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生きろという強迫  作者: 灰色っぽい猫
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刹意


 いつからだろうか。

 人を人として見れなくなったのは。正確に言えば、見分けがつかなくなったのは。


 腹八分くらいの車両で、言われのない疑念を持たれないように両手で吊革を握りしめていると、周りの人間が皆、同じ角度で携帯を凝視している。人類みな兄弟の言葉の通り、着ている服は違えど、その様は滑稽だった。

 時おり揺れながら聴こえてくるのは、イヤホンから漏れてくる流行りの音楽とリズムに乗っているかのような舌打ちの音。産まれも育ちも違う人間が一つの箱に積められたら、こんな風になるんだなと毎日思いながら、頭を下げに会社へと向かっていく。



 狭い社会の田舎に辟易して、東京へと来たが、頭を上げ下げする会社と、弁当の空ばかりが溜まるアパートの部屋を行き来するだけで、そう簡単には世界は変わらなかった。

 どこに行っても過去の栄光にすがる年上の人や、面倒な事を押しつけるのが得意な先輩はいるものだった。それが分かっただけでも収穫だったのかもしれない。そう、思わないと酸素の薄い電車にはなかなか脚を運べなかった。


 皆、器用に自分が通る道を確保しながら歩いていく。最初に見た時は感動さえし、何故かかっこよさすら感じた。だけど、自分もそちら側になってしまった今、何の感慨も湧かなくなっていた。

 当たり前だ。こうならなければ生きていけないし、会社にも辿り着けないからだ。


 たまに思う。

 今、この場で歩を止めたら、いったいどのくらいの人間に影響が出るのだろうか。何回舌打ちをされるのだろうか。そんな妄想をしながら毎日出社している。


 でも今日は違った。付き合いで昨日遅くなり、部屋についたのは明け方。冷蔵庫に常備していた栄養ドリンクを二本飲んで部屋を出た。いつもの癖でしていた妄想を、無意識に実行していた。

 止まったのはほんの数秒。そして、僕は前から歩いてきた男性とぶつかった。


「イッテ」

 どん、と音はしてないがそんな言葉が似合いそうな場面だった。男性からはアルコール臭と香水が混ざったような匂いが届いてきた。髪は漫画の様につんつんと固まっていて、安いのか高いのか分からないようなスーツを纏っていた。


「ちょっ、謝りもナシかよ」


「あ、す……」

 いつもなら芸術的な速さで繰り出す謝罪の言葉も何故か出ず、隣にいたホスト風二号の男性がここぞとばかりに声を大きくした。


「あ〜、ちょっと〜、うちのナンバーワンに怪我させちゃったんじゃないの〜。ほら、右肩ばっこり折れてるし〜」


 男性とぶつかったのは左肩。しかも男性は右手に煙草を持ち、火を点けようとしている。


「いや、あの」


 僕は口ごもり、少し感動していた。こんなドラマみたいな事があるんだなと。その感動は、僕に冷静さを与えてくれたがそれはそれでなかなかマズイ展開への布石にしかならなかった。


「おい、話聞いてんのか。このひらリーマン。どうせ会社行ったって雑用と頭下げるしかないんだろ、さっさと誠意見せろや」

 よれたネクタイに掴みかかるホスト風二号。彼の眼はなかなかに鋭かった。初めて会ったにも関わらず、僕のほとんどを見抜いた彼の眼は鋭く、そして魚の様にあさっての方向を見ていた。もしかしたら薬物をやっているのかもしれない。ベタ過ぎる展開にますます僕は感動し、興奮していた。


「おい、もういいからやめとけ」


 ホスト一号が止めに入る。


「いや、こういう奴はちゃんと教えないといけないんすよ、社会のルールって奴を」


 ホスト二号はまるでヒーローにでもなったかの様な勢いになり、胸ぐらを掴んでいる拳に力を入れた。彼の前時代的な台詞を聞いて、僕は昔読んだ漫画を思い出していた。

 漫画のタイトルは何だったかな、なんて考えていると不意に視界が揺れ、左頬に痛みを感じた。


「なんとか言えってんだよ、アァ」


 僕は殴られていた。親父には、ぶたれた事あったかな。こんな風に冷静に思考しているから相手が苛立つんだろうけど。東京に来てから学んだのは、こういう相手の場合、弱者の演技をすればだいたい収まる。自分は強いんだって事を相手に認識させれば、だいたい満足してくれる。

 それをしない今の僕。いつもならするのに。


 周りを見渡すと通勤で時間がないはずなのに、たくさんの会社員が脚を止め見学していた。ホスト一号の姿は既に見えなかった。

 見学者達は、まるで義務の様にみなが携帯を構え、色とりどりのシャッター音を奏でていた。


『ちょっと誰か止めたら〜』

『はじめてケンカ見たよ』

『なんかの撮影かな』

『でもカメラなんかないよ』

『一方的じゃん』

『俺ならやり返すのに』

『さっさと謝ればいいのに』

『朝から元気だな』


 携帯を構えながら皆が喋るから、僕には携帯自身が喋っているように錯覚しだした。


 ホスト二号の理不尽な怒りと僕の流した血液は、彼らの今日一日の会話のネタになるのだろうか。そう考えたら、ある意味これはドラマの様なもので、僕は今日一日くらいはネットのごく一部でヒーローというか、騒がせる事ができるかもしれない。


 東京に来て、やっぱり良かった。


 何をやっても平均で収まり、規格外の事なんてこの身体の中に何一つ無かった。でも僕は今、痛覚と血液を捧げ、少しだけ、ほんの少しだけ違う自分になれた気がする。



 ありがとう、ホスト二号さん。

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