貴族令息だからって偉そうにしてんじゃねえぞ⑥
「その、色々教えてくれたろ?王都のこと……夜会の意義とか、将軍の装いについてとか。
あれを聞いたら、少しは身嗜みにも気をつけようと思ってさ」
「あー、そういうこと。それはいい心がけだわ……ん、それはそうとして」
マルセルの変化を一頻り喜んだ後、カノンはぴょんと立ち上がり、いきなり頭を下げてきた。
「昨日は調子に乗って言いたい放題喋りまくっちゃって、ごめんなさいっ。
被後見人の上に居候で、たくさんお世話になっている身のくせに、大変な失礼でしたわ」
「え?いやいや、いいんだ、君の話は……グサッとくるところもあったが……
面白かったし、とても為になった」
歯に衣着せぬ彼女の言動に対して、マルセルはちっとも不快になど思っていないし、むしろ謝らなきゃいけないのはこっちのほうだ。
それをちゃんと伝えるべく、マルセルも頭を下げる。
「俺のほうこそ、いきなり上からの態度で文句をつけて悪かった!!
実は君のことを注意してほしいという者がいたんだが、その者の言い分を、ろくな根拠もなく鵜呑みにしてしまって、あんな態度を……
礼を欠いていたのは、この俺だ。タリサも、怒鳴ったりして悪かった」
「マルセル……まあ……」
お互いに謝り合う二人を前にしてタリサは、驚いたやらホッとしたやら。
とにかく頭を上げさせようと、必死で考えて言葉を捻り出す。
「わ、私は別に気にしてません。
カノン様も、もういいですよね?元々そんなに怒ってたわけじゃないし……」
「うーん‥そうね」
カノンが自分に腹を立ててはいないと聞いて安心し、恐る恐る顔を上げると、カノンはとっくにもう背筋を伸ばして立っていた。まだ不安げなマルセルと目が合うと、ニッと笑う。
「タリサもこう言ってるし、この辺で手打ちにしましょうか。勝ちも負けもない、ただの仲直りってことで」
「引き分けでいいのか?俺はもう、完膚なきまでに君に負かされたと思ってるんだが」
「え?」
カノンはちょっと驚いた素振りを見せ、ちょっと考えてから、また朗らかに笑い出した。
「あはは、じゃあ私の勝ちってことで。
さすが貴族令息、女性を立てるのがお上手ね」
午後の明るい太陽のもと、くるくると表情を変えながら喋るカノンは、初日に謁見室で見た儚げで弱々しい少女とはまるで別人のようだが、あの時よりずっと自然体で過ごしているように見える。
多分こちらが、彼女の素なんだろう……もちろんマルセルは、この麗しい少女が前の晩に告げ口した老女の首根っこを掴んで廊下の暗がりに引きずり込み、裏社会のチンピラも真っ青になるようなえげつない脅し文句を使ってギッチギチに締め上げたことを知らない。
それはさておき謁見室といえば、もう一つ謝らなければいけない事案があることを、マルセルはここに来て思い出した。
「そうだ、妹が君に、何かと辛く当たっているらしいな。
最初の挨拶でも随分とひどいことを言っていたし、申し訳なかった」
「あー、いいのよ。あれくらい何でもないわ。
悪口も嫌味も、王都でさんざん言われてきたから慣れちゃった」
なかなかハードな過去をあっけらかんと言うから驚くが、気にしていないのならまあ、良かったか。
辛い貧乏暮らしから、偏見に満ちた貴族生活まで、王都で波乱の人生を送ってきたこのワケあり令嬢は、恥ずかしながら田舎でぬくぬくと生きてきた我々兄妹とは器が違うみたいだ。
「本当にすまん。どうもアイツは、以前にアンリ殿下がこの城を訪ねて来られた時から、恐れ多くも殿下に想いを寄せている節があってな。
だから君に嫉妬しているんじゃないかな」
「まぁ、そうなの?マルグリット様も可愛いところあるのね」
要するに子供っぽいヤキモチで嫌がらせされているというのに、カノンときたら怒るどころが面白がっている。
うーん、これはやはり格が違う……マルグリットなんか多分、敵じゃない。
彼女の寛容さ…というか肝の太さに感心していると、カノンはふいに形のいい眉を下げ、表情を曇らせた。
「んー、でも、そしたらマルグリット様、いま心配で堪らないんじゃない?
なんか王都では大変なことになってるんでしょ?アンリ殿下」
これにはマルセルのみならず、タリサもぎょっとして息を飲んだ。
なるべくカノンの前では、その件は話題にしないよう気をつけていたのに、まさか本人が言い出すなんて………
風の噂によると王都では、王太子アンリの身の上を巡って、また一悶着起きているらしい。
何でも、マルセルの憧れの的でもある英雄バラッド将軍が、“亡き友人の忘れ形見”として養子に迎え、自らの後継者にすべく心血を注いで育てていたリュシオンという名の若者が、実は現国王と昔の恋人であった、今は亡きさる高貴な女性との間に生まれた隠し子であると判明した上、あろうことか侯爵家息女ユージェニア嬢へ熱烈に恋し繰り返し求婚しているそうなのだ。
このリュシオンというのがまた文武両道で眉目秀麗、非の打ちどころのない青年だそうで、いまいち人望のない王太子よりも次期国王にふさわしいのではないか。
せっかく将来有望な王の息子が他にいるのなら、アンリ殿下のほうは戴冠する前に廃嫡しどこか適当な地方貴族の位にでもつけて、リュシオンを王とした上でユージェニア嬢を王妃に迎えるのが、この国にとって最良の選択肢なのではないだろうか…というような話で王都は持ち切りなのだそうだ。
どこまで本当かわからないし、きっと王都の人々も本気ではなく面白半分で噂を広めているだけなのだろうが、こんな田舎まで届いてくるとなれば、異母兄の登場で現王太子アンリ殿下の立場が少し危うくなっているのは真実なのだろう。
こんな話、仮にも最近まで恋人同士だったカノンの耳には絶対に入れないようにと、みんな気をつけていたのだが、もう知っているとは。
しかも何というかこの態度、他人行儀だ。
「あの……カノン様は心配じゃないんですか?殿下のこと」
さすがに変だと思ったタリサが訊ねると、カノンは昔を懐かしむ人がするように、ちょっと顔を上向けて、天を仰いだ。
「んー、心配っちゃ心配だけど、今更もう私にできることはないし。
周りが何を言ったってどちらを王にするか決めるのは陛下だから。
アンリ殿下は少し気の短いところはあるけれど、廃嫡の憂き目に遭うのが妥当なほど愚かな王子ではないわ……
ユージェニア様だって聡明な方だもの、どんなに素敵な男性から求婚されようが、ご自分が結婚すべき相手はちゃんと見極めるでしょ。
…ってことで、蚊帳の外の私が心配したってどーしようもないわ。
王位の行方がどうなろうとも、ここで大人しく、迷惑おかけした皆さまの幸福をお祈りしてま~す」
やけにアッサリしているが、もう終わった恋だからどうでもいいのか、それとも最初から殿下には友人くらいの気持ちしか抱いてなかったのか。




