麗しのカノン嬢は王太子の略奪に失敗したのだ①
……すでに王国じゅうのあらゆる人が知っている醜聞なので今更ではあるが、可憐なるカノン嬢は王太子の略奪に失敗した。
略奪といっても、王太子が乗っている馬車を武装して襲ったとか、王宮に忍びこんでシャンデリアにロープを括りつけ、ターザンしてかっ攫ったとか、そんな野蛮なことをした訳ではない。
ただちょっと子供のいない老伯爵夫人と結託して身分を偽装し、王太子に近づきあの手この手を使って誘惑し骨抜きにして(正直言ってチョロかったー♪)、
生まれた時からの正当な婚約者である美しき侯爵令嬢に濡れ衣を着せ断罪して追放し、
後釜に収まって王太子妃になろうって、
女の子なら誰でも一度は夢見るであろうロマンチックなお伽話を現実のものにしようとしただけ。
実際のところ、このトンデモ計画の図面を引いたのは、養母である老伯爵夫人だ。
まだ若く王国の中でも三本の指に入る、名高い美女だった頃…自分でそう言ってるだけだから本当かどうかは知らねえ…隣国の王子と恋に落ち将来を約束した仲になりながらも、
当時の王女で現国王の伯母に当たる女性に卑劣な手口で出しぬかれ、妃の座を奪われるという悲惨な過去を持ち、王家に対して絶大な恨みつらみを抱き復讐のチャンスを虎視眈々と狙っていた彼女は、
日々の食べる物にも事欠くような貧民街に生まれ、体を売るのはどうにか免れていたものの、ケチな商人の家で奴隷のように働かされていたカノンの美貌に目をつけ、養女として引き取った。
もちろん、老後の寂しさを紛らわすため娘として可愛がる、なんて真っ当な理由ではなく、現王家を潰すための道具として育てるのが目的である。
かくして生まれも育ちも筋金入りの貧乏で、自分を生み捨てた親の顔も知らぬ当時13才の平民娘は、王太子の目に止まるような魅力的な女性になるべく、
地獄の悪鬼もドン引きして真っ青になるようなスパルタ淑女教育を施されることとなったが、持ち前のド根性と負けん気の強さで耐え抜いた。
庶民の言葉づかいを直すため鉄の椅子に縛りつけられ、睡眠不足で気絶するまで貴族の話し方を復唱し続けた時も、
優雅な物腰を身につけるため超絶臭い謎の液体が入ったティーカップを頭に乗せ、重いドレスを着てハイヒールを履きそこそこの高さで綱渡りした時も、
軽やかに馬を乗りこなすべく「荒野の死神」と呼ばれている気性の荒い巨大な野性の雄馬に身一つで挑んで、蹴り殺されそうになりながらも鬣にしがみつき背中に乗り上げ、跨っていた時も、弱音一つ吐かなかった。
……いま考えるとそこまでやらなくても良かったんじゃないかな、と思うようなことが多いけれど、三年に渡る壮絶な修業の結果、見事どこに出しても恥ずかしくない令嬢へと成長したカノンは、16才の誕生日に伯爵夫人が主催する絢爛豪華な夜会にて、華麗なる社交界デビューを果たした。
そこからはもう、面白いようにすべて伯爵夫人の目論み通りに進んだ。
蜂蜜色のブロンドと春の若葉のような瑞々しい緑の眼を持つ、花のように愛らしい令嬢は、養母である伯爵夫人が敢えて平民の出身であるという事実を包み隠さず公表し、
「険しく厳しい断崖に咲いた一輪の花」とか、
「貧しい身でありながら心は貴くあろうと生きてきた、優しさと気高さを併せ持つ娘」とか、
「神が私に与えてくださった最大の恩恵、唯一無二の奇跡」とか、
それはそれは大袈裟に吹聴してくれたおかげで、瞬く間に貴族社会へその名を広めていった。
夜会に参加しカノンを目にした上流階級の紳士淑女達は、こぞって彼女の名を口にした。
ある者はその可憐さと無邪気な朗らかさを愛らしい妖精のようだと讃え、またある者は庶民ゆえマナーがなっていない、感情のまま表情をくるくる変えるのははしたない、とやっかみ半分で批判した。
そうして良くも悪くも貴族達の話題の中心となり、一挙手一投足が注目の的にされていたカノン嬢の噂は、王宮で退屈していた王太子、容姿端麗・文武両道ながら気性が激しく高慢なことで有名なアンリ・シーシアスの耳にも入るようになった。
貴族どもの話が本当なら、なかなか面白そうな娘だ、と感じた王太子アンリは、間もなく王国西部を治める大貴族デニエ大公の息女ユージェニアとの結婚を控えた身でありながら、その前に身分の低い娘と火遊びするのも悪くなかろう、
などというゲスな考えのもと、伯爵夫人が主催する冬の仮面舞踏会にお忍びで参加し(バレバレだったけど。ウケるww)、お目当ての令嬢、カノンと出会い―――人生初の、本気の恋に落ちた。
貴族が着る気取った重苦しいドレスではなく、平民が纏う訪問着に近い、ワイヤーも飾り石も縫い込んでいない簡素な服に身を包み、踵の低い靴で軽やかに駆け回り、自身の喜怒哀楽を隠さずよく笑いよく泣くカノンに、アンリは一目で魅了された。
わずかに会話を交わしたその夜以来、何かと理由をつけて彼女を宮殿へ呼び寄せたり、自らが伯爵邸を訪ねたりして逢瀬を重ね、日を追うごとに王太子が彼女へと寄せる想いは強く深くなっていき、ついにはカノンを生涯の伴侶として傍に置きたいと願うようになった。
もちろん、一国を背負う次期王であるアンリに、そんなことが許されるはずもなく。
意を決して父である国王に現在の婚約を破棄しカノンを王妃として迎え入れたい旨を申し出たところ、当然ながら断固反対、自分の立場をよく考えろと叱責され、父王ばかりか周囲の大貴族からも苦言を呈される始末。
いくら可愛らしいとはいえ庶民との結婚を望むなんて、王太子は気でも狂ったのではないかと口さがない宮廷の人々から噂され、カノン嬢は男の心を惑わす魔女だなどと罵られて。
ついには正式な結婚の前の遊びならばと二人の仲に目を瞑っていた国王からも、二度と会うことはならぬと厳しく言い渡され、引き離された若い二人のまっすぐで純粋な恋は、哀れにも永久の終わりを迎える―――はずだった。
カノンが評判通りの、素直で心優しく愛情深い少女であれば。
殿方の夢を壊すようで忍びないがカノンから言わせてもらえば、そんな女いるかボケ、だ。
いたとしてもスラムじゃ生きていけないだろう。
生き馬の目を抜くどころか、皮も肉も剥ぎ取って内臓さえ啜り食らうくらいの精神じゃなければ渡っていけない世の中を、カノンは13才まで自分の力だけで生きてきたんだ。
あの頃のことはできるだけ思い出したくないが……随分と理不尽で惨めな目に遭ってきたものだ。
働いていた商家でわずかなチップ欲しさに、客が面白がって床に投げつけた小銭を這いつくばって拾うなんてしょっちゅうあったし、
酒の席の余興として動物の物真似をして笑われたり、太って醜い中年男の客が一口だけ齧った果物を食べろと言われたことも。
そんな吐き気のするアレコレが当たり前にあるクソみたいな日常で、一番悔しかったのは、地元の貴族連中が貧民への慰問だとかいって、近くの教会へ施しに来る時。
自分のわずかな稼ぎでは絶対に買えないような、甘い砂糖菓子や小さなケーキなんかを無償で配ってくれるから、それを目当てに通っていたのだけれど、あまり好きな時間ではなかった。
いい服を着て、時計やアクセサリーで金ピカに飾り立てて、ツヤツヤの肌に白粉を塗ったくった連中から、
「あなたみたいな若い子が、可哀想に……希望を捨てず頑張って生きなさい」
なんて声をかけられるたび、腹の底からドス黒い怒りが込み上げてきた。
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