの遠い親戚にあたる種族が暮らしている。サルヴァンさまの命令は、かの地に眠る地母神の騎士の伝説を確かめよというものだ。
われボルトの同行者は、レイヴンと名乗る魔術師、サルヴァンさまの百五番目の弟子だ。これが甚だ役に立たない。ワタリガラスに変身できるというので背に乗ったが、全く乗り心地がよろしくない。揺さぶられて、われは吐きそうになった。次は、雁か鷹にしていただこう。…………
*
「ひどいなあ。そもそもカラスは人を乗せて飛ぶようには出来ていませんよ。乗り心地を求めるなら、サルヴァンさまに仔馬を借りればよかったではないですか」
薪を集めてきたレイヴンは火を熾し、豆と干し肉のスープを作った。小麦粉にベリーと蜂蜜と山羊のバターをねりこんで二度焼きしたパンもある。ささやかな夕食を口に運びながら、小人はふんと鼻を鳴らした。
「それで何処を行く? 北街道か? きさま、〈中央山脈〉がどれだけ広いか知っておるのか。われらが地上を歩けば、辿り着くのに一年はかかるわい」
「妖精の道を使えばよいではないですか」
「妖精の道は、もう何百年も前に山脈の途中でとだえておる。北方民の街に遮られているのじゃ。妖精馬で〈夕星山脈〉へ行くのは無理だ」
ボルトはぎょろりと目を回し、耳の先をぴくぴく動かしてレイヴンを睨みつけた。
「サルヴァンさまは、此度の調査を、きさまの魔術修業をかねて命じられたのじゃ。つべこべ言わずに飛べ」
「は~い」
やぶへびだったと思いながら、レイヴンはスープを食べ、外衣を体に巻きつけて眠りに就いた。
◇◆◇
新暦千五百三十二年、柳の月の十日
〈中央山脈〉はその名のとおり大陸の中央を東西に走っている。深い森におおわれ、数多の湖と〈森の民〉と〈山の民〉の里、ドラゴンの巣、塩の山、〈大地の民〉の自治領などが含まれている。数本の川が流れでて南へ下り、合流して銀流川となっている。山脈の南東にダルジェン大公領があり、南西に北方民の聖王のすまう都がある。王都ケンペールは銀流川の中州にある。
われを乗せたレイヴンは、他のカラスを刺激せぬよう、山々のはるか上空を飛んで行った。谷間を流れる川と黄金の麦畑、〈大きな人〉族の村々を眺めながら。…………
*
グワッ、クワアアッ!
「見えるか? あれが王都。〈五公国〉の中心じゃ」
クエッ、クエッ!
「いかにも大きいし、人も多く住んでおる。貴様のすむアイホルム大公領がいかに辺境か分かるというもの」
カアッ、カアアッ!
「なに? 寄り道したい? ちょっと待て。サルヴァンさまは次の満月までに騎士の洞窟にたどりつけと――。こら、またぬか!」
カラスは大きくひと羽ばたきすると翼をひろげ、滑空に入った。ぐんと速さを増した風に慌て、ボルトが帽子をおさえる。若カラスは山の麓をおおう松林の上を滑りおり、都ぜんたいが見晴らせる一本の松の枝に舞いおりた。
レイヴンはボルトを枝におろすと人型に戻り、松の幹に片手を当てて背を伸ばした。山々にぐるっと三方を囲まれた谷を、銀流川が流れている。川は南へ向かって幅をひろげ、枝分かれした中心に街を抱いていた。
〈五公国〉の王都ケンペール(二本の流れの合流点、の意)は、堅牢な石の防壁と川のながれに守られている。石づくりの橋が東西から中洲にかかり、街道と王都をつないでいる。南街道だ。ロバのひく荷車が車輪をきしませながら橋を渡り、商人達が行き交う。橋の上で、花や干魚を売っている者がいる。人々の賑わいの上にそびえる王城は、きらきら光る青銅の甍で屋根を葺いた美しい尖塔を幾つも従えていた。
王都のさらに南方、川の行き着く先をながめたレイヴンは、興奮気味に叫んだ。
「海だ!」
「内海じゃよ」
鏡のごとく凪いだ青い水面に、緑の小島が浮いていた。羽を休める渡り鳥の群れのように、漁師の小舟が集まっている。
ボルトはどっこいせ、と枝に腰掛け、煙管をくわえた。レイヴンは連れを振り向いた。
「内海?」
「そうじゃ。数万年前、ここは陸地の西の端であった。地震で海底が隆起して〈夕星山脈〉となり、内海をつくった。同じころに〈中央山脈〉も出来たと言われておる」
ボルトは長い毛の生えた眉をうごかして若者の反応をみた。
「われらコリガンや竜や〈山の民〉は、当時からこの地で暮らしていた。〈夕星山脈〉のさらに西から、海をわたって〈白き人々〉がやってきた……魔法を使い、長命を保つ〈よき人々〉じゃ。その後、東から陸伝いにきさまら〈大地の民〉がやってきた。〈白き人々〉はわれらとも〈大地の民〉とも誼を通じ、王国は大いに栄えた。しかし、やがて国は滅びた……われらを遺して」
「何故です?」
素朴な問いだったが、ボルトはゆっくりかぶりをふった。
「国が滅びる理由は、ひとつではなかろう。戦だったかもしれず、疫病や飢饉、その全てであったかもしれぬ……。人々は各地に散り、地にもぐったり荒野に住んだりして生き延びた。サルヴァンさまはその子孫じゃ。西の王国が滅びたのち、われらの時代となった。〈大地の民〉は部族ごとに国を築き、われらは地底に棲みかをうつした。最後にやって来たのが北方民じゃ。今、あそこに街を建てておる」
ボルトは長い煙管をふって中洲を示した。
「きゃつらは北の海をこえて来たという。姿は〈白き人々〉に似ているが、在りようは異なるな……。きゃつらは戦争を起こしてわれらから土地を奪い、森を伐り拓き、山を崩して畑をつくった。川に堤防を築いて流れを変え、石畳の道を敷いている。妖精の道は断たれ、われらは住みにくくなる一方だ」
ボルトは不満げにうなって煙を吐きだした。レイヴンは眉をひそめて王城を眺めた。
「天空神と地母神は寛大なり。北方民の生すら尊び、めぐみを授けている。だが、きゃつらは戦好きだ。そのうち騒動を起こすかもしれぬな」
自分が産まれるよりはるか昔の物語を、レイヴンは神妙に聴いていた。顔をあげ、連れに声をかけた。
「わたし、ちょっと街へ行ってきます。日暮れまでには帰りますから、ここで待っていてください」
「なに? 待て、レイヴン。われを降ろしてから行け。おい!」
ボルトは焦って叫んだが、青年はさっとカラスに変身すると、ケンペールへ飛んで行った。ボルトは松の枝の上で拳を振っていたが、やがて諦めて坐りこんだ。
◇◆◇
………サルヴァンさまの弟子が聞いてあきれる、とんだ出来損ないだと思っていたが。レイヴンは、王都で鹿肉のローストと猪の腸詰と、上等の蜂蜜酒を手に入れて来た。美味かったので、勘弁してやろう。
~(中)へ~