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エピローグ②

 * * *


 ……何よ、何だかいい感じじゃない。


 花束ごしに初々しい会話を交わすタリサとロランに唇を尖らせ、ちょっと嫉妬などしつつ、カノンはバルカロア男爵と名乗る男性のほうへ目を向ける。


 パッとしない甥とは対照的に、こちらはかなりの男前……ま、甥君もそんなに悪くないけどね。30近くなったら目元に色気が出て大化けするタイプと見た……それにしても、どこかで見たような。


 カノンの視線に気づいたのか、男爵もこちらを向いた。カノンと目が合うと、柔らかく微笑む。


 その笑顔の魅力的なことといったら。

 この容貌に、余りある財産がつくというのだから、まさに鬼に金棒。狙った女は必ず落とすことだろう。


 ……あの優しげな目尻の皺、抜群にセンスのいい服装、それに女たらしという噂……うーん、ちょっとだけ、思い出したかも……


「ロラン、そろそろ帰りの馬車が着く頃だ。

 すぐに行くから、ロビーで待っててくれないか?」


 叔父に促されてロラン少年は素直にハイと答えたが、いかにも名残り惜しそうなので、カノンもちょいちょいっとタリサの肘をつつく。


「ね、せっかくだからロビーまで送ってあげたら?

 花束のお礼ってことで」


「え、ああ、そうね。ロラン様さえ良かったら」


 頬を染めるタリサに、ロランはパッと顔を輝かせる。


「それはもちろん!たいへん光栄です」


 わかりやすい反応をする甥に、温かい目を送りながら、バルカロア男爵はその背を押す


「ちゃんと紳士らしく、エスコートするのだぞ」


「はい、叔父上」


 二人のやり取りの間に、カノンもタリサに「しっかりね」と檄を飛ばす。


 そんなこんなで照れてモジモジしながらも、タリサとロランは並んで控え室から出ていった。


 あれじゃ、男女と呼ぶにはまだ初々しすぎる。

 特にタリサなど、よほど嬉しかったのか、花束を持ったまま行ってしまった。


 見てるこちらが恥ずかしくなってしまうような二人の姿が部屋から消えると、カノンは男爵へ向き直る。


 貴族男性のマナーとして、妻ではない女性と密室で二人きりにならないよう開け放しのドアを背中で押さえながら立っている辺り、さすがだ。

 身のこなしや言葉遣いからして、金を使えば誰でもなれるただの成金男爵ではないだろう。


「男爵様…とお呼びするのが正しいかはわかりませんが、王都でお会いしましたわね?

 確か伯爵夫人が開いた夕べの集いとか、宮殿の立食晩餐会なんかで」


 直接、挨拶したりダンスをした覚えはないが、確かこの顔は名士が集まる社交の場で何回か見かけたことがある。

 カノンの記憶は正しかったようで、男爵は嬉しそうにフッと目を細めた。


「覚えていただいていたとは、光栄です子爵殿。

 もっとも、前に会った時、私はルバードと名乗っていましたが」


「ルバード……ああ、外交官の、ルバード卿!」


 名前を聞いたら、はっきり思い出した。


 高い地位や爵位こそ持っていないが、巧みな会話力と社交センス、そして5ヵ国語を操る驚異的な言語能力を持ち、近隣諸国との複雑な国際条約を幾つも締結してきた凄腕の外交官だ。


 もっとも、条約宣誓書の調印には伯爵以上の貴族ないし王族の名義を使うのが慣例なので、王都以外での知名度は殆ど無いらしいが、彼の活躍なしには取りつけられなかったであろう国家間の約定や国際会議は数多く、王国の外交政治には欠かせない有能な影の功労者の一人である。


 ……ついでに、とんでもない女たらしとしても有名だ。

 カノンが姿を見かけた時も、毎回違う女性を連れていたっけ。


「お名前はかねがね、うかがっております。でも、どうして偽名なんか?

 ご立派な方ですもの、身分を隠す必要なんて無いのではなくて?」


 大人の男性と会話する時に使う、丁寧モードの口調で訊ねるカノンに、ルバード卿は苦笑いしてみせた。


「大した名前ではありませんが、せっかく王都から離れて羽を伸ばそうという時に本名というのは中々、邪魔なものでして。

 男爵位のついでに、名称権も買ったのですよ」


 名称権というのは、金銭で売り買いできる唯一の爵位である男爵位にのみ与えられている特権だ。

 これを爵位と一緒に買い取って新しい名前を登録すれば、本名と同じようにその名で振る舞って良いし、公的記録もそちらで記される。


 要するに財産を築くため後ろ暗いことをしてきたアコギな成金や、たまには羽目を外して遊びたいのに身分が高すぎて叶わず、窮屈な思いをしている上級貴族など、本名を名乗りたくない者達の為の、救済措置である。


 ルバード卿はどう考えても後者だろう。

 別にいいけど名称権というのはかなりの高額で、男爵位を買うよりよっぽどお金が掛かると聞いたことがある。


 それをついでとか言ってポンと買い取ってしまうとは、噂通りなかなかの男だ。

 上手くおだてれば別荘の一軒くらい買ってくれるかしら。暖かい海辺がいいな。


 悪い癖が疼き出したカノンが、愛らしい瞳の奥で欲望をギラギラさせいようとは露知らず、ルバード卿は廊下へと顔を向けた。

 ロランとタリサが歩き去っていった方角を見つめ、何やら面白そうに微笑む。


「甥のロランは、もうすぐ15になるところでしてね。

 奥手な奴だがそろそろどなたか、良家のご令嬢と縁を組むのも悪くはない時期だろうと思いまして。


 こちらのマルグリット嬢はどうかと、本日の公演を拝見しに来た次第なのですが……

 どうやら相手を変えた方が良さそうだ」


 むむっ、これは、一難去ってまた一難の予感。

 タリサはこれから、たっくさんの舞台に出て、王都でも屈指の歌姫になるんだから。

 婚約だの輿入れだのはその後よ!!


 ……というようなことを出来るだけ丁寧に、しかしハッキリと伝えようとしたカノンだが、ふとルバード卿の目が笑っていないことに気づく。


 口元は柔らかな微笑の形をとっているが、青色の瞳に浮かんでいるのは深い憂いだ。


 そこでまたカノンは思い出した。

 ルバード卿を有名にしているのはその優れた外交手腕ともう一つ。

 英雄バラッド将軍と古くからの親友同士であり、義兄弟でもあること。


 ルバード卿の姉である女性が、バラッド将軍の奥方なのだ。つまり。


「ロラン様は、バラッド将軍の…?」


 記憶にある将軍とは似ても似つかないものだから、それ以上は自信が無くて言えなかったが、ルバード卿は苦笑したまま頷く。


「そう。あの子の名前はロラン・ド・バラッド。

 救国の英雄と名高い我が義兄の、実の息子です」


「まあ……」


 どう反応するのが正解なのかわからないから、余計なことは言うまいとカノンは口に手を当てる。


 将軍が出来のいい養子を実の息子のように思い、厳しくも愛情深く育てているのは有名な話だが、実の息子もいたとは初耳だ。

 だがさっき目にしたロランの風貌や人となりを見れば、気の毒だが納得がいく。


 善良で上品だが、将軍とは正反対な人種だ。

 たぶん父子は、あまり上手くいってないんだろう。


 ルバード卿が溜め息混じりに語り始め、カノンの予想を裏づける。


「姉は早くに亡くなったが、どうもロランには我が家系の血が濃く出たようで。

 剣術よりも読書を好み、乗馬は不得手だが数学の計算式の応用と暗記は大得意といった子でね。


 おまけに幼い頃は病弱で、悪い風邪をひいては屋敷の奥で寝込んでばかりいたから、余計に内気な性格になりまして。


 しかしそれならそれで、活かしてやる道はいくらでもある。

 少々、お人好し過ぎるが芯は強いし、すこぶる頭もいい。

 良い文官になるだろうが、義兄が欲しかったのは立派な軍人に成り得る、強く逞しい息子だったのです。


 そしてあの子にとって不幸だったのは、義兄が先に育てていたリュシオンは、まさしく彼にとって理想の息子で―――


 ここまでお話すれば、わかっていただけるでしょう。ロランが生家で、どんな扱いを受けているか」


 生まれてこのかた天涯孤独で家族のいないカノンにも、ルバードの言わんとしていることは何となく想像がついた。


 ロランはきっと、生家では肩身の狭い思いを……いや、居ない者のように扱われているに違いない。


 根っから軍人気質な父と、そんな父の期待すべてに応える血の繋がらない兄。

 最大の味方になってくれるはずの母はとうに亡く、使用人も兄びいきで心許せる者などおらず、独りで部屋に閉じこもり、ただ一日が過ぎるのを待つだけの日々―――……


 そんな針の筵のような毎日を過ごす甥の惨状を見兼ねて、ルバード卿はロランを連れ出し面倒を見ているのだろう。


 たった一人だけだとしても、近くに理解者が居てくれて良かった。

 おかげでタリサとも出逢えたわけだし。


「……お気の毒ではあるけれど、良い叔父様がいらしてくれて、ロラン様は幸運ですわね」


 本気で羨ましかったからお世辞抜きで褒めたこと、ルバード卿もわかってくれただろう。

 少し悲哀の色が抜けた瞳を、カノンに向けてくる。


「そう言っていただけると、本当に嬉しいですよ。今やあの子は、私にとって大切な家族ですから。

 ……今日、急な病で寝込んでいるというマルグリット嬢にも、家族はいます。

 祖父であるクローベル公や兄君がどんなに心配しているかと思うと、胸が痛みますよ」


 唐突にマルグリットの名を出したルバード卿の目つきは、もう優しいだけのものではなくなっている。


 ……この人、気づいてるわね。私が薬を盛ったこと。

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