エピローグ①
* * *
「う……うぅ、う」
記念公演が無事に終わり、ご令嬢のため用意された控え室の中、すすり泣く少女の声が響いている。
ただし泣いているのは今日の功労者、タリサ嬢ではなく。
「もぉ~、どうしてカノンが泣いてるの」
記念公演が無事に終わってからというもの、まったく嗚咽の止まらない友達に、タリサは少々呆れて問いかけた。
カノンはもう何枚目になるかわからないハンカチを目頭に当てながら、ダッテダッテと繰り返す。
「目と、耳に焼きついて離れないんだもの。
舞台で歌ってるあなた、客席からの拍手、カーテンコールの時だって凄くて……何もかもが素晴らしかった。
王都で観たどのお芝居より、今日のステージが最高だったわ」
やりすぎなくらい褒められてこそばゆさを感じながら、タリサも思い出す。
出番を終えて舞台裏に引っ込み、最後まで劇を見届けた後、カーテンコールで再びステージにタリサが現れると、観客はまた一斉に立ち上がって拍手と歓声をくれた。
幕が閉じ、公演が終了すると、劇団の人々が口々に賛辞を送ってくれるなか、タリサは隅に居たカノンに駆け寄って抱きつき、後はもう二人で子供みたいにわんわん泣いた。
気持ちは解るけど、少し落ち着いて、とマダム・エスペランサに宥められても、溢れ出した感情は止まらず、様子見に来てくれた祖父ともまた抱き合って喜び泣いた。
もう十年分くらい泣いたんじゃないかというところでやっと少しだけ鎮まってきて、城へ戻る前に着替えと休憩をしておいたほうがいいとマダムに指示され、頷いてカノンも一緒に控え室へ案内された。
さっきまではマダムも居て着替えを手伝ってくれていたのだが、化粧を落とし城から着てきたドレスに袖を通していつものタリサに戻ると、積もる話があるだろうからと紅茶とお菓子だけ用意して出ていった。
こうして現在、カノンとタリサは狭いが居心地のいい控え室でテーブルを囲んで差し向かいに座り、お茶とお菓子を楽しんでいるのだが、いつまで経ってもカノンが泣き止まないので困った。
ちょっとでも慰めになればと、タリサは自分の菓子鉢からミントの香りがするメレンゲの焼き菓子を一つ取ると、もうほとんど空になっているカノンのほうの鉢へ入れる。
「はい、これあげるから泣き止んでね」
「子供じゃないわよぉ」
「いいから食べて。私、メレンゲ苦手だから遠慮しないでね」
「うう……この贅沢者ぉ」
しゃくり上げ、詰りながらもカノンは鉢に手を伸ばし、もらったメレンゲを口へと運ぶ。
彼女は甘いお菓子に目が無いようで、特にメレンゲが好物だということは一緒にお茶してみてすぐ解った。
真っ先に菓子鉢から取り上げていたし、今だって幸せそうな表情でサクサクとかじっている。
「おいひぃ」
「良かった。……ねえ、さっき、マダムの言ってたことだけど……あれ本気かな」
飲むでもなしにティースプーンでカップの中に残った紅茶をぐるぐるとかき回しながら、タリサは問いかけるというよりもほとんど独り言くらいの声音で呟く。
舞台衣装からの着替えを手伝いながらマダム・エスペランサは、歌声を褒めつつ演技のほうはもう少し何とかしないと、と助言してくれた。
もし祖父の許しが出て、タリサも他の舞台に出たいというなら、お芝居のイロハを教えてくれるとも。
『ただし、ご令嬢だからといって甘くはしませんから。新人にやってるように、ビシバシいくからそのつもりでね。
まあ考えておいてちょうだい』
冗談めかして言われたが、とても嬉しかった。
他の舞台、出てみたい。マダムや劇団の女優さん達みたいに、色んなお芝居でたくさんの役を演れたら、どんなに素敵だろう……
もちろん、楽しいことばかりじゃなくて辛いこと苦しいこともあるだろうが、それでも、私は。
「やってみたらいーじゃない」
メレンゲを食べ終わったカノンが、実に軽~い調子で背中を押してくれた。
「今日の舞台、すごく良かったけど、もうちょっとお芝居が出来てれば言うことナシだったわよ。
マダムが指導してくれるなら願ったり叶ったりじゃない。
ちょっと怖そうだけど、あなたならきっと、主役級の看板女優になれるわ。
そんでもって、侯爵領や王都の劇場から客演の依頼なんかが来ちゃってさ……
そうよ、王立劇場で上演できるような、有名な女優になればいいわ。
高尚な音楽しか知らない王都のボンクラ貴族どもに、本物の歌を聞かせてやるのよーー!!!」
客演…王立劇場…とんでもない名称ばかり出てくるものだから、タリサは聞いているだけで委縮してしまうが、カノンは目を輝かせている。
どうもこの娘はゆるふわな外見に似合わず、大きな野望を抱くと燃える性質のようだ……なんていうかもう、男前……
「でも、お祖父様が許してくださるか……」
「そんなの、ぜーんぜん心配しなくていわよ。
クローベル公も舞台のあなたに感動しきって涙目になってたもの。反対なんかしないって」
「そうかな……」
「大丈夫だから、自信持ちなさいよ。いざとなったら私がまた説得してあげるから。
安心してドーンと任せなさいッ」
「ふふ、カッコいい」
小娘らしい、取り止めもない会話でキャッキャしていると、控え室のドアがノックされた。
はい、とタリサが応えると、返ってきたのは副支配人の声だった。
「お休みのところ申し訳ありません、ご令嬢方。
バルカロア男爵様と甥御様が、ぜひご挨拶をといらっしゃっています。お通ししてもよろしいでしょうか?」
「ん?なに?バカ男爵?」
事前に色々あって“男爵”という称号には警戒しているカノンが、小声で失礼極まりないことを言うが、タリサはその名前には聞き覚えがある。
去年の記念公演に出た後のマルグリットや、開演前に楽屋で一緒になった劇団員たちが、その人物について話しているのが耳に入り、記憶に残っていたのだ。
「4~5年前からこの劇場へ大口の出資をなさってる方だわ。
お芝居が好きで、とってもハンサムな男性だとか」
「ふーん、大口の出資……ってことは、お金持ちね」
リッチな紳士と聞いて大きく反応したカノンは、改めて目元をハンカチで拭うと、後ろにあった化粧台へ移動してクリームを塗りパパッと白粉をはたき、まだちょっと目元は赤いもののいつもの愛らしい姿へ戻った。まったく、目にも止まらぬ早業だ。
「いいわよ、入ってもらって」
指で○の形を作ってカノンが承認してくるから、タリサは頷いてドアに向かって声をかける。
「どうぞ」
一拍置いて、まずは副支配人が扉を開けて顔を見せ、一礼してきた。
カノンとタリサが会釈を返すと、副支配人は大きくドアを開いて肩で押さえ、続いて後ろで待っていた身なりの良い男性二人が入ってくる。
一人は長身でがっしりとした壮年の男性で、後ろに撫でつけた髪と整えた口髭、それに彫りの深い顔立ちが特徴的な、かなりの色男。
もう一人はタリサとそんなに年も変わらない15~16才ほどの大きな花束を持った少年で、やはり背は高いがひょろりと痩せており、優しげに垂れた目元や鼻の付け根にそばかすが散らばっている。
対照的な二人だが、どちらも夕焼けのような茜色の髪をしていて、瞳は濃い青色。
血が繋がっているのは間違いなさそうだ。
まずは年上のほうの男性が、優雅に会釈をする。
「初めてお目に掛かります。タリサ様、ならびにカノン子爵様。バルカロアと申します。
先ほどのご令嬢の歌、拝聴いたしましたが、いやお見事としか言いようがありません。
ぜひご挨拶させていただきたく、甥とともに参った次第です。……さ、ロラン。お前も挨拶を」
「……初めまして、タリサ様、子爵様」
男爵に肩を押されて促され、隣の少年が前に進み出る。
「あなたの歌、とても素晴らしかった。
どうも僕は野暮で、芸術がよく解らないんですが、初めて音楽というもので感動しました。
だからどうか、これを受け取ってほしくて」
「あ…ありがとうございます」
差し出された豪華な花束を受け取ったタリサは、間近に見たロランがとても優しい顔つきをしていることに気づく。
瞳の色は綺麗だがいわゆるギョロ目で、顎が細いのに口が大きく、お世辞にも美形とはいえないのだが、その瞳に宿る光りは知性に溢れ、声や喋り方も穏やかで品がある。
今まで見てきたどの男の子とも、彼は違うみたい。
何だか妙な気持ちになってドギマギしていると、ロランはにっこり笑って嬉しくなるようなことを訊いてきた。
「また他のお芝居に出る予定はありますか?タリサ様」
「え…ええ、多分。いつになるかわからないですけど」
「本当に!?必ず観に来ますね。あ…もちろん、あなたさえ良ければ」
ふいに興奮から冷め、恥ずかしそうに俯いたロランに、タリサは思わずクスッと笑う。
「ぜひ、来ていただきたいですわ。
私もロラン様に客席から応援していただければ、とても嬉しいです」
「ほ、本当ですか!?恐縮です」
二人で照れ笑いしながら、タリサは何かとても素晴らしいことが始まったんだと、そんな予感に捕らわれていた。




