待て待て待て、結婚とかまだ早いから⑤
そう、タリサは決して、クローベル家の人々を嫌ったり憎んだりはしていない。
性格が違いすぎてうまく仲良くできないけど、マルグリットは遠巻きながら気を遣って親切にしてくれる。
マルセルもちょっと怖いけれど、強くてまっすぐで頼りになる。
子供の頃、私生児だという理由でタリサが遠戚の悪童たちにいじめられているのを見つけた時など、怒り狂って全員叩きのめしてくれたし、今日だってタリサの為に当主のもとへ抗議に行ってくれた。
その当主はタリサにとっても祖父である訳だが……やはり感謝こそすれ、恨みなど無い。
末の息子がどこの馬の骨とも知れない女との間に作った子供など、面倒を見る必要などないのに、孫と認め手元に置き、貴族として育ててくれたのだから、慈悲深い人だ。恨んだりしたらバチが当たる。
だからもし、“この家へ嫁げ”と命じられたら、その通りにする気ではあるが……
もし名家のご夫人になっちゃったら、たくさんの人の為に歌うっていう、パパとの約束は守れなくなっちゃうな。
身近になってきた結婚、守れそうにない約束、今の家族との関係。
簡単には答えの出ない様々な問題に悩むのも疲れてボンヤリとしていると、窓のほうからコン、という音が聞こえた。
小さなものだったし、気のせいかと思ったが、一拍置いて、また聞こえた。
誰かが何か、たぶん木の実みたいな軽い物を投げ、タリサの部屋の窓へぶつけているらしい。
こんな時間に、こんな子供のイタズラみたいなことをする人なんてこの家には……いや、一人だけ、心当たりがある。
タリサは立ち上がってオルゴールを寝台横のテーブルに置くと、窓へ駆け寄りカーテンを開けた。
ちょうど下から放られてきたヘーゼルの実が、目の前で窓硝子に当たる。
コンッと音を立てて実が落ちた後、急いで窓を開き下を見ると、厚いショールを羽織ったカノンが立っていた。
タリサが窓枠から身を乗り出すと、夜目にもドキッとするくらい華やかに笑う。
「こんばんは、タリサ」
「カノン様!!こんな時間に、何やってるんですか!?」
「ちょっと寝る前の内緒話をしたくて……降りてらっしゃいよ!」
おいでおいでと手招きされて、タリサはちょっとだけ迷ったが、断ったところでカノンは大人しく帰ったりしないだろう。
タリサが降りてくるまで、一晩中そこで待っているかも。
そんなことはさせられないから、ひとまず窓を閉め、適当な上着を羽織って部屋を出る。
使用人がおもに使う通用口を開けて外階段を降り、庭に着くと、すぐにカノンが走り寄ってきた。
「ごきげんよう、早かったわね!!」
「あの、カノン様、いったい……」
「前から言おうと思ってたんだけど、カノンでいいわ。“様”はいらない」
ん?話って、それ?
でもこの方には王太子様から直に授与された爵位があるし、敬称をつけないのはどうなんだろ……
いろいろ考えているタリサを放って、カノンは口を動かし続ける。
「私ね、別に王太子様のこと好きじゃなかった。
大事なお友達だと今も思ってるけど、恋とか愛とか、そういう感情はいっさい無い。手のかかる弟って感じ」
「え?」
「誰でも良かったの、お金持ちで、身分のある人なら。あなたに求婚してきたドスケベン男爵にだって、喜んで嫁いだでしょうね。
とにかく貧乏暮らしが嫌だったの。
きれいな服着て、おいしい物食べて、生きてるだけで皆から頭を下げられたかった!!
だからどうしても、アンリ殿下のお妃になりたかったの。失敗したけどーーー!!!」
あんまり聞きたくなかったカミングアウトの嵐に呆然としていると、カノンはへらっと気の抜けた笑い方をして、空に向かい両手を上げた。
「あ~~~スッキリした。心が軽くなると体も軽くなるってホントね!!さ、次はあなたの番よ」
「へ?」
「私が本音ブチ撒けたんだから、あなたも本心で答えて。
大きな劇場で、舞台に立ってみる気はない?
大勢の人にあなたの歌を聞いてほしいって、そう思ったことはないのかしら?」
おかしな話だ。彼女が秘密を打ち明けてきたからといって、タリサもそうする義理はない。ないのだが……
「私……歌いたい、です。本物の舞台で……歌ってみたい」
気づけば、そんなことを口にしていた。
分不相応だとわかってるけど、毎年マルグリットがしているみたいに、特別な衣装を着け役になりきり、大勢の観客の前に立って、歌いたい。
たとえ社交辞令だったとしても、一度でも拍手喝采を浴びることができれば、もうそれ以上に望むものないと、願っていたりする。
ついその場の雰囲気に乗せられて、本心を覗かせてしまったタリサに、カノンはとびっきり嬉しそうな笑顔を向け、下ろした手を胸の前で握り合わせて可愛らしい“お願い”ポーズを取る。
「それじゃ、もしも、今度の記念公演で何かあったらさ……歌ってくれる?舞台の上で」
何か、とはいったい、何なのか。
ちょっと怖い気もするが、潤んだ緑色の瞳でカノンに見つめられれば、頷くしかなかった。
彼女に本気でおねだりされたら男の人じゃなくたって、断れる人は少ないんじゃないだろうか。
「わかった、歌うわ」
真剣な顔をしたタリサが、しっかりと頷くと、カノンは飛び上がって喜んだ。
「よっし!!そうこなくっちゃね!!燃えてきたぁ!!!」
愛くるしいポーズを解いて拳を振り上げ、気合いを入れたカノンは、
「それじゃ、公演の日までちゃんと練習しておいてね。
あと今夜の話は私達だけの秘密だから、絶対誰にも喋っちゃダメ。約束よ!!」
一方的に捲し立て決めてしまったカノンは、さっと身を翻してこちらに背を向け、軽やかに駆け出す。
振り返りもせず夜の闇に消えていくその後ろ姿を無言で見送りながら、タリサは父の言葉をぼんやりと思い出す。
みんなが重罪人と責めても、私の歌を聞きたいと願い、私も歌ってあげたい人……
あの時はパパの言ったことの意味、わからなかったけど、今なら少しだけ、理解できる。
いったい彼女がどうするつもりなのか、記念公演の日に何があるのか、自分には検討もつかないが、とにかく明日も歌って、練習しよう。
今タリサにできるのは、それだけしかないから。




