第20話 元気は素敵
「……澤くん? 小澤くん?」
自分を呼び掛ける声で雄一は意識を取り戻す。
目の前では朱鳥が心配そうな表情をして、顔を覗き込んでいた。
ここは……部室か?
外では蝉がうるさいくらいに鳴いているのが窓を閉めきっていても聞こえてくる。
「大丈夫かい? 暑さにでもやられたとか?」
「え、いや」
いつだ? 今は。
雄一はケータイを出して時間を確認する。
7月14日の放課後。
過去に戻ろうと女子更衣室にいた時刻だ。
そうだ、過去へ戻ろって早川さんが告白するのを止めて……
「依頼は? 晴斗の依頼はどうなった」
問い詰めるような雄一の様子に、朱鳥と正也は不思議そうな顔をする。
「依頼? もう、私の話聞いてました? 今ちょうど依頼が全然来ませんねって話してたじゃないですか」
「閑古鳥が泣き叫ぶ」
晴斗からの依頼も早川さんからの依頼も、無かったことになっている。
「過去が変わった、のか? そんなに大きく?」
前回過去を変えたときは、精々雄一の居場所が変わっていたり、無くしたものや隠した制服の場所が変わっていただけだ。
しかし今回は、依頼そのものが、数日単位の雄一達の行動が無かったことになっている。
「いきなりどーしたんですか? 小澤くん」
「ゆーいち、もしかして過去から」
雄一の様子を見て、正也が察したように問いかける。
「あ、ああ。たぶん。いきなり過ぎたから本当に過去にいたのかは曖昧だけど」
まだ落ち着かない。状況が整理できていないが。
「くわしくきかせて」
ともかく、今は話すことで考えを整理しよう。
――――――
一通りの説明を終えると、しばらくの沈黙の後、まず朱鳥が口を開く。
「つまり、その島崎くんの依頼で過去に戻った、と」
「そうだ。そうだった。だけど、過去が変わって依頼も無かったことになった……ってことだと思う」
「それどころか、ぼくらは誰も島崎くんとは会っても話してもない。早川さんは告白もして無かったことになっているね」
「まぁ、作戦としては上手くいったのか。それなら……」
良かった、とすぐには言えなかった。
たった数日間とはいえ、話を聞き、行動を共にした晴斗との記憶が自分だけのものになっているのだ。
それは簡単に割りきれない。
「あ、早川さんと言えば、バスケ部の片山くんが早川さんに告白してフラれたって話聞きましたよ」
「……あいつ結局フラれちまったのか」
わかっていたことではあるが。
過去を変えるためだったとはいえ、少し罪悪感もある。
やはり、あれだけ性格のきつい早川さんも、智樹に告白されたとなると、事態がこじれるのを予測できたようだ。
晴斗への告白は阻止することができた。
もともと自分の気持ちより、周囲からの目を考えて晴斗と付き合おうとしていたような人だし、予想通りではある。
作戦は上手くいったものの、後味はあまりよろしくないが。
そんな苦味を消すかのように、雄一は話題を変える。
「そうだ、もう一つわかったことがある」
「ん? なんだい?」
「あくまでも仮定だけど、過去に戻っても大澤雄二ではなく、小澤雄一として認識される方法」
正也が大きな目をさらに大きく見開く。
「すごい。そんなことが? どうやって?」
言いかけて、少し止まる。何か、言葉にするととても変な言い方になる気がする。
どうしようか、と迷う。結局それでも言うしかない。
「……女子更衣室で、誰かに会う」
正也と朱鳥の反応は予想通りだった。
「は?」
「な、何言ってるんですか小澤くん! バカなんですか? 死ぬんですか?」
正也には半分呆れた顔をされ、朱鳥は顔を赤くして罵倒してくる。いや、予想通りだけど。
「いや、とりあえず聞いてくれ! 多少、と言うかかなり誤解が生じている!」
「前々から怪しいとは思っていたけど、そこまで度を越していたとはね」
「小澤くん、女の子の着替えがそこまで見たいからって、やって良いことと悪いことがありますよ」
ダメだ、こいつら話を全く聞いていない。
正也に関しては罵倒するのをちょっと楽しんでるじゃねーか!
「だから、着替えとか見たい訳じゃなくて! 見たくない訳ではないけど!」
「ゆーいち、自分から話題を変えていってしまっては話が進まないよ」
困ったやつだなぁと正也が笑う。
「誰のせいだ!」
本当に困った親友だ。かわいいから許すけど。
「今まで二回、過去の世界で『小澤雄一』として認識されたことがある。どっちも相手は市丸なんだけど、あいつは俺のことを普段と同じ呼び方で呼んだ」
ゆーくん、というあの照れくさい呼び方だ。中学時代からのあだ名なので今さら変えろとも言えない。
「もしかしたら市丸に何か特別な事があるんじゃないかって思った。だけどあいつは廊下で俺に会ったとき、俺のことを『小澤雄一』として認識してなかった」
「そうだね。ぼくもそう記憶してる」
「だったら何が条件なのか。俺はその二回とも女子更衣室で市丸に会ったんだ。だから市丸は、俺を『小澤雄一』として認識できた」
「過去に戻るための場所である女子更衣室なら、過去に戻っても雄一は雄一として認識される、ということか」
「まだ二回だけだし、絶対とは言いきれないけど」
「それでも可能性はかなり高そうだね。それが本当なら色々と依頼の幅も広がる」
早速実験、といきたい正也だが以前試した時も実験だけが目的だと過去に戻る現象は一度も起きなかった。
雄一としては実験をあまり大事なものに感じていないのであろうか。
うずうずとする正也と、難しい話はあまり好きではないのか、話が始まってからすぐにお菓子を食べ始めた朱鳥を見て、とりあえずは依頼が解決したことに安堵する雄一であった。
――――――
日直の号令で3限目の授業が終わる。
やっと昼休みだ。
そこまで気を詰めて授業に取り組んでいた訳ではないが、雄一は何となく昼休みに入るこの瞬間が好きであった。
教室に正也を残し、いつものようにパンを買いに購買へと向かう。
正也は、毎日自分で手作り弁当を作ってきているので、購買についてくることはほとんどなかった。たまに雄一も少し弁当をもらうが、どれも滅茶苦茶旨い。
女子力カンストするんじゃねえかな。男なのに。
要らぬ心配をする今日この頃。
7月も中頃になると、外では蝉が騒がしくなってくる。制服も完全に夏服に変わり、茹だるような暑さの中、徐々に夏休みへ向かっていく。
高校2年生の夏だ。何か素敵なことでも起こって良いはずだが。
そんな素敵な頭で素敵な期待をしていると、階段を上ってきた人とぶつかりそうになる。
「ごめんなさい、大丈夫ですか?」
「すみませ……」
爽やかなイケメンがそこにいた。
そう、島崎晴斗である。
「あ、晴斗……」
何となく苦い顔をした雄一を、晴斗は不思議そうに見つめる。
「? どこかで会ったことあったかな?」
「ッ!」
嗚咽のような息が漏れる。
やはり、か。
やはり覚えていない。
わかってはいたが、キツい。想像以上に。
感謝されたいだとか、見返りがほしいだとか、そんな図々しい感情がある訳ではない。自分の目的は人助けだ。だが、そこまで簡単に割りきれる程、雄一の心は整っていない。
「いや、あの、何でもない……です」
雄一を見つめ、誰だったかと思い出そうとする晴斗の視線を掻い潜るように階段を下りる。
購買で買ったいつものコロッケパンは、何だかソースの味が薄かった。
――――――
結局いつも以上に授業にも集中できないまま、放課後になる。
今日は部活を休んで家でぼーっとしていようか。まぁ、部活でも基本ぼーっとしてるけど。
依頼を解決して、それで何が残るのだろう。
無かったことになって、依頼してきた人間はそもそも困っていない。自分以外は誰も知らない。
それは本当に人助けなのか?
誰かが本当に救われているのだろうか。
……ダメだ、やっぱり今日は休もう。もうすぐ夏休みだし、ちょっとフライングするくらい良いよね。
そんなことを考え、教室を出ると
「ちょ、ちょっと待って!」
後ろから不意に呼び止められる。
大きなテニスバックを背負った少女が息を切らしながら駆けてくる。
「どしたの市丸」
雄一の前まで来ると、市丸京奈は急ブレーキをかけて止まる。
はあはあ、と息を整え、雄一を見上げてから口を開く。
「あ、あの、ゆーくんって夏休みとかひま?」
「まぁ。今んとこ部活もそんなやる予定ねーし」
「そ、そっか! じゃあさ、お祭りとか……行かない?」
「へ? お祭り?」
お祭り? お祭りって、あれか、出店が出て、花火とかやって、カップルとかガキんちょが行きたがるイベントか。あとヤンキーがやけに好んでる。
しかし、そんなわっしょいわっしょいといったイベントに、学年で1、2を争うほどにわっしょい感の無い雄一を何故誘うのだろうか。
そもそもわっしょい感とはなんだろうか。
「去年はお祭り行けなかったから、今年こそは行きたいなって思ってて。でも一人で行くのもなーって思ってたらちょーどこんなところにゆーくんがいたから」
「丁度ってお前」
なにそのコンビニ感。こっちは24時間どころがほとんど営業してねーぞ。
てか丁度じゃなくてさっき追っかけてきてたよね。
「ま、まぁまぁ! ゆーくん暇そうだし、道とか迷わなそうだしさ!」
「そりゃ両方お前よりはな」
夏休みも部活漬けなのは言うまでもないが、京奈は相当な方向音痴である。
中学の時の遠足で、一人迷子になって引率の教員総出で捜索されたこともあった。同じ行動班だった雄一も教員達と探す羽目になり、大変な思いをしたことを覚えている。
「何か乗り気じゃなさそう」
「いや、まぁなんと言いますか」
正直今はどこかへ遊びに行こうという気分でもない。そんな雄一の様子を察してか、京奈はぽつりと呟く。
「ゆーくん、こないだの約束……」
「この間?」
「お詫びしてくれるって言った」
「……あ」
雄一は固まる。そうだ。過去に戻ったときに、自分は確かに「今度詫びる」と言ってしまった。
まさかその切り札をこんなとこで使ってくるとは。市丸、お前はアホに見えて意外と考えられるな。
まぁそれは雄一がアホなのもあるのだが。
「ゆーくん、嫌?」
京奈が上目遣いで雄一に問いかける。
ああ。これは正解の決まった問いかけというやつだ。嫌とは言えないやつ。こいつ、俺が断れないのわかって聞いてやがる! けーなちゃんてば小悪魔!
「…………あー、わかった」
「なんかすごい間があったよ!?」
「気にするな、この空間の時間が止まってただけだ」
その割には頭で色々考えてはいたが。
あれだ、DIO的な時間停止。
「それじゃまた連絡するね! ゆーくん、ちゃんとケータイ見てよ? 全然返してくれない時あるんだから」
「は、はい」
ちゃんとしてよ! という京奈の勢いに、思わず背筋が伸びる。
いや、見てるんだけどね? こう、どう返したら良いかって熟考してると時間が過ぎちゃうんですよ。女の子って何であんなにすぐ文章打てるの? ラノベ作家になれば良いと思うよ?
そんな下らない雄一の思考など京奈は蚊帳の外だ。
くるりと雄一にテニスバックを向け、その横から頭だけこちらに向ける。
「それじゃあ、部活に行ってきます!」
「あ、行ってらっしゃいませ」
敬礼を見せる京奈につられて同じように敬礼を作る。
えへへ、と笑ってから京奈は廊下を駆けていった。
とんだタイフーンガールだ。
……まぁでも、その、なんだ。
元気な人って良いね。