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いざ馬を駆れ!!初舞台だ!!②

 控え室を後にしたエスペランサは、少女の声がするほう、廊下の一画を衝立で区切ってある、劇場関係者用の待合所へ向かう。


 早足で歩いていると、廊下の角を曲がってすぐのところで、待ち合いのほうから小走りにやってきた中年の副支配人サブマネージャーと鉢合わせた。


 小太りで小柄ながら愛嬌のある、金魚のような顔をした副支配人は、エスペランサの姿を見ると、人の好い顔にほっとした表情を浮かべた。


「ああ、マダム、ちょうどいいところに……妙なご令嬢方が来訪しているという話は聞きました?」


「ええ、今、ティナから。大変だったわね、後は任せて」


 すでに疲れの色が見える副支配人の肩をポンと叩き労ってから、エスペランサは待ち合いへ向かうと、まずは衝立の前で止まって声をかける。


「ただ今参りました、当劇場の座長ですが、失礼してもよろしいですか?」


「あ…は、はい!!」


 比較的、大人しいほうの声が応えてくれたから、衝立をずらして中へ入る。

 待ち合いには軽食を摂ったりササッと書き物などに使えるような簡素なテーブルと、寝転がれば仮眠にも使える大きな長椅子が一つずつ置いてあり、少女達は並んで長椅子に座っていた。


 余所行きのドレスの上に、高級そうな外套を羽織り、防寒素材のボンネットを被った、お人形みたいに愛らしい二人組。

 なるほどこれはどこからどう見ても、良い家のお嬢様に違いない。


 座長というからにはてっきり壮年の男性が来るとでも思っていたのだろう、ぽかんとしている二人に、エスペランサは深くお辞儀する。


「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません、お嬢様方。

 わたくしがここ、ジェイデン・ホールにて座長を勤めさせていただいております、エスペランサと申します。どうぞお見知りおきを」


 相手がまだ子供とはいえ、礼を欠くことなく口上を述べると、少女達も長椅子から立ち上がった。

 まずは金髪の少女が、ぴょこんと頭を下げる。


「ご丁寧にありがとうございます。たいへんお忙しい日に突然、押しかけて申し訳ございません。

 子爵のカノンと申します」


 年若いが挨拶には慣れているらしく、スラスラと喋るので感心するが、続いて口を開いた黒髪のほうは緊張しているようで、あまり滑らかな口調とは言えなかった。


「く、クローベル家当主、第五子エミールの息女タリサと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 控え目だが、澄んだ声でなかなか良い。

 カノンのほうの背伸びした感じも嫌いではないし、エスペランサは突然現れた二人の少女に対し、両方ともに好感を抱いた。


「カノン様に、タリサ様ですね。高貴なご令嬢方とお話できる機会をいただき、光栄ですわ。

 さ、どうぞお顔をお上げになって。わたくしのような者に貴女がたが、へりくだる必要はございません」


 促されるまま頭を上げた二人は、背を伸ばし姿勢を正すと、意外にもタリサのほうが先に口を開いた。


「あの…マダム・エスペランサ」


「はい?何でしょう、タリサ様」


「今年の夏季公演で、『炎獄の女王』の主役、女王イブリアを演じていらっしゃいましたよね?私、7月に客席で観ていて……

 本当に素晴らしかったです。最後のほうはもう、涙で目の前が滲んじゃって、せっかくの終幕(フィナーレ)がよく見えなくて。

 帰ってから眠る前にも思い出して、三日くらい寝不足でした」


「あら、それは嬉しいこと。身に余る光栄ですわ」


 憧れの女優と直に会話できる喜びで、瞳をキラキラさせながら興奮しているタリサの隣で、カノンが軽く咳払いをする。

 話の本筋からズレていることに気づいたタリサがハッとして口を噤むと、いよいよカノンが本題に入ってきた。


「今朝、マルグリット様が体調を崩されたことは、もう知っておいでですよね?」


「ええ、咽喉の調子が良くないとか。お気の毒ですわ」


「そうなんです、とても舞台に立てるような状態ではなくて、お可哀想なんですが……だからこそ、こちらのタリサ様を代わりに『愛の精』の役で今日のお芝居に出演させてほしいんです!!


 クローベル公が認めた正式なご令嬢でありますし、ご覧の通り凄く可愛くて、おまけに水晶みたいに綺麗な声で歌うんです。

 絶対に良いお芝居になりますから……どうか、お願いします!!」


 ……あら、まあ、これは。


 真剣そのものの表情で、まっすぐにこちらを見据え、懇願してくるカノンは、ちまたで騒がれているような、神の子だの魔女だのという現実感の無い者には見えない。

 ただ、友達のため必死になっているだけの、純粋で情に篤い少女だ。


 そしてそういう、小娘らしい愚直なほどの純粋さが、エスペランサは嫌いではない。

 むしろこの世で一番、美しいものの一つだと、そんな風に信じている。


「……いいでしょう。少し、歌声を聞かせてもらえる?

 マルグリット様と比べて遜色ないくらいに歌えるようなら、『愛の精』を演じてもらいましょう」


「……ありがとうございますっ」


 礼の言葉は、カノンの口から聞こえた。

 信じられない、と言いたげにポカンと立ち尽くしているタリサに、エスペランサはおもむろに手招きをする。


「さ、こちらへ……わたくしの控え室は防音になっておりますから、そこで歌ってみて下さいな。ご案内しますわ」


 心の準備が整っていないのか、おろおろと視線を彷徨わせるタリサは、最終的にカノンのほうへ顔を向けた。


 困惑している友達からの視線を受けると、小さな女子爵は顔の前でグッと拳を握り、力強いエールを送る。


「大丈夫、あなたなら出来るわ。思いっきり歌ってらっしゃいな」


 頼もしい友に勇気づけられてタリサは、意を決して一歩を踏み出した。

 その様子を微笑ましく見守っていたエスペランサは、二人の友情に軽い感動すら覚えた。


 が、それと、歌の評価はまったく別。

 聞き苦しくない程度に歌えるようなら出てもらってもいいが、あまりにもお粗末なようなら出演は見合わせる。

 ということでまずはお手並み拝見といこう。


 ぎくしゃくと足を動かしてすぐ傍に来たタリサを伴い、控え室へ向かうべくマダム・エスペランサは衝立の外へ出た。



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