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生きろという強迫  作者: 灰色っぽい猫
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鋭利な願望


 この街に越してきて最初に感じたのは、大きな病院がたくさんあるなという事だった。そのせいで、季節の変わり目には救急車の鳴き声がよく聴こえた。


 私はこの音が嫌いだ。嫌い、というよりは苦手で、怖くなる。


 高校三年の春、私は友達を殺した。私は幼い頃に両親を事故で亡くし、身近な人の喪失に酷く抵抗があった。多分、それは誰にでもあると思うんだけど、私はその想いをぶつける人を間違えてしまい、相手は命を絶った。


 中学の時に転校してきた彼女は少し控えめで、汗を流すよりも読者が似合う女の子だった。

 本が苦手な私は、彼女がいつも読んでいた本が気になり、独りでいた彼女に声を掛けた。『なに読んでるの』とろくに自己紹介もしないまま、私は本のタイトルを見ようと彼女の席の前に飛び込んだ。


 今思えば、我ながら図々しいなと振り返る。だから、彼女が反射的に本を隠そうとしたのも無理はなかった。知らないタイトルで、蟻を見るような文字の小さな本で、私の中で彼女は少し浮いた存在になった。


 同じ年令で、同じ教室で、同じ制服で、同じ女の子だけど。

 彼女は自分とも他の友達とも違う存在に思えた。


 私の強引なアプローチで彼女とは距離も近くなり、静かな性格の彼女のおかげで、緩やかな時間を過ごす事にも慣れていた。


 今思えば、私は無理をしていたのかもしれない。子供を無くした祖父と祖母を悲しませたくない一心で活発に動き回った。家の中も、外でも。笑わせたり、怒らせたりすることで、私は役目を果たしていたような気がする。


 彼女とお互いの部屋で過ごし合い、私達は一緒の高校へと行く事にした。目的のあった彼女に私が合わせる事になり、以来私は机とにらみ合いの日々が続いた。


 彼女の大きな支えと私の小さな努力で、私達はまた同じ制服を着る事ができた。


 高校で私は運動部に入り、彼女は文化系の部に所属し徐々に一緒にいる時間は減っていった。


 それでも、時間が合えば互いの部屋に行き、空いた溝を埋めるように絶え間なく話し合った。好きな男子の事や、嫌いな教師の話、テスト前には彼女に教えを請いたり。


 だけど、私は彼女の暗い部分までは知れなかった。


 二年の頃から徐々に休みがちになる彼女。気にはなったが、所属している運動部で主力になっていた私は汗を流す事に専念するしかなかった。


 まとまって休む様になった彼女が気になり、私は仮病を使い学校を早退し、見舞いにいった。行き慣れた、彼女が住む平凡な一戸建て。玄関の前に立つと違和を感じた。母親がいれば何かしらの生活音がするものだけど、とにかく静かだった。病院にでも行っているのかな、そう思いながらインターホンを鳴らし、ダメ元でドアノブを廻した。開いた。開いてしまった。


 ドアの隙間から彼女の靴を確認すると、綺麗に並べられていた。少し大きめの声で『お邪魔します』と家の中に響かせ、様子をみた。


 すると、二階にある彼女の部屋からガタリと物音がして私は安堵した。彼女の名前を呼びながら私は部屋の前に行き、扉を開けた。


 目の前には、天井に器用にくくりつけたロープに揺れる彼女がいた。一瞬、なんの事か分からず私の思考は止まった。けど、じたばたする彼女を見てやっと正気を取り戻し、彼女の足下に転がっていた椅子を立て直し、彼女の足を載せた。


 それでも彼女は動かず、私は天井と彼女を繋いでいるロープをほどき、なんとかベッドまで彼女を運んだ。

 必死に彼女の名前を叫び、揺らし、泣き喚いている時、彼女は目を覚ました。




『……なんで』


 そう言い放った後、彼女は激怒した。なんで助けたのか、死なせてくれないのか。初めて怒り散らす彼女を見て、私もムカついて怒り始めた。


 同じ年令で、同じ女の子で、同じ制服を着ていた私達が、同じように怒り合っていた。片方は死なせろ、片方は生きろ、と。


 しばらくして、疲れたのか私達は黙った。そして泣いた。さらに笑った。


 一通りの感情を一周させた後、彼女は理由を語ってくれた。両親が不仲でしばらく家には独りだった事。一年の頃から続く虐めで、遂にグループの男子から乱暴され写真まで撮られた事。怒りを通り越して、絶望しか感じられない事。淡々と語る彼女は、やっぱり同世代の女の子には見えなかった。『汚れた私は生きていてはいけない』と締め括る彼女に掛ける言葉はなかった。


『でも生きてよ』


 そう叫ぶしかなかった私は、今振り返れば幼稚で、純粋だった。彼女は死ぬ事に希望を見出だし、私は生きる事に可能性を見出だしていた。彼女にとっては、生きろと言われるのは死ねと言われているのと同じなんだと。


 独りにするのは危険だと感じ、友達を泊めたいと祖父母に了解を取り、その日は私の部屋で一緒のベッドで夜を過ごした。自分じゃない誰かがすぐ近くにいる事にドキドキしていた。なんだかよく分からないけど、私は彼女を抱き締めた。『ごめんね』と呟く彼女の声が、最後に聴いた言葉だった。いつの間にか寝てしまい、朝目が覚めると、いるはずの彼女は消えていた。私の部屋の机に書き置きがあり、やっぱり無理だよ、と彼女の意思を示していた。


 まだ薄暗い中、私は彼女の家まで走った。どんな試合よりも脚が重たかった。なぜか確信があり、見たくはなかったから。


 彼女の家の玄関には、やっぱり綺麗に並べられている彼女の靴があった。私は涙で顔を滅茶苦茶にしながら階段を上がり、部屋の扉を開けた。


 想像した通りの、彼女がそこにはいた。全ての体液を流しながら吊られている彼女をベッドに下ろし、私は救急車を呼んだ。


 苦しんでいるのか、笑っているのか分からない表情の彼女と部屋で救急車を待っていると、徐々にサイレンが大きくなるのが聴こえてきた。


 死は理不尽だと思った。だけど、それは生者の押しつけで、求める人にはもしかしたら希望なのかもしれない。駆け付けた救急隊員に死を宣告された彼女は、どこか満足そうだった。勝手に呼ばれた警察官に話を聞かれ、私は最後まで彼女と一緒にはいられなかった。



 なんて彼女に言えば良かったのか、今でも分からない。


 だけど、もしまた、大事な人が死を求める人だったらこう言おうと思っている。



『ゆっくり、死んでね』と。

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