第29話 そうだ 女子更衣室行こう
沈黙が流れていた。
そもそも沈黙というのは、空間の中で流れているものなのだろうか。では、賑やかなときは沈黙は固まっているのだろうか。
空気が固まる、なんて言葉もあるが。
まあ、そんなことはどうでもいいのである。
話を元に戻そう。
後悔部の部室には、沈黙が流れていた。
現状をごまかすこともなく、かと言ってそれを打破しようとすることもなく。
ただ各々が自分の持ち場で、いつもの場所で、正也は黒板の前の席で天井を眺め、朱鳥はお菓子ボックスの前で、雄一は窓際の席で、優子は廊下側に立って。
皆、それぞれ物思いに耽っていた。
残りはあと数十分。
甘かった。
もちろん生徒会長、真中を軽んじていた訳ではないが、やはり真中は本質に気づいていた。
真中には後悔部の弱点が見えていたのだ。
元々実験のために作られた部活。副次的に他人のためにも、と雄一も考えていた。
しかし、他人を救うというのはそんなに簡単ではない。真中はそれを知っている。
全校生徒の名前とクラス、部活動まで完璧に記憶している真中は、それをわかっている。
人の上に立つのは、人を貶めるよりも難しい。
人を救うのは、もっと難しい。
だからと言って、部活動を廃部にするのは間違っている。米田の涙を思い出し、雄一は唇を噛んだ。
間違っているのに何もできない。
何もできない自分が悔しい。
俺は何も変わっていないのか?
中学三年生のあの時から。
――大きな後悔をしたあの時から。
高校に入ってからの別人のようになった。
先日優子に言われた言葉だ。似たようなことは何度か他にも言われたことがある。
おそらく良い意味で言われてるわけでは無いのだろう。
たしかに高校に入ってから雄一は、友達を作るわけでもなく、クラブ活動に精を出すわけでもなく、勉強をするでもなく、ただ時間の流れに身を任せて、青春の浪費を感じながら、それでも何もせずに過ごしていた。
朝はギリギリに起きて、とりあえず学校へ向かって、正也と下らない会話をして、原先生に怒られて、たまに京奈に元気をもらって、ファミレスで時間を潰して、アニメを見て、漫画を読んで、眠って、それだけで生きていた。
時間はただただ過ぎていく。
何かに夢中になっているときには気づかない、時間の流れ。
無駄遣いしているときに限ってそれははっきりと感じられた。
それじゃダメなのはわかっていた。
わかっていても、目を背けていた。
そんな雄一を真中は見抜いていた。
「お前に人は救えない」
言葉にはしなかったが、きっと真中はそう告げていたのだろう。考えているうちに、雄一は机に突っ伏していた。
「お前に人は救えない」
わかってる。わかってるよ、そんなこと。
机に突っ伏したまま唇を噛み締める。
だけど、だけど俺は……
「小澤くん」
「……役所?」
少し顔を上げるとYシャツ越しの役所の胸が……
そこからさらに目線を上げると、いつもより少し怖い顔をした役所と目が合う。
あれ、怒ってる? 胸を見たのがばれたのだろうか。
「もう、あきらめちゃったんですか?」
「え?」
あきらめてなんかいない。
もちろん真中に負けたままなんて尺だし、廃部になるなんて尚更だ。米田先輩の依頼だってある。
「まだ時間はあります。これまでだって、小澤くんは何にもしてこなかった訳じゃありません。完璧じゃなくたって、上手くいかなくったって、人を救おうとしてきたじゃなきですか」
救おうとしてきた。そうだ。たしかにそうだ。
後悔部を作ってからのこと、中学生の時のことを思い返す。
たしかに雄一は、誰かを救おうともがいていた。
だけど
「だけど、何もできてない。俺にはたぶん……その力がない」
本当の意味で誰かの助けになんてなれていない。上部だけ取り繕って、欺瞞を重ねて、それで誰かを助けたなんて言えるはずがない。
言ってて自分が情けなくなる。
朱鳥に合わせていた目線を少し下げようとすると
「力なら、あります。前のあなたが持ってなかったものを、今のあなたはしっかりと持ってるよ」
強い語気で、朱鳥がそれを引き留めた。
「……俺が、持ってるもの?」
他の誰にも無い、真中にも、正也にも無いもの。
中学の時の、今よりバカで、それでも今より強かった自分に無かったもの。
そんなものがあるのか?
――ああ、ある。あったな。
過去へ戻る能力。
そうか。そうだった。
今の俺にはそれがある。
今の俺にしかできないことがある。
席を立ち上がり、雄一は呟く。
「そうだ、女子更衣室行こう」
――――――
「つまり、全くのノープランで過去へ戻るんだね」
「……そうなるな」
正也のため息混じりの問いかけに、少し口ごもる。正直無駄足になる可能性も高い、というかほとんどはそうなるだろう。
うーんと腕組みしながら何かを考える正也。しばらく考え込んでから、雄一を見て頷く。
「……うん、わかった。ゆーいちに任せる」
「お、おお?」
予想外の前向きな返事に、思わず語尾が上がる。
正也が作戦もなしに俺に丸投げするなんて今まであったろうか。
「何も思いつかないし、こういうときは逆に常識の無いゆーいちに託した方が上手くいくかもしれないしね」
なんかバカにされてる感じしかしねーんだけども。まぁかわいいから許すけど。
ふふっ、といたずらっ子のように笑い、それに、と正也は続ける。
「ゆーいちにしかできないことがあるから、この部活があるわけだしね」
「えっ? 何? もっかい言ってくれ」
「そういうのはモテる難聴系だけの技だよ!」
少し照れた顔をした正也が、男でなければ惚れていたかもしれない。