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ALO 〜Another Life Online〜  作者: 岡宮文良
第1章:ブルームシティ
1/7

1-1.逃亡ぼっち

初投稿です。

不定期です。

 警察からの電話で家族4人の訃報を知ったのは、確か、訪問先の医大近くの豚カツ屋で主任の立花さんと一緒に昼食を食べてる最中だった。

 あまりに現実離れした内容で周囲の雑音が一斉に聞こえなくなって、その後の事はよく覚えていない。

 豚カツ屋でちゃんと金を払ったのか、食い掛けの定食をどうしたのか、どうやって移動したのか。

 気が付いたら俺は立花さんと一緒に何処かの警察署で変わり果てた家族と面会していた。


 俺達家族は俺を含めて、お袋と義姉の美園、義妹の美佐枝、義父の5人家族だった。

 俺が14の時に実の親父が癌になり、その闘病中にお袋と義父が不倫関係になった。

 親父はお袋の不倫に気付かないまま、俺が16になって直ぐに亡くなり、その後、お袋が美佐枝を妊娠して不倫相手だった義父と結婚した。

 美園は義父の連れ子で、実の母親は既に病死していた。

 俺とお袋、そして新しい家族との折り合いは酷く悪く、親父を裏切ってのうのうと新しい男と子供を作って結婚したお袋を俺は公然と売女呼ばわりし、義父の事は間男、卑怯者とこき下ろした。

 義父は何とか俺との関係を改善しようとしていたが、お袋と再婚後1年が経つ頃には俺との接触は出来る限り避けるようになっていた。


 俺は大学進学と共に家を出て、一人暮らしを始めた。

 毎日のバイトと奨学金で学費と生活費をなんとか賄い、家からの連絡は徹底的に拒否したが、年に数回、お袋が幼い美佐枝を連れて一人暮らしのアパートにやってきて、食料品やら金やらを勝手に置いていった。

 美佐枝は何故か俺にとても懐き、俺が一人暮らしを始めた時も、年に数回お袋と一緒にアパートに来た時も、別れの時間になると俺の腕を掴んで離れたくないと酷く泣き、癇癪を起こして暴れた。

 今にして思えば、お袋が美佐枝を連れてくるようになったのは、俺と一対一で会うのを避けるためだったんだろう。

 一度、1人で俺に会いに来たお袋を罵倒して荷物や金をぶち撒けて以降、必ず美佐枝が一緒に来るようになった。

 美佐枝が居ると俺から売女だなんだと罵倒されないと学んだのだろう。

 幼い娘を盾にする腐った醜い中年ババァを俺は毛嫌いし続け、罵倒し続け、無視し続けた。

 俺がお袋を嫌い、罵倒し、無視すればするほど、美佐枝は俺に甘え、離れなかった。

 もしかしたら、小さいながらもとっくに壊れた家族の関係を何とか修復しようとしていたのかも知れないが、今となってはもう分からない。

 お袋と美佐枝の年に数回の訪問は、俺が大学を卒業するまで続いたが、俺が就職して引っ越してからはなくなった。

 いつも来るたびに申し訳無さそうに俯き、俺と目を合わせることを酷く恐れていたお袋の顔を最後に真面に見たのはいつだったろうか。


 義父の連れ子だった美園は俺の2つ上で、とても勝気な気質のきつく吊り上がった大きな瞳の美人だった。

 俺とは早々に関係が悪化し、お袋の再婚後一月も経たぬ間に一切口をきかなくなった。

 俺が一人暮らしを始め、このまま永劫に顔を合わせる事も無いだろうと思っていたが、俺が大学4年のある日、いきなりアパートにやってきた。

 良い人が出来て結婚する予定だという事だった。

 俺には関係無いと玄関ドアを閉めたのだが、家族として祝福して欲しいとか両親を許して欲しいとか何とか喚いていた。

 その後も何度かアパートに来たが、毎度会わないまま早々に帰ってもらい、話をするようなことは無かった。


 義父は所謂投資家というやつだったようでエラく金持ちだった。

 駅前に何棟かデカいマンションや商業ビル、駐車場を所有しており、普段はよく分からないチャートを見ながら株やら何やらの取引をしていた。

 親父が癌になった頃、お袋は義父の所有する会社でパート従業員として働いていて、気付けば義父と不倫関係になっていた。

 奴等は闘病中の親父を嘲笑うかのように逢瀬を重ね、親父が亡くなったらアッサリと子供を作り再婚した。

 再婚後、お袋は専業主婦の傍ら、義父の手伝いをしていたようだ。

 義父は俺に跡を継いで欲しいような事を最初吐かしてたが、自身を蛇蝎の如く忌み嫌い、隙あらば殺しかねないばかりに殴りかかってくる義理の息子との関係構築を早々に諦めたらしく、家に俺が居ると露骨に嫌がるようになり、帰宅がどんどん遅くなった。

 親父の闘病生活中の入院費に俺やお袋の生活費はコイツの懐から出ていたようで、そう思うと身の毛がよだつばかりに自分の事が卑しく、汚い存在に思えて仕方無かった。

 正直に言って、死んでくれて良かったし、心底清々した。


 10月の連休を利用した家族旅行の帰りの事故だった。

 美園の結婚を11月に控えた嫁入り前最後の親子水要らずの旅行という事で、アパートの電話に何度か参加を促す形だけの留守電が残されていたが、俺は参加しなかった。

 実家近くのインターで高速道路から降りようとした義父の車に、強引に割り込み車線変更しようとしたトレーラー車がバランスを崩して右後方から突っ込んだらしい。


 安置所に置かれた4人の遺体は黒っぽい袋に入れられていて、酷く歪な形をしていた。

 どれもひかれる側から引火したガソリンで焼かれ、真っ黒でぐちゃぐちゃで本当に酷い状態だった。

 特に運転席の後部座席に座っていたらしい美佐枝は、右後方から突っ込んできたトレーラーに潰されてペシャンコになって更に焼けたらしく、言われなければそれが人間の遺体だとは分からないほどに激しく損壊していた。

 奇妙に折れ曲がったグチャグチャの遺体は全く現実味が無く、遺体と面会しても涙はこれっぽっちも出なかった。

 お袋と義父だと言われた黒焦げの遺体を見ても少しも悲しいとは思わず、心の奥底に浮かんだ暗い笑みを決して表にはすまいと俺は無表情を貫いた。

 ただ、一番小さくて激しく損壊したぐちゃぐちゃの黒い塊が美佐枝の遺体だと知った時、凄まじい吐き気を催し、俺は盛大に嘔吐した。


 事故を起こしたトレーラーの運転手は、家族同様に事故の時に死んだそうだ。


 それからは会社を休んで、葬儀社を決めて遺体を引き取り、葬儀を行い、遺品の整理やら何やらを何日も費やしてやった。

 不思議な事に全く眠くならず、疲れもしなかった。

 淡々とタスクリストを作成して、それをこなしていった。


 葬儀に際して、最早手の施しようが無く、遺体のエンバーミングはしなかった。

 誰にも知らせずに1人で葬儀を行って荼毘に伏して、何処ぞの共同墓地に遺骨を納骨した。

 何日か後になって美園の元婚約者が実家までやってきて、何故最後のお別れをさせてくれなかったとか泣いて喚いたが、ドアを閉め切って会わないようにした。

 その他にも何人かが実家を訪ねてきたが、全部無視した。

 何もかもが面倒臭かったし、あっという間に時間が流れていった。


 葬式後、俺は会社を辞め、義父の遺産を全て相続した。

 義父が保持していた不動産等の資産は、全部付き合いのあった弁護士に一任して売りに出した。

 コレらは直ぐに引き取り手が見つかり、自宅を除いて全て売却した。

 有価証券や銀行口座等も全て確認して、相続手続をして、現金化出来るものは全て現金化して銀行口座に預けた。


 一通り、葬式やら遺品、遺産の整理や退職やら一人暮らししていたアパートの退去やら何やらを済ませたら、それから俺は魂が抜けたようになり、実家に引きこもるようになった。

 特に何をするでもなくダイニングの椅子に座りボーッとして、気が付いたら夜になっていて、でも眠たくはなかった。

 そして、もうそろそろ春を迎えそうなある日、俺はリビングでぶっ倒れた。


 目を覚ますと、見覚えのない病室で俺は点滴を受けていた。

 辺りを見回していると看護婦がやってきて、点滴がおわるまでまだじっとしているようにと言われた。

 どうやら俺は、偶々俺を心配して実家を訪ねてきた立花さんによって倒れているところを発見されたらしい。

 極度の疲労と脱水、栄養失調、そして鬱病だった。

 考えてみれば、事件以降、真面に寝たことなんて無かったし、食事も殆ど取ってなかった。

 俺はそのまま入院し、5月下旬に退院した。

 入院期間中、水曜日と土曜日の週2日で立花さんがお見舞いに来てくれた。

 立花さんの見舞いはとても有り難かったが、こんな鬱の壊れた男の世話なんて、立花さんに申し訳無く、何度ももう来ないでくれと伝えたが、結局、退院するまでお見舞いに来てくれた。


 入院期間中に幾つか、自分が壊れてしまったんだなという点に気付いた。


 先ず、人が無価値になった。

 上辺では平気な顔して他人と話し、如何にも相手の喜びそうな事を言うが、実際には他人への興味が完全に無くなり、無価値になった。

 多分、目の前で人が死んでも何とも思わないくらいに。

 無価値な他人と関わるのは煩わしく、ひたすら面倒に感じるようになった。


 次に車。

 車を見たら、それがセダンだろうがダンプカーだろうが関係無く、兎に角車を見たら吐き気が込み上げてきて場所が何処だろうが吐きまくってしまうようになった。


 最後は子供。

 他人への興味を失った反面、美佐枝くらいの歳の子が泣いてたりするシーンを目にすると、自分でも自覚出来るほど理不尽に暴力衝動が強く出てしまい、抑えきれずに暴れてしまう。


 要するに、俺は社会と接点を持つとヤバい奴に堕ちてしまった。


 退院した俺は、ありとあらゆるしがらみが嫌になり、実家を売りに出して、代わりに田舎の一軒家を買って誰にも言わずにそこに引っ越す事にした。


 新しい家の条件は4つ。


 1.ネットスーパーが利用可能な事

 2.周りにあまり住民が居ない事

 3.ランニングマシーンなど筋トレ用器具の設置が可能な広くて天井の高い部屋がある事

 4.ベランダからの見晴らしが良い事


 新しい家はすぐ見つかり、軽いリフォームやら清掃をした後、9月の下旬にそちらに引っ越した。

 実家は10月には直ぐに客がついて売れた。


 引越しに際して、立花さんにだけはメールを送信して、送信した後にそのメールアドレスは削除した。


 立花さん

 今迄、色々と有難うございました。

 もうこれ以上お世話になる事は出来ないので、何処か別の場所で自分で生きて行きます。

 本当に、有難うございました。

 お世話になりました。

 感謝しています。

 いつまでもお元気で。

 さようなら。

 土岐蔵人

読みづらいなぁ…

どうすりゃ読みやすくなるか。

_:(´ཀ`」 ∠):

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