詐欺と新資本主義
詐欺というと、ややきつめに聞こえるかも知れませんが、最近電話での電力会社を名乗った漏電検査の勧告やら、大手通信会社を名乗った電話料金の見直しやらの電話が多くて、かなり辟易しています。
でもこれらの電話って、詐欺なんですよ。
他人を欺いて搾取しようとしているわけで、詐欺以外の何者でもないのです。
でも、電話をして来ている人は、大方自覚していない。
自覚している人も居ますが、そういった人とも違って、実際自分の手が汚れていないから、
無自覚に詐欺をしている人が多数を占めていると感じます。
いや、もしかしたら多少自覚していて、悪いと思いつつ実行しているかも知れません。
自分に言い訳をしながら。
でも駄目なのです。こういうことって、慣れてしまうのです。
最初は感じていた罪悪感も、次第に薄れて感じなくなり、そのうち開き直ってしまいます。
これくらいで良い、社会は甘くないのだ、騙される方が悪いなどと、自分の事を正当化するために、
他人が悪いことにするのです。
これは叱られた子供が親に、うるせぇっと叫んでいるのと何ら変わりません。
自分が悪い、そのことを覆い隠したいのです。
それらの気持ちはわかりますし、普通ですし、ある意味仕方がありません。
電話での営業ですという職種に応募して、採用されて、会社に行ってみれば実態がほとんど詐欺で、
周りに十数人、同じような人が居て……。
まあよほど勇気のある人でなければ、言われた通りに電話してしまうのではないでしょうか?
続けるかどうか、それはその人次第でしょうけれども。
でも。
解るのと、許せるのはまた違います。
「○○電力です、お世話になります。代表様はいらっしゃいますか?」
「○○電力さん?」
「はい、三年に一度の漏電検査の時期になりましたので、訪問のご予約をしたいと思いまして」
「漏電検査は毎月していますが」
「(ガチャッ)」
大手電力会社の保安協会から、独立された方に聞いてみました。
「え? ○○電力さん? そんな電話掛けてくるわけないじゃ無いですか? こちらから掛けてもなかなか繋がらないのに。詐欺じゃないですか? ○○電力さんから直接掛けてくるなんて、考えられないですね」
まあ、詐欺なんですけれども。
もちろんきっと検査自体はするのでしょう。一体それがおいくらかは知らないし、まして必要とは思えませんが。
こういうのも含め、詐欺が実に多いと思います。
ちょっと毛色は違いますが、高校を卒業したばかりくらいの学生を狙った、英会話の教材もあるし、FXの手法、株の手法、競馬の手法、競輪の、競艇の……。はたまた俺俺やら未払いのサービス使用料があるやら、ものすごく利益の出る貸しマンションやら、挙げればキリがありません。
詐欺はもちろん犯罪です。この世界の経済において、ハッキリと不要なものです。
世の中にはこうした不要なものが沢山あります。まったく管理をせずにペーパーマージンだけを取る商社や、一部のお役所仕事に代表される、意味のない書類作り、そのほか意味のない工事、不効率な運搬、聞いて伝えるだけのリスクしかない伝言ゲーム、等々。。。
このように世の中には無数の無駄がはびこっています。だから詐欺もその中に埋もれてしまう。
これらを必要悪だという人もいるでしょう。
すべてが機能的に、無駄なく進めることは不可能なのだと、どこかにゆとりが必要なのだと、そう言うかも知れません。しかし、私が思うに、本当に必要なことをしている人って全体の20%にも満たないのではないでしょうか?
例えば、企業において、ある仕事をして完了したので、その値段決めをするとします。
大切な仕事です。先見積もりではなく、事後の見積もりで良いと言うことは、依頼された会社が信用されていて、変な価格は付けないと思われているということですし。
でも、ちょっと待ってください。この値決め作業、本当に必要な仕事なのでしょうか?
そりゃあ、この会社にとっては、必要です。ここが肝だと言っても良いでしょう。
良いでしょう……が、日本にとってはまったく不要です。もちろんあなたにとっても不要です。
必要なのは、その会社の関係者だけ。
しかも、十分な金額が初めから付いていれば、この会社にとっても不要なのです。
では観点を変えて、資本主義社会にとって必要か?
競争がなくては進歩しない? だから値段でも競争させないといけない?
それって本当?
人間って、常に競ってます。スポーツを見れば解ります。
お金が入るから競ってる? プロだから?
まあ要らないって人は居ないでしょうが、彼らは多分、ある程度十分な生活が出来ていれば、あのような大金をもらわなくても、競い高め合っていったと思いますよ。最初の動機にはもちろん、あのスターのようになりたかったから、的なものはあったと思いますが。
だからこそ、その多寡がそのスポーツ人口に影響しているのでしょうし。
常に一番になりたいのが人間です。
これは本能的なものです。だから、金銭ではなくても、貢献度のようなものが数値化されていれば、それを競い合うと思うのです。なんなら、その貢献度を金銭と比例させても良い。そうすれば、世界に、社会に、他人に貢献した人ほどお金持ちになる。これならおそらく不満は出にくい。
今の日本はおかしいです。同一労働、同一賃金なんて指標を掲げていますが、そんな夢のような仕組みが実現できるなら、この世に警察も裁判官も要りません。色々な人が居て、色々な価値観を持っているから、それを取りなす仕組みが要るのです。この世界にまったく同じ労働なんて、ありません。同じ労働にみえても、実態は違います。同一労働同一賃金を政府が謳うなら、総理の秘書と、中小企業の秘書は同じ賃金でないとおかしい。
内容が違うというのなら、内容のまったく同じ仕事なんてないとしか言えない。
競い合えと言っておきながら、同じ仕事は云々って、理念が矛盾していることに気づかないのでしょうか?
現岸田総理が、日本型資本主義なるものを掲げようとしています。
はてさてどうなることやら……。