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やる気出ない毎日に現れた、あなたは誰?②

 * * *


 広大な城ではあるが、そんなに複雑な造りではないから、中庭へ出るまでにそれほど時間はかからなかった。


 かといって目当ての人物がいつまでもそこにいる保証はなかったが、幸い声の主はまだその場にいた。


 ちょうどベンチから立ち上がったところに間に合ったから、カノンは急いで駆け寄る。


「待って!!」


 少し大きな声で呼び止めると、歩き出そうとしていた女性はビクッと肩を震わせ、足を止めた。


 そろそろとカノンのほうを振り向いたその顔は、若いというより幼い。素材は上質だが、地味で飾り気のない濃紺のドレスを着た少女。


 髪はまっ黒だが、瞳はクローベル家の人々と同じ琥珀色。出で立ちからすると使用人には見えないから、城主の親戚だろうか。


 そうだとしたら、なぜカノンに紹介されていないんだろう?

 城に来てからもう一週間も経つのに初めて見る顔だ。


 くりっとした丸くて大きな目に、鼻も口も小さく、小動物っぽくてカワイイ。雰囲気的にリスって感じ。


「あの……あなたは……」


 息を切らしながら訊ねると、少女は緊張した面持ちで背筋を伸ばし、ぴょこんと頭を下げた。


「ご挨拶が遅れまして、タリサと申します。当主の次男にして第五子、エミールの娘です」


 おどおどした態度のわりに、自己紹介の言葉はスラスラと出てきた。

 たぶんカノンに会って名を聞かれたらこう答えるようにとあらかじめ教えられていたんだろう。


「タリサ……」


 珍しい響きだが、なかなかいい名前だ。それにしても。


「クローベル公のご次男のご息女って、あなたもご当主のお孫さんてことよね?

 どうして今まで紹介してもらえなかったのかしら?」


「あ…それは…」


 タリサと名乗った少女はキョロキョロとせわしなく両目を動かした後、シュンとして俯いた。


「その……父は、私の母とは正式な結婚をしていなくて……

 一応、お祖父様が嫡出と認めてくださっているのでクローベルの姓を名乗るのは許されているんですが……


 要するに私生児なんです、私は」


「私生児?」


「はい。母が……父とは私が物心つくまえに別れたそうなので、私は思い出もないんですけど……


 父と結婚できるような身分ではなかったんです。

 旅の劇団の、歌い手だったそうで」


「ふーん……?」


 己の出自を語るタリサは悲しそうだが、それを聞いてもカノンはだから何よ、としか思わない。


 父親が名のある貴族で、当主も嫡出の孫と認めているなら、それで良くね?

 母親の身分が低いとか、関係なくね?

 私なんか貧乏街スラムの孤児のくせに、王太子と結婚しようとしてたんですけど。


 これら頭に浮かんだことを、もう少し丁寧に直して伝えると、タリサはきょとんとした顔でカノンを見た。

 目を丸くしたその表情が、可笑しいやら可愛いやらで、カノンはクスッと笑う。


「だから、他ならぬご当主がいいって言ってるんだからさ、出生とか気にしないで、堂々と貴族令嬢でございって偉そうにしてりゃいいのよ。


 特に私みたいにもう出自がゴリゴリの貧乏人って確定してる奴なんかにはさ、へりくだることないって」


「いえ…そんな…」


「いーのいーの。マルグリットだってそうしてるんだしさ。

 まぁ、100倍にして返してやってるけど」


 ふふん、と得意げに髪をかき上げてみせると、タリサは少しだけ笑ってくれた。


 うん、暗い顔より、ずっといい。やっぱり女の子は笑ってないとね。


「あの…カノン様ですよね?王都から来た、子爵の」


「へ?」


 タリサに訊ねられてようやく、カノンは自分がまだ名前も教えていないことに気づいた。


「あ、ゴメンなさい。

 そう、宮廷で大騒ぎして王都から追い出された元伯爵令嬢で、今は子爵、でも名乗るほどの苗字はないカノンでぇっす」


 軽快なステップでくるっと一回転しながら簡潔に自己紹介すると、タリサは控え目にクスクスと笑い、それから胸を撫で下ろした。


「良かった、気さくな方で……

 みんなひどい噂ばっかりしてましたけど、全然違うみたい」


「あら、そう?」


 タリサにさとられないよう普通の顔をしているカノンだが、実はけっこう自分でも驚いている。


 こんなに気取らず、自然体で振る舞えたのなんて、いったい何年ぶりだろう。

 宮廷にいた頃は庶民だからって舐められないよう片肘張ってたけど、気づかないうちに無理してたのかな。

 何だか肩が軽いわ……


 作り笑いではない、心からリラックスした笑顔を浮かべているカノンを見て、タリサは琥珀色の瞳を輝かせた。


「ああ、でもお美しさは聞いていた通り、素晴らしいわ……本当に花の精みたいな方」


 うっとりしているタリサに、ありがとう、あなたも凄く可愛いわよと伝えると、そそそそんなことは、そんなことは、と目に見えて焦り出した。


 あまり褒められるのに慣れていないのだろう。

 わたわたする姿がどうにも愛らしくて、もういっちょ褒めることにする。


「それに声もいいわね。さっきの歌、とーっても素敵だったわ」


「え………」


 ジタバタしていたタリサは、ぴたりと動きを止め、少し不安そうな、でも真剣な表情を浮かべる。


「ほ、ほんとですか?私の歌…良かったですか?」


 縋るような目を向けてきたタリサに、カノンは自信を持って、しっかりと頷く。


「ええ、もちろん!!私、昼寝しようとしてたんだけど、あんまり上手いから目が覚めちゃったくらいで…


 そうだ、もう一回、ここで歌ってくれないかしら?ぜひ近くで聞いてみたいわ」


 タリサはどうしようか迷っているようだが、カノンがベンチに座って待ちの体勢を取ると、心を決めたようだ。

 息を吸い、吐き、また大きく吸って、歌いだした。


 ……あぁ、本当に、なんて綺麗な声。


 さっき距離を置いて聞いたのも趣があって良かったけど、近くだとまた臨場感が違う。

 マルグリットが歌っていると苛々した詞も、全然気にならないどころかすこぶる良いものに聞こえる、心に沁み入る。


 複雑に変わる旋律と音程のなか、高く上がる部分も長く伸ばす音も、タリサは澄んだ声のまま難なく表現し、みごと歌いきった。最後のフレーズを奏でた彼女の小さな唇が閉じた後、カノンはほぅっと小さく息をついた。


 自らの呼吸もおろそかになるくらい、聞き惚れていた……心地良い余韻に浸りながら、奇跡的な歌声の持ち主に小さく拍手を贈る。


「はーっ……本当に素晴らしいわね……

 いつもその歌、マルグリットが伴奏つきで歌ってるけどさ、同じ曲とは思えないわ」


「ああ……」


 マルグリットの名前を聞いて、タリサは困ったように眉を下げた。


「確かにあの人が歌うとイマイチだけど、仕方ないんです。

 マルグリットの声の音域はアルトなのに、この歌のキーはソプラノだから、どうしても高音を出そうとすると割れたり掠れたりしちゃうんです」


「ふーん?」


 あまり音楽には明るくないカノンだが、声の低いマルグリットが高音メインの曲を歌うから無理があるというのは何となくわかった。

 わかったけれど、そうするとまた別の疑問が湧いてくる。


「そういうことなら、アルトの曲を歌えばいいのに。

 どうしていつもあの歌ばっかり練習してんのかしら?」


 聞かされるこっちの身にもなってみろ、とゲンナリしているのだが、タリサはその答えも知っていた。


「それもしょうがないんです。

 今年の記念公演でマルグリットに割り当てられてるのは『パルミネッラ』の愛の精の役ですから。


 ちゃんと公演日までこの『森の奥にて狩人のため霧晴らす乙女の歌』をレッスンしないとダメなんです」


「んん?記念公演……パルミ……えっ??」


 こうピンとこない単語ばかり出てきては、さすがにカノンも混乱する。


「ごめんなさい、記念公演って?

 パル何とかっていうのは、劇のタイトルかしら?」


「あ…そか、来たばっかりですもの、ご存じないですよね。それは……」


 ちんぷんかんぷんなカノンの為、せっかくタリサが細かい説明をしてくれようとしたのに、


「お嬢様!!」


 しゃがれた声が、それを制した。


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