あくちゃん
娘は機嫌が良いとき、私のことを「あくちゃん」と呼ぶ。
「あくちゃん」という名前は、私が夫と結婚する前、
友人たちから呼ばれていたあだ名だ。
旧姓を捨て、夫の姓になることに、さほど抵抗はなかった。
“いつかは誰かと結ばれ、その人と温かい家庭を築く”
それが、女の子の幸せだと思っていたから。
「芥川」から「吉岡」になった時も、(ああ、苗字が変わったんだな)
そう思っただけで、それ以上の深い感情は抱かなかった。
「あくちゃん」
娘にそう呼ばれると、どこか若返った気持ちになる。
幼い恋に身を焦がしていた、大学時代を思い出し、
胸がきゅっと締め付けられる。
(私にも、こんな若い頃があった―)
もうあまり思い出せないが。夫と出会う前、自由に生きていた
あの時代、確かに私は、その苗字で呼ばれていた。
「詩織に香織、いつまで寝てるのッ!いいかげん起きなさい!
会社に遅刻するわよッ!!!」
そんな私も、今や二児の母。
二人が二人とも、良い歳して母親抜きじゃ生活できないのが情けないわね。
まあ、それは今は置いといて。
夫と結婚したことに対して、後悔は何ひとつしてないわ。
「夫婦生活がしんどい」そう思うことも多々あったけれど、
なんだかんだいって、私は家族のことを一番に愛してるもの。
でもね、ふとした瞬間に無性に寂しくなる時があるの。
ああ、私もう二度と、「あくちゃん」って呼ばれないんだなって。
死ぬまで、「吉岡さん」として生きる。
“愛する人と一緒になれるなら、それでも良い”
ずっとそう思っていたけれど―
ゴメンなさいね、こんなどうでも良いことをぼやいて。
ぼやいたところで、何も変わらないのにね。
貴方がつい熱心に私の話を聞いてくれるものだから、
つい本音を吐き出しちゃった。
最後まで私の文章を読んでくれて、どうもありがとう。