やる気出ない毎日に現れた、あなたは誰?①
* * *
……な~~んつって決意も新たに闘志を燃やしていた日が懐かしい……
城に着き、クローベル公と顔合わせしてから今日でもう一週間が経っているが、その間にカノンがしたことといえば、寝て飯食って寝て読書して、また寝て散歩して寝て使用人とちょっとお喋りして寝て、それから寝て寝て寝て……つまり、寝てばっかりいる。
寝すぎて逆にどっか悪いんじゃないかってくらい、な~んにもしないで寝てる。
一応、体型をキープするため食事量は少なめにして部屋の中で出来る体操や腹筋なんかで運動もしてるけど、そのうち何かのタイミングで暴食に走るようになったら、あっと言う間にぶくぶく太って肉達磨になるだろう。
別にそれでもいっかぁ……もう舞踏会に行って同じ年頃の、身分以外に長所のないブスどもにマウント取ることもないし、やっぱり家柄や親の財産だけで中身もオツムも空っぽのアホ坊ちゃんと恋愛して結婚とかも……面倒くせえ。
どうでもいい相手に媚び売るのって体力も気力も使うもん、やる気出ねえ。出す気も無ぇ。
この生活はいい……食べる物や寝る所、着る服の心配もしなくていい。
基本的にお客様扱いだからみんな気遣ってくれるし、表面上の優しさに過ぎないとはいえクローベル公だって親切だ。
嫡男のマルセルは救国の英雄として名高く、王都でもたいへん人気のある武人の鑑、バラッド将軍に憧れているそうで、毎日剣や弓の稽古に忙しくて夕餉の席にも来ないから、初日の挨拶でしか顔を合わせていない。
たぶんカノンの魅力で骨抜きになった王太子の二の舞にならないよう、周囲の人間が意識して二人が近寄らないよう配慮してるのだろうが、余計なお世話だ。
ああいう体育会系な単細胞は好きじゃないし、どうせ狙うならもっと大物を釣り上げたい。たかが田舎領主の孫息子が、この私と吊り合うと思うなよ。
あと私が本気出したらどんな妨害工作しようが無駄だから。くぐり抜けてメロメロに出来るから。覚えとけよっと。
そんな具合で双子兄のほうは特に問題もないのだが、双子妹はカノンが気に食わないようで、城内で会うたび嫌味を言ってくる。
食事の席でカノンのマナーは完璧だとクローベル公が褒めれば、冷笑を浮かべて
『一国の王太子様と一緒にお食事できるような方ですもの、当然ですわ』
とか言ってみたり。
少し仲良くなった部屋つきのメイドとカノンが談笑している所に通りかかると、フンッと鼻を鳴らして
『あら、楽しそうで何よりですわ。
やっぱり生まれながらのご身分と近い者だと、お話が合うみたいね……良かったこと』
などとからかってくる。
本人はカノンを貶めて悦に入っているようだが、これがまったく逆効果。
祖父であるクローベル公は眉を顰めて
『よさんか。仮にもクローベル家の令嬢が、そのような品性のない口の聞き方をするでない』
と正論で諭すし、下働きの者達にはマルグリットが去った後で
『ごめんなさい、私のせいであなた達に嫌な思いをさせてしまって……
マルグリット様と仲良くなれるよう、もう少し頑張りますね』
と優し~くフォローを入れているから、マルグリットの株は下がる一方。
今までは“ちょっと癇が強くて、気難しいお嬢様”だったのが、“か弱い少女をいじめる意地悪なご令嬢”に評価が爆下がりしている。
おかげで大した苦労もせずカノンには好意と同情が集まっているが、こんな歯応えのない相手、おバカで浅はかな小娘に勝ったところで達成感など得られない。
やはり侯爵令嬢ユージェニアは偉大だった……
他に比類無き才媛と呼ばれるだけあって、聡明で思慮深く、伯爵夫人がどんなに綿密な罠を張っても引っ掛かることはなく、最後は冤罪をでっち上げるなんて力技に持っていくしかなかった。
それもあっさり躱されたけど。
思えば宮廷での生活は、毎日が刺激的だった。
穏やかな会話を楽しんでいる体で、頭をフル回転させて相手の言葉の裏を読み、互いに腹の中を探り合い、
目の前に居る人物が敵なのか味方なのか見極めることに心血を注ぎ、味方ならどう利用するべきか、敵ならばどうやって取り込むのかと考え抜き、
息つく間もなく複雑なマインドゲームを繰り広げていた。
一つ間違えれば、積み上げてきたものすべて崩れ去り、呆気なく転がり落ちてゆく危険を孕んだ毎日だったが、ギラギラした緊張感に身を置いていると、いま私は生きているんだという実感があった。
そんな戦場みたいな宮廷に行く前は、伯爵夫人の所で令嬢教育を受けていたから肉体改造で忙しかったし、更にその前となると毎日寝る間もなく働き詰めだったから、こんなに暇な日々を過ごすのは、生まれて初めてかも。
ああ……恐るべし、飼い殺し。
快適さって人をダメにするんだなあ。もう何もしたくねーもん。日がな一日ゴロゴロしていたいもん。
使用人たちは“可哀想なカノン様は、恋しい王太子を想って悲しみに暮れ、閉じ籠もっている”と思ってるみたいだけど、やる気が湧かないだけッスわ。恋とか愛とか関係ね~。
そういえば伯爵夫人はどうしてるかしら。
あの人も私みたいに燃え尽きて、やる気無くなってゴロゴロと怠惰に過ごしてるのかな。
色々な意味で元気なバァさんだったけど、もう年だし、体壊してなきゃいいんだけど……
柄にもなく年寄りの心配などしていると、開けっ放しにしている窓から、ピアノの伴奏に合わせて歌うマルグリットの声が聞こえてきた。
「信じて……力を……愛の光……照らすのは……」
「は、うるさっ」
気持ち良く歌っているであろう令嬢を口汚く罵って、カノンは足下で丸まっていた毛布を引き上げ、頭から被る。
昼食が終わって一息ついた午後二時過ぎになると、いつもこの歌が聞こえてくる。
旋律は悪くないのだけど、愛だの希望の光だの、ゾワッとくる歌詞ばっかりだし、マルグリットの声も良くない。
大きく音程を外すことはないのだが、高音になると掠れて、おめぇは咽喉に金属でも仕込んでんのかと叫びたくなるくらいザリザリした響きになる。
つまり、お世辞にも上手いとは言えない歌い手による、ベタ甘な恋の歌を、延々と聞かされる訳で。
この状況は不快極まりない。
こんなんもう拷問といっていいだろ、とウンザリしたカノンが歌のレッスンが終わるまで毛布にくるまってやり過ごすのも日課になっているのだが、今日は少し違った。
「さぁ、開いて―――……」
「瞼ではなく、その心を」
ん?
「いま私は、光りになる―――……」
「この霧を散らし、あなたを導く光りに」
んん??
「終わりのない旅、永久に開くことのない扉―――……」
「そんなものはないわ、あなたが私を取り戻しさえすれば」
んえええっ???
いよいよ盛り上がって声を張り上げてきたマルグリットに追従し、別の歌声が聞こえてきて、カノンは思わずガバッと起き上がった。
全身を覆っていた毛布が肩から滑り落ちていくが、気にもならない。それだけその声は特別だった―――……
相変わらず爪でガラスを引っ掻いたようなマルグリットのものと違い、その声は伸びやかで滑らか。
聞いていると最高級のシルクで優しく耳を撫でられているような心地になる、柔らかく美しい声だ。
「さぁ、立ち上がって…もう見えるはず、行くべき道が…あなたを待つ、あの人のところへ!」
「え…だ、誰っ」
歌詞に問いかけるなんて我ながら間抜けだが、居ても立ってもいられずカノンはベッドから飛び降り、窓へ走り寄る。
歌は終わってしまったようだが、あの魅力的な声の持ち主が何者なのか知りたくて窓枠から身を乗り出すと、中庭の奥にひっそりと建てられた小さな離れの前に、誰かいるのが見えた。
青々とした低い広葉樹の下、年代物の木製ベンチに腰掛けた、たぶん若い女性。
遠目で見ただけではどんな人物かなんてわからないが、その辺は本人から直接聞けばいいだろう。
思い立ったら即行動せずにはいられないカノンは、さっと身を翻すと近くの椅子の背に引っ掛けていた外出用のショールを肩に羽織って、足早に部屋を出た。