レッツワーキング!
私たちはミャンと別れ、宿に泊まった。
食事は自分たちで持ち込んだ食材で調理する木賃宿だ。
ウィミュが持っていた干し肉をとりあえずかじっている。
たった一つのベッドを前にして、申し訳ない、と恐縮するアテルに、私は「寝られる場所だけでありがたい」と言った。
本当だ。
社畜の私は借りた住宅にほとんど帰れない生活だった。
駅のカプセルホテルでも寝たし、会社の仮眠室で寝ていたときもあった。
どこでも寝られる体質なのだ。
「さきに体を清めましょう。外で水浴びができます」
一階の裏口から外に出た。
ついたてで囲まれた場所で水浴びし、汚れを落とした。
「ウィミュ、水飛ばしすぎです!」
「だって、これしかできないもん」
頭からかぶった水を、ウサギ族は体をぶるると震わせて飛ばした。
大きな胸だけには少し残るようで、そこだけ拭いている。
アテルが視線を逸らし「脂肪のかたまりです」と拗ねたように言った。自分の胸と比較していたことは突っ込まなかった。
「さあ、リリ様、どうぞ……良かったら背中や体を拭かせてもらいます」
「結構です」
下心見え見えのアテルが、薄いタオルを持ってにじり寄ってきたので、両目に指突きの刑を与えた。
悲鳴をあげて転がりまわっている。
――最近露骨すぎるから、少しは反省しなさい。
私とウィミュは素早く着替えて部屋に戻った。
ロウソク一本の明かりの部屋で、ベッドに腰かける。
いつの間にか、アテルとウィミュも座って、自然と全員が寝転がっていた。
小さなベッドに川の字。
「リリ様はどうして、あの山にいたのですか?」
「私が聞きたいなぁ。気づいたら棺の中だったの」
「誰かに封印されてた、とか」
「リリを封印できる人なんていないと思うけど。だって、リリって強いもん」
「封印される前のことは覚えてないのですか?」
「夢でも見てたんじゃない」ウィミュが言った。
「そうかもね。とっても疲れる夢だった気がする」
思わず自嘲気味に笑った。
毎日、何かに追いかけられて疲弊して、酒とアイスに逃げていた。
「とりあえず、お金を稼ぐのが大変だった」
「リリ様」
隣で寝ころんだアテルがこっちを見た気配がした。
「私――明日からがんばります。ツテを使って、稼いできます!」
「ウィミュも! 頑張るよー!」
二人のポジティブな声がとても心地よかった。
私も、負けないようにがんばらないと。
***
「って、思ってたら、ひどい話。勝手にどこ行ったのよ」
朝起きて、私は愕然としていた。
アテルとウィミュが部屋にいなかったからだ。
階段を降りて小さなロビーに降りると、優しそうなおばあさんが近づいてきた。
年齢のわりに背筋がのびて、しゃきっとした印象の人だった。
「お嬢ちゃん、よく眠れたかい?」
「ええ、おかげ様で。あの、私の連れを知りませんか? 今朝、いなくなっていて」
「元気なお二人さんなら、もう働きにいきましたよ」
「えぇっ!?」
「伝言も預かっていて、『部屋でゆっくり休んでいてください』とのことですよ」
「うえっ!? 私、置いていかれたの……」
「無理をさせたくないのでしょう。それだけ、お嬢ちゃんが大切ってことですよ」
おばあさんはそれだけ言って、「さあ、掃除でもしましょうか」とのんびり戻っていった。
私はぽかんと口をあけた。
あの二人だけに働かせて、私が惰眠をむさぼるだけなんてありえない。
そもそも、働く原因を作ったのは私なのだ。
「まったく……困った二人。でも――その提案はお断りだから」
私は笑みをこぼして、外に出た。
***
「私に何ができるか……この世界でマーケティングの企画書なんて役に立たないだろうし」
「あの、新しい見習いさんですか?」
「はい?」
振り返ると随分小柄な少女がいた。
私よりは背が高いけれど、おどおどした雰囲気で、より小さく見えた。
「わぁ、遮魔布がとてもお似合いです。準備がいいんですね」
遮魔布? ああ、この目元を隠した布のことね。
「私、ナリアリと言います。入るのは勇気がいりますよね。どうぞ、私が案内します」
ナリアリと名乗った黒髪の少女は、首を回して隣の建物を見た。
くすんだ白い十字架が掲げられた教会が建っていた。
壁に、急ごしらえで直された無数の跡がある。
私が立ち止まっていたのはこの教会の前だったらしい。
「さあ、どうぞ。正しき神は迷える子羊を常に導いてくださいます」
「あっ、ちょ――」
強引な態度を断りきれず、私は促されるままに教会へ連れられた。
中はよく知る教会そのものだった。
横並びの椅子と背もたれにかかっている古びた聖書。
柔和な表情のシスターが、信者たちを前に何か準備をしていた。
が、その準備の内容が問題だ。
どのシスターも武装している。
革鎧を身に着け、槍の穂先を磨く女性や、魔法の杖の宝石に息を吐きかけ、布で磨いている女性。スクロールっぽいものを一心不乱で書き上げている女性と、組手を繰り返す女性。
どこの武闘派組織だろうか。
ナリアリがそれらを眺めてうっとりした顔で言う。
「知っているとは思いますけど、今日は月に一度の入信の日ですから、シスターたちもとても力が入っておられます」
「あ、うん……」
「ここに集まっている少女は、みんなあなたと同じ思いです。ヴァンパイアのいいようにはさせない――その一心です。」
背後でかちゃん、かちゃんと規則正しい音がした。
こそっと盗み見ると、折り畳みのバタフライナイフを開いて閉じてを繰り返していた。
柄についている輪を起点に、ナイフをくるくると手の周囲で回して、ぱしっと受け止める。
職人芸だ。
ナリアリが視線に気づいてにっこり微笑んだ。
「あら、ごめんなさい。この場では優雅さに欠けますね」
「いえいえ、すごいなあって」
「あなたもすぐに、これくらいできるようになりますよ」
「そっかぁ……あの、シスターって儲かります?」
「はい?」
ナリアリの眉間に青筋が浮かんだ気がした。
私は「忘れてください」と正面に向き直った。
かちゃん、かちゃんという音が早くなった気がする。失言だった。
ここは崇高な組織。武闘派の崇高な組織。OK。
「今日は、よく集まってくれた。シスター代表のウェイリーンだ」
中年の女性が前に立った。彼女も遮魔布を着けている。
でも、背中に大剣をかけたシスターがどこにいるだろう。
いや、宗教と戦争は紙一重だったか。
「ヴァンパイアは恐ろしい。やつらと戦う以前に、私たちは大きなハンデを背負っている。それは目だ。知ってのとおり、やつらと目を三秒以上合わせて命令された場合には、強烈な催眠状態に陥る」
「え?」
初めて聞く事実だ。
ヴァンパイアにはそんな能力があったなんて。
「だから、遮魔布は絶対に外すな。これがあれば十秒は耐えられる。同士討ちもない。戦闘において、ほぼ目を気にしなくていいようになる。わかったかな、新入り諸君」
「「「はい!」」」
少女の緊張感に満ちた声が響いた。
遊びじゃないらしい。
背中をつうっと冷たい汗が流れた。絶対に道を間違ってしまった。
「ヴァンパイアの贄なんぞ、くそくらえだ。血を吸われるなら、それ以上の血を敵に流させろ!」
「「「はいっっ!」」」
「今日は、入信の日。ヴァンパイア側もこの日は逃さない。この洗礼を乗り越えてこそ、『真祖教会』のシスターたりえるのだ。全員、戦闘準備!」
「「「「「はっ!」」」」」
壁際に並んでいたシスター兼ソルジャーたちが、椅子を蹴っ飛ばした。
急ごしらえのバリケードを作っているらしい。
「ひよっこには傷一つつけさせるなよ! 敵がくるぞ」
「「「「了解!」」」」
唖然としているうちに、ナリアリにまた手を引っ張られる。
しかも、力が強い。
「さあ、あなたもこちらに」
「いや、私は、ほんとに!」
「わかっています、わかっています。心躍るのでしょう? わかっていますよ。でも、新人さんは訓練が終わってから。ね?」
「ぜんぜんちがうって」
――バゴン
そんな音が教会内に響きわたった。
薄暗かった室内が唐突に明るくなった。入口付近の壁が完全に破壊されたのだ。
さっきの無数の修復跡はこれだろう。
黒い皮膚のぶよぶよした化け物や、赤い目の獣人。石の体を持つゴーレムに、羽を持った悪魔。
どこかで見たようなモンスターも混ざっているけれど、☆1か、せいぜい☆2だったはず。
それよりも問題は、相手が会話もなしに突然魔法をぶっ放してきたことだ。
「今日こそくたばりやがれ、腐れシスターども! プルルス様のご慈悲も限界だ!」
「何かといえば主人に泣きつくしかない駄犬め、あんたらは冥府に繋がれているのがお似合いさ!」
目の前でありとあらゆる色の魔法が飛び交っている。
基本的に行動順が決まっているゲーム内では想像できない乱戦だった。
「火魔法ありったけ、ぶちこみな!」
「「「「了解」」」」
ウェイリーンの怒号に応じて次々と火魔法が飛んだかと思えば、
「闇魔法、左翼だ。あっち疲れてるぞっ」
「ついでに雷もまぜてやる! くらえやっ!」
などと敵の士気が一気に上がる。
「いつまでも雷にやられると思ったら大間違いなんだよ! スクロール! 反射!」
「うぉっ、貴重なスクロールまでっ!?」
敵に動揺が走った。
定番の雷魔法を反射されたことに、よほど驚いたらしい。
「これで、もらったぁぁぁ!」
ウェイリーンが吠えた。
だが――敵は強かった。
後方から、味方を吹き飛ばしながら盾となったものがいたのだ。
「ふぅぅぅぅっ」
長い息を吐いたモンスターは巨体を起こした。
教会の高い天井に届こうかという上背を見て、ウェイリーンたちシスターが息を呑んだ。
逆に敵側が一気に勢いづいた。
「さすが、嗜虐翁ディアッチ様! やっちゃってください!」
牛のような体がじりじりと距離を詰める。
ウェイリーンが一歩あとずさった。だが、ぐっと唇を噛みしめた。
ここは譲れないと思ったのだろう。
「こ、こいつが噂に聞く嗜虐翁か。図体だけはでかいようだね。火魔法、発射っ!」
仲間の援護を受け、空中を炎の塊が駆けた。
あまりに綺麗な放物線が――ディアッチの斧の一振りで掻き消えた。
周囲が絶句した。
「無駄な抵抗はやめよ。我が出てきたからには――はっ!?」
瞳が落ち着きなくぎょろぎょろと動いた。
ウェイリーンのはるか後方。もちろん、私を見つけたのだった。
ディアッチが硬直した。
周囲から「どうした?」と訝しむ声が聞こえた。
――私はとっても嫌で、全然気が進まなかったけど、これはどうしようもないなと思って前に出た。
沈黙の中、シスターたちが息を呑む音が聞こえた。
「ディアッチ……さま、どうか私に免じてお許しいただけないでしょうか?」
「ぬ……ぉお」
ナリアリ、ウェイリーン、ひよっこと他の武闘派シスターたち。
痛いほどの視線を背中に受けて、私は見様見真似で両膝をついて祈りのポーズをとった。
吐きそうだった。
「どうかお許しを――お許しをっ」
私の視線が遮魔布を貫通してディアッチを捉えた。
瞬間、四つ足の牛のモンスターは何も言わずに動き出した。
だらだらと顔に汗をかき、完全に戦意を失っていた。
「今日は……腰の調子が悪い。帰ろう」
「えぇっ!? ディアッチ様、一体どうしたんですか!? あんなガキの言うことを聞くんですか!?」
「子供を殺すのは良くない」
「子供の首をねじるのが趣味じゃなかったんですか!?」
「もうやめたのだ」
「ええっ!? ちょっと待って、ディアッチ様!」
巨体は疲れたサラリーマンのように肩を落としていた。
周囲のモンスターたちが捨て台詞を吐きつつも撤退していく。
壊れた壁と魔法のあと。戦いの爪痕は残っている。
でも――終わった。
「なんてやつだ! あの嗜虐翁を祈りで退けるなんて!」
「救世主の祈り!」
「真祖の到来だ!」
色んな意味で終わったと思う。
背中で聞こえる歓声と過度な期待の眼差しが痛い。
私は膝のほこりをはたき落とし、くるりと回って全員に向き直った。
場がしんと静まり返った。
「あの――お世話になりました!」
私は逃げた。全力で逃げた。
教会は怖い。




