貴族令息だからって偉そうにしてんじゃねえぞ⑦
女心に疎いマルセルには、カノンの気持ちなんて読み取れはしないが、どちらにしろもう大してアンリ殿下に執着はしていないようだ。
カノンは上に向けていた顔を水平に戻すと、くるっと回ってタリサに向けた。
「さ、世間話はこの辺にして。何か歌ってよタリサ。
記念公演のやつでもいいけど、できれば今日は他の歌を聞いてみたいな」
「ああそれ、いいな。俺も聞きたい」
カノンだけでなくマルセルからもリクエストを受け、タリサは焦ってキョロキョロと視線をさまよわせたが、やがて小さく口を開いた。
「ええと……昔、父から教わった歌で良ければ地方の民謡とか、小芝居に使う戯れ歌とかですけど」
「わー、いいじゃない!聞いてみたいわ」
早くも軽く興奮しつつ小さく拍手したカノンがベンチに腰掛けたので、続いてマルセルもちょうど近くにあった平たい庭石に座る。
二人分の期待に満ちた視線を受けたタリサは、ちょっと緊張した面持ちで立ち上がる。
何を歌うか迷っているのだろう、あれこれ考えている様子で呼吸を整えるタリサの横で、今か今かと待ちながら、カノンは斜向かいに座るマルセルへ視線を向ける。
「ねえ、今年の記念公演はもう無理にしてもさ、タリサにも舞台で歌う機会を作ってあげるようにクローベル公へ頼んでみてよ。
ジェイデン・ホールってのなら、コネがあるんでしょ?」
それはとてもいい案に思えたから、マルセルは大きく頷いた。
「そうだな。クローベル家が後援してる舞台は記念公演の他にも何回かあるから、早ければ今年のうちに―――……」
「そうね。できるだけ早いほうがいいでしょう。
来年の今頃は、タリサがここに居るかわからないもの」
突然入ってきた冷ややかな調子の声に、全員が驚いた。
三人、一斉に声のしたほうを向くと、ツンと澄ました表情のマルグリットが立っていた。
ちょっと眉を寄せてキツい目つきを作り、三人を順番に見渡すと、馬鹿にしたようにちょっと顎を上げる。
こういう時の妹を、マルセルはあまり好きではない……ただでさえ最近はいつもカリカリしていて苦手なのに、今日はまた一段と機嫌が悪そうだ。
女子のことなどまるで理解できないマルセルと違って、プライドの高い貴族少女と渡り合うのに多少は慣れているカノンが素早く立ち上がり、まずは丁寧にお辞儀する。
「ごきげんよう、マルグリット様……失礼ですが今のお言葉は、どういう意味でしょうか」
さっきまで明るく喋っていた屈託のない少女とは別人のような、穏やかで大人びた調子で質問するカノンに、マルグリットはまずフフンと高飛車な嘲笑を返す。
「あら、その様子じゃ三人とも、まだご存知ないのね……
午前中に、ドーズデン男爵様から使いの方がいらしたの。
何でも男爵様は、前の奥様が亡くなってから今年でもう三年が経つので、そろそろ後添えの方を探してらっしゃるんですって。
それで、当家のタリサはどうかって、打診に来たみたい」
「は…?後添え……?」
カノンは笑顔を消して眉を顰め、気になった単語を繰り返している。
色々と引っ掛かるのも無理はない。
マルセルの記憶が確かなら、ドーズデン男爵という男は……
「ねえ、その、男爵って何者!?」
カノンから訊ねられ、戸惑いながらもマルセルは知っていることを口にする。
「領内の市街地に館を構えている、煙草の葉の生産とかで一財産築いた、成り上がりの貴族だ。
大変な資産家だが、確かもう五十は越えているはず……」
「ご……」
あまりのことに言葉を詰まらせたカノンを、マルグリットは冷めた目で眺めながら、淡々と続きを語る。
「幾つであれ、独身の貴族であるのは間違いないもの、同じく独身の女性に求婚するのは自由よね。
結婚して夫人になれば男爵様のお金で贅沢な暮らしができるし、悪いお話ではないんじゃなくて?
ねえ、タリサ」
マルグリットから水を向けられても、タリサは答えなかった。
否とも応とも言わず、ただ悲しげに目を伏せて俯く。
よく見る姿だが、カノンは気に入らないらしい―――それは、そうか。さっきまでタリサも、とても楽しそうだったんだから。
あんなに明るく笑う彼女を、マルセルは初めて見た。そしてその事実を、今は深く恥じている……
歴史ある古参の名家クローベルだの、麦の海を枯らしたことのない王都の生命線だのと、偉ぶっているくせに少女一人、幸せにできていないなんて。
細かい出自はどうあれ同じ血を引き、家族として受け入れたはずのタリサに八年も悲しい顔をさせ続けた挙句、五十男と結婚させる?
冗談じゃない、と憤ったのはマルセルだけではなかったようで。
ふわっとドレスの裾を翻し、カノンが走り出す。
反射的にマルセルも足を踏み出すと、見咎めてマルグリットが鋭く叫んだ。
「ちょっとマルセル!!どうするつもり!?」
どうするのが正解かなんて、マルセルにもわからない。でも、このままではいけない。
タリサの為、そして多分、クローベル家の為にも。
焦燥と義務感に突き動かされて、マルセルは先を行くカノンを追った。




