エルギア家の結婚騒動
国一番の商業都市で商会を営むエルギア家には、重大な責任ーーそれを果たさねば誰かの人生が変わってしまうような責任のある役目ーーがある。
それは、営む商会の従業員は勿論の事、その家族や取引先の商売、それに関わる人全ての生活を支える事だ。
これが小さなだけの一商会であればその役目の重みは大きくはないだろう。
けれどもエルギア商会は、国一番の商業都市の中でも一番大きな商会であり、且つ元締め的な立ち位置を築いているのだ。
国一番の商業都市の元締めが支えなくてはならないのは、なにも都市一つだけの話に留まらない。
人々の食料から衣服、住居、商材、資源、医療、果ては祀り事まで。
まさに人の一生における全ての場面に、エルギア商会は関わっている。
勿論、万が一にもエルギア商会がなんらかの失策を行って落ちぶれたなら、虎視眈眈とその座を狙う別の商会が台頭し、この商業都市を支えて行くのだろう。
だが、たとえ一時でも元締めが力を無くしたとなれば影響は大きく、死人を出すのは必定の事。
故に、エルギア商会を纏め上げるエルギア家の人間には果たさねばならない役割がある。
ーーなんて、重々しい事情を踏まえた上で敢えて言うけれど、そんなエルギア家の跡継ぎ騒動は酷く軽い。
三年前、このとんでもなく大きな商会は、総代である会長の死によって小さな転機を迎えた。
彼が亡くなって以降、巨大な商会を切り盛りする事となったのは、彼の美しい内縁の妻であったのだ。
彼女は、古参の商売人からも商会長を名乗る事を許される程に頭の切れる女性だけれど、決して首を縦には振らずに商会長代理として働く健気な人だった。
あくまでも自らは前商会長の内縁の妻であり、正式なエルギア家の人間ではないという義理に溢れた明確な線引きにより、彼女はその地位を盤石なものとしていた。
さて、そんな前会長亡き後のエルギア家には結婚適齢期の跡取り娘が二人いた。
残念ながら跡取り息子は居なかった為、娘のどちらかが婿を取って跡を継ぐ事となるのは、商会の役割とその存続を考える上でも当然な決定事項であった。
本人達にどのような意思があったとしても、より多くの人々の生活のために彼女達は自由なき結婚をせねばならない。
今は亡き内縁の夫が溺愛した娘達に対して、商会長代理の女は『最良の男を用意するから、結婚をしなさい』と命じた。
その男とやらが誰にとって最良であるのかは推して図るべしーーとは言え、どちらの娘がこの結婚を強いられるのかという選択は娘達に委ねられた。
どちらが商会の為に犠牲となるのか互いに選ぶがいい、と。
そんな血も涙もない商会長代理の女の言葉に憤慨したのは長女で、嘆息したのが次女である。
長女の名はリーゼ・エルギア。
絢爛豪華な華のかんばせを持ち、美しい声音は海の妖精のようだと謳われている。
けれども中身はじゃじゃ馬と評するに違わない程の生命力に溢れ……利発過ぎる人だ。
昼の彼女はその顔に似合わず、未熟で生意気な商人を捕まえては指導と言って大喧嘩をしたり、荒事と見れば仲介の為に口を突っ込んで行ったりと、何処のやんちゃな少年だと言わんばかりに動き回る。
しかしながらーーいや、だからこそなのかーー夜の彼女についての噂は、その美しさ故に酷い内容だ。
どこそこの商人と情熱的なキスをしていただの、あそこの坊ちゃんと深夜に逢瀬を重ねていただの、都の貴族を三股してるだの、そんな嘘か誠か分からない【不道徳な噂】が巷に流れている。
敬虔なる神の僕を称する善良な市民にとっては、結婚前の女性が何てことを、と顔をしかめるような内容である。
昼間の彼女を知る人ならば首を傾げるような内容も、あんまりに彼女の顔が美しいので否定しきれず、彼女についての噂が立ち消える事はない。
そして妹のーー私の名は、マリー・エルギアという。
一方の私はといえば、優しげとか将来は良い奥様になりそうだとか、そういう評価をされていた。
容姿については美人だの美少女だの言われもしなければ貶されもしないのだけれど、褒めるところに困った人達からは、目元の黒子は魅力的と褒められている。
つまりは可もなく不可もない、淑女らしく大人しい、もといつまらない人間だ。
特筆すべき点としては趣味の読書なのだがーー趣味で大量に買い漁る本は、甘酸っぱい夢見がちな恋愛を描いた少女小説ばかりと、少し幼い嗜好が微笑ましいと巷で噂されている。
幼い頃から私を知ってる人達は、マリーお嬢さんは【お嬢様】の見本のようだと私を評していた。
姉は華のかんばせを持ち、恋に人生にと奔放で。
妹は箱入り娘で、大人しい理想のお嬢様。
エルギア家の姉妹は正反対なんて、世間ではそんな風に言われていた。
そんな姉妹のドタバタ結婚騒動など、街の皆にとっては微笑ましい娯楽であるとして大変に歓迎された。
裕福な家庭の娘の縁談なんて、多少ばたばたしようとも何だかんだで綺麗に収まるのが世の常だ。
だからこそ、誰もこの正反対な姉妹の縁談を心配しないで暖かく見守っていたのに。
されどそれが間違いだったと気付くのは、いつから間違っていたのかと頭を抱えるのは、事が終わってしまった後の話。
ーー今からお話するのは、このたび無事に婿を迎える流れとなったエルギア家の娘達による、恋と愛と結婚に纏わる醜聞塗れな婚姻譚である。