逃げる花嫁候補と、連れ去られる花嫁候補
エルギア家における結婚の支度は酷く慌ただしい。
何故ならば私とリーゼ姉さんは産まれ月は違えども同い年なので、結婚適齢期も同じだし、恐らく婚姻も立て続けになるから。
我が家には娘しか居ないから、物凄く裕福であるこの家と商会の存続の為には、どちらか一人が婿を取ってこの家に残らねばならない。
残った一人はというと、商会にとって有利になるよう、金銭に困っている貴族の元か地方の豪商の元へ嫁に出されるのだろう。
つまりは嫁に行くか、婿を取るかの二択。
嫁入り先を探しつつ入り婿を探すのだから大変な騒ぎーーなのだが、まあ、どちらかと言えば嫁入り先を探す方が簡単なので婿探しに重点が置かれている。
嫁に行こうが婿を取ろうが、どちらにしろ女は商売には関わる事なく、夫に頼って生きて行けばいいのだからなんて楽な人生なのか。
他国では男女が担う役割の垣根が低く、どちらに産まれようとも働かねばならない事もあるそうだけれど、この国の富裕層はそのあたりは明確に区分されている。
これを不自由に感じる女は沢山いるだろう。
けれど、働くことにとことん向いていないという自覚がある以上、私は本当にこの国で女として産まれて良かったと思っている。
私はどこまでも生粋のお嬢様なのである。
勿論ある程度の希望はあるけれど、マトモな男性の伴侶となれるのであれば私としては正直婿を取ろうが嫁に行こうがどうでも良かった。
しかし、姉さんはそうではなかった。
幼いころにお父様にプレゼントされた外国小説の中に描かれた自由に憧れ、そんな生活の為に手に職を持ちたいと願い、手に職を持つ為に商売を学びたいと奮闘した。
しかしながら私達がならねばならない【裕福な奥様】と言うのは、お茶と刺繍を嗜んで、のんびりと浮気症な夫を家で待っているだけで良い。
勿論子供を産むとか社交界で奥様達と友情を築くだとか、女主人として家を管理するだとかーーやらねばならない事は沢山あるけれど、間違っても商売には冒険が付きものだからと剣の稽古に励む必要はない。
手足を青痣だらけにした姉さんに雷を落とす義母さんとオロオロする父様を横目に、姉さんは面白い人だ、と美味しいお茶を口に含んでいたのを今でもよく覚えている。
そんな幼いころの話はさておき。
お父様が亡くなって三年目の節目を迎え、私達姉妹の周りには結婚を期待する声が聞こえ始めていた。
適齢期も適齢期なのだから当たり前の事だとのんびり構える私とは対照に、姉さんはそんな声など一切聞こえないかのようにどんどん男勝りになっていった。
勿論、親である商会長代理ーー義母さんが納得出来る縁談が来るまでは、周囲の人間が何と言おうとも、私達の結婚話は進まない。
だから正直油断していたのである。
あの義母さんのお眼鏡に叶う人なんて中々いないだろうと。
きっと見つかったっとしても、あそこらへんの商会の三男かなとか、あの頭の切れる職人見習いかな、とか。
当たり障りのない人物を想定していたのだ。
仕事が忙しくてあまり帰宅しない義母さんが、珍しく私達と共に夕食を摂った日。
ついにお前達どちらかの結婚相手が決まったのだと告げられーーその選ばれた婿の名に私は呆れ、姉さんは怒り狂った。
あまりの大混乱な状況(主に姉さんが怒って騒いだせいだ)の中ですぐさま食事は切り上げられ、義母の冷たいお叱りの言葉と共に、私達は部屋に軟禁されてしまった。
これに関しては完全に姉さんのとばっちりである。構わないけど。
ただ、姉さんの怒りは分からないでもない。
義母さんが選んできた未来の婿は、『最良』とは商会にとっては、という意味だったのか!と思わず手を叩いてしまうほどに酷い人選だったのだ。
あんまりこだわりのない私でさえ提示された婿候補には溜息を吐いたくらいなのだから、姉さんの怒りは凄まじいものだった。
「絶対絶ー対っ、嫌よ!」
「難はあるかと思うけど……仕方ないじゃない。顔が良くて資産もあって血筋も良くって、頭も良い上に素行に問題がない、なんてあり得ないもの」
義母さんが持ってきた縁談のお相手は、隣の土地の貧乏ーー失礼、質実剛健な領主様の次男だった。
我が家には娘しかいないので婿入りして頂く必要があり、だからこそ次男以下で有望そうな若者を探しているとは何となく聞いていた。
だから、まあ、お金についてはあんまり気にしていない。
借金とか多少あってもどうとでもなる事だし。
ーーでも、問題はそこではない。
「冗談じゃないわ!誰があんな男と結婚なんてするもんですか!」
領主様は若い頃は美男子で有名だったらしくて、その息子さん達も、もれなく大層な美男子らしい。
でもお隣の領主様の息子さん達には、誰もが苦笑いするような問題がちょっぴりある。
長男は物凄く気が弱く、領地の運営でもしょっちゅう騙されかけたりしていて、嫁いできた奥さんが必死になって切り盛りしているらしい。
裕福な奥様としては大変に哀れな事である。
そして一方の次男は頭の回転も速いのだが女性に手を出すのも早いらしく、後腐れする別れ方ばかりしているとも聞く。
……刃傷沙汰になったという噂を聞いたのは一昨年ぐらいだったか?
確か、昨年は決闘を申し込まれてた気がする。勝ったとは聞いているけれども。
「どうせあの人の事だから、明日の朝には私を縄で縛ってでもあの尻軽のとこに連れてくのよ!」
「リーゼ姉さん、尻軽はあんまりじゃないかしら……」
幾ら嫌な相手でも、そういう汚い言葉を使うのは女の子としてダメだ。
それにその表現は男の方に使う評価ではなかったと思う。多分。
「じゃあ何て呼べば良いのよ。節操なし?それとも色狂い?」
「姉さんは一体何処でそんな言葉を学んでくるの」
義母さんの教育方針の元でこういう言葉を聞く機会なんてないから、恐らく密かに街に出たか、昔に何処かで聞き齧った言葉を使ってみたかっただけなんだろうけれど。
そもそも尻軽にしろ色狂いにしろ、男性に貞節を期待しても無駄だと個人的には思う。
そう口にしかけ、殴られたくはなかったので慌てて口をつぐんだ。
「取り敢えず会うだけなら問題ないのではなくて?今すぐに式を挙げる訳ではないのだから」
幾らなんでも初対面ですぐさま式を挙げるなんて事はないはず。
会ってみてから駄々をこねれば良いだけじゃないか。
「甘いわ、マリー。あの人が、一番嫌だと思う相手を連れて来たのよ?逃げられないように一発で私を仕留める罠を仕掛けてるに決まってる」
二人を揃えてからどっちの娘が良いですか、なんて選ばせる気なのよ!
頭を抱えながら喚く姉さんを横目に、確かにそれは有り得るなあ、とちょっとだけ思い直した。
義母さんは会ってみなくちゃ相性が分からないだろう、と言って、先程まで私達二人を窘めていたのだ。
むしろ婿側に好きな方を選ばせて、その場で神父様を連れてくるくらいやるんじゃないだいだろうか。
義母さんが選んだという事は、商会にとってはとっては『最良の男』な訳だし。
将来有望な若者(しかも我が家の援助を受けている)に婿養子に来てもらえるのなら、商会としては何でもやるだろう。
「まあ、それは……そうかもしれないわ。じゃあ、どうするつもりなの?」
「よくぞ聞いてくれました!」
バン、と机を叩いて立ち上がった姉さんは、鮮やかな瞳を煌めかせた。
華のように美しいかんばせが一際美しく見えるこんな時ほど、とんでもない事を実行するのが私の姉さんだ。
しまったと思った時には遅く、胸に手を当て、妖精のようだと称賛される声音で意気揚々ととんでもない事を口にした。
「マリーが貸してくれた小説にもあったでしょう?心の伴わない政略結婚、暗い未来、遠のく幸せ、そんなものはお断り。ならばーーかくなる上はっ!」
「……かくなる上は?」
「自由と真実の愛を求めて、逃避行よ!」
「逃避行」
まずい、聞くんじゃなかった。
胸な手を当て、さながら舞台女優のように朗々と発せられた言葉はあまりに突飛な発言だった。
淑女らしさの欠片も感じられないと礼儀作法の教師に怒られるだろうという程、大きく口を開けたのは今日で二回目になるがーー我が家の、家族は、みんな、ちょっと、頭が、アレなのでは。
「姉さん、頭でも打ったの?」
「大丈夫よ、心配はいらないから。こんな事もあろうかと前から個人的に契約していた外国籍の船があるの。それに乗って一月も旅をすれば、自由の国が待っているのよ!」
「ええー…突飛なくせに無駄に用意が良い……」
エルギア商会の影響力を考えれば、姉さんが無事に国外に渡れるとは思えない。
しかし、無駄にやる気と冒険心に満ち溢れているこの美人は、有言実行の鬼である。
流石は親子、流石は鬼のエルギア商会の跡取り娘。
鬼の義母さんが結婚させると言ったのだから確実に娘を結婚させるだろうし、この姉さんが逃げると言ったからには絶対に逃げる。そして確実に連れ戻される。
つまり、どちらの要求も満たすためには、姉さんが家出をしている間に、私が件の婿と結婚すれば良いだけの話じゃないだろうか。
……うん、これで良いや。
姉さんにお鉢が回ると面倒くさいことになる気配しか感じないので、そういう事にしておこう。
取り敢えず姉さんが国外に旅立つような事にさえならなければ、あとは義母さんが何だかんだで丸く収めるだろう。
そのあとに続くだろう嫁入り先騒動が続く事を考えると頭が痛くなってくるのだけれどーーともかくどっかの少女小説で読んだことのあるようなこの流れ、乗るしかないだろう。
「姉さん……私はリーゼ姉さんの為なら、」
「あ、そうだ!逃亡用の荷物と旅費はマリーの衣裳部屋の奥に隠してあるわ」
「えっ」
「だって私の部屋だとすぐにバレるんだもの。あの人、私の事を完全に信用してないんだから」
常日頃からお嬢様にあるまじき事ばかりを企んでばかりいるのだから、当たり前だ。
というか、私の部屋の中に変なものを忍ばせないで頂きたい。
ごそごそと勝手に衣裳部屋から荷物を引きずり出してくるのを見て、気が遠くなる。
あまりの姉さんの暴挙に口元が引きつったが、もう一回仕切りなおしだ。
「私……、私っ、リーゼ姉さんの為なら協力するわ。大丈夫よ、一日くらい姉さんの不在を誤魔化しておけるから」
その間に逃げて欲しいと頑張って涙ぐみながら、姉さんの手を無理矢理にぱんぱんに膨れた鞄からひっぺがして握る。
最近読んでいた流行りの少女小説によくある、感動系の台詞だ。
これを言っておけば良い感じに盛り上がり、旅立ちの瞬間も感動的な空気になるだろう。
どうせ逃げたところで二日後には捕まるだろうし、それまでに私がさっさと婚約だけでもしてしまい、姉さんが強制帰宅させられるまでのんびりと義母さんの怒りを宥めていようじゃないか。
けれども姉さんは首を傾げて、鈴の鳴るような綺麗な声音でそんな浅はかな私の考えを切って捨てた。
「何言ってるの、マリー。貴女も逃げるのよ」
「……はい?」
「エルギア家の娘に婿をって言ったのよ。私が居なくなったら貴女を結婚させる気よ、母さんは」
それはそうだ。
良いじゃない、それで。
容姿が物凄く微妙な私が妻となるのは相手方に申し訳ない気もするのだが、面倒くさい事になる前に私でさっさと手を打ってもらおうと思っていたのに。
ーーけれど、姉さんはがっしりと私の手を掴んで、煌めく瞳で言い切った。
「私は神様の前で、尻軽男を【永遠に愛する】なんて大嘘はつけないもの。もちろん姉として、妹にもそんな事させられません」
ああー、しまった、姉さんは敬虔なる神様の僕だ!
ただの定型句にすら嘘をつけない類の人間だった!
「だからほら、行くわよマリー」
「え、ええ、えええええええ!?」
ちゃんと貴女の分もあるからと、無理やり外套と帽子と荷物を身につけさせられる。
どうにか抵抗しようにも常日頃から鍛えている姉さんの力には逆らえず、結局はぐいぐいと腕を引かれるままに窓から飛び出して走り出すと、夜風が髪を攫った。
目深に被った帽子から見える姉さん越しの夜の街は、--どうしてだろう、面倒な予感しかしないのに、きらきらきらと光輝いているように見えた。