第41話 おんりーわん
自分以外も過去に戻ることができるのか。
それは後悔部の活動を始めてから雄一の頭のすみにずっとこびりついている疑念であった。
自分だけにしか出来ないことなのか。
誰にでも出来ることなのか。
後悔部の一員としてしてきたことは、他の誰かにも、自分以外の誰かでも出来たことなのではないか。
だからと言ってどうすることもなく。
ただ漫然と、漠然と、しかし隠然たる不安を抱えていた。
そんな折り、である。
ベスト、とはいかないまでもベタータイミングといったくらいでの今回の依頼である。
ここ数ヵ月の雄一の不安を取り除く、もしくは的中させる機会を得たわけだ。
後悔部の面々、そして依頼人の京奈は女子更衣室に来ていた。
「さて、それじゃあ今回の作戦を確認しよう。まず、過去に戻るために市丸ちゃんは女子更衣室で後悔していること、夏休みの宿題のことを思い浮かべる。これが過去に戻るためのトリガー、後悔だ」
正也の説明を京奈は幾分か引き締まった顔で聞く。
「今のところ、雄一以外が過去に戻ったことはない。過去に戻れる、というのは雄一の特異的な力なのか、それともこの女子更衣室の能なのか。それはまだわからない」
「な、なんか難しい話をしてる」
京奈は首を傾げ過ぎてミミズクのようになっている。
ミミズクはとても賢いのではないのですか?
「…………まぁここまではわからなくても大丈夫」
正也が何やら自分を納得させるように頷く。
「と、ともかく、過去に戻れたら何とかして宿題を終わらせて……」
いや、流石にふわっとし過ぎじゃあないですかね。
何とかしろ、何とかなる、そういう指示は大抵指示する側が何も思いついてない時のもの。無能な指導者ほど根性論大好きなんだよなあ。
「わかった!!」
わかったのかよ! それでいいのか市丸!
心配そうに京奈を見やるが、そんな雄一の心配を他所に当の京奈はふんす、と鼻息を荒くしてやる気満々といった様子だ。
あ、こいつも根性論の塊みたいなやつだった!
「そしてもう一つ、これはお願い。後悔部の部室を訪ねて、実験をしていると事情を説明して欲しい。もし宿題が終わらなくてもね。それじゃあ、準備ができたら女子更衣室に入って」
ふわっとふわふわした綿菓子のような作戦ではあるが、最後に抜け目なく一言添えるのが正也らしい。
過去改変が起こったときに何かしら、過去に戻ったことがわかるようにしておくこと。
それが無ければ、過去改編を確認することができない。
京奈は正也の言葉に一瞬首を傾げたまま固まったが、すぐ諦めたようにわかった! と頷く。
女子更衣室のドアに手をかけ、そこでこちらを振り返る。
「ゆーくんは入って来ないでよ?」
「入るかよ!」
じとーっとした目を向けてくる市丸。そんなに信用ないですかね?
「それじゃあ、ぼくらはここで雄一を見張って待ってるから」
「きちんと見張っておくので安心してください!」
正也の言葉に朱鳥も敬礼をしながら応える。
こらこらお前たちもかー。
そもそも着替えるわけでもないのにそこまで警戒しなくても良くないですかね……まあ、前科二犯ではあるので大人しくしておくか。
「それじゃあ、行ってきます」
少し声のトーンが落ち気味だがそれを何とか払拭するように微笑みながら、京奈は更衣室へと入っていく。
何度か過去へ戻っている雄一でも過去に戻るときは不安に感じる。経験したことのない京奈であれば尚更だろう。
閉じられたドアから少しの物音も聞こえない。三人だけになった廊下は、シーンと静まり返る。
その静けさからか、雄一は何やら得体の知れない違和感のような、異物感のような、焦燥を覚えた。
ふと、考えてしまう。
もし、京奈の身に何か起こったら。
そうだ。まだ過去に戻るのが安全なことだって決まった訳じゃない。今までが偶然うまくいっていただけだったら。
わざわざ市丸にやらせる必要もないんじゃないのか?
「な、なぁ、正也。やっぱり止めといたほうがいいんじゃねえか? 過去に戻ったって宿題は終わらないかもしれないし、それに市丸が何かして、変に今が変わったら……」
思ったよりもすらすらと言葉は出てきた。
「市丸ちゃんのことが心配なのかい?」
ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべ正也が聞いてくる。
「は!? そ、そんなんじゃねーし」
たしかに心配ではあるけどね。それは何か、そういう心配であって、正也が期待しているようなものではない……はずだ。
「小澤くん! それ本当ですか!?」
役所も隠してはいるが口元から笑顔がにじみ出ている。なんでそんなに嬉しそうなんだよ!
あれか、他人の恋バナとか好きなタイプか?
自分のことじゃなくても照れてきゃーとか言っちゃうタイプの人か?
女の子って何であんなに他人の恋バナ好きなんだろうね。同調し過ぎだろ。チューナーか何かなの?
そもそも恋バナじゃねーし!
「でも、たしかに遅いね。そろそろ『今』に影響が出ても良い頃だ」
たしかに、変化はない。もし市丸がうまく作戦を遂行できたとすれば、過去改変によって何か影響が出るはずだ。
それが無い。
過去で何か起きた?
それとも……
「市丸……聞こえたら返事してくれ!」
雄一は女子更衣室のドアを叩く。
返事はない。
何か、何か起きたのか?
勢いよくドアを開ける。
「いちま……おい! 大丈夫か?」
京奈は、部屋の真ん中辺りで倒れていた。
すぐに駆け寄り、耳元で声をかける。
「市丸! しっかりしろ」
「……ん? ……あれ? ゆー、くん」
雄一の声に京奈はゆっくりと目を開けた。
「市丸ちゃん。どーしたの? いったい何が……」
正也も雄一に続いて更衣室へ入ってくる。
「う、うん。せーやくんに言われた通り、宿題をやりたいって強く思い浮かべて、そしたら急に光に包まれて……」
光に包まれる。過去に戻るときにいつも雄一も体感している現象だ。
「でも、過去には戻れなくて、段々ぼーっとしてきて……気がついたら今声をかけられてた」
「そ、そうか。ごめん、ぼくが実験をしようとしたばかりに……」
「ううん、体は何ともないし、大丈夫。それより、うまくできなくてごめんね」
申し訳なさそうに謝る正也に、京奈は申し訳なさそうにする。
「私、原先生呼んできます!」
更衣室の外から朱鳥の声が聞こえた。
過去には戻れてない、のか。
思わずほっ、とため息が出る。
ほっ、とした?
なんで? 何故だ?
市丸は危険な目にあった。
もちろん雄一はその身を案じていた。
――であれば
何とも無さそうだから、安心した?
それもある、だろう。もちろん、それが一番の理由だし、それだけで説明もつく。
だが、本当にそれだけか?
実験が始まる前まで感じていた、訳のわからない焦燥は、いつの間にか消えていた。
実験は失敗に終わった。
失敗に、終わった。
もしかして俺は……
そう、小澤雄一は……
「望んでいた、のか?」
そう、小澤雄一は望んでいた。
実験の失敗を。
「なんで?」
何故?
失いたくなかったから。
過去に戻る。
それは自分にしか出来ないこと。
そうであって欲しかった。
自分だけのものであって欲しかった。
特別でいたかった。
もう二度と
何も出来ない自分を
何もできなかったあの時を
思い出したくはなかった。