貴族令息だからって偉そうにしてんじゃねえぞ③
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くそ、何なんだ、いったい。
大股で廊下を歩き、自分の部屋を目指しながら、マルセルは頭の中でカノンに言われたことを何度も反芻している。
思いも寄らない事態に発展したが、そもそもの発端は昨日、城の中でも一、二を争う年寄りな小間使いに、カノンから脅されたと泣きつかれたことによる。
世間知らずなタリサに馴れ馴れしくしていたカノンの態度についてちょっとだけ注意したら、怒り出して
『アンタなんか首を刎ねてやる』
と吐き捨てられた、などと訴えられ、あんな虫も殺せないような少女がそんな物騒なこと言うか?と半信半疑ではあったものの、本当ならば次期家長としてビシッと注意せねば、と勇んで行ってみたら、これだ。
王都では伯爵夫人とアンリ殿下の手厚い庇護のもと、好き放題に振る舞っていたのだろうが、ここではそうはいかない。
あくまで祖父の被後見人、つまり居候の身として、クローベル家のルールには従ってもらう、なんて強めに口頭注意して、己の立場を自覚させようと考えていたのに、逆にこちらがコテンパンにやり込められてしまった。
同い年とはいえ男を誑かし、遊び呆けるしか能のない愚かで哀れな小娘。
今はしおらしく反省しているようだから、性根を叩き直すチャンスだ、なんて意気込んでいたのに、とんだ見当違いだった。
ちゃんと話してみれば頭も悪くないし、一本筋の通った女じゃないか。
カノンが丁寧に解説してくれたおかげで、ずっと下らないと思っていた王都の王都のキザな貴族や、派手派手しい催し物についてもかなり見方は変わったし、向こうでの軍人の有りようなどについて、もっと知りたい、聞いてみたいとすら考えている。
要するに、勝てると思っていた相手から返り討ちを食らってボコボコにされたというに、ちっとも悪い気分ではない。
むしろ清々しいくらいだ。
今まで女といえば自分を怖がって遜るか、子供扱いしてキャンキャン口うるさくしてくるか、どっちかしか知らなかったから、正面きって喧嘩を受け、しかも負かしてくる女性なんて初めてだ。
どうしてアンリ殿下が侯爵家ご息女ユージェニア嬢という完璧な婚約者がいながら、庶民の娘なんかに心奪われたのか、さっぱりわからなかったのだが、今日はちょっとだけ理解できた気がする……
と、いかんいかん。
これがアイツのやり口なんだ、きっと。惑わされるな……
軽く首を振って邪念を払い、進もうとしたマルセルの足が止まる。窓の外から、タリサの歌声が聞こえてきたのだ。
マルグリットには悪いが、彼女の歌唱力はまるで段違い。
何度聞いてもその歌声は、春の始めに吹くそよ風のように暖かく爽やかで、どこか物悲しくもあり、耳に心地よく響き切なく胸を締めつける。
たぶんマルセルのみならず、城内の者は誰しも手を止め、タリサの歌に聞き入っていることだろう。
もし、今年の記念公演でタリサが歌ったら、領民も招待客も皆、驚くだろうなぁ……
「坊ちゃま」
突然、背後から声をかけられ、間近に迫る舞台に思いを馳せていたマルセルはびっくりしたあまり跳び上がりそうになった。
ちっぽけなプライドを守るため、驚いたことを悟られないようにと軽く咳払いして振り向くと、幼い頃から世話になっている老執事が立っていた。
祖父のところへ、お茶でも出してきた帰りだろう。
銀の盆を抱えて、ぺこりと頭を下げてくる。
「急にお声かけしまして、申し訳ありません……
本日、午後の鍛錬のほうは如何しますか?弓か、それとも剣か」
「あー……そうだな」
剣を選べば剣術の達人である壮年の騎士が、弓を選べば元狩人で弓矢の名手、今は護衛兵として雇われている初老の兵士が呼ばれ、修練場で稽古をつけてくれる。
ここしばらく剣ばっかり振っていたから今日は弓にしておくか、と答えようとしたマルセルの目に、執事が抱えている銀盆の表面に映っている自分の姿が入ってきた。
普段着だから気取らない格好なのはともかく、どうも髪型が気になる……なんか、みすぼらしい。
一か月ほど前に散髪とは名ばかりの、仲良くしている手先の器用な若い兵士によって適当に刈ってもらっただけの頭髪は、ざんばらに伸びて歪な形を作っている。
なにしろマルセルがやっている髪の手入れなど、朝起きてササッと櫛を入れるだけだから、ただでさえ長さの揃っていない毛先があっちこっちに跳ねて丸まり、どこを見てもひどいものだ。
カノンの話によれば幼い頃から憧れてやまない救国の英雄バラッド将軍は、金の髪を整え優雅な姿で夜会に出席するという。
それに比べて、この頭はどうだ。まるで鳥の巣じゃないか。
「爺…その……美容師、というのは、呼べるか?」
ぐちゃぐちゃの髪で過ごしている己の姿が急に恥ずかしくなって、ついそんなことを訊いてしまった。
マルセルの口から美容師なんて単語が飛び出して、爺こと老執事は驚いたのだろう。
皺に隠れた瞼を開いて目を丸くしたが、気恥ずかしそうにしているマルセルを見ると、すぐに優しく微笑んでくれた。
「もちろんです、坊ちゃま。すぐに城下一の腕利きを呼んで参りますぞ」
張り切っている執事の様子に、マルセルは、安心したやらまた恥ずかしくなったやら……でも確実に、少しだけワクワクしていた。




