日奈との約束
校庭で昼練をしている部員の声が微かに聞こえる図書館前のベンチ。
そこに座る俺は目の前に立つ小柄な女の子を改めて見つめる。
黒髪のセミロング。怯えたような少し潤んだ瞳は小動物っぽい印象を抱く。
傍にいたらなんだか放っておけない感じだ。
「……お、同じクラスの三井静菜です。以前にスーパーで助けていただいた」
「……俺、入間樹。えっ、スーパー……?」
三井静菜さん、か。たしかにその名には聞き覚えがある。
だが自己紹介の次に告げられたのは、少し考えてもピンとこない内容だった。
今こうして話している間も少し視線が彷徨いがちなところから、相当に緊張しているのはみてとれる。
それでもこんな場所で一生懸命に俺に声をかけてくれて……その賢明さが美涼と少しだけ被った。
(あー、また挑発的に笑う美涼の顔が浮かぶ)
「あの……」
「ごめん、い、今思い出してるから……立ち話もなんだから座ってください」
俺には初対面みたいなもので、三井さんも丁寧だからこっちもつい敬語になってしまう。
「わぁ、すごいお弁当! ご飯の上に描いてあるの猫さんですか?」
「えっ、ああ……『文芸部内の恋愛事情』ってラノベに出てくる猫をイメージしてるんだ」
「そうなんじゃないかと思いました!」
「……も、もしかして、文芸恋わかるの?」
もしかして読んでいる? 少なくとも好きなラノベを知っていそう。
それだけのことなのについ嬉しくなって、口元は緩み初対面ということさえ忘れそうになる。
「はい。私も好きで読んでます。もしかしてこっちの子好きなのかなとそのわかりづらさにやきもきして、文化祭のイベントでああそう来るんだって……期待を上回って面白いので……」
「そうそう、そうなんだよ!
作品のことを話す三井さんは興奮したように顔を赤くした。
それだけで物凄く親近感が沸く。
「ううっ、す、すいません」
「うんうん、謝ることなんて……その、三井さんが文芸恋好きなのが知れてよかった」
「っ! クラスに文芸恋好きな人が居て私も嬉しいです。その、みんな運動部のことで盛り上がっていて、なかなか教室だとしたくてもこういう話出来なくて……」
「あー、たしかに文科系の部の話題、教室だとあんまり聞かないね」
「はい……大会での運動部の成績すごいですから、どうしても話題になっちゃってるのかなって。あれだと、それ以外のところに入りにくい空気が生まれちゃうような感じはしますね」
「なるほど、そういうもんか」
「……それにしても、すごいなあ、いつもこんなに可愛いお弁当を?」
三井さんは俺のお弁当の中身を改めて見つめた。
こういうふうに日奈の周りでも興味を持ってくれる人が居るならそれだけでよかったと思える。
「うん……実はこれ妹に作ったんだけど、今日は間違えちゃって……」
「ああ、なるほど。妹さん、すごく可愛いですよね」
「えっ、それって……?」
詳しく話を聞けばスーパーで助けてもらった時日奈も一緒だったらしい。
そういえば最初にお兄さんと声を掛けてくれたな……。
「同じクラスの美浜さんにもすごくお世話になって……」
「……あっ! そっか、三井さんあの時の……」
その言葉でやっと彼女を思い出した。
だが覚えてなくても無理はない。三井さんを助けたのは美涼で俺が助けたのは……。
「妹さんすごく喜ぶでしょう……立派なお兄ちゃん」
「……いや、最近は立派なお兄ちゃんでもないんだ」
「どういうことですか? 良ければ話を聞けます」
人見知りの俺だけど、周りに誰もいないこと、学校内でほとんどしゃべっていないこともあるのか、三井さんが懸命に話してくれることに促されるように、お弁当を食べながらつい日奈のことを打ち明けていく。
「立派なお兄ちゃんになりたいってよりも、日奈を悲しませないように淋しがらないようにって俺はあの日、お母さんのお葬式の日に決めたんだ……」
お母さんが亡くなって日奈は毎日当たり悲しんで落ち込んでた。
そう、それは俺が思っている以上で……。
お葬式の日、ちょっと目を離したすきに日奈が居なくなって俺も親父も血眼になって心当たりの場所を捜した。
「今も妹さんって小さいですよね」
「うん、当時はまだ3歳になったくらいの時で、だからなかなか見つからなくて凄い焦った。お母さんが病気で入院し始めた時、目ぼしいところは見て回ったけどいなくて……必死に考えた時、俺と日奈は病気が治るようにって毎日神社にお参りしに行ってたから、もしかしたらと思って神社に行ってみたんだ……そこには涙を流しながら生き返らせてってお願いしてる日奈が居てさ……」
あの時の日奈の姿は今でも鮮明に頭に焼き付いている。
すぐには掛ける言葉も見つからず、ただ抱きしめて頭を撫でてあげることしか出来なかった。
日奈自身、どうすることも出来ないことをわかってたはずだ。
それでも、何かしなくちゃいけないって肌で感じての小さい妹なりの精いっぱいの抵抗で……。
「……それで?」
「うん……すすり泣いてたけど、少し落ち着いてきた日奈を少しでも勇気づけようとして、慰めにもならないかもしれない約束をしたんだ」
「約束ですか……」
「うん。お母さんがいなくてもこれ以上淋しがらないように、悲しまないように、もちろんそれは無理なのはわかっていたけど、その想いをなるべく小さくしてあげられるように……」
家族として、兄妹として出来る精いっぱいのことを……日奈の姿を見て俺はそう思った。
保育園の送り迎えはなるべく俺が行くこと。
お母さんの分まで美味しいお弁当やご飯を作ること。
そして我慢できない苦しいときは全部自分に吐き出せばいい、お母さんの分まで俺が日奈を見てるし、全部聞いてあげるから……と。
最初は料理なんて出来なかったからそれなりに苦労したけど、日奈と一緒にいるうちに徐々に元気になって行ったんだよな。
「っ! や、やっぱりすごくいいお兄ちゃん!」
「泣くほどのことではないと思うけど……いやでも、今は自分のことで少し悩んじゃって、日奈と約束したこと最近ちゃんと守れてるのかなって思うと……妹に迷惑」
あれ、言葉にしていると日奈と共に美涼の顔が頭を過った。
なんでと思ったのは一瞬で、たとえ義理でもきょうだいだからとすぐに理解する。
美涼は美涼で広実さんに迷惑を掛けまいとしているのは風邪を引いた時によくわかった。
それは俺が親父や日奈に感じている物と同じ。
美涼が俺に迷惑を掛けるのは全然いい、頑張りすぎるあいつを見てられないしもっと頼れともいったくらいだ。けど、今はどうだ?
美涼は変わらないのに、俺が勝手に差を感じて、なんかこう言葉に出来ないような上手く言えないこともあるけど……とにかく俺のせいであいつに迷惑を、掛けてる。
「あの……」
「あー、くそっ。何やってんだほんとに!」
「ご、ごめんなさい」
「いや、三井さんに言ったんじゃないよ」
幸い日奈のお弁当の量は少なくてすぐに平らげることが出来た。
「……」
「その、ちょっと用事が出来たからごめん……それと話が出来てよかった。ありがとう!」
「……はいっ!」
なんだかポカーンとした目で見ている三井さんに慌ただしくお礼を言って、俺はベンチから立ち上がる。
そのまま急ぎ足で教室に戻ったものの、そこに美涼の姿はなかった。
勢いよく入って来た俺にクラスメイトはぎょっとした目で見つめる。
そんなこと気にしてはいられなかった。
今なら謝れる。そう思って美涼が行きそうな場所をしらみつぶしに回る。
だがどこにも見当たらず、時間が過ぎてチャイムが鳴りそうだったので教室に戻ろうとしたのだが、そこでようやく前を歩く美涼の姿を見つける。
「み、美涼」
「……」
美涼が授業の始まる直前まで席についていないのは珍しいなと思いつつも声を掛けた。
振り向いた美涼は見るからに不機嫌そうで細める。
今朝とは別人のようだった。
その態度に一瞬躊躇したことでチャイムが鳴ってしまう。
(あー、くそっ……)
美涼はそのまま教室に入ろうとしていた。
その背中に向かって、
「その、あとで……」
そういうのが精いっぱいで美涼からの反応はなく、聞き返しや返答もない。
そんなお昼休みを経ての放課後。
俺はといえば、この間の実力テストの結果が悪かったために1人補習を受けるはめに。
さすがは進学校だ。
わりと自由な校則だけど、補習まで受けさせてくれるとは……。
みっちり2時間復習するはめになり、終わったころにはぐったりして教室を出た。
『日奈ちゃんの迎えはあたし1人で行くから』
そんな拒絶にも感じる美涼からのメッセージが届いた。




