第4話 今の自分
過去の自分を、今の自分を変えてやる。
そう意気込んでいたのは良かったが、雄一は過去の自分と正也の前に来たところで立ち止まってしまう。
よく考えたら、なんて声をかければ良いのだろう。
未来から来たあなたです、などと言っても通じないだろう。ただ頭がハッピーな人になってしまう。
そもそも現時点で自分は誰とも面識がないのと等しいのだ。
「えーと、誰だっけ?」
目の前まで来てただ黙っているだけのクラスメイトを不振に思ったのか、過去の雄一が尋ねる。
「さっきの」
正也がじっと顔を覗き込んでくる。
「お、同じクラスの大澤です」
「大澤? そんなやついたっけな?」
「いたよーな、いなかったよーな」
過去の二人が首を捻る。
それもそうだ。元々いなかったところに突然一人増えているのだ。覚えてないのも無理がない。
「まぁ、俺のことはいいんだ。それより話が聞こえてたんだけども、お、小澤くんは、進路調査、出さないのですかい?」
なんだか変な言葉使いになっている気もするが、それどころではない。自分自身と話すというのは、なんだかむず痒く、集中できない。
「う、聞いてたのかよ……確かに出さないけど、それがどうかしたのか?」
いきなり話すには良い話題とは言えなかったが、過去の自分は動揺してるせいか、あまり気になっていないようだ。
「い、いや、出した方がいいんじゃないかなーって思って」
「それはわかってるんだけど……」
煮えきらない態度。予想はしていたが。
どうする。何と言えば自分に伝わるのか。
「はーいホームルーム始めるわよ」
そんな思考をしている間もなく、魔女が教室へと入ってきた。
そしてこちらを横目で見ながら、
「あと、提出物がある人はホームルーム後に持ってくるように」
ほんの数時間前の恐怖が想起され、雄一は思わず苦い顔をした。
元々目をつけられてる自分が、あの魔女から逃げ切れるわけがない。そんなことはわかっているはずなのに、それでも雄一は逃げたのだ。
そして、過去の自分はもう一度同じことをしようとしている。
止めよう。過去の自分に同じ過ちを繰り返させたくない。
雄一はホームルームの間に、過去の自分を追う準備を整えていた。
自分の記憶が正しければ、ホームルームが終わった直後に教室を飛び出したはずだ。
そこを捕まえて、どうにか提出させてやる。そうする他なかった。
「はい、それじゃあまた明日。皆さんごきげんよう」
いつも通りの魔女の挨拶が終わると、過去の自分はすぐに席を立ち、廊下へと出ていった。
「やっぱりか……待て、俺」
それを見て雄一もすぐに追う。
いや、追おうとした。
が、廊下に出てみるとすでに雄一は捕まっていた。
魔女にではなく、クラスメイトに。
「もー! ゆーくん、昼休みのはどういうこと? どーして更衣室になんかいたの?」
プンスカと声を荒げるのは、クラスメイトの市丸京奈だ。どうやら先程着替えを見られたのに怒っているらしい
もっともその怒りをぶつけるべき相手は過去の雄一ではないのだが。
「は? 更衣室? なんのことだよ」
当然、過去の雄一は更衣室での出来事なんて全く身に覚えが無いだろう。
一瞬可哀想にも思ったが、あまり気にしても仕方ない。とりあえず過去の自分には京奈の怒りをすべて受け止めておいてもらおう。
サンキュー、過去の俺。
「とぼけてもダメだよ! いい? 女子更衣室ってのは男の子は入っちゃダメなんだよ! 入ったらけーさつに捕まっちゃうの! ゆーくん牢屋に入れられちゃうんだよ」
ショートカットの髪を揺らしながら、京奈が小さい子に言い聞かせるように怒る。
しかし本人の頭が強くないのが少し出てしまっているのは否めない。
運動神経は抜群だが、勉強のほうは中学からあまり得意ではないのを雄一も知っている。
「何言ってんのかわかんねーよ。急にどうしたんだよ」
「むー! またそうやってごまかそうとする!」
着替えを覗いた雄一の罪は相当重いらしい。
京奈の怒りはまだ収まらないようだ。
ムキー! と腕をブンブン回す。
いやそもそも、そこまで罪深いものだったろうか。雄一はあの時の記憶を辿る。
上下ピンクの下着。意外と色白で、締まった太もも。
「普通に罪深えな! ごめん市丸」
過去の自分に怒りをぶつけるクラスメイトに謝罪の言葉を呟いた。
「とにかく! もう覗いたりしちゃダメだからね!」
ビシッと指を突き立てながら京奈が言う。どうやら一通り説教は終わったようだ。
「え? ……え?」
過去の自分はまだ状況が飲み込めていないようだ。
「わかったら返事!」
「は、はい!」
京奈が珍しく声を上げる。やはりそういうところは体育会系なのだろう。
つられて情けなく返事をしているのを見て、我ながら悲しくなる。
「それじゃあ私は部活に行ってきます!」
「あ、行ってらっしゃい」
そして京奈はとても切り替えが早いのだった。
鞄をもって廊下を駆けていく京奈を見送ってから、雄一はまだ首を傾げている過去の自分の方へと向かった。
「小澤くん。君は後悔してることはあるかい?」
過去の自分がこちらを振り向く。
ああ、さっきのやつかという顔をしたのが雄一にはよくわかった。
「後悔? まあ、あるね。そりゃ誰だってあるでしょ」
少しうんざりとした様子で返してくる。
「そうか、そうだよな。それは俺が一番よく知ってるよ」
雄一は過去の自分の方をしっかりと見据えたまま続ける。
「君は過去に何度も後悔をしていて。それは取り返しがつかないものがほとんどで。どうせ何やっても後悔するだけだとか思ってる。だから色んな事から逃げて、逃げてるって現実からも逃げて」
一呼吸入れ、再び過去の自分を見つめ直して、雄一は言葉を紡ぐ。
「でも、それじゃ何も変わらない。後悔から逃げ続けたことをお前はいつか後悔する。変えられない後悔だってある、でも今は、今この事は変えられる。逃げてることから逃げるな。白紙な調査書を、何もない自分を、逃げずに見せるんだ」
ほとんどは受け売りだ。あの教室で少女に言われた言葉の。
だがあの時、少女の言葉はクリームソーダのアイスのように簡単に雄一の中に溶け込んできた。
だからその言葉は、今ここにいる自分にもきっと伝わる。雄一はそう確信していた。
過去の自分は、雄一の言葉を聞き終えると窓の外に目線を移した。
「……逃げてた、か。たしかに俺は逃げてたのかもしれない」
何かを思い出しながら、過去の自分はそう呟く。それが何かは雄一にもわかった。
「ありがとう。今日初めて喋ったばっかの奴にこんなこと言われるなんて思ってなかった」
それが皮肉でないことは雄一には理解できる。
「ああ。俺の方こそ、ありがとう」
いくら自分自身とは言え、話を聞いてくれるかは少し賭けだった。京奈が引き留めていてくれた分、話もしやすかったが。
後で京奈にも礼をしないと。
過去の自分が教室へと戻っていくのを見届けてから、雄一は窓の外へ目をやった。
まだ雨は降っていた。予報では今日の夜まで降るらしい。
雄一の視界を光が包んだ。