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いざ馬を駆れ!!初舞台だ!!⑤

 * * *


 深く、暗い森の中を、一人の姿良い若者がよろよろと歩いている。


 随分と長い時間、彷徨っているのだろう。

 疲れ切ってどんよりした目を下に向けると、足下に漂っている濃い霧を払い除けようと、両手を振り回した。


「この、忌々しい霧め。いったいどこまで僕を歩かせるつもりだ?

 きっと僕が死ぬまで晴れずに、纏わりつくんだろう。

 この恐ろしい森の奥で、ひっそりと息の根を止めてやろうと、そういう魂胆だろう。


 恥を知れ、妖精の王!!自ら剣を取り、この心臓へ突き立てる勇気も無い、卑怯者め!!」


 ……ああ、まずい。この独白が終わったら私の出番。どうしよう緊張する緊張する緊張する……


 眉をしかめてまとわりつく霧を必死に振り払おうとしている若者を緞帳どんちょうの陰で見つめながら、タリサは震えそうになる体を必死に抑えている。


 ここはジェイデン・ホールのステージ、下手側の舞台袖。

 ステージの中央で迫真の演技をしている男性はベイオニール役の俳優だし、深い森は背景の書き割り、霧だって地下にある特殊な装置から発生しているまがいもので、つまりはすべてお芝居と舞台用の特殊効果でしかないのだが、観客の目はステージへ釘づけになっている。


 ジェイデン・ホール建立記念公演の特別舞台『パルミネッラ』は、今のところ順調に進んでいる。


 ヒロインのパルミネッラを演じる若手女優は、豊かな栗色の巻き毛を持つ非常に可憐な女性で、その恋人のベイオニール、いま舞台中央で安定した演技を見せている俳優も長身でハンサム。

 もちろん二人とも歌唱力はすこぶる高く、イメージぴったりといった配役だ。


 脇を固める役者達もみんな手練ればかりで、個性的な妖精や堅苦しい騎士など、与えられた役を活き活きとこなしている。


 マダム・エスペランサの『美と欲望の精』も見事だった。

 妖精の王に命じられ、森で野営しているベイオニールを誘惑する役どころだが、外見のあでやかさはもちろん一つ一つの仕草、台詞回しは煽情的ながら気品に満ち、男性からも女性からも熱い視線を注がれていた。


 きっと彼女以上にあの役を上手く演じられる女優なんて、王国じゅう探したって居ないだろう。

 もう一方の『気まぐれな死の精』も完璧に演じるに違いない。

 その対になる『愛の精』が私なんて……だめ、荷が重い、重すぎる……


「もう少しで出番ね」


 すぐ隣で台本を読んでいたカノンが、こそっと話しかけてくる。


 本当は今頃、祖父やマルセルと一緒に客席で観劇している予定だったのだが、あまりに不安だったから引き止めて残ってもらったのだ。

 図々しいお願いだけど、カノンもマダムも快く承諾してくれたから良かった。

 隣に居てくれるだけで心強い。


「“『いま僕にあるたった一つの希望は、死の世界で彼女に逢えることだけだ。

 妖精の王の思い通りになるのは悔しいが、これ以上は耐えられない。


 さあ、その望みを叶えよう。たとえ独りきりで千年待つことになっても、いずれ君が来てくれるのならこんなに幸せなことはない。


 しばしのお別れだ、愛おしい人よ。

 願わくば僕がいなくなった後の世界でも、君が幸せでありますように』/ベイオニール、床に膝をつき、懐から取り出した短剣を高々と掲げる。


 鋭い刃を自らの胸に突き立てようとしたその時、下手から『愛の精』が登場。ベイオニールにゆっくりと近づく”


 ……うん、まさに劇的な登場ってやつね」


 楽しそうに台本のト書きと台詞を確認しているカノンを見ていると、彼女のほうが適役ではないだろうかと思えてきた。


 可愛いし度胸あるし、自分よりよっぽど女優向きなような……そうよ、私やっぱり、向いてないのよ……


「あの、カノンさ…カノン」


 うっかり“様”をつけそうになったら睨まれたので、慌てて呼び直す。

 呼び捨てって慣れないけれど、カノンが嫌がるなら仕方ない、もうちょっと努力しよう。


「わ、私やっぱり自信ないです。こんなに大勢の前で歌ったことないし、失敗したらせっかくのこの舞台、私のせいでダメになっちゃうかも」


 カノンの大きな瞳が、じっとこちらを見つめてくる。次いで両手を伸ばしてきたから、気合い入れに頬を叩かれるかと思ったけど、カノンの手の平はぽんっと肩に軽く置かれただけだった。


「……失敗を気にするってことは、少なくとも歌う気はあるってことね?安心したわ」


「……へ?」


「昨日までのあなたなら、もう無理、出られないって騒いでたでしょうね。違う?」


 確かにカノンの言う通り、祖父が認めてくれて長年の夢が叶いそうな今、舞台に出ないなんて選択肢はない。


 ないけど、だからこそ失敗が怖い。

 ヘタクソな歌を披露して、祖父の顔に泥を塗ったらと思うと、怖くて仕方ない。


 そんなタリサの恐怖と不安を、きっとすべて汲んだ上で、カノンは微笑み励ましてくれる。


「さっき劇団の人達が言ってたこと覚えてる?

 マダム・エスペランサが直々に着つけと化粧を施すなんて、何年ぶりだろうって」


「え…ええ、もちろん」


 それは舞台裏の楽屋にて、劇場の専属美容師に髪型を整えてもらっていた時のこと。

 タリサの装いがマダムの手によるものだという話を聞いて、周りにいた役者や道具係りはひどく驚いていた。


 というのも、マダム・エスペランサは自分が才能を認めた相手にしか着つけをしないそうで、もう何年もマダムが装いを手掛けた役者は居なかったそうだ。


 領主の令嬢だから気を遣ったのではないかと思ったが、マルグリットも着つけしてもらったことはないらしい。つまり―――……


「つまりあなたの歌唱力は、座長のお墨付きってことよ」


 我がことのように誇らしげに言って、カノンは肩を掴んでいる手に少し力を入れる。


「ねえタリサ、今日は間違いなくあなたにとって特別な日になるだろうけど、別に頑張らなくてもいいのよ」


「えっ」


「いつも通り、普通に歌えばいいの。中庭でしているみたいに。

 そうすれば、聞いた人はみんな幸せになれるから。私みたいにさ」


 ……本当かな。

 カノンを疑うわけじゃないけど、それが真実なら、この上なく嬉しい。


 パパは私の声を、神様がくれたものだと言った。

 大切なカノンも、ここまで信じてくれるなら、もうやるしかない……


「ほらほら、そんなに気負わないの。

 この衣装、綺麗だね。似合ってるわ」


 緊張で表情が凝り固まっているタリサの気持ちを解そうと、カノンが話題を変えてくれる。


 ありがとう、と返そうとしたが、どうしてかカノンはとても悲しそうな顔をしているから、何もいえなくなった。


「昔、これと似てるドレスを作ってもらったことがあるの。色もデザインも、すごく気に入ってたんだ……

 ダメにしちゃったけど」


 タリサが来ている『愛の精』の衣装は、光沢のある白銀のサテン地に、やはりキラキラした真珠色のオーガンジーを重ねたもので、背中には妖精の特徴として淡い水色の蝶の羽が着けられている。


 カノンのドレスに蝶の羽は無かっただろうけど、銀のドレスを纏ったカノンは、とてつもなく綺麗だったろう。


 きっとダイヤモンドみたいにまばゆく輝いて、夜会を華やかに彩ったに違いない。

 自分も、それを見てみたかった。だから。


「でも多分、あなたが着たほうが似合ってたでしょうね。私には分不相応って感じだったもん」


 たとえ冗談めかしていても、そんなこと言った彼女が、ちょっとだけ許せなかった。


「……そんな訳ない」


 真剣な表情のタリサに、カノンは不思議そうな顔をしているけど、これだけは伝えておかなくちゃ。


「それはカノンのドレスだったんでしょ?

 あなたが一番……ううん、カノンにしか似合ってなかったはずよ」


 タリサの心からの言葉を聞いてカノンは一瞬、子供みたいな、泣きそうな顔をした。


 抱き締めて慰めてあげたかったのだけど、すぐにまた何でもないように笑ってぽんぽんと肩を叩いてきたから、出来なかった。


「“様”ってつけずに呼んでくれたわね。ありがと」


 そういえば自然に名前だけで呼べていた。

 そんな小さな変化に満足したカノンが腕を下ろすと、舞台のほうからひときわ悲痛な声が聞こえてきた。


「………いま僕にあるたった一つの希望は、死の世界で彼女に逢えることだけだ」


「あ…出番、そろそろね」


 カノンが脇に避けたから、タリサは一歩進んだ。

 いよいよ近づいてきた出番を前にして、改めてカノンとまっすぐに向き合う。


「カノン……ありがとう。あなたが居てくれなかったら私、きっと一生、日陰者のままだった」


 タリサから視線を逸らさず、お礼の言葉を受け取ったカノンは、ニッと口角を上げて笑う。

 彼女らしい、自信たっぷりな笑顔だった。


「お礼を言わなきゃいけないのは、私のほう。でも後にしておく。

 さ、行ってきて。客席の人達に、あなたの歌を聞かせてあげてよ」


 タリサも笑い返し、頷いてから、舞台の上へと足を踏み出した。


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