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エピローグ③

 

 そう、大事な舞台の当日に、ご令嬢が咽喉を痛めるなんて都合のいい奇跡は起こらない。

 前日にマルグリットと同じテーブルで夕食を摂ったカノンが、隙を見て例の人魚が描かれた小壜の中身を、彼女のティーカップへ落とさなければ。


 ほんの一滴ひとたらしだったけれど、効果は充分。

 あの薬が持つ効能どおり、マルグリットは微熱を出すとともに咽喉を枯らし、歌える状態ではなくなった。


 タリサのようには歌えなくとも毎日ちゃんと練習していたし、心が痛まないわけでもないけど、今年は運が悪かったということで。

 今までに何度も記念公演には出てるわけだし、一回くらい譲ってくれてもいいっしょ!


「もし、これ以上の不幸がご令嬢の身に起こるようであれば、私も黙っては……」


「ああ~~、大丈夫大丈夫。ご心配には及びませんことよ」


 話がとんでもない方向へ飛びそうになったから、両手をヒラヒラ振って牽制してこようとするルバード卿を止める。


 確かに私は他人の婚約者にちょっかい出す性悪だけど、人殺しじゃございません。


「……例えばの話ですけど、ある地方貴族の、健康そのものだったご令嬢が、お食事やお茶のあと急に亡くなられたとして、真っ先に疑われるのは誰かしら?


 ご当主、兄君、従妹、使用人―――……いいえ、最近来た厄介な居候の、ご領主とは縁もゆかりもない余所者の小娘でしょうね。

 しかもその小娘は、王都でとんでもない騒ぎを起こしてるんだから、尚更ですわ。


 ……でも、一時は王太子妃の座を狙おうとしたほどの腹黒い女が、そんな愚かな真似するかしら?

 せっかく後見人になって貴族並みの暮らしをさせてくださるご当主の、大切なお孫様を殺そうだなんて、自分の生活どころか命さえ危うくなるようなこと、しないと思うんです。


 危険なだけでなんの旨みもないもの、表面上だけでもご領主一家とは仲良くしておくのが得策だわ。


 ……“国盗み”なんて大それた名前を貰っている私としては、ね。そんな風に思いますわ」


 最後に悪戯っぽくウインクしてみせると、ルバード卿はきょとんとして目を白黒させた後、小さく噴き出した。


「これは、これは。お見それしました。さすがはアンリ殿下みずから叙任された子爵様だ。

 ……ひょっとしたらこの国は、未来の王妃として大変な逸材となる女性を失ったのかもしれませんな」


 未来の王妃、か。


 ついこの間までそれを夢見ていたはずなのに、今はただ馬鹿馬鹿しく、でもちょっと懐かしい。

 そんな程度の気持ちだけだわ。


「……ま、そういう訳ですから、マルグリット様にこれ以上の悪いことは起きませんわ。

 少なくとも私は、ご令嬢の末長い健康と幸せを祈っております」


 これだけ言っておけば、ルバード卿も納得してくれるだろう。

 実際、カノンが持っている薬は、飲むと唇が真緑になるとか、体臭がめちゃくちゃニンニク臭くなるとか、子供のイタズラみたいな効能しかない上に一日か二日でちゃんと治る物ばっかりで、命に関わる猛毒なんてのは無い。

 ルバード卿はわかってくれたようで、クスクス笑いながら頷く。


「承知しました、出過ぎたことを言って申し訳ない……さて、そろそろ馬車の準備が整ったかな?

 この辺で失礼致しますが、どうかあまり無茶をなさらぬよう。

 何か困ったことがあったら、いつでも相談してください」


「ありがとうございます、男爵様」


 伯爵夫人仕込みの、優雅で優美な仕草でお辞儀を返し、ルバード卿が部屋から出ていくのを見送ってから間もなく、今度はタリサが戻って来た。


 ロランとのお喋りがよっぽど楽しかったのか、頬は紅潮しニコニコ笑顔が止まらない。

 うーん、やっぱりちょっと腹立つ~~。


 カノンが心の内で密かに嫉妬しているなど知らないタリサは、ただご機嫌で、さっきあった嬉しいことを報告してきた。


「今ね、すぐそこでバルカロア男爵とすれ違ったの。

 ご挨拶したら、くれぐれもあなたのことを大切にって言われたわ」


「私を?男爵様が?」


「そう!あんなに良いお友達はもう、国じゅうを一生かけて旅したって一人も見つからない、あなたは幸運ですね、だって。

 私、ちゃんと大きな声で、ハイッて言っておいたよ」


 おお…何だ、このキュンキュンとした気持ちは……


 気づけばタリサと同じくらい赤くなっていたほっぺたを押さえ、ドレスの下でジタバタしそうになる足を必死で止めていると、タリサも恥ずかしくなったのか、こちらから目を逸らしてドアのほうへ目をやる。


「男爵様、噂にたがわず素敵な人ねえ。ただの地方貴族には見えないわ」


 そりゃそうだ、王都でブイブイいわしてる国内トップの外交官なんだから。

 知らないってことは、ロランは自分の素姓をタリサに明かさなかったらしい。


 ま、初対面の女の子にいきなりそんな重い話はしないか。せめてもう少し仲良くなってからだわね……あんまり急速に接近するようなら邪魔してやるけど。


 そこまで考えて、ふとカノンはタリサが手ぶらであることに気づいた。


「あら、花束は?」


 さっき出ていく時は、大事そうに抱えていたのにどうしたのか。まさか、マルセルあたりに見つかって、『男からの贈り物など、まだ早い!!』なんつって取り上げられたんじゃ!?と心配しかけたが、そうではなかった。


「さっきロビーでお祖父様達と会ったから、預けてきたわ。

 馬車ならともかく、お花を持って馬には乗れないものね!」


「…ん?ちょ、ちょっと待って。帰りも乗馬のつもり?」


「あら。違うの?」


 きょとんとするタリサに、カノンのほうがびっくりしてしまう。

 早足で駆ける馬の背に揺られ、さぞ怖かったろうと思っていたのだが、けっこう気に入ったのか。


「ほら、行きましょ。お祖父様達も待ってるわ」


 楽しそうなタリサに手を取られ、どうもこの子は私が思っているよりずっと大物だわ、と感じる。


 ……そうよ、私なんかよりずっと、大きな存在になる。きっとたくさんの人が彼女の歌声で救われるはず。

 誰もが認める正真正銘の歌姫になるまで、私、できるだけのことをするわ。


 今度は諦めない。ぜったい、成し遂げてみせる。


「タリサ」


「なに?」


「ありがとう」


 カノンらしくないような、静かな声でのお礼に少し驚いたタリサは、琥珀色の瞳でまじまじと親友を見つめてから、太陽のように笑った。


「こちらこそ。ありがとう、カノン」


 とても素直な気持ちで“ありがとう”を言い合った少女達は、照れ隠しにキャハキャハと笑いながら、控え室を出た。


 手を繋いだまま廊下を駆ける二人の目には、何となくだけど、明るい未来というやつが見えていた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 続編が読みたくなる良い作品。 楽しく読めました! ありがとうございます!
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