表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ジャンガリアンハムスターの挨拶

作者: 青柳伝草

「ジャンガリアンハムスターの挨拶」

                    青柳伝草


 広大な緑と青い海に囲まれた世界、アッセンブルエックス。

 雄大な自然の中で、人間はごく少なく、小さな存在だった。その中で、人間はひっそりと暮らしていればよかったのだ。

「なかなか上手くいかないものだな」

 豊かな金髪をなびかせた、真っ白な肌、蒼い瞳の青年、セーマ・ドーマが呟いた。

 十本の短い足と四本の鋭い角、鎧のような強固な甲羅を持つタングローに跨り、視察していた小さな土地バナナントから、司令部のあるファスシネイ城に急いでいた。

「セーマ総督、困ったことになりましたね」

 セーマ・ドーマと同じくタングローに跨り、並走するハンドリー上院議員は呟くように頷いた。

 ハンドリー上院議員は、セーマ・ドーマと対照的に、深い黒色の髪と瞳を持っていた。セーマ・ドーマが、やや大げさな困り顔なのに対し、ハンドリー上院議員は無表情だった。

 たった二人で、森の中の道を急いでいた。本来、総督であれば、大勢の護衛を連れているべきであるが、急なこと故、腹心之臣のハンドリー上院議員だけを連れて来た。

 それにセーマ・ドーマには自信があった。何者に出くわしても、まあ、なんとかなるだろう。

「繰り返しになるが、我がチュカテ派の人間がゴンヌー派の領地に侵攻したのは確かなのか? 何故?」

「私の元に届いた情報は、セーマ総督に届いたものと同じです。それ以外の情報は、なにも分かりません」

「大方、ゴンヌー派の連中が挑発してきたのだろう」

 アッセンブルエックスは、今、チュカテ派とゴンヌー派に分断されている。かなり長い間だ。チュカテ派はトマッシュ皇太子こそ、正当な王位継承者だと主張し、総督のセーマ・ドーマが実質的なトップであった。

 対するゴンヌー派はカーマイン皇太子こそ王位継承者と主張し、トップはロジャー・リカルド・ディーキー総統である。

 セーマ・ドーマにとって難儀なのは、ゴンヌー派の方が、独裁色が強く軍隊が強固であることだ。

「ロジャーの考えそうなことだ」

 セーマ・ドーマは、困り顔で空を見上げた。空には夕焼けが広がっていた。美しい夕焼けだが、感傷に浸ることはない。愛すべき獣タングローは夜目が効くので、走破には問題ないが、暗くなれば、なにかと危険もある。

「ほんの少し前に、休戦条約を結んだばかりだというのに。あの条約にこぎつけるまで、苦労したんだぞ」

「こちらも、領土問題で譲歩せざる得ませんでしたね」

「領土自体は、まあいい。さほど重要でない土地で、どうにか誤魔化したからな。しかし、そこに至るまで、どれほ根回しに帆走したことか。実に面倒なことだ」

「帆走したのは、ほとんど私ですよ」

「そう言うな」

 突然、タングローが二頭とも足を止めた。

 セーマ・ドーマとハンドリーは、慌てて体を支えた。

 二頭のタングローは、しきりに周りを窺っているようだった。

 二人は、腰の剣に手を置いた。

「何かいるな」

「私には……分かりませんが……」

 ハンドリーは剣に手を置いたまま、タングローから飛び降りた。

 周囲を見渡しが、薄暗い森は静かだった。ハンドリーは、その静寂な森に目を凝らした。動きのあるものは何も見えない。

「上かな」

 セーマ・ドーマがタングローに跨ったまま、呟いた。

「え!」

 慌てて、顔を上げた。

 地獄の叫びのような咆哮が響いた。一瞬の事で、真っ黒の巨大な物体が、目前に迫ってくことしか分からなかった。

 とっさに体をかわし、その鋭いくちばしからは逃れることができたが、巨大な翼がハンドリーをなぎ倒した。

 ハンドリーは吹き飛び、剣を落としてしまった。

 空の支配者、翼竜のマリューだ。目の前にいるのは、まだ中型の部類だが、それでも人間には大きな脅威だ。

 マリューは、くるりと背を向けると、鞭のようにしなる強靭な尾が、再びハンドリーに襲い掛かった。

 ハンドリーは、とっさに身を屈めることで、致命的な一撃をかわすことが出来た。マリューは、そのま翼をはばたかせ上空に昇って行った。

「行きましたか?」

 ハンドリーは冷静な顔に戻り、立ち上がると衣服の汚れを掃った。

「いや。また来るだろう」

 セーマ・ドーマの言葉通り、空高く旋回し、再びこちらに戻ってきた。

「アースリングのパワーを使え」

「え……」

 ハンドリーは眉をひそめた。翼竜マリューは、迫っている。顔の前で、手をクロスに構えた。

「アースリング! パワー! アタック! ブースト」

 轟音と共に、強い衝撃が発せられ、マリューの体が跳ね飛ばされた。

「弱いな……」

 セーマ・ドーマが呟いた。

 その言葉通り、マリューは身を翻し、再び向かってきた。その瞳は怒りに燃えていた。

 セーマ・ドーマは、指を二本立てた。

「……アースリング。パワー。ブロック。サークル」

 マリューは、翼を荒々しくはばたかせ、突進してきたが、何も無いところで、壁にぶつかったように動きが止まった。

 耳をつんざく怒りの咆哮が響いたが、セーマ・ドーマは、落ち着いていた。

「……アースリング。パワー。アタック。サンダー」

 稲妻のような閃光が走り、マリューを貫いた。その胴体は、気が付いたら真っ二つに離れ離れになっていた。あまりに一瞬のことで、おそらく彼自身、その命終わったことに、気付けなったであろう。

「ふう。可哀想なことをした」

 セーマ・ドーマは、顔色も変えず、溜息をついた。ハンドリーは、尻もちをついていた。

「野生のマリューでしょうか?」

 ハンドリーは、土を掃いながら立ち上がった。

「このサイズのマリューが、単独で人を襲うだろうか。それに、普通より興奮状態に見えた」

「ということは……操られていましたか?」

「可能性は、ある。しかし、攻撃としては、あまりに安直」

 ハンドリーは、タングローに跨った。

「先を急ぎましょう」

「そうだな」

 二頭のタングローは、再び並んで走り出した。

「まだ、アースリングパワーが弱いな」

「そう言わないでください。私は官僚です。ソルジャーではないので」

「ソルジャーでもアースリングのパワーが使えるのは一部だけだ。そう考えると立派なものだ」

「貶してるんですか? 褒めてるんですか?」

「精進しろと言ってるんだよ」

 セーマ・ドーマは、笑みを浮かべた。ハンドリーは、不貞腐れるしかなかった。

 薄暗い森の中、二人を乗せたタングローは歩みを早めた。

 やがて、二人は無事にファスシネイ城に着いた。

 木造で六つの層を持つ巨大な城は、火を防ぐ為の黒い塗料で全て塗り固められ、黒の城を呼ばれていた。

 二人が城に入ると、直ぐに数人の家臣が集まってきた。

 真っ先に声をかけたのは、防衛卿のロンソンだった。黒い髪を短く垂らし、いつも困ったような顔をしていた。

「セーマ総督。道中、ご無事でしたか」

「ああ、何事もなかった。平穏平穏。いい散歩だったよ。途中、ちょっとマリューに襲われたけど」

「なんですと! お怪我はありませんか!」

「全然、大丈夫だ。いいトレーニングになったよ。久しぶりにアースリングパワーを使った。今夜は良く眠れそうだ」

「……よく眠れるなどと呑気な事は言ってられません。わがチュカテ派の軍がゴンヌー派の領地に侵攻した後、反撃に合い、撤退いたしました」

 セーマ・ドーマは歩みを止めず、ロンソンも歩きながら話す形になった。

「わが軍の損失は?」

「死傷者多数と聞いております」

「そうか。気の毒なことをした」

 セーマ・ドーマは、わずかに視線を落とした。

「ゴンヌー派も死傷者をだしております。しかも、まずいことに、休戦条約を破って侵攻したのは、こちら側です」

 セーマ・ドーマを中心とした一団は、広い城内を歩きながら、話を進めた。

「何故だ? 指揮系統が乱れているのか?」

「それも否めません。おそれながら、総督がソルジャー達を少々、自由にやらせ過ぎております」

「きついことを言うな。規律で窮屈にするのは嫌いなんだ。しかし、理由もなく血気だけで休戦を破るような者はいないはずだ」

「理由はあるようです。調べたところ、今回の戦いのあった近くの村で、前々より不審火が相次いでおりました」

「ゴンヌー派連中の放火か?」

「証拠はありません。ありませんが、誰もがそのように思っております」

「くだらん事をする」

「つい先日、セーマ総督が昔、村に寄進された寺院が全焼いたしまして、該当方面のソルジャー達の怒りが頂点に達し、今回の暴発的侵攻につながったようです」

「あのような寺院、ほおっておけばよいのに」

 やっと大広間に入ると、一段高い場所の座にセーマ・ドーマは腰を下した。続く一団も並んで腰を下した。

「面倒なことだな」

 セーマ・ドーマは頬杖を付いた。外はすっかり暗くなり、幾十のろうそくが、広い広間を照らした。

「ユハネ外務卿。ゴンヌー派からの反応は?」

「はい」

 一人の女性が頭を軽く下げた。蒼い髪と瞳で、精悍な顔つきをしていた。

「今のところ公的な連絡はいただいておりません。公的以外において、連絡も動きも何もありません。つまり、沈黙しています」

「気味が悪い」

「いずれは公式な抗議書簡が届くか、あるいは、報復攻撃もあり得ます」

 ユハネ外務卿は、平然と言ってのけた。分かっていたことではあるが、改めて言葉にされると、一同はざわめいた。セーマ・ドーマも溜息をついた。

「仕方ない。謝りに行くか」

「はい? なんと?」

 ロンソン防衛卿が、驚いて聞き返した。

「私が直接、ロジャー・リカルド・ディーキー総統に謝罪に行く」

「話が通じる相手であればいいのですが」

 ハンドリー上院議員が顔を曇らせた。ゴンヌー派を率いるロジャー・リカルド・ディーキー総統は呪術を操る、奇人との噂があった。

「毎晩、一人でこっそり城を抜け、荒野の中で瞑想しているという噂があります。常人ではないかもしれません」

「そうです。やはり、それは性急では」

 普段から困り顔のロンソン防衛卿が、増々困り顔になった。

「敵地に赴くのは危険過ぎます。命が危ないです。それに、命の危険はいいとしても……」

「命はいいのか」

「は。危険はいいとしても、こちらから頭を下げに行くのは、我がソルジャー達の急進派が納得しないでしょう」

「納得してくれないかなあ」

 セーマ・ドーマは頬をかいた。

「まずは書簡を送りましょう。こちらの言い分を伝えて。その後は、名代を送り、事によっては、相応の賠償手続きを」

「時間をかければ、それこそ、その間急進派が黙っていないかもしれないぞ」

「それは、総督が急進派を抑えていただかないと」

「結局は、私頼みではないか」

「総督ですから」

 セーマ・ドーマは苦笑いを浮かべた。ロンソン防衛卿はうろたえた。

「長引かせれば、事態は悪化するかもしれない。早く、ことを解決したいんだ。心配するな。平身低頭で謝りに行くわけではない。筋を通した話をする」

「しかし、やはり、御身が心配です」

「公式な会談だ。まさか、そこで暗殺することはないだろう。……もっともロジャー総統のことだから、何をしでかすか分からんが」

 ロンソン防衛卿の顔から血の気が失せた。

 ハンドリー上院議員が、身を乗り出した。

「セーマ総督。微力ではありますが、通常通り私が随行いたします」

「ああ、頼む。それから、ロンソン防衛卿も一緒にな」

「わ、私もですか?」

「防衛卿なのだから、当然だろ」

 ロンソン防衛卿は石のように固まった。


 薄暗くなり、街には明かりが灯りはじめた。背後から電車の通り過ぎる音が聞こえる

 野中頼光のなかよりみつは、ポケットに手を入れ、ざわめく街並みを眺めていた。

 大学の講義が終わった野中は、為永文乃ためながあやのを駅前で待っていた。為永の通う専門学校の授業の終わりは、野中より少し遅い。

 出会いは奇妙だった。

 ちょっとした広場程度の公園が大学の近くにあるのだが、そこに大きな岩のような石のようなものがある。表面はごつごつしているが、全体的にきれいな長方形で、地上に突き出ている部分だけで三メートルはあるだろうか。

 周囲に同じような石はなく、岩もなく、そこだけにポツンとあって、特異な存在感をはなっていた。地元の人間は、トジメ石と呼んでいる。

 何かの遺跡ではないか、何かの信仰の対象だったのではないか、否ただ自然に出来たものである、等々所説あるが、結局分かっていない。

 近年では、幽霊が出るなどという噂まである。

 その奇妙な石が、野中は何故か気になっていた。野中の家は、大学のすぐ近くで、同時にトジメ石もご近所だった。

 子供の頃は、幽霊話に惹かれていたこともあるが、ちょっとした寄り道で、よく見に来ていた。幽霊に遭遇したことは一度もないが、無邪気な子供時代を過ぎた今でも、たまに見に来ていた。

 一応、公園でもあるので、犬の散歩をしている人も多く、動物が好きな野中は、それを眺めているのも好きだった。

 ある日の大学の帰り、少し時間が早かったので、何気なしにトジメ石を見に来た。隣人に挨拶でもするような気持ちだろうか。

 珍しく先客がいた。

 一人の若い女性が、トジメ石の前に立っていた。豊かな黒髪と黒目で、鼻筋が通った、気の強そうな、それでいて、どこか儚げな娘だった。じっと石を見つめていた。

 野中の胸の奥でギュッとするものを感じた。気持ちがザワザワするようで、それと相反するような、不思議な安堵感のようなものを感じた。

「この石に興味がありますか?」

 気が付くと話かけていた。

 極端な人見知りではないものの、見ず知らずの女性に話しかけるなど、それまではあり得なかった。自分でも驚くほど、自然に言葉を発していた。

 女性は、ちょっと驚いたように振り向いた。一瞬戸惑った顔を見せたが、野中の顔を見つめ、何かを感じたようだった。

「……この石の由来を知ってますか?」

 そう言われて、今度は野中が戸惑った。さも物知り顔で話しかけたはいいが、トジメ石について、何も知らないのだから。

「いや、まあ、噂は、いろいろありますが、詳しくは知らないです」

「平安時代の話らしいですよ」

 女性は話始めた。

「このあたりで、神隠しがあったらしいんです。今で言うと行方不明ですね。何人も続けて。大昔のことですから、治安も悪いですし、最初は諦めていたんですよ。でも、あまりにも続くものですから、見過ごせなくなってきて。それで、当時は何と言ったか分かりませんが、今でいう警察みたいなものが動きだしたそうです。平安時代なんで、もう武士はいますから、武士も一緒に。それで、遺留品なんかあったんでしょうか。だんだんと怪しい場所が分かってきて、ここに辿り着きました」

「この石ですか?」

「いえ、その時は、石はありません。代わりに、穴があったんです。地面に。大きくはないですが、とても深くて、底が見えない。松明を投げ込んだところ、そのまま松明の光は遥か先まで落ちて行って、遂には見えなくなったそうです。そこで武士は思ったそうです。この穴は冥界に続いてる。神隠しにあった人達は、この穴に落ちたに違いない、ってね。冥界ってのは、なんでしょう、まあ、あの世とか死後の世界みたいなものでしょうか。言い伝えによると、武士は……すいません、名前は覚えてないんですが。とにかくその武士は、一晩でこの大きな石を運んできて穴に蓋をしたということです。それ以来、このあたりでの神隠しは、ピタッと無くなったそうです。冥界への入口を閉じる石、それでトジメ石という話です」

「へええ」

 野中は関心した。

 女性は照れくさそうに笑った。

「すいません。つまんない話を長々と」

「いや。面白かったです」

 既に野中は彼女に惹かれていた。これが一目惚れというやつか、と思った。

「俺、野中です。野中頼光です」

 慌てて自己紹介をして、あとは、彼女が飽きてこの場を去らないように、どうにか話を続けた。そして、彼女のことも聞いた。

 名前は為永文乃。野中と同じ歳。家は少し遠いが、この近所の看護師専門学校に通っている。

 始まりは、奇妙な石の奇妙な話だったが、あとは、ごく普通の他愛も無い話を続けた。アパートの近所の野良猫が可愛くて、ついつい食事を与えたら、野良猫がたくさん集まってきて、大家さんに怒られた話や、夜中に大きなクモが出て、震えながら、やっとのこと外に追い出した話等々だったが、為永は楽しそうに笑った。

 その日、二人はそのまま別々の家路についたが、自然な流れで、二人は頻繁に会うようになった。

 会って、カフェに行き、他愛もない話をする。それだけだったが、いつしか、野中にとって大切な時間になった。

 まだ為永は来なかった。野中は何もすることがなく、ぼんやりと待っていた。

「あ、ネコ」

 真っ白なネコがトコトコ歩いていた。迷いネコか、野良か。人通りが多い駅前では珍しかった。

「どうしたの?」

 野中は、ついつい後ろに歩み寄った。ネコは、ちらりと野中に目をやったが、気にする様子もなく、すたすたと歩いて行った。

「待ってよ」

「相変わらず、動物好きね」

「わ、びっくりした」

 いつの間にか、為永が来ていた。教科書を詰め込んだバッグを抱え、微笑んで立っていた。

 ネコはすたすたと軽快な足取りで、遠くに行ってしまった。

「あ、行っちゃった」

「野中君、ネコ飼わないの?」

「うん、ちょっとね……」

「犬のほうが好き?」

「あ、いや、そういうことじゃなくて。ネコも犬も好きだよ。でも、ほら、うちアパートだから」

「ペットは禁止かあ。動物は全くダメ?」

「契約書にあったけど、全くでもないよ。小鳥、金魚等は、部屋を汚さないことを条件でいいみたい。でも、鳥、魚は、ねえ。嫌いじゃないけど」

「小鳥と金魚、かあ」

 為永は、少し考えた。

「……じゃあ、ハムスターは? 大きさは、小鳥と変わらないよ」

「ハムスターかあ」

 ハムスターに関しては、あまり詳しくない。動物は好きなので、もちろん、姿は知っている。まん丸い体につぶらな瞳、ぴんとした耳、華奢な手足、取ってつけたような小さな尻尾。

「どうなんだろう。大家さんに聞いてみないと分からないなあ」

 ハムスターかあ。心の中で繰り返した。悪くない気がした。

「なんか、いいと思うよ。野中君に似合ってるよ」

「俺とハムスターが似合ってる?」

 為永さんは、時々変なことを言うなあ。

 そんなことを思いつつ、近くのカフェに向かった。


 広大な緑と青い海に囲まれた世界、アッセンブルエックス。

 ゴンヌー派の領地の巨大な城。全体が煉瓦で建てられ、浸食を防ぐ白い塗料が全壁に塗られているので、白の城と呼ばれていた。

 入り組んだ建物の中で、大きな空間を占める大部屋があった。部屋中に多数の松明が煌々と灯り、一際高い壇上に煌びやかに装飾された椅子が重々しく置かれていた。

 椅子に悠然と座り、一段下で整然と列を作って並んでいた軍隊を見下ろしていたのは、ゴンヌー派の総統、ロジャー・リカルド・ディーキーだった。

 燃えるような赤い髪を伸ばし、同じような赤い瞳は、見るものを萎縮させる眼力を放っていた。

「バルサラ大佐」

「はっ」

 一際体格の良い、岩のような顔をした軍人が、一歩前に出た。

「セーマ・ドーマ総督は、いつ着くのだ?」

「既に我が領内に。間もなく、到着するかと」

「そうか。丁重にもてなせ」

「承知いたしました」

 バルサラ大佐は頭を下げた。

「それはそうと、セーマ総督について、面白いことを、間諜から聞いた。先日、セーマ総督が、翼竜マリューに襲われたそうだ。慌てふためく姿を想像すると、実に愉快な話だ」

 ロジャーは笑った。

「ふと思ったのだが。何者かが、仕向けたのではないか? もしそうなら、是非その、知恵者と話をしてみたいものだが、ひょっとして、この中にいるのか?」

 ずっとロジャーは、機嫌が良さそうに笑っていた。

 軍人達はしばらく黙って顔を見合わせていたが、やがて一人の軍人が一歩前に出た。

「おそれながら、私がやったことです」

「ほお、おまえか。どうやった?」

「造作ないことです。予め飼いならしたマリューに興奮剤を飲ませ、獰猛になったところを、セーマ総督の前に解き放ったのです」

「おまえの独断か」

 いつの間にか、ロジャーの顔から笑みが消えていた。

「は、はい。私が考えました」

「それで、セーマをやれると思ったのか?」

「え、は、はい」

「たかが一匹のマリューで、セーマをやれると本気で思ったのか?」

「もし運が味方すれば……」

「運? 貴様、私を愚弄する気か」

「いや、とんでもございません。少しでも、お役に立ちたいと願い……」

「このような愚かな者が、この場にいたとはな」

 ロジャーは頭を抱えた。

「分からんのか? 貴様のやったことは、私の顔に泥を塗ったも同然のこと。セーマはどう思ったか想像できないのか。無駄なことをする、くだらん奴。子供だましの策で喜んでいる幼稚な奴。そう蔑まれるのは貴様ではなく私なのだ」

「お許しください」

 兵士は必死に頭わ下げたが、ロジャーは目もくれなかった。

「貴様の腐った脳みそをかき回してやりたいところだが、貴様の汚い血でこの城を汚すことすらおぞましい」

「どうか、命だけは……」

「やめろ! 貴様の命乞いには嫌悪を感じる。早々に消え失せろ。追放だ。永久にな」

 ロジャーは手をはらった。すぐに二人の親衛兵が、その軍人を両脇から抱え、場外に引き摺って行った。

 しばらく許しを乞う声が響いていたが、やがて静かになった。

 しばらくロジャーは苦々しい顔をしていたが、急に平静な表情に戻った。

「さてと。セーマ総督はそろそろ到着する頃合いかな」

「まだ、到着の知らせがありませぬ」

 バルサラ大佐が冷静に応えた。

「では、ここで待つとしよう。先に迎賓室で待っているのは、性に合わない」

 ロジャーは深々と背をもたれ、静かに目を閉じた。その場にいる大勢の軍人は、立ったまま微動だにせず、やはり待っていた。

 やがて伝令がやってきた。

「セーマ総督がお見えになりました」

「うむ」

 ロジャーは黒いマントを翻し、ゆっくり立ち上がった。

 部下を引き連れ部屋を出ると、くねくねと入れ組んだ通路を、悠然と歩いた。終始無言だった。

 やがて、迎賓室に到着した。

「ご多忙中、急な訪問、失礼いたします」

 扉を開けると、ハンドリー上院議員が頭を下げた。ハンドリーとロンソン防衛卿は起立し、挟まれるように、セーマ・ドーマが座っていた。

 目の前のテーブルに、馳走が並べてあったが、手を付けていないようだった。

「これはこれは。遠路はるばる、よくお出でになられた。お疲れであろう。どうぞ、お寛ぎいただきたい」

 ロジャーは笑顔で、大きなテーブルを挟み、セーマ・ドーマの目の前に座った。

「久しぶりですね。カーマイン皇太子はお元気ですか?」

 セーマ・ドーマも笑顔で言った。

「ご壮健でいらっしゃる。お気遣い、いたみいる」

 二人はしばらく笑顔で見つめ合った。

「……トマッシュ皇太子は、いかがお過ごしかな」

 ロジャーが、仕方なさそうな素振りで聞いた。

「お元気ですよ。心配してくださっているのかな」

「当然ではないか。お二人の皇太子あっての、アッセンブルエックスですからな」

「どちらかお一人のほうが、お互い都合が良いのでは?」

「きつい事を仰る。はっはっ」

 ロジャーを乾いた笑い声を上げた。セーマ・ドーマは笑わず、少しだけ表情を引き締めた。

「言うまでもなく、我らは戦争状態にある。休戦中とはいえ、小競り合いは、まあ、あることです」

「小競り合い?」

 ロジャーも、少し真顔になった。

「……まあ、本題に入る前に、食事でもいかがかな? 見たところ、手をつけていないようだが」

「いえ、結構。近頃、健康を考えてましてね。自家製の食べ物、飲み物以外手をつけないことにしています。ご無礼をお許しいただきたい」

 セーマが手で合図すると、ロンソンがポットを取り出した。セーマはおもむろに受け取り、その自家製飲料で喉を潤した。

「慎重なことで」

「いえいえ。健康志向なだけです」

「長生き出来るといいですな」

「だといいですが、先の事は分かりませんよ」

「……舌鼓を打ちながら、歓談するつもりでおりましたがね。昔の話でもしながら。しかし、相変わらず気ぜわしいようですな」

「普通ですよ」

「まあ、せっかくお越しいただいたのだ。まずは、そちらの話を伺うのが礼儀というもの。どうぞ、ご遠慮なく」

「べつに特別なことを言いに来たのでありません。たった一つ」

 セーマは指を一本立てた。

「たった一つのことを、こうして顔を付き合わせて確認したかったのです」

「なにかね?」

「我々の休戦条約は今でも有効ですか? 私は有効であると信じていますが。つまり、お互い、これからも戦争はしないということです」

「ふむ……」

「休戦条約のときにも主張しましたが、改めて言わせていただくと、戦争を続けることは、お互い財政を圧迫する。民の生活は荒れ果て、苦しんでいる。良くないですね」

「民とは理想と信念に生きるものだ」

「なんと?」

「いや、失礼。今のは、ただの独り言にすぎぬ。ところでだ。条約にあったはずですな。相応の理由無く双方の領地に軍備を持って侵入すること、それを断固として禁ず、と」

「たしかに、ありました」

「ところがだ。貴殿のソルジャー達が、我が領土に侵攻した。条約違反であろう」

「条約違反にはなりません。何故なら、相応の理由があるからです」

「そのようなものは、あり得ない」

「分かっていますよ。貴殿の軍隊の者が、我が領内で、随分と狼藉を働いてくれたようではないですか」

「これは、随分な言い掛かりですな。証拠は、お有りで?」

「貴殿はぬかりない。物的証拠は有りません。しかし、私達には、アースリングのパワーがある。パワーによって分析することで、貴殿の行いは分かっております」

「フッ」

 ロジャーは、俯きながら笑った。

「知らないはずはないが、私もアースリングパワーの持ち主だ。私のパワーによって、貴殿は嘘を付いていることが分かる。と、言ったらどうする? 話は平行線。結局、事実としては、我が領地が軍事侵入され、被害を被った。それだけだ」

「では、どうされる?」

「条約は破られた。よって、休戦は無効だ。我らは、このアッセンブルエックスを理想の国家とする為、戦争を続ける」

 ロジャーは手元のボタンを押した。

 セーマ・ドーマが座っていた椅子の下から、槍が突き出した。セーマは素早く飛び上がって、避けることが出来た。

「面白い仕掛けだな」

 セーマは剣を手に取った。

「貴様は何を考えているか。私には見通しだ」

 ロジャーも剣を取った。そのわずかな隙に、ハンドリーとロンソンは屈強な兵に体を抑えられていた。

「最初から私を殺しに来たのだろう」

「公式の場で、そんなことするものか」

「そう。だからこそ、意図的に隙をつくり、こちらから攻撃するのを待っていた。正当防衛になるからな。証人も連れてきた。分かってはいたが、あえてお望み通り、こちらから攻撃を仕掛けてやったのだ」

「……勘ぐり過ぎだろう」

「正解は勝った側にある!」

 ロジャーが素早く剣を突き出したが、セーマは剣で受けかわした。ロジャーは間髪入れず次々と剣を突き、そして、セーマはかわした。剣と剣がせめぎ合う、鋭い音が響いた。

「総督!」

 ハンドリーは声を上げたが、途方もない強い力で羽交い締めにされ、体を動かすことが出来ない。

「大丈夫だ」

 セーマは身を翻し、間合いを広げ、指を二本立てた。

「アースリング! パワー! アタック! ライトニング!」

 セーマはアースリングのパワーを放った。ロジャーの動きが止まった。

 しかし、何も起こらない。

「これは、どういうことだ」

 セーマは片膝を付いた。ロジャーは剣を降ろし、悠然とセーマを見下ろした。

「やっと毒の呪いが効いてきたようだな」

「毒? まさか」

 ふと見ると、ロンソン防衛卿が羽交い絞めを解かれ、ゆっくりとロジャーのほうに歩いていった。相変わらずの困り顔である。

「裏切りか……見抜けなかったな」

「安心しろ。この呪いはアースリングパワーを抑えるが、死にはしない」

「じゃあ……どうしたいんだ?」

 激しい眩暈におそわれた。

「ただ殺すのは、あまりにも呆気ない。貴様には死よりも、苦しい思いをしてもらおう」

「どういうことだ……」

「暗黒の地、修羅の国、荒れ果てた異世界、アッセンブルクエントに追放するのだ。それも、哀れな小さな動物としてな」

 ロジャーは拳を突き上げた。

「アースリング! パワー! アタック! チェンジリング!」

 閃光が部屋を包み、轟音が部屋を揺らした。

 ハンドリーは暫く目を開けることが出来なかったが、気が付くと、セーマ・ドーマの姿は消えていた。

 ロジャーが勝ち誇ったように直立し、その横にロンソンがいた。ロジャーが、ハンドリーに目をやった。憐れむような目だ。当然、次は自分が殺されると思った。命乞いする気は、毛頭無かった。

「貴様には手を出さん。帰るがいい」

「なんだと?」

「その代わり、今あった事を皆に伝えるのだ。二人が戦って私が勝ったこと、そして、セーマ総督は、もう居ないということをだ。懼れと共に伝えるのだ」

 そう言うとロジャーは、黒いマントを翻し、悠然と部屋を出て行った。


 野中頼光は、まだ迷っていた。

 アパートの大家さんには了解を得た。ケージも買った。床材も買った。トイレも買った。トイレの砂も買った。ごはんも買った。おやつも買った。

 しかし、まだハムスターを飼うことに悩んでいた。

 ハムスターは、たしかに可愛い。癒されるに違いない。

 悩むのは、今まで一人でペットを飼ったことが無かったからだった。

 自分に命を預かることが出来るのだろうか。ちゃんとお世話出来るだろうか。

 野中は、ペットショップの前を行ったりきたり、はたまた、出たり入ったりを繰り返していた。

 ずっと気になっていた女性店員が、意を決して話しかけてきた。

「あの……なにか、お探しですか?」

「え? あ、あの、まあ、ペットを……」

「まあ、そうですか。ささ、どうぞ、こちらへ」

 まず案内したのが、ネコのコーナーだった。店員の経験では、動物が見たくてモジモジしている、とくに男性は、だいたいネコを見ると満足する。

 野中も、違うと言いそびれてしまった。

 ちびっこい子猫がクリアケージの中でわちゃわちゃしていた。

 ある者はゴロンと熟睡し、ある者はよちよちと歩き回り、ある者はタオルをふみふみしていた。

(か、可愛い)

 野中は思わず見入った。

「抱っこしてみます?」

「ええ……」

 ふと値札に目をやった。

(あ、違う。こっちじゃない)

「いや、実は、アパートの関係で……ハムスターをちょっと見てみようかなと」

「ああ、ハムスターちゃんですか。こっちです」

 ネコ、犬のいる場所から少し離れた奥に案内された。

 いた。

 いくつか別れたケージに、それぞれ数匹が居た。

 ふわふわの小さいハムスターが、くっついて、気持ちよさそうに寝ていた。昼間なので、ほとんど寝ていたが、何匹かは、ちょろちょろと動き回り、時々、興味深そうに野中を見つめていた。

(めっちゃ、可愛い……)

 野中が顔を近づけると、短い後ろ足二本で立ち上がって、ケージをわさわさしていた。

「こっちが、一番一般的な種類で、ゴールデンハムスターです。頭も良くて、人にもすぐ慣れますよ」

 ゴールデンハムスターは、ケージに顔をくっつけて、もぐもぐと口を動かしていた。

「こっちも、ゴールデンハムスターの一種ですが、キンクマハムスターと一般的によばれています」

 全身クリーム色でつぶらな瞳の子は、ちょこんと座り、ぼおっとしているように見えた。

「それから、ですね。こっちの一回り小さいのが、ジャンガリアンハムスター。もう一回り小さいこちらが、ロボロフスキーハムスターです。縄張り意識が他の種類より薄いので、多頭飼いに向いてますよ」

「いや……とりえあず一人で」

 野中達が見ているせいか、寝ていた子も、のそのそと起きだして、鼻をひくひくさせ、あたりをきょろきょろしていた。

(どの子も可愛いなあ)

 野中はいくつかのケージを眺めた。

 ふと端のケージに目が行った。種類は、ジャンガリアンハムスターだろうか。しかし、珍しいと思われるのだが、瞳が薄っすらと蒼いのだ。その子だけ、ケージに一匹しかおらず、ぺたんと尻を付いた恰好で、じっと野中を見つめている。他の子がわちゃわちゃして、じっとしていない中、この子だけ微動だにせず野中を見つめている。

「……この子は?」

 どうにも気になって尋ねた。

「この子ですか? まあ、ぶっちゃけて言うと、ちょっとワケありで」

「ワケあり?」

「まあ、そんな大げさなもんじゃないですが。ハムスターでは珍しいでんすでが、保護した子なんです。近所のレストランの厨房にいるとこを保護されました。最初は、鼠だと思って処分されるところだったんですよ。運よくお店の人が、ハムスターだと気付いて保護されたんです。鼠だと処分されるってのも、まあ、理不尽な話ですけどね」

 店員の女性は、ちょっと苦笑いを浮かべた。ああ、この人は、本当に動物が好きなんだなと思った。

「種類はジャンガリアンハムスターですが、とくに体毛が真っ白なので、スノーホワイトと呼ばれるてます。大人しい、男の子です。でも、この子、正確な年齢は分かんないんですが、もう大人なんですよ」

 言いながら、ケージの蓋を開けた。特に動じる様子もなく、相変わらず野中を見つめている。

「他の子が、大体生後一か月か二か月。成長の早いハムスターでも、まだ全然子供ですね。やっぱりお客さんは子供のハムスターを欲しがるんです。それに、正直言いますと、やっぱり大人は性格とか個性が出来上がってるので、お客さんに慣れないかもしれないし、あまりお勧めも出来ないんです。……でも、大人しくて、ホントにいい子なんですよ」

 女性店員は、そっと、そのジャンガリアンハムスターを抱き上げると、野中に渡した。野中は両手で受け取った。手のひらの上で、脇腹を後ろ足を使ってかきかきすると、振り返るように野中の顔を見つめた。全く警戒している様子は無かった。

 野中は心が動かされた。じっとこちらを見ていることも気になる。これは、もしかしたら、出会う運命だったのではないか?

「……この子に決めます」

「本当ですか?」

 女性店員は心なしか嬉しそうだった。この子の将来が心配だったのだろう。

 すぐに手続きを始めた。ネコや犬に比べて、ハムスターの手続きはずっと簡単だ。十数分後には、ハムスターを小さな箱に納めて、帰路についていた。途中、ずっと箱をカリカリと掻いていた。


 部屋に着くと、すぐさまケージに解放した。

 大学生の野中の部屋は狭く、ベッドと机とクローゼットとその他家電でほぼ一杯だったが、幸いロフトがあったので、細かいものは全てロフトに収納し、なんとか床にケージの場所を確保した。

 ケージには既にふかふかの床材を敷いており、回し車有り、トイレ有り、睡眠用の小屋有りの、準備は万全だった。

 ハムスターは、窮屈な箱を出ると、しばらく、きょろきょろしていた。

「今日から、ここがおうちだよ」

 野中は小さく呟いた。もっと話しかけて抱きしめたいところだったが、下手をすると警戒されてしまう。最初は距離を保たねば。

 ハムスターは、ケージ内であちこち動き回り、顔を近づけては、すんすんしていた。

「そうだ。おやつをあげようね」

 野中は、乾燥した豆腐のキューブを取り出した。調べたところ、ヘルシーだし、ハムスターにも好評らしい。

 手渡しで上げたいところだが、まだ噛まれるかもしれない。噛み癖がついてはいけない。

 野中は豆腐のキューブを、ハムスターの目の前のそおっと置いた。

 ハムスターは鼻を近づけ、しばし、くんくんしていたが、やがて両手でがしりと掴むと、ばりばり食べ始めた。

「おお。美味しいか?」

 野中は嬉しくなった。

 本当は、慣れない最初のうち、じろじろとずっと見ているのは、ストレスの元になる可能性もあり、よろしくないのだが、目が離せられない。

 あっという間に一個を食べ終わり、もう一つ取り出そうとしたところで、ハムスターの大きな瞳がとろんとしてきたことに気付いた。

「そうか。今日は疲れてるもんな。眠いよな」

 ハムスターは小さく蹲り、うとうとし始めた。野中はケージの前に座って眺めていた。

(早く、為永さんにも見せないとなあ)

 ハムスターは、すやすやと眠りについた。

 気持ち良さそうな寝顔を見ていると、野中もなんだか眠くなってきて、座ったままベッドにもたれた。


「ん?」

 いつの間にか眠っていた野中は、ふと違和感で目が覚め、もたれていたベッドから身を起こした。

「目が覚めたかい?」

「わっ」

 金髪で、やけに色白、蒼い瞳の青年がベッドに腰掛けていた。

「誰だ、おまえっ」

 野中は尻もちを付いた。

「私の名前は、セーマ・ドーマ。セーマと呼んでくれていいぞ。恩人だからな」

「ここで何してる? 強盗か? 金はないぞ!」

「いや。私が金を持ってないのは確かだが、今ここで出せとは言わないよ」

「酔っ払いか?」

「酔ってはいない。私は、この世界では、まだ酒を飲んだこはないな」

「この世界? 何を言っているんだ?」

 野中は混乱するばかりだった。

「一応、説明するとしよう。すぐに信用してくれるとは思えないがな。私は、アッセンブルエックスから来た。この世界からみたら別の世界だな。異世界というやつだ。そこでは二つの派閥が戦争をしている。どこの世界でも同じだな。私は、こうみえても総督だ。だったと言うべきかな」

 そう言うと、セーマはレッドブルに口を付けた。

「あ、それ、俺が買ったやつ!」

「すまん。これは、なかなか旨いな。こういう人工的な飲み物は、実に新鮮だ」

「……よく見たら、それ俺の服じゃないか!」

 セーマは、野中のジャージ上下を着ていた。

「裸というわけにはいかんだろ? 話を続けようか。頭に入ってくれていると嬉しいんだが。私はアースリングというパワーを使える。まあ、分かり易く言うと、一種の魔術みたいなものかな。ところが困ったことに、敵もアースリングパワーが使える。ちょっとしたミスで、私のアースリングパワーは封印され、アッセンブルクエントに……アッセンブルエックスから見たこの世界の名前だな……、に飛ばされた。ジャンガリアンハムスターとしてね」

「ハムスター!?」

 野中は動揺していたので、すっかり忘れていた。慌ててケージを覗きこむと、ハムスターはいなかった。

「おまえ、俺のハムスターをどうした!?」

「野中君の買ったハムスターが私だ」

「え? ええ? もう訳分かんないよ」

「ハムスターとして、この世界に飛ばされ、もう五年になる。おかげで、この世界のことは、だいぶ学んだよ」

「嘘つくな」

「本当だ。五年は長い。その間、私と共に戦った者がどうなっているか、心配でならない」

 それまでニヤニヤしていたセーマだったが、真顔になって俯いた。

「おまえ……病院から脱走したのか?」

「理解してもらうのは難しいが、とりあえず信じてもらわないと。ちょっと来てくれ」

 セーマは立ち上がり窓を開けた。もう外は暗くなっていた。

「ふむ。可哀想だが、あの木がいいな」

 窓から見える遠くの街路樹を指さした。セーマは人差し指と中指をこめかみにあてた。

「アースリング。パワー。アタック。ライトニング」

 突然、閃光が走り轟音が鳴り響いた。

 雷に打たれたように、激しい衝撃とともに、立派な街路樹は真っ二つになった。

「……」

 野中は、口をあんぐりと開けた。

「ちょっと近所迷惑だったが、被害は無い」

 セーマは、肩をすくめて窓を閉めた。

「使えるアースリングパワーは、人によって違う。私は、こういった攻撃系しか使えないが、けっこう強力だよ」

 野中は頭の中を整理していた。

「……でも、さっきの話だと、封印されてるんじゃ?」

「だから、君が恩人だと言ったじゃないか」

 セーマは再び腰をおろした。

「野中君といると、力が蘇るんだ。こうして人間の姿に戻れたのも、君の力のおかげだ」

「え? 何を言ってるんだ?」

「野中君。君はアースリングのパワーを引き継いでいる。おそらく、過去に、この世界に来たアッセンブルエックスの人間の末裔だ」

「そんなバカな。俺は普通の人間だ」

「もちろん、普通の人間だよ。その潜在的ポテンシャルは、自分では気付かないものだ。私には、野中君を見て、すぐに私の封印を解く力があることが分かった。だから、必死にアイコンタクトを送った」

「ああ、そういえば」

 あの可愛い真っ白なジャンガリアンハムスターが、こんな横柄な自称総督様だったとは。

「残念ながら、野中君はアースリングパワーを自在に操れない。それには、修行や訓練が必要だからだ。しかし、このパワーは呪い系のアースリングを平癒することが出来る、貴重なアースリングパワーだ。だから、一緒にいる時だけ、私の力が元通りになる。野中君が、この部屋を出て行ったら、私はちんまりした動物に逆戻りだ」

「ちょっと待てよ。ずっと一緒にいるつもりか?」

「可能ならば」

「冗談言うなよっ。セーマには、プライバシーってものが分からないのか?」

「分かっているが、野中君は、これからプライバシーどころじゃなくなる。一緒にアッセンブルエックスに来て、敵と戦わなければいけない」

「戦う????」

「もちろん、野中君は私が守る。頼りになる部下もいる。生きていればの話だが。君が一緒に居ないと私は力が使えないんだ」

「冗談じゃない」

 野中は激しく拒否した。

「なんかよく分からんが、そっちの世界の話だろ。なんで俺が巻き込まれなきゃいけない。俺は平和に暮らしてるんだ。戦争なんて、絶対嫌だっ」

「……戦争は確かに嫌だ」

 セーマは静かに話を始めた。

「敵はロジャー・リカルド・ディーキー総統。恐怖で統治する、呪いのアースリングパワーを使う男だ。裏切り者は、すぐ粛清する。裏切りそうな者も粛清する。奴に従う者との間に、信頼関係などない。ただ恐怖による圧政。圧政は危険だ。民も同じだ。自由は奪われ、ただ忠誠のみを強いられる。泣くことも笑うことも出来ない。恋愛も自由に出来ない」

「恋愛も……」

「戦いは避けたい。私が正義だとも思わない。だが、ロジャーはダメだ。憎くて、殺してやろうなんて思っているわけでじゃない。しかし、奴を封じないと、アッセンブルエックスは破滅する」

 野中は考えた。今まで、人の為に何かをしたことはあるだろうか。いや、そもそも自分は、人の為になるなんて、大それた人間じゃないだろう。

「五年間我慢したが、やっと巡ってきた好機だ。見逃す訳にはいかない」

 野中は黙った。ずっと黙っていた。

 そんな野中を、セーマは見つめていた。

「……まあ、そりゃあ、困るよな。いきなり戦に巻き込まれるのは、理不尽過ぎる。分かった。他の手を考えよう……全く思いつかないけどな」

 セーマはベッドに横になった。

「もう、今日は寝るとしよう」

「おい、ちょっと待て。ここで寝るのか?」

「そりゃあ、野中君は、私の飼い主だからな。それに、五年間ハムスターだったんだ。久しぶりに手足を伸ばして寝させてくれよ」

「ベッドは一つしかないの!」

「一緒に寝てもいいんだぜ」

「イヤだよ!」

 仕方なく、野中は座布団を並べて床に寝そべった。


 翌日、野中は朝からずっと講義で、夕方になり、やっと大学から出て帰路についた。

「あのう……」

 横で、アイスキャンディーを舐めながら歩くセーマに向かって言った。

「ずっと一緒にいる気か?」

「しようがないだろ。離れたら、ハムスターになっちゃうんだから」

「大人しくハムスターとして部屋にいてくれよ。おやつも置いとくから」

「どうも窮屈なんだよね、あの体。やっぱり、自然体が一番」

 セーマは伸びをした。

「今日だって、教室でおまえがずっと隣にいるから、変な目で見られた」

「仲がいい友達だと思うだけだろ?」

「この学校に、金髪の男子なんかいないんだよ!」

「見た目で人を判断するのは良くないなあ」

「野中さん!」

 離れたところから、野中を呼び止める声がした。為永文乃だった。野中は、一瞬反応に困って顔を伏せた。

 為永は駆け寄ってきた。

「どうしたの、昨日は連絡なかったじゃない」

「あ、いや、ちょっと、ごたごたして……」

「ふーん」

 セーマは為永を上から下まで、じろじろと眺めた。

「え、この人、どなた?」

 怪訝な顔をした為永が言った。

「あの……大学の友達のセーマ……」

「セーマさん? どういう字を書くの?」

「カタカナで結構ですよ。で、野中君、こちらの方は?」

「し、知り合い……あ、いや、友達……の為永さんだよ……」

「為永さん。はじめまして」

 そういうとセーマは、改めて為永を執拗に見つめると、何か頷いていた。

「ふむ。なるほど。なるほど」

「え? なにか?」

 為永は戸惑った。

「あ、いや。ところで、野中君。ここらでコーヒーの旨い店はあるかな? 立ち話もなんだし」

(こいつ、どこまでも付いて来るつもりか)

 野中は苦々しく思った。


 二人で良く行くカフェに着くと、三人でテーブルに着いた。

 カフェといより純喫茶という趣で、店内には優雅なクラシック音楽が流れ、昔ながらのスタイルのウェイトレスが注文を聞きに来た。

「コーヒー、三つ、お願いします」

 セーマが、なんだか楽しそうに頼んだ。この世界で初めてのコーヒー注文だから、はしゃいでいるのだろう。

 野中と為永は、普段コーヒー以外を注文するのだが、黙っていた。

「さてと。為永さん、時間は大丈夫?」

「え、ええ。でも、これ何ですか? 何も買いませんよ」

「違う違う。そういうんじゃない。ねえ、野中君」

「ああ、まあ、そいう奴ではない。でも、俺も、今、おまえが何を話したがってるのか分からん」

「だいたいは、昨日と同じ話だよ」

「それを為永さんに話す必要があるのか?」

 野中は少し語気を荒げた。セーマと一緒に頭のおかしい奴と思われるかもしれない。野中は、昨日セーマの力の片鱗をみて、言っていることは信じているが、まさかここでも力を発揮するわけにもいかないだろう。

「実は、そこが大事なんだ」

 やがてコーヒーが運ばれてきて、セーマはスプーンでカップをゆっくり混ぜた。

「為永さんは……異世界を信じるかい?」

「え?」

「私が異世界から来たと言ったら信じるかい?」

「え? え?」

 為永は、唖然とした顔でセーマを眺めた。そして、野中の顔に目をやった。野中は何も言えなかった。

(……ああ、これで俺までヤバい奴だと思われて、全部終わりだ)

「あたしは……不思議な話をすぐ信られるほど純粋ではないですが……興味はあります」

(あるんかいっ)

 野中は心の中で呟いた。

「とりあえず、話の続きを聞かせてもらっていいですか」

「了解了解。信じる信じないは自由ということで。私がいた世界は、アッセンブルエックス。科学・技術・工学では、こちらの世界より遅れているが、水と緑の美しい素晴らしい世界だ。……ちょっと褒めておかないとね。全人類の数も、こちらの世界よりはるかに少ない。しかし、人間というのは愚かなものだな。今……少なとも五年前は、アッセンブルエックスは戦争状態にあった。二つの派閥が対立状態にあった。私は、その片方の派の提督だ。いや、提督だった。戦争はやりたくない。しかし、敵の、ロジャー・リカルド・ディーキー総統は、どうしても許せない。圧政によって、民を自分の思うままに制御しようとしている。機械のようにな。戦争は民にとって大いなる災いだ。しかし、ロジャーが全てを制圧したとき、民は、より不幸になる」

 セーマはコーヒーに口をつけて、ほんの少し黙って目を閉じた。

「……と、まあ、そういう訳で、ロジャーの奴を、上手い事騙し打ちしようと思ったんだけどね、まんままと裏をつかれて、この世界に追放されたってわけさ。間抜けな話だよ。それも、ジャンガリアンハムスターとしてね」

「ジャンガリアンハムスター?」

 為永は驚いて、野中の顔を見た。そういえば、ジャンガリアンハムスターを飼おうと思っていることは、為永には言っていた。これで、少し話に信憑性が出てくるか?

「それで五年間、ハムスターとして彷徨ってたところを、こちらの野中君に助けてもらったってわけ」

「野中さんが、ハムスターから人間に戻したの?」

 為永が興味津々に聞いてきた。

「……いや、俺は……」

「そのへんが、また、大事なところでね。今、まさに聞いてもらいたいこと」

 セーマは、コーヒーカップ片手に、少し身を乗り出した。

「アッセンブルエックスから、この世界に渡ってきたのは、私が初めてではないようだ。理由は分からないが、確実にいる。その血を受け継いでいるのが、こちら、野中君だ。アッセンブルエックスの人間の中には、アースリングというパワーを使える者がいる。私も攻撃のパワーが使えるが、私がこの体たらくになったのも、ロジャーのアースリングの呪いのパワーのせいだ。しかし、実に運のいいことに野中君もアースリングのパワーを引き継いでいる。もちろん、訓練も鍛錬もしていないので自由に使いこなすことは出来ないが、おそらく、ロジャーと同じ呪い系のアースリングだろう。だから、私は、野中君と一緒にいるときだけ、ロジャーの呪いから解放され、こうしていることが出来るんだ」

「良かったですね」

 為永は笑った。どうやら、すっかり話に入り込んでいるようだ。

(ちょっと心配になるレベルだな)

 野中は思った。

「ところで、二人は付き合ってるの?」

 セーマは、いきなり単刀直入に聞いてきた。たまらず、二人は目伏せた。少々情けない話だが、野中は、まだ、何もちゃんとした話をしていない。会うたびに、カフェに行って、世間話をするだけの関係を続けていた。

「ああ、分かった。質問を変えよう。二人とも、一目惚れ?」

 前の質問より答えにくいじゃないか。

「そんなこと、どうでもいいだろ。おまえと関係あるのか」

 野中が思わず言った。

「まあまあ。実はちょっと大事なんだ。はっきり言ってしまうと、二人の一目惚れは勘違いだ」

「え?」

 為永と野中は顔を見合わせた。

「一目惚れではなく、二人は出会うべくして出会った。運命だったんだよ」

「え?」

 再び、為永と野中は顔を見合わせた。

「為永さんも、アッセンブルエックスの末裔だ」


 日が暮れて、真っ暗な公園には誰もいなかった。

 例のトジメ石の前に、為永、野中、セーマの三人が立っていた。

「何か感じるか?」

 野中がセーマに聞いた。最初から信じられないことの連続だが、これも信じられなかった。

「うむ。かなり感じる。これは間違いなさそうだ」

 セーマの話によると、為永もアッセンブルエックスから渡ってきた人間の末裔で、アースリングのパワーを感じるようだ。

 野中とは別の系統のアースリングパワーのようだが、その実態は分からない。ただ驚くべきことに、野中と同じく、為永と一緒にいることで、ロジャーの呪いから解放されることが出来るのだそうだ。

 そしてセーマは、野中と同じように為永を説得した。一緒にアッセンブルエックスに来てほしいこと。アッセンブルエックスで、共にロジャーと戦って欲しいこと。

 あきらかに為永はアッセンブルエックスの惨状に同情し、あろうことか、一緒に行くことを快諾してしまった。

 野中は動揺した。いくらなんでも危険過ぎる。訳の分からない世界で、どうにか出来る自信は無かったが、為永を守らねば。もはや選択肢はない。野中も一緒に行くことにした。

 ただ、どうしたら異動できるのか、セーマにも分からなかった。しかし、過去にも異動出来た人はいるのだ。

 何か異世界の出入口っぽいの、心当たりない?

 そうセーマに尋ねられたとき、為永と野中は同じ場所を思いついた。

 伝説に満ちた謎の巨石、トジメ石だ。

 三人は夜になって人が居なくなるのを待ち、トジメ石の前に集まった。

「どう使う? なんか、スイッチでもあるのか?」

 野中が石を探りながら言った。

「見たところ、スイッチも取扱説明書もないな」

 セーマも石を見渡した。

「だが、確かに、わずかだがアッセンブルエックスの空気を感じる。どかしてみるか?」

「無理だよ。ビクとも動かない」

「やはりアースリングのパワーだな」

 セーマは石を手を置いて、精神を集中した。

 為永と野中は息を飲んだ。暫く何も起きない。セーマは、辛抱強く集中した。

「あっ」

 野中は声を上げた。薄っすらと石が青白く光は発した。

「まだだ。まだパワーが足りない。二人のアースリングのパワーを貸してくれ」

 セーマを左手を石に置き、左手で野中の右手を握りしめた。つられるように、野中は為永の右手を握りしめた。

「……で、でも俺らは、アースリングとか……」

「集中して。イメージするんだ。この先にある世界を」

 野中は目を閉じた。訳も分からず考えた。アースリング。アッセンブルエックス。微かに頭の中に、何か銀色のイメージが湧いてきた。よりイメージに集中した。

 急に為永の手が熱くなった。と同時に、石から発する光が急激に強くなった。

「うわっ」

 思わず野中が声を上げた。

「集中を切らすなよ」

 セーマが冷静な声で言った。為永は、ぎゅっと目を閉じていた。光が、増々強くなっていく。

 野中の頭の中は真っ白になっていた。セーマは、より神経を集中した。

 瞬く間に三人の体が、白い光に包まれた。宙を浮いてるような感覚があり、直後光の塊に、凄まじい勢いで吸い込まれた。

 体がぐるぐると回転している感覚があった。

 あまりの光の圧に、野中は目を開けていることが出来ず、やがて意識を失った。

 どのくらい時間が経ったのか。

 野中は意識を徐々に取り戻した。強烈な衝撃う受けた感覚だけはあったが、体はどこも痛くもなんともなかった。

 目を開けると、真っ青な空が目に入った。柔らかい草の上で、横になっているらしい。近くから、鳥のさえずりが聞こえた。

 呆然として、そのまま横になっていると、セーマが顔を覗きこんだ。

「目が覚めた?」

「あ……ああ」

「ようこそ、アッセンブルエックスへ」

 セーマは手を差し出した。


 青々と茂った美しい木々に囲まれた、しなやかで柔らかい草の上に、為永、野中、セーマの三人が座ってた。

 小さなトカゲのような四本足の生き物が、器用に二足歩行で近付いてきた。為永が手を出すと、怖がる様子もなく乗ってきて、つぶらな瞳の顔を指にこすりつけてきた。

「ここの生態系は、そちらの世界とはだいぶ違ってね。そちらの世界で恐竜と呼ばれる生き物に、かなり近い種が、普通に存在している」

「あら、この子も恐竜なの?」

 為永は、その生き物を見つめた。生き物は、顔を傾げて為永を興味深そうに見つめた。

「もちろん、一緒じゃないよ。似たようなもの。そいつは大人しいから、安全だ」

「なんか呑気な話してるけど……」

 野中が口を挟んだ。

「これから、どうするんだ?」

「うん。今のところ、ノープラン。これ食うか? 旨いぞ」

 セーマは、近くの木から橙色の実を千切り、野中に差し出した。野中は促されるまま、口に入れた。

「甘くて美味しいね……って、言ってる場合かっ」

「目的ははっきりしている。ロジャー・リカルド・ディーキー総統を、この手で抹殺することだ」

 セーマは、拳を握りしめた。

「問題は、方法だよ。俺たち三人で何が出来る?」

「まず、奴の居城、黒の城に行くことだ」

 そう言いながら、セーマは辺りを見渡した。

「ここから、かなり遠そうだな」

「そんな長い距離、ちんたら歩いていく気か。仮に体力は大丈夫だったとしても、途中で、その、ロジャーとかいう奴の軍に見つかるだろ」

「うむ。おそらく、ロジャーの軍は全国に展開しているだろうからな。なかなか、いいところに気が付くじゃないか」

「褒めてくれて嬉しいね」

 野中は不貞腐れたように顔を背けた。

 セーマも悩んでいた。自分のアースリングパワーが以前と同じく強力ならば、少々の歩哨なぞ、恐れることはない。しかし、こうして、人間の姿に戻れたが、どこまでアースリングパワーが戻っているか、自分でも掴めていなかった。野中の前でちょっとしたデモンストレーションを見せて、多いに驚かせることぐらいは出来たが、まだ、ロジャーの呪いから、完全に解放されていない気がする。

 三人は、しばらく草の上に座っていた。

 突然三人を影が覆った。

「マリューだ」

 セーマが空を見上げて叫んだ。

 巨大な翼を羽ばたかせた翼竜マリュー。以前セーマを襲ったマリューより、一回り大きく、しかも三頭の群れだった。それが、セーマ達の頭上で、旋回している。

「ますいな。捕食する気だ」

 マリューの一頭が、大きな咆哮を上げた。

「逃げないと!」

 野中は腰が抜けそうになるのを堪え、もつれる足で必死に立ち上がった。

「林の中にっ、早くっ」

 セーマは、為永と野中に、逃げるように、促した。そして、自分は、人差し指と中指を額に当てた。

「アースリング! パワー……」

「待って」

 突然、為永が制した。

「今、突然、頭の中で閃いたの」

 そうしている間に、マリューは完全に狙いを定め、空中で停止した。

「何を?」

 セーマも虚を付かれて、動きが止まった。一頭のマリューは、真っ直ぐに降下を始めた。

 為永は、両手を胸に当てた。マリューは、為永に狙いを定め、飛んで来ている。

「間に合わない!」

 セーマが叫んだ。マリューは、もはや目の前に迫っていた。

「アースリング。パワー。ブロック。サブミット」

 突然、マリューの動きが遅くなった。そして、静かに着地すると、頭を下げて翼をつぼめ、ゆっくりと為永に向かって歩いてきた。

 為永は、その大きな頭に手を置いた。マリューは、子猫のように目を閉じた。

 他の二頭も、柔らかに着地し、大人しく巨大な体を丸めている。

「た、為永さ……ん? な、何がったの?」

 大木の影に隠れていた野中が、恐る恐る尋ねた。

「自分でも、分からない……。ただ、自然に言葉が出て、体から力が溢れ……どうしてだか分からないけど、絶対大丈夫だと思ったの」

 為永は、マリューの頭を撫でながら言った。

「為永さん。やったな。覚醒したんだよ、アースリングのパワーが。動物を従わせることが出来る力だ。これがパワーの全てかは分からないけど、確実に覚醒した」

 セーマは言いながら、遠慮なく、マリューの大きな尻をぺちぺち叩いた。

「為永さん」

 野中は、ただ目を丸くして為永を見つめた。為永は、ちょっとはにかんだように笑った。

「ありがとう、為永さん。これは、いけるぞ」

 セーマが嬉しそうに言った。


 三角形の編隊を作り、マリューが空高く飛んでいた。

 先頭には、為永を乗せ、続くマリューには、セーマと野中を乗せていた。

「こっちでいいの?」

 為永がマリューの頭に手を置き、方向を指示している。風を切る音とマリューの羽ばたく翼の音が大きく、自然と大きな声になった。

「このままっ、真っすぐだっ」

 セーマが叫んだ。

「どこに行く?」

 野中は、必死にしがみ付きながら言った。

「白の城」

「え? 何? 城?」

「ロジャーの居城だ」

「いきなり行くのか? 大丈夫か?」

「作戦はある」

「為永さんを危険な目に合わせるなよ」

 野中は真剣な顔で言った。

「ああ。分かっている」

 セーマは頷いた。

 やがて森を抜け、畑が見えてきた。人気は無く、土地は荒れ、あまり管理されているように見えなかった。

「ロジャーのやつ……」

 セーマは呟いた。

 畑を超えると、街並みの上空に来た。そこには、人の往来が小さく見えた。

 当然、人々にもマリューの飛行は見えたが、まさか人を乗せているとは誰も思わなかった。高い位置を飛んでいたので、襲われると心配する者もおらず、誰もが、その存在を気にしていなかった。

 しかし、あまりに、無関心過ぎる。まるで、誰もが感情を無くしてしまったようだ。

 ある者は、荷物を背負って歩き、ある者は、道端で商いをしていた。しかし、まるで活気が感じられない。

 そして目に付くのは、路のあちこちに居る軍人の姿だった。

「変わっちまったな」

 再び、セーマは呟いた。

「え? 何か言いました?」

 為永が振り向いて大声を出した。

「いや、なんでもない。このまま真っすぐ頼む」

 やがて街並みを抜けると、建物のない荒野が広がった。その先に、薄ぼんやりと白い何かが見える。

 徐々に近付いてくると、それが白い巨大な建物であることが分かった。

「あれかっ」

 野中が叫んだ。セーマは黙って頷いた。セーマの知っている白い城より、更に巨大になっている。それは、そのまま、ロジャー・リカルド・ディーキー総統の力を表しているのだろう。

「為永さん、着陸を頼む」

 あまり近付いては目立ち過ぎる。三頭のマリューは、ゆっくりと降下し、悠然と荒野に着陸した。まだ城には、距離がある。

「ここからは、目立たないように、歩いていく。為永さん、マリューには礼を言って帰ってもらってくれ」

 セーマは、マリューから軽々と飛び降りると、軽くマリューの尻を叩いた。

 為永はマリューの頭を撫でながら「もうお帰り」と呟いた。言葉が通じたのか、念が通じたのか、少し名残惜しそうな眼をすると、先頭の一頭がゆっくり飛び立ち、続いて一頭、また一頭と飛び立った。三頭は、為永の上空を何回か旋回した後、飛び去って行った。

「為永さんは、友達を作るのが早いね」

 姿が見えなくなるまで見送っていたセーマが言った。

「自分でも……何が起きているのかよく分かりません。ただ……意志が通じるんです」

「驚いた。為永さん、すごいよ」

 野中は、ただ目を丸くしていた。

「なあ、セーマ。俺にも、なんか力があるのか?」

「野中君からも、アースリングのパワーを感じる。でも、それが、どんな力か分からないし、覚醒するかも分からない。まあ、あんまり期待すんな」

「そうか……」

 セーマは野中の肩を叩いた。

「出来るだけ城の近くに隠れて、夜を待つ。さ、行こう」

 三人は歩き出した。

「砂場は蟻が多いから気をつけろ」


 白の城は大きな壁で囲まれていた。正面には、大きな門があり、裏には小さな門があった。三人は、その小さな門の近くの、ちょっとした岩場に身を隠し、辛抱強く、身を低くして待った。

 随分と時間が経った。もう、すっかり夜も更けていた。

 明るいうちは、出入りのあった門も、静かに閉まったままだった。

 セーマは岩に腰かけたまま、ずっと門を見つめていた。

「なあ、ここで待ってて、本当に現れるのか?」

 野中は不安だった。現れないことは心配だが、現れることも怖かった。

「ロジャーは、夜になると一人で荒野に出て、瞑想を行う。と、いう、噂がある」

「噂かよ。大丈夫か?」

「とりあえず信じてみるしかないな。このまま朝になったら、また別の手を考えよう」

「けっこう、いい加減だな。早くかたをつけたいよ」

 強がって言ってはみたものの、野中の足が震えているのは、寒さのせいだけではなかった。

「ねえ、セーマさん」

 膝を抱えて、岩の上に座っていた為永が話しかけた。

「その、ロジャーという人を殺すの?」

 為永の瞳は悲しそうだった。

「場合によっては、殺すことになる」

「それでいいの?」

「何も心配しなくていい。ここは君達の世界とは違う世界だ」

「それで、この世界は良くなるの?」

「良くする為には、皆が努力しなくてはいけないな。でも、ひとつ言えるのは、ロジャーがいる限り、良くならない」

「本当に?」

 セーマは応えず、ちょっと困った顔をした。

「為永さんは……」

 野中が口ごもった。

「為永さんは……優しい人なんだ……」

「静かにっ」

 セーマが二人を制した。

 門が開くのが見えた。三人に緊張が走った。三体の影が見えた。影で分かるのは、一人はマントを羽織っており、残りの二人は軍人らしかった。

 二人の軍人が先に門を出て、辺りを確認した後、マントの影がゆっくり門をくぐった。そして、マントの影は歩き出し、二人の軍人がぴたりと付き添っていた。

「あれが、ロジャーか」

 野中が小さい声で聞いた。

「そのようだ」

「護衛がいるぞ。勝てるのか?」

「勝てるかもしれないが、もうちょっと待ってみよう」

 野中は息を殺した。

 城から出た三人は、しばらく並んで歩いていたが、やがてマントの影、ロジャーが合図をすると、二人の軍人は城に戻って行った。ロジャーは、しばらく一人で歩くと、ゆっくり腰を降ろした。どうやら、瞑想を始めたらしい。噂は本当だったのだ。

「ちょっと卑怯だが、ここは不意打ちで」

 セーマは、人差し指と中指を額に当てた。

「アースリング。パワー。アタック。ライトニング!」

 雷鳴が鳴り響き、一筋の光がロジャーを直撃した。

 ロジャーの影が倒れた。

「やったか?」

 野中が身を乗り出した。

 目をこらすと、たった今倒れていた影がいない。

「!」

「久しぶりだな」

 気が付くと、すぐ近くにロジャーが立っていた。

 やはり、セーマのアースリングパワーは完全では無かったのだ。

「いやあ、ちょっと久しぶりなもんで、挨拶しようと思って」

 セーマが言った。

「随分と手荒な挨拶をしてくれる。まあ、私には効かないがな」

 ロジャーは三人を見渡した。為永と野中は、動揺して動けない。

「なるほど。アッセンブルクエントの人間の力を借りたか。しかし、見たところ、ソルジャーとは思えんな」

「二人は異世界の人間だ。我々の問題とは関係ない」

「はて? 我々には問題なんぞ何もないが。ただ、貴様が私に平伏するだけのことよ」

「それについて、ちょいと相談があるんだけどね。挨拶がちょっと乱暴だったのは悪かったが、聞いてくれよ」

「相談?」

「私の呪いを解いてくれないかな。不自由で仕方ない」

「ははっ。解くわけなかろう」

「だろうな」

 セーマは、素早く人差し指と中指を額に当てた。

「アースリング! パワー! アタック! サンダー!」

 閃光がロジャーに直撃し、ロジャーの体は、たまらずに倒れた。致命傷は与えられないが、ある程度のパワーはある。

「逃げろ!」

 セーマが叫んだ。ロジャーがある程度のダメージを負っているうちに。

 野中は為永の手を掴み走り出した。

 だが、ロジャーは直ぐに立ち上がり、素早く二人に追いついて、野中の背後から首を掴んだ。

「分かるぞ。小僧、おまえがセーマを元に戻したのだな」

 ロジャーは片手で野中の首を掴んだまま、その体を高く持ち上げた。

「う……や、め、ろ……」

 野中の首が絞まる。両手でロジャーの手を振り払おうとするが、全く歯がたたない。

「おまえを殺せば、セーマは、ただの小さな動物に逆戻り。簡単なことだ」

 ロジャーは手の力を強めた。野中も、必死に抗ったが、どんどん息が苦しくなってくる。

「野中さん!」

 為永は、とっさに両手を胸の前に当てた。

「アースリング! パワー! アタック! スウォーム!」

 突然地面が異様な唸りを上げ、砂地がみるみる黒く染まっていった。

 巨大な黒い染みは、うねうねと動き出し、ロジャーに向かって行った。

「これは?」

 瞬く間に黒い塊は、ロジャーの体を昇って行った。

 それは、無数の蟻の大群だった。蟻達は、黒い絨毯となって、ロジャーを包みこんだ。

「く、くそ」

 たまらずロジャーは手を離し、野中はどさりと落ちた。

「げほっ、げほっ」

 野中は苦しそうに喉を押さえた。

 全身蟻に覆われたロジャーも、また苦しそうに、体をくねらせていた。

「小娘! おまえも、アースリングのパワーが使えたのかっ」

 ロジャーは、顔中蟻に覆われたまま、目を見開いた。そして、拳をかざした。

「為永さん、逃げろ!」

 セーマが叫んだが、遅かった。

「アースリング! パワー! アタック! コーマ!」

 為永は、ロジャーのアースリングパワーをまともに受けてしまった。

 すぐに意識を無くし、その場に、どさりと倒れた。

 野中も、そのまま気を失い倒れていた。

「邪魔は、いなくなったな」

 ロジャーが一歩、セーマに近付いたとき、足音が響き渡った。見ると、三頭の騎馬が突進してきた。一人は、騎乗で弓を構えている。

 風切り音が掠めると、一本の弓がロジャーの肩に刺さった。

 一瞬ロジャーが蹲ると、騎馬は素早くセーマに近付いた。騎乗の蒼い髪をなびかせた女性が、手を差し伸べた。

「セーマ総督、私です。ユハネです」

「ユハネかっ」

 セーマは、素早く馬に飛び乗った。他の騎馬も、為永と野中を、迅速に馬に乗せた。そして、三頭の騎馬は、再び走り出した。

「待てっ」

 ロジャーは、片手で肩に刺さった弓を引き抜いた。

 ユハネは馬を走らせたまま、後ろを向き、再び弓を放った。ロジャーは、身を伏せて避けた。その隙に、騎馬は疾風のごとく走り去った。

 ロジャーは、じっと小さくなる影を見送っていた。

「……潰してやる。徹底的にな」

 そう言うと、掴んでいた弓をへし折った。


 野中は目を覚ました。ベッドの上に寝かされていた。

 多くの人がいるのが見えた。よく見ると、どうやら洞窟の中のようだった。

「目を覚ましました」

 誰かが言うのが聞こえた。しばらくすると、軍服を身に纏い、腰に剣をさした男が近寄ってきた。

「気分はどうだ」

 セーマだった

「大丈夫だけど……ここは?」

「分かりやすく言えば、反乱軍の基地だな。私も、こんなところがあるなんて、思いもよらなかった」

 洞窟の中なので、あまり広くなかったが、そこに多くのソルジャーが待機していた。

「紹介する。ちょっと、二人とも来てくれ」

 離れたところで、なにやら話し込んでいた二人のソルジャー、深い黒色の髪と瞳を持った男と、蒼い髪と瞳を持った女、が歩いてきた。

「改めて、紹介するよ。こちらが、私の恩人、野中君だ」

 二人は深々と頭を下げた。野中は、慌てたので、ベッドの上で正座して頭を下げた。

「どうぞお楽に。私は、ハンドリーです。セーマ総督には、とても目をかけてもらいまして、散々こき使われました」

「相変わらず一言多い」

 セーマは苦笑いをした。

「私は、ユハネです。慌ただしい中ですが、困ったことがあったら、おっしゃってください」

「彼女が私達を救ってくれた。優れたソルジャーであると同時に、優れたアースリングのパワーを持っていて、物事を分析・解析する力が優れている。さらに、医療にも精通しているようだね。野中君に適切な処置をしたのも彼女だ」

「あ、ありがとうございます」

 野中は改めて頭を下げた。

「やるべきことをしたまでです」

 ユハネは応えた。

「しかし、残念だが、そんなユハネでも、私の体に取り憑いた呪いを解くことは出来なかった」

「私には、呪術はできません。しかし、呪いを解析することは出来ます。セーマ総督の呪いを解く方法は必ずあります。それを知っているのは、ロジャー総統だけですね」

「一番やっかいなことを、さらっと言うな。今回は、なんとか生け捕りにしたいところだ」

「生け捕り? 今回?」

 セーマの言葉から、何やら不穏なものを感じて、野中は聞いた。

 ユハネとハンドリーは、セーマの顔を見た。

「野中君は、私の重要な仲間だ。ちゃんと話しておかないと」

「そうですね……」

 ハンドリーが話を始めた。

「ロジャー総統がこの世界を統一した後、幸い逃げ通せることができた私とユハネが中心になり、地下で生き延びたソルジャー達を集め、反乱の準備を進めていました。何年も準備し、ロジャー総統のもとから離れた軍人を合わせ、我々の組織は、今では、かなり大きなものになりました。そして長い間、転覆の機会を窺っていました。そんな時、この騒動です。セーマ総督の存在を知ったロジャー総統は、本気で反乱軍を潰しにくるでしょう」

「正直、すまんかった」

 セーマは頭をかいた。

「いや、むしろ、これは良い機会です。ここと同規模の基地が全国にありますが、セーマ総督帰還の報を、全ての基地に知らせました。士気は高まっています。もともと機は熟していました。あとは実行に移すのみです」

「実行……あの、いつですか?」

「明日。日の出とともに」

 ハンドリーは平然と言い放った。さすが歴戦のソルジャー。ユハネもハンドリーも、顔色ひとつ変えなかった。

 野中は呆然とするしかなかった。

「せっかくだ。ハンドリー、明日の予定を確認しようか」

「はい。今、この世界は安定しているように見えますが、実は不平・不満を持った民は全国に大勢います。我らは人数を割いて、そういった民のもとに派遣、武装組織化しました。もちろん、組織への加入は完全希望者のみで、強制も脅迫もしておりません。武装組織は、明朝全国で一斉蜂起します。準備は既に万全です。当然、軍隊を派遣して、鎮圧に向かうでしょう。しかし、我々としては、民の犠牲は最小限に押さえたいので、無理な戦いはしません。あくまで、敵の軍隊を割いて引き付けておくことが狙いです。混乱に乗じて、城に潜入し、ロジャー総統を捕縛します。上手くいけばの話ですが」

「潜入するのは、少数の方が目立たなくていいな。私、ハンドリー、ユハネ、それと野中君」

「ええ? 俺も?」

「すまんな。野中君がいないと、私は力が使えない。大丈夫。守ってやるさ」

「守るって……そういえば、為永さんは? 為永さんはどうなった?」

「それが……」

 セーマは口ごもった。代わりに冷静なユハネが説明した。

「彼女は、今も昏睡状態です。ロジャー総統に呪いをかけられました。いろいろ試みましたが、目覚めさせることができていません。そして、このまま目覚めるさせることができなければ、長くはもたないでしょう」

「そんな……」

 野中は、突然に、深い絶望に落とされた。

「目覚めさせることは出来ないのか?」

「分析したところ、一つだけ方法があります」

「あるのか? あるなら、早くそれを……」

「ロジャー総統を亡き者とすることです」

 ユハネは表情も変えず、静かに言った。野中は呆然とした。

 ただ一つ。明日の戦いには、必ず一緒に行くと覚悟を決めた。


 人間一人がやっと通れるほどの、狭い地下通路を、セーマ、ユハネ、ハンドリー、野中の四人は、一列になって歩いていた。

「この通路は、どこまで続く?」

「白の城のすぐ近くまで通じています。我々は、この数年間、何もせずにいた訳ではないですよ」

 カンテラを持ち先頭を歩くセーマが行った。

「うわっ」

 おおきなムカデのような虫が野中の上に降ってきた。

「大丈夫です。毒はありません」

 ユハネは簡単に指で掴むと、そっと地面に逃がした。

 やがて、前方に薄っすらを明かりが見えた。

「あそこです」

 ハンドリーは明かりを消した。

 そこには、岩の間にカモフラージュして、細長いのぞき窓が作ってあった。

「ここから、常に城の様子を監視しています。先日のセーマ総督のご活躍も見ていました。途中で見ていられなくなって、ユハネを救助に向かわせましたが」

「見られてたのか。こいつは照れくさいな」

 セーマは、鼻をかいた。

 窓は巧妙に数ヶ所設けられ、四方を見渡すことが出来た。

 どの窓から覗いても、辺りは全く静かだった。

「まずは、各拠点での反乱を待ちましょう」

 四人は腰を下した。おそらく周到に準備しているはずだが、説明だけしか聞いていない野中には、心配で仕方なかった。各拠点での武装隆起が無かったら、全てお終いだ。

「なあ、ハンドリー。ここで監視しているのなら、ロジャーのやつが一人で瞑想しているときに、なんで襲撃しなかったんだ。毎晩、チャンスがあったのに」

「私の分析の結果です」

 ハンドリーに代わって、ユハネが言った。

「ロジャー総統は、一人で瞑想しているとき、アースリングのパワーが通常より増大しています。うかつに手をだせません」

「なるほどね。どうりで強かった訳だ」

 セーマは、悪びれることも無く言った。

「プランはありましたが、ますは、この貴重な見張り砦を守ることを優先しました。苦渋の判断です」

 ハンドリーが言った。セーマは「分かった分かった」という態度を示した。

 四人は、その後、しばらく黙っていた。

 何かに気付いて、ハンドリーが一つの窓に近付いた。

「始まりました」

 慌てて駆け寄ると、遠くから煙が立ち昇るのが見えた。戦闘が始まったのだ。

「始まったか」

 セーマは勇んで、剣に手を当てた。

「まだです。まだ一箇所です」

「そうだな。落ち着こう」

 しかし、一つの場所で戦闘の狼煙が上がったことで、他の場所も奮い立ったのだろう。やがて各方面から、二箇所、三箇所、四箇所と戦の煙が伸びていった。

 伝令と思しき騎馬が、頻繁に城を出入りするのが見えた。

「だいぶ慌てているな」

「もう少し待ちましょう」

「分かっている」

 気が付くと、国中のあちこちで、煙が上がっていた。

「おいおい、随分と、多い方面で準備していたんだな」

「いえ。違います」

 ハンドリーが、窓の外を眺めながら言った。

「我らがソルジャーを派遣したところ以外でも、煙が上がってます。おそらく、各地の民が、この混乱に乗じて、独自に反乱を起こしていると思われます」

「なるほど。これがロジャーの統治の結果という訳か」

 セーマは、遠い目で外を眺めた。

 やがて、地響きのような音が響いた。正面の門が開いたのだ。

 騎馬の軍勢が次々と飛び出してきて、各方面に分散して行った。

「堪らず、城護衛の軍も動き出しました」

「そろそろだな」

 セーマが立ち上がった。

 四人は、巧みにカモフラージュされた隙間を通って、外に出た。

 身を伏せ、素早く城の壁にへばり付いた。

 門を見ると、左右に二人ずつ、四人の番人がいた。

「ここは私が」

 ハンドリーが一歩乗り出して、顔の前で、手をクロスに構えた。

「ちょっと待って」

 いきなり野中が制した。ハンドリーの動きが止まった。

「気を失った後の事なんだけど……俺も……何だかパワーが使えるような気がしてきたんだ」

「ほう」

 セーマが興味深そうに頷いた。

「俺に、試させてくれないか?」

 非常に大事な場面である。ここで、初めてパワーを試すなど、危険が大き過ぎた。しかし、セーマは、どこか楽しそうな顔をしていた。

「いいよ。思い切りやってみて」

 セーマの言葉に、ハンドリーとユハネは顔を見合わせた。セーマが言うなら仕方ない。

 野中は、ハンドリーの真似をして、顔の前で、手をクロスした。

「アースリング。パワー。ブロック……いや、違うな」

「いいから。精神をリラックスして。自分の中にある、パワーの記憶を蘇らせるんだ」

 野中は目を瞑り、一つ深呼吸して、再び手をクロスに構えた。

「アースリング! パワー! アタック! ウィーク!」

 野中からパワーは発散された。

 すると、門番の四人が、その場ではへなへなと倒れてしまった。

「やったな」

 セーマ達が急いで駆け寄ると、門番達は死んではいなかったが、完全に気を失っていた。

 ユハネは手をかざし、分析を始めた。

「これは、相手の力を奪うアースリングですね。呪術系で、とても珍しい」

「アースリングパワーの世界へようこそ」

 セーマは呆然としている野中の肩を叩いた。野中は、我に帰って、自分のパワーに驚いた。

「お祝いしたいところだが、先を急ごう」

 悠々としていれば、すぐに見つかる。四人は素早く門を潜ると、隙をついて城の中に潜入した。

 巨大な城の中は、迷路のようになっている。

「目指すはロジャーだけだ。ユハネ、頼む」

 ユハネは目を閉じ精神を集中、アースリングパワーによって城内を解析した。

「……こちらです」

 ユハネは走り出した。三人も後に続いた。

 曲がりくねった通路を、四人は走った。いくつもの角を曲がり、いくつもの階段を上り下りした。同じような場所を行き来している感覚に襲われた野中は、大丈夫かと思ったが、ユハネは躊躇することなく軽快に走り続けた。セーマもハンドリーも、ユハネを全面的に信頼しているようだった。

「隠れてくださいっ」

 急にユハネが立ち止まり、四人は急いで通路の物陰に身を潜ませた。

 軍人らしき者が、二人立っていた。何やら話をしている。

「聞いたか。我軍の中に、反乱軍に寝返った隊がいるらしい」

「知っている。寝返らずとも、鎮圧行動を放棄した隊もいるとのことだ」

「反乱軍がすべて合流すれば、相当数の大軍が、この城に迫ることになるぞ」

「ああ。俺達は、今のうちに逃げよう」

 二人は走り出し、やがて足音が遠ざかった。

 四人は、じっと耳をこらしていた。

「聞きましたか、セーマ総督。我等の勝ちです」

 ハンドリーは、セーマの肩をぎゅっと握りしめた。

「そうかもしれん。だが、まだ終わりじゃない。ユハネ、先を頼む」

 ユハネは、蒼い髪をなびかせ、再び走り始めた。城の奥へ奥へと進んで行く。

「近いですっ」

 ユハネが叫んだ。

 白の外装と対照的な、漆黒の通路を通り抜けようとしていた。

「危ない!」

 ハンドリーが叫んで、とっさに顔の前で両腕をクロスした。

「アースリング! パワー! ブロック! ザウォール」

 四人の側面の壁が、突然爆発した。咄嗟のハンドリーの判断で、四人は、衝撃をかわすことが出来た。だが、あまりに咄嗟過ぎたことなので、完全ではなかった。

 爆破によって飛び散った煉瓦の一部が、ユハネを直撃した。

「あぅっ」

 肺をやれたようだった。胸を押さえ倒れこむと、血を吐いた。

「ユハネ! 無理するな! じっとしていろ!」

 セーマが叫んだ。

「だ……大丈夫です。ゴホッ……ゴホッ、まだ……やれます」

 ユハネは、剣で体を支えて立ち上がろうとした。

「駄目だ。これは提督の命令だ。そこを動くな!」

 強い口調でセーマが叫んだ。

 砂ぼこりが収まると、壁に開いた穴の向こうに、マントを着た男が立っていた。

「わざわざ、ここまで来るとはな。なんとも煩わしい奴らだ」

 赤い髪が、通常よりも更に怒りに燃えているかのように見える、ロジャー・リカルド・ディーキーだった。

「ロジャー、お前の負けだ」

 ロジャーは黙って、セーマを睨んだ。

「見たところ、側近もいないようじゃないか。一人きりかい? 人望がないねえ」

「黙れ。私は軍人。目の前の敵を倒すのみ」

 ロジャーは拳を突き上げた。

「アースリング! パワー! アタック! ナックル!」

 しかし、ハンドリーが素早く両腕をクロスした。

「アースリング! パワー! ブロック! ザウォール」

 ロジャーのアースリングパワーは強力だったが、ハンドリーのアースリングパワーによって、全て弾き飛ばされた。ハンドリーのパワーは、以前よりも向上していた。

「次はこっちの番」

 セーマは、人差し指と中指を額に当てた。

「アースリング! パワー! アタック! ライトニング!」

 轟音と共に、凄まじい稲妻が、ロジャーを直撃した。ロジャーは一瞬、片膝を付いたが、すぐに立ち上がった。やはり、セーマのアースリングパワーは弱いのだ。

「これでは、埒が明かない」

 セーマは剣を抜いて、ロジャーに飛びかかった。だが、ロジャーもすぐ剣を抜き、なぎ払った。

 間髪入れず、剣をふるったが、やはりなぎ払われた。何度も何度も、目にも止まらぬ速さで、剣をふるうも、全てかわされる。

 セーマは、剣にも絶対の自信を持っていたが、やはり、ロジャーの呪いのせいで、完璧ではないのだ。

 逆に、ロジャーの攻撃に押され始めた。全力でかわすが、ロジャーの剣が額を擦り、血が流れた。

「セーマ総督!」

 ハンドリーも剣ぬ抜いて、ロジャーに飛びかかった。

 ロジャーは、わき目もふらず、右手の剣でセーマを制したまま、左で懐から短剣を取り出し、素早く投げつけた。

 短剣は、ハンドリーの肩に突き刺さった。

「ぐっ」

 ハンドリーは倒れた。

「だから精進しろと言ったのに」

 セーマは言ったが、ロジャーの猛攻は続いている。持久力も万全とはいえない。どうにか、かわしてはいるものの、手の力が弱ってきているのが分かった。

 やがてロジャーは剣を大きく振りかぶった。セーマは顔の目前で、剣を横にすることにより、相手の剣を受けたが、ロジャーは力を抜かない。本来なら、すぐ振り払うのだが、力が弱って出来ない。ロジャーは力を緩めず、剣先は、セーマの顔のぎりぎりとところまで迫っていた。

 野中は、圧倒されて、ただ眺めていたが、ふと我に返った。

 そうだ、力を使ってみよう。

 先程は上手くいったが、また上手くいくかどうかは分からない。しかし、何かしないと。

 野中は胸の前で両手をクロスした。

「アースリング! パワー! アタック! ウィーク!」

 何も起こらない。

 ずっろセーマは、ロジャーに追い詰められている。このままでは、セーマがやられてしまう。

 どうしたらいいんだ。何故、アースリングパワーが使えない。

 ふと、セーマの言葉を思い出した。

「精神をリラックスして。自分の中にある、パワーの記憶を蘇らせるんだ」

 野中は眼と閉じた。

 自分の中のパワーを信じろ。自分の中の全ての細胞よ。自分にパワーを蘇らせてくれ。パワーに集中だ。集中するんだ。

「アースリング。 パワー。 アタック。 ……ウィーク!」

「ああ!」

 突然、ロジャーが剣を落とした。

 そのまま、よろけて、セーマから離れた。

「力が、力が出ない……」

 やがて、よろよろよ両膝を付いた。

「小僧! 何をした」

 野中は、無我夢中で腕をクロスしたまま、アースリングパワーを送り続けた。

「貴様……見ておれ……くっ、駄目だ、アースリングパワーも使えない」

 セーマはゆっくり起き上がり、ロジャーの首に剣を突きつけた。

「セーマ! いつまでパワーが続くか分からない。はやく、とどめを!」

 野中が叫んだ。

 ロジャーは、セーマを睨んだ。

「貴様に私が殺せるかな?」

 セーマは無表情で、じっと剣を突き付けていた。

「私を殺したら、永遠に、私の呪いは解けない。それでいいのか?」

「そいつを殺してくれ。そうすれば為永さんは助かるんだ!」

 セーマは何も言わない。

「頼む! お願いだ! 為永さんを助けてくれ!」

 野中は涙を流した。

 ロジャーは薄笑いを浮かべた。

「約束しよう。私の命を助けてくれたら、呪いを解いてやる。どうせ、もう、我の戦は負けたのだ。昔のように、力の持った総督として、この世界を統治することが出来るぞ」

「セーマ! 為永さんを……」

 野中は、もはや声を出すことも出来ず、ただ涙を流した。

「どうだ。肉体は以前の強さを取り戻し、そして、それ以上の栄光が待っている」

「……」

 セーマは、黙っていた。

「……」

 すっとゆっくり剣を下げると、セーマはくるりと背中を向けた。

「私の言う事を分かってくれたか」

「……悪いなあ。俺は、ただのジャンガリアンハムスターでいいんだ」

 そう言うと、セーマは振り向きざま、剣を振り下ろした。


「ん? なんだ?」

 野中は自分のアパートで目を覚ました。

 座ったまま、ベッドにもたれて、そのまま眠ってしまったらしい。

「なんか、随分と、長い……夢を見ていたような気がする……」

 軽く頭を降った。

「なんだ、もう暗くなってるじゃん」

 野中は慌てて蛍光灯を点けた。ハムスターのケージが目に入った。

「おう、そうだ。ごめんね、買ったばかりで放ったらかして」

 ハムスターは、くりくりとしたつぶらな瞳で、野中を見つめた。そして、ケージの端を、がしがしとかじりだした。

「そうそう。おやつの続きをあげようか」

 野中は腰を上げた。

 その時、携帯電話が鳴り出した。発信者は為永。

「おっ、為永さんだ」

 野中は、その名前を見るのは、いつも楽しみだったが、今は、不思議に、何とも言えない感慨におそわれた。

 どうしたんだろう。

 野中は電話に出た。

「あ、もしもし。……うん、大丈夫。今日ね、ついに買ったよ、ハムスター」

 楽しく話を続けた。いつもと同じように。

 その様子を、ハムスターはじっと見つめていた。

 いつの間にだろうか。

 その額に、小さな傷がついていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ