そんで追放されたのだ②
それを聞いてクローベル公の左隣にいる少女はムッとしたようだが、まぁ私がちょいとその気になればこんなモンよ。
すこーしばかり可愛いフリしてやれば、田舎の兵士なんて一発でイチコロ。
伊達にティーカップ綱渡りだの、体幹を鍛えるために背中に鉄板くくりつけて一時間耐久片足立ちだの、伯爵夫人式令嬢育成メニューこなしてきてないっての……
やっぱ、やり過ぎだよあのババァ。
眼前に居るあどけない少女が、剣闘士顔負けの壮絶なトレーニングを受けてきたことなど知る由もないクローベル公は、カノンに頭を上げるよう指示し、改めてその顔を正面から確かめると、フッと小さく息をついた。
「百聞は一見にしかずとは言うが……いやまったく、評判通りの美しさだ。感服いたしましたぞ」
「もったいないお言葉です」
「おお、そのように畏まる必要はござらん。
あなたは国王陛下と、侯爵家よりお預かりした大事な客人であり、我が被後見人となれば家族も同然。
これからはどうかこの城を家と思い、孫達とも仲良くしてやってくだされ。
……さ、お前達。カノン嬢に挨拶を」
「「はい」」
あらかじめ練習したかのようにピッタリ声を揃えて答えた二人は、まずは兄、それから妹の順で口上を述べる。
「クローベル家嫡男、マルセルと申します。どうぞお見知りおきを」
「マルグリットです。お会いできて光栄ですわ」
それぞれ短く名乗って礼をする兄妹に、カノンも頭を下げる。
三人の簡単な挨拶が終わると、再びクローベル公が口を開いた。
「さて、カノン嬢。僭越ながらこの城の一画に、あなたの部屋を用意させてもらった。
伯爵邸や王宮には比べものにならんと思うが、日当たりの良い所を選んだゆえ快適さは保証しよう―――……
ああ、そうだ。今さらだがカノン嬢とお呼びしてもいいかな?
子爵殿と呼ぶのが正しいのだろうが、どうもあなたのような娘を爵位で称するのは慣れておらんでな」
賜った爵位をカッコいいとは思っていても、特にこだわりのないカノンは呼称なんてど~でもいいのだが、老公が気にするのなら仕方ない。
小さく礼をし、恐縮の意を表す。
「どのように呼んでくださっても結構です。
私のような者を庇護して下さり、ご領主様にはどんなに感謝しても尽きませんもの。
呼び名など、私はどのようなものでも構いません」
「ふむ、そう言っていただけるとこちらも心安いわい。
ではこれからは気兼ねなく、カノン嬢と呼ばせてもらおう」
「あら、それじゃ私は、子爵様と呼ばせてもらおうかしら」
祖父の決定を聞き、左隣のマルグリット嬢が反応した。
その顔に浮かぶ笑みは残酷に歪んでいるが、カノンには見飽きた表情だ。
そーら来たぞって感じ。
「だって身分もわきまえず、王太子様と結婚したいばっかりに侯爵令嬢を追い落とそうとした子爵なんて、きっと後にも先にもこの方だけですもの。
ぜひ敬意を込めて、爵位で呼んでさしあげたいわ」
ざわっと辺りの空気が緊張し、凍りつく。
マルグリットが放つ悪意のせいで、せっかくクローベル公が作り上げた歓迎の雰囲気が呆気なく壊れてしまったが、当のカノンはといえばこんなの慣れっこだから別に何とも思わない。
はいはい嫉妬ね、名立たる上流貴族のご令嬢方を差し置いて、ハンサムな王子様の心を射止めたこの私が憎たらしいのね。
でも仕方ないわ、この通り私は絶世の美少女で明るく朗らか、貴族女性にはない天真爛漫さと下層の人々への思いやりに溢れているんだもの。
世間知らずな王太子の一人や二人、簡単に落とせちゃうのよねん。
悔しかったらあなたも上手く立ち回って、王子くらい引っ掛けてみれば?
まー、アンタ程度じゃ王子どころか、大貴族の息子の従兄弟の取り巻きの親戚くらいが精いっぱいでしょうけどね~~。
……っと、冗談はこのくらいにしておいて。
向こうがその気なら、ちょっと遊んでやろうかな。
「これ……マルグリット」
さすがに聞き咎めたクローベル公が孫娘を嗜めようとするも、マルグリットはどこ吹く風で口角を吊り上げ、カノンに向かって小馬鹿にしたような笑みを向ける。
「どうかしら、子爵様?私、何も間違ったことは言っていないと思うのですけれど」
意地悪な問いを投げかけられたカノンは、意図的に眉を下げ困った表情を作って、そっと唇を開く。
「おっしゃる通りです、マルグリット様。
本当なら私などとうに、しかるべき刑に処されこの世に居てはならない身……
それを許してくださったばかりか、爵位まで残して下さった王太子殿下には、深い感謝しかございません」
ここでいったん言葉を切り、軽く俯く。
この辺で間を入れることで“二度と逢えない最愛の人を想う美少女”を演出できるからね。
これから王太子略奪しようと思ってる人は、ぜひ覚えておいてねー。
長すぎず短すぎず、絶妙な間を置いて、室内にいる兵士も陰からこっそり覗き見している下働きの人々も、すべての目が自分に向けられたタイミングを見計らい、カノンは顔を上げる。
零れ落ちそうなほど大きな緑の瞳いっぱいに、透明な涙を溜めて。
「どうぞ、子爵とお呼びください、マルグリット様。
あの方からいただいた物で、私の手元に残ったのはそれだけですもの。
分不相応とはわかっていますが、そう呼ばれることは私にとって、無上の喜びです」
マルグリットの暴言のせいで凍っていた空気が、いっきに変わった。
差し詰め今のカノンは、大人たちの都合と陰謀で引き離され、遠い地に流されてなお、王太子への愛を忘れ得ぬ少女といったところか。
ばっちり狙い通り~~。
さすがに老公と嫡男マルセルは固い表情のままだが、あとはみんなカノンを憐れみ、いたわるような眼差しを向けてくる。
チョロいわ。チョロすぎてあくびが出るわ。
牽制してやったはずが痛いところを突かれ、あっと言う間もなく形勢逆転されたマルグリットは、グッと唇を噛んでカノンを睨みつけることしかできない。
フッ……そんな態度じゃますます反感を買うとわかっていないようね。
素直なのはいいけど、少しは可愛げってもんを意識したほうが良くってよ、お嬢様?
尽きぬ悲しみを堪えるフリをしながら、高笑いを押し殺していると、場を収めるべくクローベル公が口を開いた。
「申し訳ない、カノン嬢。孫娘が無礼な真似を。
どうか許してやってくれ」
「謝っていただく必要などございません。許すも何も、ぜんぶ真実ですもの。
私は怒りなど一つ、も覚えておりません」
これは本当。田舎令嬢の明からさまな嫌味なんか痛くも痒くもないわ。
こんなん気にしてたら王都で上流貴族のご婦人方と真っ向勝負できないっての。
「おお、なんと優しい娘御であるか。
それを聞いて安心しましたぞ。
……さて、長旅で疲れていることであろう。
すぐ係りの者にあなたの部屋へ案内させるゆえ、晩餐の時間まで休むといい」
なるほど、考えたらずな孫娘ちゃんが、また余計なこと言う前にお開きにしようって魂胆ね。
ま、いいわ。確かに疲れてるし、休憩するのは悪くない。完全勝利したことだし、ここは引き下がっておきましょ。
「重ね重ねのお気遣い、感謝いたします。お言葉に甘え、少し休ませていただきますわ」
「うむ。では晩餐でな」
頷いたクローベル公に、深くゆっくりとお辞儀をしてから、後ろから近づいてきた例のヒョロッとした侍従長に連れられ、カノンは謁見室を後にした。
カノンの小さな後ろ姿が扉の向こうに消えると、クローベル公はすぐに控えていた兵士たちを下がらせ、謁見室に残ったのは領主一族の三人だけとなった。
客人や部下の手前、背筋をシャンと伸ばしていた老公はさっそく肩から力を抜いて息をつき、ついでに左横の孫娘を軽く睨む。
「まったくお前ときたら、肝が冷えたぞ……
もう17だろう?少しは淑女らしく口を慎まんか」
祖父からの苦言に、マルグリットはフンッと鼻を鳴らして答えた。
「心外ですわお祖父様。私はただ、本当のことを言ってさしあげただけよ。
カノン様だってそれは認めていたじゃありませんか」
「……おい、マルグリット」
生意気な妹の口振りを聞き咎め、同い年の兄も厳しい視線を彼女へ送る。
「いい加減にしないか。お祖父様に向かって、なんて口の聞き方だ」
「はぁ?何よアンタまで」
およそ令嬢らしからぬ乱暴な言葉使いで応じたマルグリットは、負けじと兄を睨み返す。
「年も違わないのに、上から偉そうなこと言うのはやめてって、いつも言ってるでしょ」
「俺は別に上からなんて……」
「言ってるわよ。いっつもそう……
ひょっとしてアンタ、あの“子爵様”に魂抜かれたんじゃないでしょうね。
王太子様だって惑わしたような魔性の女だもの、アンタなんか一目でイチコロって感じなんじゃなくて?お兄様」
わざわざ“兄”を強調して煽ってくるマルグリットに、マルセルは眉間に縦筋を作って苛つきを露わにし、詰め寄ろうと一歩踏み出した。
「この……言わせておけば」
「ああ、もう、よい。二人とも口を閉じなさい」
この城では日常茶飯事とはいえ、聞き苦しい兄妹喧嘩にうんざりしたクローベル公は、軽く両手を上げて二人を制し、黙らせる。