貴族令息だからって偉そうにしてんじゃねえぞ①
「もう休憩の時間は、とっくに終わったはずだろう。早く部屋へ戻って、歴史書の書き取りと暗唱をしないか」
昨日は刺繍で、今日は歴史のお勉強かー。
どっちも上流階級のお嬢様なら必須の科目なんだろうけど、そればっかりじゃ詰まんないわ。
「ちょっと休憩の時間が短いんじゃなくて?
適当に息抜きしないと、身に着きませんわよ」
タリサがハイと答えてしまう前に、カノンが口を挟むと、マルセルはキッとまっすぐ睨んできた。
自分ではその目で牙を剥く狼のごとき迫力と威圧感を出してるつもりでしょうけど、残念ながらぜんぜん恐くないわよ?血統書つきの仔犬ちゃん♪
「カノン嬢……どうも貴女は、ご自分の立場を弁えておられないようだな。
女とて家名を汚さぬよう、怠ることなく勉学に励むのが我がクローベル家のやり方だ。余計な口をきくのはやめてもらおう」
キャンキャンとうるさいこと。まあそっちがその気なら、この喧嘩買ってやるわよ。
「女性も勉学に励む…って、それ普通のことですわよね。そんなに自慢なさるほどの家風かしら?」
「何?」
馬鹿にされたと思ったのか、マルセルの目尻がいっそう吊り上がるが、カノンはどこ吹く風で続ける。
「他家と比べても仕方ありませんけれど、王都には私がお世話になった伯爵夫人や、ご迷惑をかけてしまった侯爵令嬢様のような才知に溢れた賢明な女がたくさんいらっしゃいましたけど、皆さん勉強した分、ちゃんと余暇を作って、お茶や音楽なんかを楽しんでらしたわよ。
そうやってバランス良く時間を使うことで、歴史の流れや思想論の根幹が頭に入って来るし、針を操る技術も自然と身に着くのですって。
もちろん学問を遠ざけて遊んでばかりじゃ、どんな能力も伸びませんけれど、逆に閉じ籠もってお勉強ばかりしていたって不健康で知恵も育たなくなるってもんですわ。
実際、ご両親が教育熱心な方々で、十人も二十人も頭でっかちな家庭教師を雇って殆ど部屋に閉じ込めて、毎日朝から晩までお勉強漬けにしたのに簡単な算術はおろか、読み書きすら危うい、なーんてお気の毒なご令息もご令嬢も少なからずいらしたわよ。
タリサ様にはそんな風になってほしくないわぁ」
昨日まで借りてきた猫のように大人しかった少女に、理路整然と言い返されるとは思っていなかったのだろう。
ぐっと唇を引き結び黙ったマルセルに、ほぼ勝利を確信したカノンは不敵に笑い、つい悪い癖で余計な一言を付け加えてしまう。
「無理に詰め込み教育をして良くない結果を出したい、というのがクローベル家の方針なのでしたら、もう何も申し上げることはありませんけれど、何でそんな無意味なことなさるのかしら?
お家の為になるとも思えないし、不思議だわ」
おーっと、これは言い過ぎた。自分でもわかっているのに、止められなかった。
案の定、生家を侮辱されたマルセルは怒りで目元を赤く染め、額には青筋が浮いている……ま、ぜんっぜん、怖くないけどねっ!!
「この…言わせておけば……」
憤怒の形相を浮かべたマルセルが、こちらに向かってじりりと一歩を踏み出してくる。
いざとなったら思いっきり爪先を踏んでやる、とドレスの下でピンヒールを履いた足を構えるカノンだが、隣に居たタリサがサッと動き、マルセルを止めるべく二人の間に割って入った。
「ご、ごめんなさいマルセル。カノン様は私を心配して下さってるだけで悪気は無いの。怒るなら私を怒って」
「タリサ……ん?」
近距離で従姉妹の顔を見たマルセルは違和感を覚えたらしく、眉を寄せて怪訝そうな顔をした。
「何だ?何か、いつもと違うな……あっ、化粧してるだろ、お前!!」
溜めていた怒りを噴き出して声を荒げるマルセルにタリサはビクつくが、カノンはジト目で睨むだけだ。
年頃の女の子がお化粧してるからって、何か問題でも?
「曲がりなりにもクローベル家の令嬢が、浮ついた商売女みたいな真似を!!今すぐ顔を洗ってこい!!」
「あう……こ、これはその……」
「私がお願いして施したのよ!タリサが自分でやったんじゃないわ」
とても聞いていられなくなって、カノンはキッと厳しい目つきを作って一歩踏み出した。
「どうしてお化粧したくらいで、そんな風に怒鳴るのよ?
確かに身を売ってる女の人達はけばけばしく塗って顔を作ったりしているけれど、貴族の女性達だって嗜みとして皆やってるわ。怒られるようなことじゃない」
タリサを庇うようにして背中に隠し、まっすぐ対峙してくるカノンに、マルセルはフンと鼻を鳴らした。
「そりゃあ、着飾るしか能のない堕落した都会の連中には重要事項だろうが、ここでは舞踏会だの晩餐会だの、くだらん夜会の類は年に二、三回あるかどうかだ。
その時には白粉でも口紅でも好きに塗りたくればいいが、今ここでやる必要はないだろ。
女が早めに色気づいたところで、変な男が寄ってくるだけでロクなことにならん」
「んだとコラ、田舎者が。テメェはお頭の中身だけ一世紀前にでも置いてきてんのかよ。
そんな役に立たねえ化石頭なら、とっとと首から外して酢漬けの壺の重石にでもしちまいな」
……つって、下町ッ子全体のちょっとバイオレンスな煽りをしてしまいそうになったけど、どうにか堪えた私を、誰か褒めるべき。
と、まあ、冗談はさておき。コイツ有り得んわ。
着飾る女はみんなバカで身持ちが悪いなんて、こんな思考の偏った奴、このカノンが直々に制裁してくれようぞ。
「マルセル様……ずいぶんなおっしゃりようだけど、王都では良家のご子息だってきらびやかに着飾って、時にはお化粧も施して、夜会にいらっしゃるわよ。
それもダメなのかしら?」
落ち着いた声でカノンが質問を飛ばすと、マルセルはますます眉間に皺を寄せて、嫌悪の表情を作った。
「当たり前だろう。男子が化粧?考えたくもない……おぞましい」
「あら、それじゃバラッド将軍もオゾマシイ方ということになるわね。
確か尊敬されてると聞きましたけれど、間違いだったのかしら?」
もはや尊敬を通り越して神のように崇拝しているらしい救国の英雄の名前を出してみたら、マルセルは燃えるような目つきでギッと睨みつけてきた。
よしよし、そうこなくっちゃね。怒りは正しい判断を狂わせるもの。
あんたが怒れば怒るほど、私は有利になるのよ……なーんつって、あたしカッコイイイイイイ!!
「貴様、将軍を侮辱するつもりか」
「心外ね。私はバラッド将軍のことは心より尊敬しています。
侮辱したのは、あなたのほうよ」
「何だと?俺がいつ……」
「今、ここで、はっきりと!!
だって将軍は、お誘いを受けた夜会には出来る限り代役を立てず、ご自分で参加なさってたもの。
もちろん、華やかに着飾って!!」
これを聞いたマルセルはさすがに面食らい、鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
カノンはマルセルから見えないようドレスの裾に隠した手を拳に握って、小さくガッツポーズする。
「そうよ、国王陛下が開かれたものはもちろん、名のある貴族が催した夜会にはいつも、顔を出していらしたわ。
そういえば伯爵夫人が主催した春の夕べの集いにもいらしてたっけ……
お化粧こそしてはいなかったけれど、暗青色の絹地に金糸と銀糸で細かい刺繍を入れた丈長の夜会服をお召しになって、胸にはアレキサンドライトをあしらった百合のブローチを着けて、輝く金の御髪を高価なシトラスオイルで整えて……それはもう、溜め息が出るくらい、素敵でしたわぁ」
握り合わせた両手を頬にくっつけ、うっとりした顔で語るカノンをぼんやりと見つめながら、マルセルはまだ言葉に詰まっている。
ファッションの話についてこれていないのだ。これは好都合。
「バラッド将軍でなくとも、高貴な軍人の方々は招待を受ければお洒落して夜会に出ていたし、次も呼ばれるようにと気を配っていましたわ。
なぜだか解ります?」
「なぜって……」
軍人が貴族主催の夜会に出るなど考えたこともないから、マルセルは答えられない。
それでも必死で頭を働かせているようだから、ここは意地悪せずに教えてあげよう。




