4 隙間の異物
「良かった、凄かったよ。初めて見た」
こんなに手放しで褒めるオリエの姿こそ、オレは初めて見た。
打ち上げ終わりの二次会、オリエとオレに挟まれてバーのカウンターに座っているのは、今日のヒーローであるカマラだ。
オリエの言葉に真剣な顔で頷いて、ありがとう、と指先で答えた。
カマラのステージは、その外見からは思いもよらないような、真っ直ぐなものだった。
何一つ隠さず、心をそのまま吐き出すような歪みのない蝶。
オリエのように人を酔わせ夢に誘う蝶ではなく、見ている者を惹き付け巻き込む。そこに真実があると思わせる。
素晴らしい蝶吐師だ。それは真実だった。
だが。
「君の心がそのまま蝶になっているみたいだ、綺麗だった」
「そう」
「びっくりした。脳みそを殴られたみたいだった」
「ありがとう」
延々とカマラへの賛辞を示し続けるオリエの手は、傍から見ていると正直過ぎて滑稽にさえ見えた。
オリエは根っからの蝶吐師だ。
彼の両手は主に虚飾の為にある。
だから、性に合わないことをしようとすると、こんな風に興奮した子どもが言葉を見付けられずもどかしく両手を振るようなことになるのだ。
万のハンドサインより、ただ一匹の蝶が物語る、そういう男だから。
そんな率直過ぎる手ぶりでも、カマラにとっては嬉しいものなのだろうか。
表情も変えない気怠い目をした女だが、こんなオリエの称賛が嬉しいというなら、オリエの舞台が好きだと指していたのも案外本当だったのかもしれない。
オリエと同じで、思ったことが素直に言葉に出過ぎる質なのか。
それとも……それが蝶吐師というものなのだろうか。
「すごい、すごかった」
「ええ」
「綺麗な青だったよ」
「ありがとう」
隣の会話は終わらない。
オレはそんな単純な言葉のやり取りをサカナに、1人黙って酒を口に含んだ。
ふと、隣から指先で突かれる。
「……何だ?」
「つまらなそうね。マネージャさん」
からかうような微かな笑みを浮かべて、カマラがこちらを見ている。
赤茶けた髪を透かして、オリエもまた悔しそうにオレの顔を見ていた。
カマラの黒い瞳とオリエの青い眼。
全く別の色なのに、どこか似ているような気がしてくるのは、同じ蝶吐師だからか?
オレとは違う。
ステージの上で共通する何かを持つ2人。
「……オリエのヘタクソな告白は、見てて飽きないさ」
「おい、ジェラ! 告白なんてものじゃない、俺はただ本当のことを伝えてるだけで……」
「仲が良いのね」
その含み笑いには悪意がある――ような気がする。
意識してカマラから視線を外す。
「どうでも良いさ。オレはオリエのマネージャだ。付き合いが長いのは本当だが、だからって仲良くしなきゃいけないとも思ってない」
そうだ。そこに義務はない。
あるのはただ……オレの一方的な感情だけだ。
それが分かっているから、答えなんか見たくなかった。
カマラのも――オリエのも。
逸らした視線を引き戻すようにもう一度突かれたが、もうオレはそちらを向きはしなかった。
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それ以来、オリエとカマラは急速に距離を縮めたらしい。
互いの舞台があるたびに、足繁く通っていると示された。
オリエのショーの客席には必ずカマラがいて、カマラのショーにはオリエがいる。
勿論、オレもオリエと一緒に見に行くこともあったが――いないことも多かった。
それは、オレ自身が望んだ変化だった。
オリエの隣にオレが必要だと、今は思えなかったからだ。
こういうことは今までにもあった。
相手は蝶吐師ではなかったが。
あれで意外に惚れっぽいタイプのオリエは、この女と決めると、すべての時間と労力を捧げる男だ。
熱に浮かされたように通いつめ、そして自分のステージに手出しされると途端に醒める。
いつもその繰り返しだった。
だから、本当に驚いたのは――ショーの後、思い詰めた様子のオリエから指された時だった。
「次のショー、カマラとの共演にしようと思うんだけど」
「……は?」
今までオリエは、誰とも共演なんてしなかった。
表では「俺は誰かと合わせるのが苦手だから」なんてことにしていたが、『ステージが汚れる』とか、『俺と肩を並べられる蝶吐師なんてどこにもいない』とこっそりとオレだけに漏らすそちらの方が本音だと、知っていた。
「……良いのか? あんたら、世界観とか表現の方向性とか――良く分からんが、そういうの全然違うだろ」
「分かってる。でも、彼女とならうまくいくと思うんだ」
「どういう風に絡むつもりだよ」
「それは……うーん、両手では説明しづらいな。とにかく彼女となら大丈夫だと思う。お前に心配されなくても、ステージのことは俺とカマラが一番良く分かってるからさ」
皮肉な笑いを浮かべる横顔を、どうしようもない思いで見つめた。
ステージの上は、オリエだけの世界だった。
オレはもちろんビジネスパートナとして相談を受けることはあったが、忠告を聞くも聞かぬもオリエの一存で、時にアドバイスは全くといって良い程、無視された。
そのオリエが。
孤高であり、かつ最高の蝶吐師が。
誰かと共にステージに立つなんて。
唯一を自分から譲るなんて。
まさか、と思った。
カマラと結婚する、と指される方が余程納得出来る。
また例の悪い癖が出たと、笑ってすませられる。
「まあ冗談だけど」という底意地の悪い一言を、オレはずっと待っていたというのに。
オリエからは結局、それ以上の説明はなかった。
控室を出て行くオリエの背中を見ながら、オレは座り込んだ椅子に背を預けてもたれかかる。
……未練がましいことだ。
本当は、とっくに知っていたんだ。
あの初舞台の夜、オリエが、彼女に――彼女の才能に惚れたことを。
カマラに――いや、カマラの吐く蝶の真摯さに。