ヴァンパイアが飲むものって何だろう?
アテルはネズミを食べたあと、少し太めの丸太をたくさん採りにいった。
この丸太をきっちり隙間なく並べ、そのうえに草を山盛りのせて、平たくならした。
ベッドを作ろうとしているらしい。
最後に頭の位置に、さっき食べたネズミの頭骨を一つ置いて完成――
「リリーン様、お待たせしました。慣れないので時間がかかりましたけど、たぶんふかふかです」
「……ありがとう。骨は? 骨に意味ある?」
「リリーン様がお食べになったネズミの骨なので、目印にわかりやすいかな、と」
小さな骸がうらめしげにこっちを向いている。
これ、私が食べたネズミのなれの果てなのか。
ちらっとアテルを見た。彼女は疑問を理解してくれた。
「あっ、残っていた身は綺麗に削いでおきました! ちゃんととってあるので、明日の朝でも食べられます」
「そう……ありがとう」
余計なことを聞いてしまった。
アテルは得意げに大きな葉っぱを取り出した。今の私の体なら二、三枚ですべてをおおえるサイズ。
何を求められているかを知って、私はそっと簡易ベッドに横になった。
アテルが葉っぱを上にのせていく。
何だろう。微妙な気持ち。香草を乗せた蒸し焼き前の魚みたいな。
「アテルは? アテルはどこで寝るの?」
「私は火の番と見張りをします」
「え? 寝ないの?」
「ヴァンパイアは一晩くらい寝なくても問題ないのです!」
力強く言い切ったアテルは、やる気に満ち溢れている。
そういう話なら私もヴァンパイアのはずだ。今は特に眠くもない。
「いけません! リリーン様はお休みになられないと! 今日は、私の為にお力を使っていただいたのですから!」
起き上がろうとした私の側に、アテルがあわてて駆け寄った。
泣きそうな顔で「お休みになってください」と懇願される。
またも圧力に負けた私は、「そこまで言うなら」と横になった。
「アテルも、眠くなったら寝ていいから。それと、もう一つベッドは作らないの?」
「私はどこでも眠れます! もし寝る時はそこで!」
アテルが指さした先には、小さなネズミの頭骨が二つ並んでいた。
入り口すぐの岩場だ。
「ここなら何かあっても盾になれます!」
盾って。
私ごとき、とか言うし、随分自分の評価が低そうな子だ。
それに私のステータスを考えると、そうそう死なないと思う――いや、こういう油断はダメだ。まだ何も確認できていない。999が普通の世界だってありえる。
不安も大きいし、近くに人がいるのはありがたい。
悪い子じゃなさそうだし、守ってくれるというなら、それに甘えよう。
明日ゆっくりアテルと話をしてから――
そんなことを考えていると、ふいに睡魔が訪れた。たき火のぱちぱちという音が、遠くで聞こえる感覚。
草の上でも眠くなるなんて、リリーンの体の図太さには感謝しないと。
***
【アテルside】
無事に眠ってくださった。
その寝顔をチラ見して思わず身震いする。
何度見ても神々しさの塊のような方だ。小柄だが、おそらく相当高位のヴァンパイアに違いない。
紅い瞳がその証だ。
自分がヴァンパイアに拉致されて、なぜか吸血される間際に気に入られて数年。
人間からヴァンパイアに生まれ変わった私は、元人間であることを活かして、贄を探す仕事を強いられていた。
そうしなければ両親が殺されるからだ。
だが、ふとした時に知った。両親は私が拉致されたあとすぐ、別の盗賊によって殺されていたらしい。
その事実はひた隠しにされていた。
「これからどうしよう……」
首筋の二つの小さな傷痕と、手首のサソリ紋の烙印。
消えない呪縛だ。
世界でも屈指のヴァンパイアの一人、《教祖プルルス》につけられた傷であり、生まれ変わったきっかけだ。
追われている理由でもある。あのヴァンパイアは逃亡者を許さない。
部下も多い。
プルルスが使役する《無業鬼》というモンスターは、一体でも化け物じみた強さを持っている。あんなやつが何人もいると思うと気が滅入る。
同じヴァンパイアの従者といっても私じゃ勝負にならない。
まして、サソリ紋の仮面を持った追手に追われる私なんて、誰も助けてくれない。
プルルスにケンカを売るようなものだから。
でも――
リリーン様はそれをわかっていて助けてくれた。
サソリ紋の仮面を見ても、顔色を変えずに《血界術》を使ってくれたのだ。
すさまじい技だった。
「もし次に追手がきたら……」
気持ちが落ちかけたところで、顔をぱんと叩いて気を引き締める。
今はリリーン様の静かな一夜を守らないと。
***
「意外と眠れるもんだ」
体を起こす。外は陽が昇り始めていた。
アテルは入り口近くの壁に背を預けて、うたた寝中だ。
昨夜の勢いが嘘のように、少女の寝顔はあどけない。
慣れない見張りだったんだろう。
どうして初対面の彼女がここまで尽くしてくれるかわからない。
あの仮面たちを追い払ったことに、恩を感じてくれたんだろうか。
「ん?」
意識していないのに目の前に深緑色のウインドウが現れた。
枠が赤く光り、右上で文字が点滅している。
――赤い飲料を摂取してください。
なんだこれ?
赤い飲料って――まさか。飲まなければどうなる? 死んじゃう?
「アテル、起きて、アテル」
「う……むー」
「アテル」
「えー、リリーンさまぁ……っっはっ!?」
アテルの目が限界まで見開かれた。
バネ仕掛けの人形のように跳び起きた彼女は、平身低頭で謝り倒す。
「も、も、申し訳ありません! 見張りをすると――」
「ああ、もういいから、それより教えて。大事なこと……だと思う」
「はい?」
「私、赤い飲み物がいるみたい。何か知ってる?」
私はフラットな感情でそう伝えた。
その瞬間、アテルの顔が少しだけ寂しそうに歪み、達観したような顔で小さく頷いた。
「心得ています」
「ヴァンパイアに必要な飲み物って――」
「すべてアテルにお任せください。私の……得意分野です」
「アテル?」
「少しだけ時間をください」
彼女は何かを耐えるように震えた。
けれど、一瞬だった。
「どうしようもないのですから」とつぶやいて、風のように仮住まいをあとにし、森の中に消えた。
そして、数時間後。
アテルは戻ってきた。
体に無数の傷を作り、町娘の服装は切り刻まれたようにボロボロだった。額から血を流し、片目を閉じて歩く彼女は片手で鎖を引いていた。
その先には、桃色の長髪にウサギの耳を生やした少女がいる。幼さの残る顔に浮かぶ瞳は灰色で、すべてをあきらめたように無感情だった。
暗い色のドレスに身を包み、色々と着飾った姿は不自然なほど煌びやかだ。
「アテル、どうしたの!? 何があったの!?」
「ご安心ください。この少女は処女です」
アテルは鎖を引き、ウサギ耳の少女を床に抑えつけ、首元を露出させた。
「贄を探すのに時間がかかりまして。近くの街道を探したのですが、運良く――」
「違う」
「え?」
「私は、アテルに何があったのかって聞いた。そのケガはなに? 誰にやられたの?」
「……そ、それは」
「その子を誰かから奪ってきたの?」
アテルが呼吸を止めた。図星だろう。
自分の瞳が吊り上がったのがわかった。
「私はそんなことを頼んでない。血を吸うとも言っていない」
「で、ですが……ヴァンパイアの飲み物が必要と……」
「赤い飲み物がいるって言っただけ。別に血じゃなくていいでしょ。赤かったらいいんだから」
「それは……本当ですか?」
「もちろん」
ウインドウの文字は今も『赤い飲料』としか表示されていない。
赤い飲料ならいくつか心当たりがある。
そもそもJRPGを完全に現実世界に馴染ませるのは無理だ。
普段の生活も食事も何も描かれていないゲームをどう落とし込めばいい。
だいたい『血界術』さえ、最初の設定から飛躍して、謎の液体で串すら作れる術になっている。
それに比べれば、ヴァンパイアの飲み物が『赤い飲料』になったことなんて、誤差みたいなもの。
ゆるい設定であるなら、『血』に限る必要はない。
「アテル、この辺りで赤い飲み物に心当たりはある?」
「……あります! 早速!」
「待ちなさい! こっちに来て」
まったく。この子は本当に落ち着きがない。
膝をつくアテルの頭に片手を乗せた。
――愚者の祝福
黒い霧が瞬く間に彼女を包んだ。
このスキルは闇属性に近いものが使える回復手段の一つ。ヴァンパイアには聖属性の普通の回復が効かない。
愚者の祝福はその点、聖属性でも闇属性でも回復が可能だ。
ただ、MPの消費が激しく、回復量がいまいちだ。正直なところ、ゲーム内の強敵と戦うなら、回復役を別に用意した方がいい。
とは言っても、私はLV776だ。アテルは全快だろう。
MPの消費も私のステータスならわずかだ。
「こ……こんなことって」
霧が消えると、アテルの体は綺麗になっていた。
こびりついた血は落ちないけど、止血はできたようだ。
効果が出て良かった。
「悪いけど、飲み物お願いね」
「はいっ! 行ってきます!」
アテルが再び風のように飛び出した。
ウサギ耳の少女は無言で横たわったままだ。
鎖を指先でつまむと、簡単にひしゃげて砕けた。
常人離れしたステータスの前には金属の意味がないらしい。
少女がぽかんと口をあけた。ただ、逃げない。せっかく自由になったのに。
「リリーン様、戻りました!」
アテルは自分の上着を袋のように使って戻ってきた。
中にはたっぷりの赤い実が詰まっていた。
小さなイクラが集まったような形。
クサイチゴに似ている。
「すぐに準備します」
手近な石を見繕い、コップになるように指先で削って穴をほる。
洞窟作りに比べたら簡単なんだろう。
そして、ぼろぼろの衣服を勢いよく脱ぎ去り、木の実を包んで両側から絞り始めた。
ぽたりと汁が落ちる。
そこからは一瞬だった。
コップ半分くらいの量の赤いジュースが完成した。
「飲んでいい?」
アテルが期待に満ちた眼差しを向ける。
理由を不思議に思いつつ、ごくりと飲んだ。
うっ、だいぶ酸っぱい。甘さが足りなくて、望んだ味じゃない。
けど、ウインドウの文字が消えた。思ったとおり赤かったら何でもいいらしい。
いい加減な世界だけど――助かった。
吸血は嫌だ。
「ありがとう、アテル」
「……天使」
「何か言った?」
「いえ! リリーン様のお役に立てて良かったです!」
「本当に助かったよ」
私が笑顔を向けると、アテルはそれ以上の笑顔で応えてくれた。
そして、それをずっと眺めていた少女がぼそりと言う。
「私……血を吸われるんじゃないの? ヴァンパイアは血を吸うって……」
アテルがその言葉に反応し、なぜか得意げに胸をはった。
「リリーン様は規格外のお方だから、血は必要ないのです」
「ほんとに?」
「今、見たでしょ? リリーン様はあれだけで渇きを乗り越えられる。これは……真祖の証。まさか、まさかって思ってたけど、さっき確信しました」
「し、真祖って……あの真祖なの? う、そ……」
ウサギ耳の少女が言葉を失っている。
「真祖?」
私は首をかしげた。何が驚くところかわからない。
真祖といえばヴァンパイアの元みたいなものだ。たぶん。
そういえば、《降臨書》の個別説明欄で見た気がする。
そっかあ、リリーンは真祖だったのか。
まあ、どっちでもいいけれど。
「そんなことより、アテル。この子、どうしよう? どこから連れてきたの?」
「それは……街道を通る馬車から……その……奪いました。どこかに運ばれる途中だったみたいで」
「返せる?」
「誰も殺してないので、返しにはいけます。ただ、たぶん怒り狂ってると思うので……」
「そうだよね。まあでも――奪ったのはこっちだし、返しにいこう」
「承知しました」
「ま、待って! お願い、待って! 返さないで!」
ウサギの少女が慌てて私の足にすがりついた。